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「人は必ず死にます。間違いなく平等に」

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  「日本人の死亡率は100%」。映し出されたスライドに会場は一瞬戸惑うが、すぐに笑って納得する。「人は必ず死にます。間違いなく平等に」。迎えるパターンは大きく二つ。ポックリかジックリか。「皆さんはどちらを望まれますか」

▼ポックリに挙手多数。「では実際にご自身のパターンはどちらになると思いますか」。ジックリに挙手多数。「そう、“ぴんぴんころり”はなかなか難しい」。講師は国の統計数字も示しながら、いずれ待ち受ける介護する・介護される日々へと話を進める

▼静岡市が先日開催した市民公開講座「サヨナラの準備」。福井県おおい町の国保名田庄[なたしょう]診療所長として25年にわたって地域医療の一線に立つ中村伸一医師が介護と死について普段から考えておく大切さを説いた

▼「病院でなく家で逝きたい」。そう考える人は多いが、中村医師によれば近年、逝く側、みとる側ともに自然な死を当たり前と静かに受け入れる“腹”が据わりにくくなっているという。在宅介護、在宅療養を支える制度が徐々に整いつつある一方で、終末期を巡る行き違いもあるようだ

▼講座では市がエンディングノートも用意した。延命治療はどうする、余命半年と告げられたら、お棺に入れてもらいたい物は-。記入を促されると、こうしよう、ああしたいとささやき合う聴衆の声が聞こえた

▼死生観などと大仰に考えなくてもいい。最期をどう迎えるにせよ、死を少しだけ日常に近づけること。「いきいきと生きて逝く」ため、人には常にこうしたおさらいが必要だろう【大自在】

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 「徒然草」の中に興味深い 言葉がありました。木の枝に座って居眠りをして、何度か落ちそうに成りながら、競馬を観戦している人を見て、周囲の人間が「あんな危険な所で、寝ているなんて馬鹿なやっだ」と。それに対して、吉田兼好が「我々だって、いっ死ぬか判らない。それは、今かもしれないのだ、そんな事も解らずに見世物を見て暮すなんて愚かな事だ」と



Yude


   「死」はだれでも必ず、訪れることがわかつているのに
   それを意識することなく、日々をただ、面白可笑しく過ごし
   てしまう事の愚かさ警鐘した叫びだと 思います




◇「人ひさしと言えども、100年には過ぎず、その間の事はただ一睡の夢の出来事なり」と仏典にありますが!

◇私の恩師は「臨終とは、「人生の総決算」の場と述べています。この時「どう生きてきたのか」厳しくとわれます。 その時に何の悔いも無く、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるか。

◇逆に、後悔と自責の念で人生の終幕を迎えてしまうのか。まさに、臨終の時こそ、その人の生き方そのものが、何一つ誤魔化しようがなく、この一瞬に凝縮されます。したがって、臨終をたとえ、今迎えたとしても、雲一つない澄み切った青空のごとく、何一つ悔いや不満がない。そう断言できるように、どれだけ「今」を真剣に精一杯生きているか、大事です。

◇瞬間、瞬間、「今、臨終になっても悔いが無い」と言い切れる覚悟で「現在」を真剣に生きる のが大事ですが、どれだけ長生きしたかより、どう生きたか、何をしたか・・? 問われそうです。

不詳:(珍念)閻魔さまから、酷い目に・あわされ兼ねません。反省し・恥じている。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

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