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藤原ていさん



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       作家の藤原ていさんが亡くなった。数学者で、姫路文学館長の
       次男正彦さんは母と15年前に中国・旧満州を訪ねたときのこと
       を「満州再訪記」に書く










◆戦中、新京(現長春)に住んでいた一家は、ソ連軍の侵攻を受け、新京駅から列車で南へと逃げた。夫と離れ、3人の幼子と命がけの帰国を果たしたていさんの手記「流れる星は生きている」は戦後、ベストセラーとなる

◆途上、8万人以上が亡くなったとされる満州移民の脱出は、戦後生まれには想像できないほど壮絶で悲惨な道のりだったのだろう。ていさんの本に自らや肉親を重ね、多くの人が泣いた。今なお心に傷を抱えた生還者もいる

◆再訪記では、満州生まれの正彦さんがそのルーツを母たちとたどっている。父が働いていた気象台は工場に変わり、家族の暮らしていた官舎跡には新しいアパートが立っていた

◆「忘れちゃいましたよ」。地獄の逃避行が始まった今の長春駅に再び立ち、ていさんがあの日の記憶はおぼろげだと正彦さんに語るシーンがある。「どんなことをしてでもこの子たち3人を生かして日本へ帰ろう、とばかり考えていたからね」

◆ソ連兵におびえ、物乞いをし、ゴミをあさり、はだしで血を流し、祖国に戻った家族。その記録にはまた、帰れなかった幾万の人たちの無念もにじんでいる。【正平調】

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藤原てい「流れる星は生きている」商品の説明

  昭和二十年八月九日、ソ連参戦の夜、満州新京の観象台官舎——。夫と引き裂かれた妻と愛児三人の、言語に絶する脱出行がここから始まった。敗戦下の悲運に耐えて生き抜いた一人の女性の、苦難と愛情の厳粛な記録。戦後空前の大ベストセラーとなり、夫・新田次郎氏に作家として立つことを決心させた、壮絶なノンフィクション。

出版社からのコメント

新田次郎氏の妻にして、藤原正彦氏の母である著者の記した満州からの壮絶な脱出記。

「私の原点はここにある 私の書けない原点である」(藤原正彦氏)

トップカスタマーレビュー

この親にして あの子  投稿者  rock-c 

★先日発売になった「決定版 この国のけじめ」藤原正彦著を読んでいる最中、この母親の本を読んでみたくなった。併読しているうちに面白さが逆転し、この母親本が、ランナー追い越しのランニング・ホームランとなった。

★「藤原正彦の面白さの原点はここにあったのだ」と思い知った。「この母にして、この子」と言うべきか、「この子にして、やっぱりこの母」といった感じで、ものすごい。寝る暇を惜しんで一気に読んだ。「壮絶!」「凄い!」、もうこの一言に尽きる。男では到底できない母の強さがここに記されている。

★1945年の敗戦後、こんな凄いことが中国、北朝鮮で実際にあったのですね。このような記録がないと私たちの代で消え去ってしまう過去の事実。無知の私なんぞは、敗戦、即、解放、淡々と引き上げされたのだと思っていましたが、敗戦後もこんなに凄まじい、死ぬ思いで引き上げてきたなどとは全く知りませんでした(この本から、大半の人は亡くなっているのですが)。

★こういう本を読むと、どうして日本はこの事実を代々伝えていかないのであろうか、どうして消し去ろうとするのだろうか?と、日本の教育方針を疑ってしまう。まさしく、小学校では英語教育なんて必要ない!まず自国の勉強が必要である!しかも、通常こういう「戦争体験記」は、男性側からのもの。女性の体験記は非常に貴重である。

★しかし、こんな凄い体験記のなかでも、「藤原正彦の母」が垣間見られる。その表現の仕方が似ているのである、息子と。またウイットが非常に利いているのである。こんな壮絶な内容にも拘らず「面白い」のだ(非常にはしたなく申し訳ないが)。しかし、やぱり親子だなー、こういう親でないとこういう子は育たないよなーでも、親子5人生きて還れてほんとに良かった。

想像を絶する実話   投稿者  読書家志望
 
★本書は壮絶な満州からの引き揚げ体験を綴ったものだ。長男正広6歳、正彦3歳、生まれて間もない咲子を連れての日本への帰国は過酷なものだった。特に飢餓や病気による死者が多発する中で、子供たちの健康を守ることは想像を絶するほどのものだ。夫と引き裂かれての心細さも当然あったことだろう。そんな中、ていさんにとって唯一頼りにしていたのが、長男の正広である。

★「正広が一番私に叱られて、そして私のただ一人の信頼できる人間であった。こうしてここに立っている七歳の吾子に私は一年の間の謝罪を手をついてやりたいほど悲しかった」
と記している。十分な食糧の確保ができなかった時は、かじりかけの芋を「お母さん、僕のをあげるよ、お母さんお腹がすいておっぱいがでないんでしょう」と言って渡した。

★また正彦がひどく衰弱している様子を見て、「その正広自身もぶるぶる震えていたが、正彦をこうさせたのが兄としての責任でもあるかのごとく、私にいっているのであった」と幼いながら兄弟を死なせてはなるまい、という重い責任感が感じられる。

★食糧の確保がいかに困難で、藤原一家が弱りきっていたかがわかる記述がある。「一日おきにコンビーフと野菜サラダの缶詰が一ポンドずつ配給された。…ぺろりと食べて、空き缶を眺めていると、胃の中が妙にむかむかとして来て、便所にまで行かないうちにほとんど吐瀉してしまった。…私たちの胃のにはこの過ぎた栄養分を吸収するだけの力がなかったのである」

★なお、当初本書はこどもたちへの遺書、遺産として書くつもりだったそうだ。ていさんの両親に再会してこどもたちの無事を確認した時に出た「これでいいんだ、もう死んでもいいんだ」「もうこれ以上は生きられない」という言葉は印象的だった。どれほど言葉を尽くしても、本書の壮絶さの実感がわかないだろう。それほど私たちの想像の範疇を超える体験記なのである。

0903kurichan


       感動しました。
       これ以上のコメントは『蛇足』

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