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銀塩写真

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▼ デジタルカメラ全盛の時代。「アラーキー」こと写真家の荒木経惟さんは今も、フィルムカメラを愛用する銀塩派だ。「銀塩写真は現像する時、一度ぬれる。それが重要なんだ。デジタルはプロセスが乾いている」

▼大御所の言葉は艶っぽく、そこはかとなく深い。乾いた時代へのアンチテーゼ。「写真には『情』が写る」とも語り、被写体を思いやる気持ちと慈しむ時間の大切さを説く。過激なヌード作品が注目されるが、自分の新婚旅行をモノクロ写真でつづった写真集『センチメンタルな旅』は純文学のような名作だ。私小説に対抗し「私写真」を提唱する。

▼宮城県内の高校で唯一、フィルムで撮り続けた宮城広瀬高写真部が今春、転機を迎える。フィルムや印画紙など資材が高騰し、銀塩写真の魅力を伝えてきた顧問の退職が重なった。

▼縁あって10年ほど、生徒たちの作品を講評してきた。友達や家族を捉えた写真は心温まる傑作ばかり。みずみずしい感性や愛情にあふれている。アラーキーに劣らない作品は、同校写真部のウェブギャラリーで見られる。【河北新報:デスク日記】

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いい顔してる人 生き方は顔に出る  商品の説明内容紹介

◆「あの人はいい顔してる」と言うことがあります。とても魅力的な表現ながら、どういう顔がいい顔なのかわかりにくい面もあります。そこで本書では、写真家荒木経惟さんが、い顔についてあらゆる角度から論じ、いい顔とは何か、どうすればいい顔の持ち主になれるのかについて、徹底的に語りつくします。

◆アラーキーの呼び名でおなじみの荒木経惟さんは、2010年5月で70歳を迎えます。また、写真家生活も50余年になります。09年に自身のからだに見つかったガンと闘いながらも、過激な問題作を次々と発表されています。

◆一方で、荒木さんが思い入れをもって撮影してきたのは、“顔”です。自身の写真家生活は「顔に始まり顔に終わる」と言い切り、いまなお、『日本人ノ顔』シリーズなどを通し、顔を撮り続けています。

顔をテーマにしながら荒木さんのお話は、女性観、男性観、人間観、死生観にまで広がり、この写真家の人間への興味、思索の深さには唸る思いがいたします。政治、社会、文化、芸能、スポーツ……、あらゆる世界で「いい顔」が少なくなったいま、多くの方に読まれ、この国に「いい顔」があふれることを願う一冊です。 天才アラーキーの珠玉の人生論。

「言い顔してる人生き方は顔に出る」 カスタマブレビュー :

いい顔してる人  投稿者 左党犬

 「顔こそ究極のヌード」という、天才アラーキーの人生論。「顔に始まり、顔に終わる」という、何千何万とポートレートを撮ってきた写真家による、体験からにじみでた、実に味わ深い珠玉の人生論である。あまりにも説得力ありすぎる。

 アラーキーのいう「いい顔」とは「美しい顔」のことではない。

 「男40過ぎたら、自分の顔に責任をもて」。若い頃よくこのようにいわれた男性は多いと思う。いまの若い人たちもオヤジ連中から、そういわれることもあるのだろうか?すでに40歳を過ぎた私は、自分の顔がどうであるか自分には判断しかねるが、年齢を重ねて、それなりに味のあるものになっているのではないかと思っている。歳を取るのはけっして悪いことではない。

 もちろん女性も同じだろう。長年にわたって多くの女優を観察してきた映画監督の大島渚も、どんな女優も40歳過ぎたら、いままでの人生がいい面も悪い面も含めてすべて顔に現れてしまうと、以前あるインタビューで語っていた。男も女も、生きてきた軌跡がすべて顔として表出されてしまう。面白いことでもあり、また実に恐ろしいことだ。

 写真に写された人物を取り巻く関係性が顔に表出する。「幸せな顔」とは、愛し愛される関係がにじみでたものだ。どんな人であれ、生きている最高の瞬間がもっともいい顔になる。いい顔になっていないは、職業選択を誤ったということだ。

 そしてまた、写真を撮る側と撮られる側の、見るものと見られる者の関係。撮影する側の気持ちが被写体の表情に写り込む。写真好きの友人からその凄さを教えてもらって、天才アラーキーの存在を知った日からすでに30年近いが、いまでも現役で走り続けている荒木経惟の生き方そのものに敬意を表したい。そして現時点で到達した人生論にも。

 天才は、死ぬまでカメラを離すことはないだろう。生き方が、カメラそのものと化しているからだ。幸せな人による、幸せになるための人生論なのである。

ふと、江戸時代中期に京で塾を開いていた儒学者「伊籐仁斎」の逸話が脳裏に浮かぶ!

●仁斎はつねづね門人に、「自分の顔に責任をもちなさい」「顔づくりは、気持ちづくりです」と言った。つまり、精神の持ち方が人間の顔を左右するというのである。門人の中には、「そんな馬鹿な」と呟く者もいたが、仁斎は固く信じていた。仁斎自身非常に高貴な顔をしていた。

●仁斎は京都の大工職人の息子だった。ところが、道で行き交う人々は必ず、「お公家さまがお通りになる」といった。それほど仁斎の顔は上品だった。あるとき、馬に乗って通行中の京都所司代が、思わず飛び降りて仁斎に深々とお礼をしたことがある。伊藤仁斎と知ってのことではない。身分の高い公家と勘違いしたのだ。

●そんなことがあっても仁斎はけっして自慢はしない。ただ、「顔はその人間の精神の持ち方によって美しくもなり、醜くもなる。だから、いったん美しくなったからと言って安心はできない。気持ちが汚れれば、顔のほうもすぐ醜くなってしまう」と言っていた。仁斎の子息 伊藤東涯も父に劣らず譬えようもなく美しく輝いていた。

Bouzus1


          かく言う〝珍念〟顔は童顔で人なっこい明るい・・? 
          善人のように見えますが心は悪しき煩悩に覆われて
          真っ黒です。深く反省し、恥じています! 願わくば
          「伊籐仁斎」に肖りたい・・・ 。
          今日のコメントも 『支離滅裂』 お笑い下され~い! 

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