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ブッダ展

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              孫悟空が雲に乗って猛スピードで世界の果てまで
              行き「斉天大聖」と書いて戻ってきたつもりでも、そ
              れは全て釈迦(しゃか)の手のひらの上でのことだった






▼西遊記の一場面は、超越した大いなる仏としての存在を感じさせる。一方で釈迦は古代インドに生きた歴史上の人物でもある

▼仏教の開祖ゴータマ・シッダールタに焦点を当てた「お釈迦さんワールド-ブッダになったひと」展が京都市下京区の龍谷大龍谷ミュージアムで開催中だ

▼約2500年前、シャーキャ族の王子として生まれ、出家して修行、悟りを得て教えを広めた。死後には遺骨を敬う舎利信仰も広まった。同展では神格化され伝説に彩られた生涯や時代背景を仏像や仏画、経典などで紹介する

▼漫画「ブッダ」の作者、故手塚治虫さんの直筆原画も並ぶ。1984年のインタビューで、「(自然と人間、天地のもの全てが一体という)深い広大な思想は歴史を超え(略)現代にこそ生かされなければならない」と語っている(「手塚治虫のブッダ 救われる言葉」光文社)。別の著書では、自然への畏怖をなくし、傲慢(ごうまん)になった人類には必ずしっぺ返しがくる、と警鐘を鳴らす

なぜ今、ブッダなのか。釈迦の手のひらから出られない悟空の無力さを謙虚に見つめることに、答えがあるように思う。【凡語】

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Syakanyorai

        それにしても「なぜ、仏教はインドで滅んだのか」

     

 


     

 かって、フランスの作家マルロー氏と、インドのネルー初代首相が語らいました。
 
「なぜ、仏教がインドで滅んだのか」と。

 ネルー首相はこう言ったそうです。「仏陀の天才は、あくまでも仏陀が人間であるという 事実にもとずいていた」「しかし仏陀の神格化が行われたとたん、仏陀その人はこの神々と同列にくわえられ、姿を没してしまった」と。

 池田先生は、このやり取りを紹介されながら、次のように語る。
 
「本来、仏教は『人間の生き方』を説いたものであった。『このように生きよ』『人生をこう生きよ』とわが身で教えた。そこには師弟の道があった。しかし、いっしか『人間・釈尊』は権威化され、人間を超えた神になっていった」

 師弟の道とは、人間の崇高な精神の継承なのです。先生は、さらに、「『仏』とは、ありがたく礼拝する対象であっても、『その方に続く』存在ではなくなった。師弟の道も見えななった。仏教が『人間の生き方』でなくなったとき、インドでは、仏教は死んでしまった」とも指摘されていました。

 仏法は本来、人間が最も尊ご極な存在であることを教えています。そして、最高に人間らしい生き方を示しています。だからこそ、日蓮大聖人は、「凡夫即仏なり・仏即凡夫なり・」(御書1446ベージ)、「唯余念なく南無妙法連崋教と唱え経へ奉れば凡身即仏身なり」(同872ベージ)と仰せられ、「凡夫」すなわち衆生に具わる本来の仏の境地を開くことが成仏であり、人間を超越した特別な存在になることではないと、強調された。

 人は人との関わりを通して成長していく。『日蓮大聖人』のお手紙に師匠の大切さを語っていられる。「たとえ父母が子を産み、その子に眼、耳が備わっていても物を教える師匠がいなければ、それは動物の眼や耳と等しいというべきであろう」(通解)と。

 あ・・・調子に乗って、演壇で講義している錯覚に・・  (*´v゚*)ゞ
これ以上、減らず口を叩くと(閻魔さま)から叱られる。



 


 

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