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ずるい生き物

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                 人間とは何ともずるい生き物である。個人レベルでは
                 心優しく善良なのに、集団社会になると平気で悪さをする。
                 誰も見ていない、他の人もやっているから…と







▼それを証明する興味深い実験を英国の動物行動学者、メリッサ・ベイトソンが行っている。その詳細が「モラルの起源」(亀田達也著、岩波新書)に載っている

▼お金を払えば自由にコーヒーを飲める機械がある。自主的な代金納入が前提で、ただ飲みする者がいたら運営は厳しい。とはいえ見張りを立てるとコストが大きい

▼そこでコーヒールームにこんな仕掛けを施した。ある週はきれいな花の写真を飾り、次の週は人の目の写真を貼りだした。数種類を試したところ、人の目の写真だと代金の回収率が大幅に改善された

▼中でも「怖い目」が最も効果的だったという。ベイトソンは「誰かに見られている」「規範を破ると罰則を受ける」と案じる気持ちが、社会規範の逸脱を防いだと分析した

▼内閣支持率が急落した安倍晋三首相が、加計(かけ)学園問題など通常国会での強気の答弁を謝罪した。その理由は「他人の目」に恐怖心を覚えたからだろう

▼「真摯(しんし)に説明責任を果たす」と低姿勢を示したものの、特定秘密保護法や安全保障関連法の局面も乗り越えた自信か、端々に「安倍1強」のおごりが見え隠れする。独走する政治のブレーキは「国民の目」である。【越山若水】

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Miteru


              この人には
      『天知る地知る我知る人知る』の諺をお贈りします。



「モラルの起源」 商品の説明 内容紹介

 群れで生きるための心の働きを、進化的に獲得してきたヒト。しかし、異なるモラルをもつ人々を含む大集団で生きる現代、仲間という境界線を越えて、人類が平和で安定した社会をつくるにはどうすればよいのか。心理学などの様々な実験をもとに、文系・理系の枠を飛び越え、人の社会を支える心のしくみを探る意欲作。

内容(「BOOK」データベースより)

 私たちヒトは、うまく群れ生活を送っていけるように、その心を進化させてきた。しかし、「群れ」や「仲間」を大きく超えて人々がつながる現代、私たちが対立を乗り越え、平和で安定した社会を築くにはどうしたらよいのか。「実験社会科学」という新たなアプローチで、メタモラルの可能性を文理横断的に探る意欲作

トップカスタマーレビュー

 非常に面白いが規範と事実の関係はさらに検討が必要  投稿者  お気に召すまま 

 人文社会科学では、思考実験ではなく実際の実験はあまり行われてこなかったが、現代では、心理学を中心に活発に実験が行われている。本書は、倫理やモラルの問題を、実験によって吟味しようという試みである。さまざまな選択を迫るゲームを人間に行わせ、その際に人間はどう感じるか、そのとき脳のどの部分が活性化しているかなどが測定される。他者の行為に共感を感じるか反感を感じるかによって倫理的な是非を決めることは、アダム・スミスが『道徳感情論』で精緻かつ体系的に行っているが、その共感/反感を心理学実験で確かめようというのが本書の前半である。

 自他融合的な身体化された無意識の「共感」と、他者の視点を取る自他分離的な「認知的共感」の区別は、言語を媒介とするヒトと動物との違いも明らかにする、非常に興味深いものである。実験の結論は、おおむねスミスの考察を裏書きしているように見える。そして本書の後半では、「分配の正義」という規範を、巧みな実験を通じて「事実として」確かめようとしている。ただし、実験の結果によって規範の正しさが「裏付けられる」としても、その関係は微妙である。ある実験が、「ある規範に従って行動する人が多数である」ことを示したとしても、それは「その規範を正しいと思っている人が多い」という事実を明らかにしたのであって、規範そのものの正しさを明らかにしたわけではない。

 適正な分配を尋ねる「最後通告ゲーム」を、文化人類学的な未開の小規模社会で実験した結果は面白いが、それを市場経済の浸透度と結びつけることは、たとえばアリストテレスも「比例的な配分的正義」を主張していることを考えると、別の解釈が可能かもしれない。ロールズの正義論の「無知のベール」を「リスクヘッジ」(最悪を想定する保険の思想)と解釈して実験を行った著者の試みは、とても刺激的だった

付和雷同はヒトの常だが、「寅さん」のような人情家が最終的に高い評価を得る 投稿者ib_pata

  2012年にNHKで放送された『ヒューマン』シリーズを学術的にまとめたような印象。ヒトは社会の中でしか生きられないので、その中で安定的な地位を保たねばならないが、戦略上、最も有効なのが周りを気遣い、時には自分が損をしてもヒトを助けるような「寅さん」みたいな生き方だそうです。若干、ヒトの目を気にしすぎるのでは、と思われるようなこうした生き方は、狩猟社会の時からの平等を気にする性質がさせている、という理由もNHKの『ヒューマン』と似ているな、と。

 こうした内向きな傾向は現代においても、例えば、社会政策では、思わぬ不合理を生むそうです。どういう分配が好ましいか人々に問う実験では、社会全体の資産総額が小さくなっても格差が少ない社会を求める傾向がハッキリとみてとれるそうです(p.142-)。

 ここで、ハタと思いついたことがありました。

 多くの人々が基本的にはこうした考え方であるとすれば、資本主義社会では逆に大きな勝負に出るような性格のヒトというのが成功するのではないのかな、と。日本でも「今の日本社会にはアニマル・スピリットを持った資本家が少ない」なんてことをよくいいますが、資本主義社会で極く一部の人間が成功して、大多数の人々が平等に貧しくなるというのが、人類の宿命なのかな、みたいな。

 ゴシップを通じて他者の本当の利他性についての情報を得ることで、評判の良い人と付き合い、悪い人は避けようとする。付き合う相手として他人から選ばれることは、集団生活を選択したヒトにとって適応条件となり、ツイッターやLINEではその影響が大きくなる、というあたりも面白かった。

これ以上は『蛇足』 ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

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