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命をあがなう

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    「交通事故は被害者になっても大変だが、加害者になったら、もっ
    と 大変だ」。こう記された本を目にしたとき、長女を交通事故で亡
    くした経済学者の二木雄策さんは怒りがこみ上げたそうだ




▼「事故で殺されるよりもっと大変な加害者の『生』はあるのか。事故で失った生命はいかなる代償によってもあがなわれません」。娘の事故の刑事裁判に関する体験を交えて、賠償のあり方を提言した「交通死」(岩波書店)につづっている

▼砂川市の国道で一家5人が死傷した事故の札幌地裁判決を見て、二木さんの言葉がよみがえった。犠牲者にとって飲酒運転した加害者に科せられた懲役23年はどんな意味を持つのか

▼もし生きていれば家族で食卓を囲み、両親は子供の成長に目を細めていたはず。遺族の1人は「何十年加害者が刑務所に入っても、事故は忘れられない」と語っていた

▼運転すれば誰もが加害者になり得るのに、意識する機会はそう多くない。自分だけは問題を起こさないと思い込んでいる。「まさか」が常に隣にいることをお互い胸に刻むのはもちろんだが、それだけではない

▼経済学者の宇沢弘文さんが1974年に著した「自動車の社会的費用」を思い出す。「人々が自由に安全に都市の街路を歩けないような国を文明国といってよいだろうか」。文明国ならば、飲酒しての暴走運転など不可能な車の開発はできると思うのだが。【卓上四季】

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「自動車の社会的費用」 商品の説明 内容紹介

 自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし、自動車による公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、その無制限な増大に対する批判が生じてきた。市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。

トップカスタマーレビュー

戦後の国内動向・・投稿者hosohoso  投稿日 2016年7月18日

 日本の戦後のモーターリゼーションがなにをもたらしたか、書いてあります。色々警告がかいてある。目に留まって覚えているのは、「ピント」という自動車の欠陥で死亡事故が起きたときの考え方。人の命を金額換算して、自社が販売する自動車の構造改修より安いから、欠陥放置・・・っておいおい 考えさせられます。

30年前の本とは思えません  投稿者 希望を探して 投稿日 2004年2月6日

 「使える新書」で紹介されていたことと、題名の分かりやすさに惹かれて購入しました。
初版は1974年で31刷を数えているようですが、まったく古さを感じさせません。そんな感じを受けるのは、本書で指摘されていることが30年前から一向に改善されていないためと考えられます。そう思うと益々居たたまれない気持ちになります。

 自動車には問題がある。何よりも歩行者を追いやったことに問題があると指摘しています。その他、交通事故、公害などもあるのですが、そういった問題は社会的費用として車を運転する受益者が負担すべきであるはずだが、そうなっていない。運転者にとっては運転することによる利益のほうが負担よりも大きいため、車を運転するというインセンティブがはたらき、ますます車が増加して問題が拡大していくとされています。

 昨年、四国遍路の一部約300kmを歩いたのですが、いかに道路が車のために作られているのか実感しました。悟りを開く前に交通事故で召されてしまうと思うくらいに歩行者にはつらい道が続いていました。受益者負担という観点に立ち、社会的費用を分かち合わなければならないと思った次第です。でも、自分もまた自動車産業の関係者と思うと複雑な気持ちにもなります

1974年に書かれた名著である。 投稿者 西山達弘 投稿日 2010年1月9日

 自動車が社会に及ぼす様々な影響について、経済学的に分析し、その対応策について提言しているものであるが、今この時代でさえも本書のもつ説得力は色あせてはいない。それは、人々が自動車を使用するときは、単に自動車購入のための支払いやガソリン代などという私的な資源の利用に対する代価だけでは済まされない問題、すなわち「道路」という人々が生活していくために欠くことのできない都市環境の最も重要な構成要因である社会的資源の使用を媒介して一般市民の生活に大きな影響を与えているという視点である。

 今、この国においては景気対策と称して、自動車購入に減税や補助金など様々なインセンティブを与えている。この点についても、既に「自動車が資本主義的な経済制度に組み込まれたとき、生産面についても消費面についてもその範囲が加速度的に拡大されていって、経済循環のプロセスにおいても社会的な生活という点からも切り離すことのできないものになりつつある。自動車は、まさに生物体に侵入したガン細胞のように経済社会の中で拡大していった。」とこの時代に指摘しているのは、驚くほかない。

 本書の書かれた時から、30年以上経過した現在でもなお、歩道のない生活道路でさえも、わがもの顔で通過する車や、歩行者のほとんどいない地方都市の横断歩道を渡る歩行者を無視した車など、危険を感じる場面は数多い。いまさらながら、ここまで車を優遇する社会になってしまったことに、愕然とする。

 単純に、暫定税率はその目的を達したから廃止だとか、環境税だとか言う前に、車のもたらす利便性と危険性、さらには都市構造までも破壊し公共交通機関をも消し去ってしまう現実に、そのあり方を根本から考え直す時期ではないかと考えさせられた。

Kuruma


     車社会は「もろ刃の剣」かなぁ?
     これ以上は『蛇足』・・・。






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