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祖父の「奇妙な遺言」

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                母方の祖父・牧文次郎は僕が生まれる
                前の1934年、他界していた。





 母に「どんな人だったの?」と聞くと「『後は野となれ山となれ!』と言い残す人だよ」とあまり話そうとしなかった。

 文次郎は東京・日本橋「洋書の丸屋善七店(通称・丸善)」の番頭だった人で、独立して「東京深川屋」の名前で「新撰皇國道中明鑑」(鉄道馬車事情を紹介した本)などを出版。後に家業の料亭「深川亭」を継ぎ、当時、日本一華やかな花柳界と言われた「柳橋料亭組合」の組合長を務めた。それなりの人物、と思うのだが……娘から見ると「目先のことさえ解決できれば、後はどうなってもかまわない」という“ちゃらんぽらんな男”だったのか?

 それにしても「後は野となれ山となれ!」とは“奇妙な遺言”である。

 最近、この言葉は、文次郎が生きた大正→昭和の複雑な「時代背景」と無縁ではない!と思うようになった。

 17(大正6)年、ロシア革命。日本でも、共産主義思想が広がる!と懸念した政府は治安警察法を強化する治安立法制定に着手する。

 21(大正10)年、「下関遊興事件」が起こった。「近藤栄蔵」という人物が、山川均・堺利彦・荒畑寒村らと日本共産党暫定執行委員会を結成。5月、コミンテルン(共産主義政党による国際組織。別名第3インターナショナル)に報告するため上海に向かった。

その帰り、この人物はコミンテルンから受け取った運動資金6500円を使って、下関の料亭で芸者をあげ豪遊する。カネの出所を怪しまれ、警察に逮捕された。この事件が治安維持法成立(25年4月22日公布)の一つのキッカケになっている。

 文次郎は「料亭の経営者」として、複雑な思いで「思想弾圧」の流れを見ていたのだろう。自由な言論が規制され「飲み食いの場所」まで監視される窮屈な時代。まして、軍部の暴走に抵抗できない。

 「後は野となれ山となれ!」には、そんな「やけっぱちの無力感」が隠されていたのではあるまいか?

 いま「テロ撲滅」の美名のもと、「共謀罪」が成立しようとしている。日本は、あの「窮屈な時代」に逆戻りする。祖父・文次郎が「日本の行く末は……後は野となれ……」と言っているような気がするのだ。(客員編集委員)

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昨日、おどろ悍ましい、ニュースが発信された。

「日本も攻撃圏内」と威嚇=核兵器「実戦配備した」-北朝鮮

2017年05月20日 20時02分 時事通信

【ソウル時事】北朝鮮国営の朝鮮中央通信は20日、「日本もわれわれの攻撃圏内にある」と題する論評を伝え、「実戦配備された核兵器を含む、われわれの全ての軍事的攻撃手段は、米本土と共に日本駐屯の米帝侵略軍基地にも精密に照準を合わせ、発射の瞬間だけを待っている」と威嚇した。

 論評は「われわれが新たに開発した戦略弾道ミサイルを発射して以降、誰よりも不安になっているのは日本の反動(勢力)だ」と主張。「日本は米国に追従し、(北朝鮮への)制裁策動に狂奔し、自らわれわれの攻撃圏内に深く入る結果を招いた」と批判した。その上で、「今からでも、災いを招く愚かな行為を自粛した方がよい」と警告した。 

 (憲法9条)があれば国を守れる・・? その日本国憲法の前文が、時代感覚に符合しない、これ以上<吠える>と軍国主義者と誤解される。 日本の近隣の国は、日本の主要都市に、ミサイルの標準を定めていっでも、発射ボタンを押すことができる。 




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        昨夜、変な夢をみました。
        独裁者になつて、徴兵制を布き核兵器
        を量産し、敵基地を先制攻撃し、最後は
        自国も、報復を受け「そして誰もいなくなった」。
        小心者の(珍念)の『杞憂』かなぁ









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