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2014年10月

読書が育む3つの「創造力」

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   中核市教育長会

   木村孝雄 前会長

 読書は、3つの「創造する力」を成長させます。

①言葉や文章に親しむことで、本で表現されている景色や音、においといったものを、既成の映像や電子音ではなく自分なりに創造できます。

②作者が描く世界を体験する〝想像の翼〟を創り出すことができます。

③本を読むことで得た知識などをもとに、自分の考えや行動を創造していけるようになります。

 ▼読書とは、自分が十分に納得できるまで、時間と空間をかけて知識や情報を習得することであり、人間性の醸成に欠かせない〝情緒の多様性〟といったものを、世界中の作家の魂から受け取ることに他ありません。

 ▼ボタン一つで、〝答え〟が見つかってしまう時代にあって、自らの頭を使い、労力と時間をかけてつかみ取った、〝答え〟こそが、何ものにも替え難い喜びに変わると思います。ベージをめくる感動や期待は〝幸のチヤンネル〟に繋がっているように感じます。

 ▼実利的な面でも、本を読む利点は明らかです。全国学力・学習状況調査においても、成績と読書の相関関係は立証されています。文章の読解力・表現力の向上は、どの教科にあっても、その土台をなすものです。

 ▼私と本との出会いは貧しかった幼少期。祖父や親戚がたまに買ってくれる絵本を、ポロポロになるまで何度も何度も読みました。高校時代は、本好きな親戚のおばさんの家に下宿。〝学ぶ目的〟を考えさせられた、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を読んだ感動は、昨日のことのようです。

 ▼読むジャンルは年齢とともに変わりましたが、読書に励んできました。本は増えていくばかりですが、自分が〝これは〟と思った本は手元に残しています。

 ▼駆け出しの教員のころに買い求めた、池田名誉会長と歴史家トインビー博士の対談集『21世紀への対話』、も、その一つ。今でもことあるごとにひもとく、私の座右の一書です。依頼、池田先生の本を読む中で実感するのは傑出した人類愛の精神と世界です。

 ▼創価学会は、創価教育学会が出発点です。第二次世界大戦中、牧口常三郎初代会長は文字通り、生命を賭けて思想・哲学の中立性を主張し抜かれました。子どもの幸福こそ第一 牧口会長以来、学会の皆さんが目指してきた社会の創造に、私も手を携えて尽力していきたい。

 ▼福島の子どもたちは今未曾有の大災害の中を生きています。困難な状況を生き抜き、乗り越えていく「自分自身に負けない心」を読書を通してつかんでほしいです。

 ▼本を読むことで作者がたどった思考の過程を追体験することは、自分の中に〝他者の視点〟を醸成することにつながります。こうして育まれる豊かな情緒はやがて、他者への心遣い、優しさとなって表れてくることでしょう。

 ▼いまだだ収束が見えない困難な中で、負けない心や他者への思いやりを培っていく子どもたちの存在は、必ずや希望社会をつくる源となっていくに違いありません。

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 最も参考になったカスタマーレビュー

まさにタイトルどおりに "本が味方になってくれる" 本!投稿者  パタリロ 

本好き・読書好き・本屋好き・図書館好きの人にとっては、ここに書いてある一文一文すべてが頷ける。



 ◆「他者を知る・世界を知る・自分を知るために読むのが本」「読書は抽象と具体のキャッチボール」「本屋さんで本に出会うにはどうすればいいか。それはなにも考えないことだ。ひたすら本屋さんの本棚を眺める。すると本が向こうからやってくる。君が本を見つけるのじゃなくて、本が君を見つけてくれる」

 ◆「本を読んだあと、内容を忘れてしまったからといってがっかりすることはない。忘れたら、思い出す楽しみができたと思えばいい」「本を読んでもわからないことはたくさんある。世界は本よりも広い。でもだからといって、本を読むことは無意味だろうか。読んでもわからないことはあるけれども、同時に、読まなければわからないこともある」

 ◆「本は読まないより読んだほうがいい。でも、本を読んだからといって、偉いわけではない。だから本を読まない人をばかにしてはいけない。本をたくさん読んだ人がおかしがちな間違いは、本を読んだことで自分が偉くなったように錯覚することだ」

 ◆「本を読むことを過剰に評価してはいけない。本を読むからといって、いばってはいけない。世の中には、本を読むより大切なことがたくさんある」……どうです? ぜぇ〜〜んぶ、納得しちゃうでしょ?

