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作家の書斎

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      「黒々とした波の壁は、さらにせり上がって屹立(きつりつ)
      した峰と化した」「家屋は、たたきつけられて圧壊し、海岸
      一帯には白く泡立つ海水が渦巻いた」-。東日本大震災
      の描写ではない。121年前の昨日、1896(明治29)年
      に東北地方を襲った「明治三陸地震」の巨大津波である





◆作家・吉村昭が、体験者からの聞き取りや資料に当たってまとめた『三陸海岸大津波』(文春文庫)から引いた。轟音(ごうおん)を伴う津波は沿岸部をのみ込み、死者・行方不明者は2万2千人に上った。同書は昭和に入って起きた二度の大津波も合わせて収録している
◆なぜ過去の教訓を生かせなかったのか。東日本大震災後、40年も前に出された、この本が注目を浴びた。「今も三陸海岸を旅すると、所々に見える防潮堤とともに、多くの死者の声がきこえるような気がする」と吉村は書き残している

◆その吉村の書斎を再現した文学館が今春オープンしたと聞いて、東京・荒川に訪ねた。壁は天井まで蔵書でぎっしり。大きな窓に面した机と、原稿用紙を収める専用の棚が作り付けてある。綿密に計算された空間は、丹念に証言を集めた吉村の創作姿勢にも通じる

◆各地の郷土史が並ぶ中に、佐賀県の歴史を記した本を見つけた。吉村愛用のいすに座って眺めていると「過去の声に耳を澄ませ」と叱咤(しった)された気がした。【有明抄】

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  吉村の書斎を再現した文学館














吉村昭『三陸海岸大津波』(文春文庫) 商品の説明


内容紹介

明治二十九年、昭和八年、昭和三十五年チリ地震。
人々に悲劇をもたらす大津波はどのようにやってくるのか。前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書。アマゾン2011年上半期Booksランキング ノンフィクション部門の1位。

内容(「BOOK」データベースより)

 明治29年、昭和8年、そして昭和35年。青森・岩手・宮城の三県にわたる三陸沿岸は三たび大津波に襲われ、人々に悲劇をもたらした。大津波はどのようにやってきたか、生死を分けたのは何だったのか―前兆、被害、救援の様子を体験者の貴重な証言をもとに再現した震撼の書

トップカスタマーレビュー

三陸海岸沿いへ住む方々への警鐘!是非読んでください。そして語り継いで! 投稿者  inter

 小説では無く氏が文献を調べ、自らの足で集めた記録。三陸海岸には昔から津波との戦いの歴史がある。26000人の死者を出した明治29年。3000人の死者を出した昭和8年。チリ地震の津波により105人が亡くなった昭和35年。そして20000人が犠牲になった平成23年。

 120年の間に数千単位の民家が流出する津波が4度も襲ってきた事になります。つまり30年に1度。この数字を忘れず心に刻むべき。この本に登場する明治と昭和8年の自身を両方体験した方が言っていますが、明治の地震被害を覚えていたからこそ、多くの方が迅速に避難した事により被害が少なくて済んだと。

 逆に明治の地震では教訓があったにも関わらず大きな地震がしばらくなかった為、多くの人が地震を侮った事により甚大な被害が出たんだと。津波は流石に来ないだろうと勝手に考えたそうです。311の地震も人々はこの教訓を生かせなかったのでは。忘れた頃にやって来ると言う地震。同じ被害を出さないためにも人々の心に留めておきたい記録を綴った一冊です。

今からでも読むべき記録  投稿者  たまにゃん

 「想定外の津波」により被害が拡大したと政府も東電も口をそろえて発表した。それらの発表がいかに怠慢と欺瞞に満ちたものであるかが、この本を一読すれば分かる。この地域では大津波が何度も発生し、その度に大災害を被ってきた。

 遠い過去の話ではない。著者は江戸、明治、昭和の記録に当たり、体験者から直接話を聞いてこの本を執筆している。この程度のことを認識してこなかった東電/政府の責任は重い。さらにそれを見逃してきた国民にも甘さがあったと言わざるを得ないだろう。

地震大国日本に住む人びと必読の書である。

珍念の脳裏に「賢人は安きに居て危うきを嘆き、佞人は危うきに居て安きを嘆く」の言葉が思い浮かぶ!

 日蓮大聖人は『富木殿御書』に、「夫(それ)賢人は安きに居て危(あや)ふきを欲(おも)ひ、佞人(ねいじん)は危ふきに居て安きを欲(おも)ふ」と仰せになっています。賢人は、たとえ安穏な境地にいても、常に危うきことが起こることを予想し、気をつけています。

天台大師は『摩訶止観』の中に、四種の良馬 の譬え話を述べています。

  「快馬けめの鞭影べんえいを見て即すなわち正しょう路ろに至いたる」
ということを説いています。これは雑阿含経の「四種の良馬」という説話を引かれたものです。つまり良い馬には四種類あります。

 第一番目の良馬は、鞍くらの上に跨またがった御ぎょ者しゃの振り下ろす鞭むちの影を見ただけで、乗り心地良く、目的地に向かって正しい道を走り出します。

 第二番目の良馬は、御者の振り下ろす鞭が毛や尻尾しっぽに触ふれただけで、目的地に向かって正しい道を走り出します。

 第三番目の良馬は、鞭で皮や肉を、ピシッと打たれてはじめて驚おどろき、目的地に向かって正しい道を走り出します。

 第四番目の良馬は、それこそ何度も何度も鞭で思いっきり強く打たれ、その痛みが肌はだを徹とおして骨ほねまで響ひびき、そこではじめて驚いて、目的地に向かって正しい道を走り出すというのです。

 本当の名馬・賢い馬は、もちろん一番目の馬で、鞭で思いっきり叩たたかれなければ、ちゃんと走れないような馬は、決して良馬とは言えないのです。

しかし、佞人、つまり先ほどの馬の例によれば、駄馬のような人は、自分の身が危険な状態にあるにもかかわらず、そのことに気がつかず、ただ眼前の安逸(あんいつ)を貪(むさぼ)っているのです。


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      馬歳の(珍念)第四番目の馬かなぁ!







 
天災は公平ではありません。備えを怠らない人とそうでない人を見分け、被害に大小をつけることがあります。幾多の悲しい経験から生まれた戒めは、自らの命は自らで守る気概を持ち続けることだと思います。

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