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1枚のファクス

Memo

 










 日々、大量に流れてくるファクスに目を通す。行事の案内やスポーツ大会の結果、投稿とさまざまだ。その中に、広告部からの死亡広告もある。公職にあった人が亡くなると、経歴などを記事にし伝える。かつて世話になった人たちの死を、届いたファクス用紙で知り、在りし日をしのんだり、遺族の名前から親戚関係に初めて気付かされたりする。

 死亡広告の文面を見ると、近年は葬儀を「近親者にて執り行い」とし、紙面掲載は葬儀終了後にという遺族が多くなった。また、遺体を葬祭場に安置し、遺族もそこに滞在するなど、葬儀事情が変わってきたとも感じる。

 7月のある日、1枚のファクスを目にし一瞬、頭が真っ白になった。幼なじみの訃報を伝えるものだった。保育園の頃から半世紀以上、青春時代をともに過ごし、社会人になると、仲間で定期的に集まっていた。それが、数年前から引きこもり気味となり、近年は会うこともなく、連絡も途絶えてしまっていた。

 文面によると、葬儀は翌日で、新聞掲載はその後にとのことだった。この職場にいなかったら、それまで知らずにいたかもしれない。数人の仲間に電話を入れ、まずは顔を拝みたいとその夜、彼の家へ向かったが留守で、どうにか安置されている葬祭場が分かり急行。久々に再会した彼は穏やかな顔で永い眠りについていた。「苦しかったべ。ゆっくりせえな」と声を掛けるのがやっとだった。

 翌日、火葬と葬儀を終え、仲間で常連だった居酒屋に繰り出し追悼の酒を飲んだ。彼の分の生ビールも頼み、思い出話は尽きない。誰もが、何か力になれなかったか、もっと会っておけばよかったと悔やんだ。

 それから1カ月もたたない旧盆中、中学卒業40周年の同期会・同級会があった。彼を知る皆が、急逝を驚き、近況や亡くなった時の様子を聞いてきた。決して埋めることができない、会えていなかった「空白の期間」を、改めて後悔させられた。

 そういえば、同級会では長年、東京・築地市場でマグロの卸に携わる仲間が、住まいも変え、いよいよ豊洲市場に移ると話していた。どうしているのか。50代半ば、それぞれの年の瀬である。【北羽新報】

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Po


  上手い。 このコラム 「惰眠を貪る」(珍念)痺れました!
 







■「自分の悪いことを認める酔払い、不信仰を自認する不信心な人間、自分の放埓を認める放蕩者にはお目にかかったことがある。だが、自分の忘恩を認める恩知らずの人間にはお目にかかったことがない。恩知らずな男!まさにこの世の怪物だ」(「たましいの記録」『エマソン選集・7』)

◆仏典に「現当二世」とある。過去の出来事を変えることはできない。だが、過去に経験したことの「意味」を変えることはできる。と

◆ う~ん (^_^;) 今日の目標はあるのか・・・? 何もない、それは「生ける屍」なのだ。
誰人も(臨終)のとき。生前の行いが走馬灯のように蘇るそうですが、悔いのない黄金の思い出を日々刻印したい。

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