かく言う〝珍念〟『論語読みの論語知らず』。お笑い下され~い モジモジ(。_。*)))

人生をすっかり変えてしまう力が一冊の本

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 偶然手にした文庫の記述に、わが意を得たりと膝を打つ。<読書は、他人にものを考えてもらうことである>(ショウペンハウエル『読書について』)。そうそう、だから本なんぞ読まず、世界と直接向き合って、自力でものを考える方がいい-

 
 ▼勘違いも大概に、読むのが面倒なだけではないか、と別の自分が事実を言う。先の哲学者も思索の大切さを説いたまで。本を読むなとは書いてない
こんな箴言(しんげん)がある。「浪費しなければ、人生は十分に長い」。きょうから読書週間。スマホやパソコンに費やす時間のいくらかを本に振り向けたい。秋の夜長、できれば歯応えのあるやつを

 ▼こよいは一つ、日本の古典でも。例えば、あらすじと現代語訳の付いた案内書『千年の百冊』(小学館)には、受験以来、とうに音信が絶えた知人が並んでいる。案内書で腹も膨れようが、旅行ガイドだけでその土地を理解したつもりになるのは禁物だ。ピンときた書物を開き、古典の旅に出かけてみよう。日々、目に入る事物ばかりが日本ではない。今まで気付かなかった世界が、活字の間から立ち上がってくるのでは

 ▼人生をすっかり変えてしまう力が一冊の本にある、と語ったのは確か、強盗で逮捕され、監獄で目覚めた黒人解放運動指導者マルコムXである。次に出合うのは、そんな一冊かもしれない。<鳴潮 >

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(ショウペンハウエル『読書について』)最も参考になったカスタマーレビュー

読みやすいし、ためになる 投稿者  cltom18

 〇訳がこの本をとても読みやすくしています。読後に女性の翻訳家であることに気がつき、ビックリしました。これは男尊女卑の謂いではなく、ショーペンハウアーの顔が思い浮かぶような口ぶりの訳だったことにです。「読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。」という文が出てきます。

 〇また、裏表紙の紹介にも「読書は自分で考えることの代わりにしかならない。自分の思索の手綱を他人にゆだねることだ」とありますから、書を捨てて街に出よう!なのかと思われるかも知れませんが、そういうことではなく、流行に乗りたがる駄本、お金を稼ぐための駄本を読む必要は全くないということです。

 〇古典の名作として生き残っている本は、稼ぐために書かれたものでなく、多くは言いたいことが先にあって書かれたもので、こういう類の本を読もうということを簡潔に書いています。簡潔なので、ページも少なく、さくっと読めるのはいいのですが、800円弱という価格がちょっと高いかなと思いました。これは紙代ではなく、内容代として払うべき額なのでしょう。

投稿者  田辺 智志  トップ500レビュアー

岩波文庫の「読書について」と、光文社古典新訳文庫の「読書について」の比較。 

 〇・収録されている内容はどちらも全く同じ。岩波文庫版は「思索」「著作と文体」「読書について」の3章。光文社版は「自分の頭で考える」「著述と文体について」「読書について」の3章。

 〇・文字は光文社版が大きく見やすい。岩波文庫版は1ページに14行、各行42文字。光文社版は1ページに15行、各行38文字。

 〇・価格は岩波文庫版が安い。岩波文庫版は540円+消費税、光文社版は743円+消費税・文体は、岩波文庫版は格調高く、光文社版は現代的でやわらかい。岩波文庫版は原文に忠実であることを重視しており、光文社版は読みやすさを重視している。どちらも良い訳であり、読む側の好みで好きな方を選べば良いと思う。

 〇比較のため、冒頭部分を引用:
岩波文庫版「数量がいかに豊かでも、整理がついていなければ蔵書の効用はおぼつかなく、数量は乏しくても整理の完璧な蔵書であればすぐれた効果をおさめるが、知識のばあいも事情はまったく同様である。」

 〇光文社版「どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。同じことが知識についてもいえる。」

 〇もう1箇所、「読書について」より積読を戒める部分を引用:
 岩波文庫版「書物を買いもとめるのは結構なことであろう。ただしついでにそれを読む時間も、買いもとめることができればである。しかし多くのばあい、我々は書物の購入と、その内容の獲得とを混同している。」

 〇光文社版「本を買うとき、それを読む時間も一緒に買えたら、すばらしいことだろう。だがたいてい本を買うと、その内容までわがものとしたような錯覚におちいる。」

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  ※英国の政治家・哲学者ベーコンが書き残した言葉を思い起こしたい。〈読書は充実した人間をつくり、会話は気がきく人間を、書くことは正確な人間をつくる〉

 ※人生は一冊の書物に似ている。 馬鹿者たちはそれはパラパラとめくっているが、 賢い人間はそれを念入りに読む。 なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。.ジョン・パウル

 ※「君の話すことは、全部本に書いてある。君から学ぶことは何もない」.グッド・ウィル・ハンティング

 ※書物を読むということは、他人が辛苦してなしとげたことを、容易に自分に取り入れて、自己を改善する最良の方法である。─ソクラテス

 ※読書は、素晴らしい知恵を手に入れるための、簡単で最良の方法です。趣味をもたなければ、天才も高等な馬鹿にすぎない。─仏 ことわざ

 ※仕事でも趣味でも、自分の才能を発揮できるものを持ちましょう。
良声で鳴く蝉は糞土から生まれ、光彩を輝かす蛍は腐草から生ずる。清いものは常に汚れたものの中から生まれ出で、光り輝くものは常に暗闇の中から生まれ出る。「菜根譚」

これ以上、減らず口を叩くと。<閻魔さま>から叱られる  (゚ー゚;

“金の橋”

Kangei   Funade

  「家族と再び会えたような気持ちです」。中日友好協会の殷蓮玉理事は、創価学会員と触れ合う心境をこう表現した。先日、長野で行われた講演会での一幕である

▼殷さんは、池田名誉会長が中国で出会った、最初の友人の一人。1974年の初訪中の際、中国側の通訳を担当。友好の“金の橋”を架ける平和旅を共にした。小説『人間革命』の「はじめに」の一節を日本語で暗唱し、周囲を驚かせたこともある

▼当時、殷さんは大学を卒業したばかり。日本語には分からない部分も多かったという。だが、“友好の扉を開くためにやってきた、大事な友人である池田会長に喜んでほしかった”と、精いっぱいの真心でそらんじた日本語だった

▼それから40年。両国に架かった“金の橋”は、少々の嵐には揺るがぬほど太く強くなった。講演会に参加したある中国の男性は、「学会の皆さんが、母国の訪問者を心から歓迎してくれているのが、本当にうれしかった」と感動の面持ちだった

▼国と国の友情の土台には、人間と人間の友情がある。日中の目指すべき姿は“互恵関係”とされるが、その一歩は、自分が恩恵を求めるよりも、まず相手のことを思い行動することだろう。名誉会長の築いた“金の橋”は、それを証明している。(名字の言)

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〝珍念〟の 脳裏にふと下記の出来事が思い浮かぶ

民衆こそ王者 池田大作とその時代 1 [人間革命の奔流]篇 第1章より

人間革命, 歴史, 抜き書き ~あらすじ~池田会長一行は1974年(昭和49年)5月30日に初訪中。当時、日本から中国への直行便はない。イギリス領の香港から急行鉄路に乗り、第一歩を踏み出した。日中国交正常化から1年8ヶ月であった。

人間は、わかり合える

 「こんにちは!」流暢な日本語が響いた。池田たちを最初に出迎えた中国人は三人。葉啓ヨウ(さんずいに庸)と殷蓮玉。ともに中日友好協会の一員である。そして広州市の関係者が一人。

 深圳駅の控室。広州行きの列車を待つ。殷蓮玉は、ある日本語の一節を暗誦してみせた。北京外国語学院を卒業したばかり。大勢の日本人を前に少し緊張していた。

 しかし、よどみなく口にした。

  「一人の偉大なる人間革命は、やげて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」

 小説『人間革命』の主題である。驚いたのは学会側だ。「すごい! 書いた私でも、覚えていないんですよ」

 池田のユーモアに笑いが弾ける。同行メンバーの、「中国は怖い」という思い込みが吹き飛んだ。葉啓ヨウもまた、『人間革命』を熟読していた。広州へ向かう車中、対話が弾んだ。

 のちに殷は述懐している。

 「池田先生にお会いしたとたん、大変な親しみを感じたのです……言葉を教えていただきながら、いろいろなお話をしました。

 その時、先生が言われた“自分のありのままの姿で、人民に人生を捧げていくのです”との言葉を自身の支えとして中日友好一筋にやってきました」

 人間は、わかり合える。国境、言葉、イデオロギー。人類を分断する多くの壁を越えて、池田はただ「人間」を見つめていた。

—中略— 初訪中の7日目。

 池田は「万里の長城」を歩いていた。正午前。緑がまぶしい。急な坂も多い。白いポロシャツが汗ばんでくる。中日友好協会の金蘇城理事が、一行を丁寧に案内した。

 はるか彼方まで、うねる石の砦。池田は、金に語り始めた。

 「私の師匠である戸田城聖先生は、生前、よく私に、『いつか二人で中国に行き、万里の長城に立ってみたいな』と言われました。

 今日は、先生と一緒に、ここに立っている心境です」

 「今から5年前。私は小説『人間革命』の中で、『日中平和友好条約』の締結を訴えました。あの当時、日本国内の状況は、どのようなものだったか―」

 金理事は深くうなずき、耳を傾けていた。

『名もない人達の中で 心を打たれたと いわれる人生を私は 生きたい 大作』

光陰矢のごとし 50年前の6月18日池田先生と初めてお会いし、激励を受けたことが、昨日の出来事のように脳裏に燦然と輝いています。

不詳:〝珍念・・・かく 生きたい!

昆虫に学ぶ o(^▽^)o

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   うるさいハエ。変幻自在の動きで、人間の手を素早くかわす。現代の技術では、その動きを再現する小さな装置を作ることはできないという。昆虫には人知を超えた能力があり、人間の参考になる特徴がたくさんある(丸山宗利著『昆虫はすごい』光文社新書)

▼昆虫をはじめ、自然界の生態から、人間は多くを学んでいる。その例の一つが新幹線500系の開発。野鳥のフクロウの翼がヒントになった

▼開発者たちは時速350㌔に挑むが、試験走行では、トンネル突入時に発生する破裂音に悩まされた。原因の一つが、車両の屋根上にあるパンタグラフだった。フクロウは鳥の中で最も静かに飛ぶが、それは、翼の羽の先に突き出た鋸歯状の羽毛のおかげ。その原理をパンタグラフに応用することで、騒音問題を解決したという(前間孝則著『新幹線を航空機に変えた男たち』さくら舎)

▼科学技術に限らず、どんな仕事でも、限界を破るには斬新な発想が要る。それは、既存の考え方の枠組みでなく、取るに足らない、あるいは全く関係ないと思っていた事物から得られることが多いものだ

それを知る人は、どんな人、物事からも学ぼうとする貪欲さ、謙虚さがある。「我れ以外、皆我が師」は私たちの世界を貫く真理であろう。(名字の言)

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   このコラム

  『恐れ入谷の鬼子母神』・・・・


『昆虫はすごい』 内容紹介

 養老孟司氏推薦! ! 「気鋭の若手昆虫学者が紹介する虫の世界の面白さ。 虫はなんでもやってます」恋愛、戦争、奴隷、共生…小さな生物の生存戦略

 地球上で最も多種多様な生き物たちの生態に迫る
私たち人間がやっている行動や、築いてきた社会・文明によって生じた物事 は、ほとんど昆虫が先にやっている。狩猟採集、農業、牧畜、建築、そして 戦争から奴隷制、共生まで、彼らはあらゆることを先取りしてきた。

 特に面白いのは 繁殖行動。相手と出会うためあの手この手を使い、贈り物、同性愛、貞操帯、 子殺し、クローン増殖と何でもアリだ。どうしても下に見がちな私たち の思考を覆す、小さな生物のあっぱれな生き方を気鋭の研究者が大公開!  

これ以上は〝言わぬが花〟なのだ!

 






 

「旅する画家 安野光雅」

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 怠け者の男が仙人から2粒の種をもらう。1粒食べれば1年間、腹が減らない。残る1粒を地面に埋めると翌年、2粒の種が採れるらしい。男は仙人から聞いた通りにした。次の年も、その次の年も

▲島根県津和野町出身、安野光雅さんの絵本「ふしぎなたね」である。「美しい数学」シリーズとして20年以上も前に出版され、今なお読み継がれる。数を知る楽しさがある。安野さんの絵も文章も温かい。親子が一緒に味わう「家読(うちどく)」にぴったりだ

▲やっと男は気付く。1年間は何かで食いつないで辛抱し、2粒を植えればいいことに。倍々で増える種を少しずつ売り、蔵にも蓄えた。怠けることなく働き、結婚し、子どもが生まれた。だが、そこへ大きな台風が…

▲広島市のひろしま美術館で「旅する画家 安野光雅」展が始まった。会場を巡れば欧州の街角へ、農村へといざなわれる。風に吹かれての気まま旅が、この多能多才を鍛えたのだと知る

▲畑の作物も蔵も全て流された。それでも「この子が無事でよかった」と妻が言えば、「さあ元気を出そう」と男は答える。残った7粒の種を大事に植え、収穫を天に祈る。絵本はそこまで。不思議な読後感が、何ともいい。(天風録)

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  感動しました。

絵本「ふしぎなたね」  最も参考になったカスタマーレビュー 

  数とは。。。 生きることとは。。。投稿者  ケレナ
数の増え方を学べるのはもちろんですが、いつもと違う事をしたら何が起こるのか。。。

◆どんどん増えていく種に子供達は単純に大喜び。 何もせず、同じ事をずっと繰り返していたら同じ結果しか得られない、それを少し我慢して、いつもとは少し違うことをしたら。。。
登場人物も怠け者から忙しく働く(働かなければいけない状況になる)人物に変身。

◆我が家の小学校1年生の息子は、「何かを少し我慢したり、あるいは、同じ物でも違う取り扱いをすると、違う結果、大きな収穫になる。」という事を具体的に学んだようです。 日常の小さい出来事(毎日の宿題、毎朝の早起き、他人との受け答えなど)に、いつか態度が反映されてくれるといいな。。。

◆大きく飛躍するチャンスって以外に目の前にあるのかもしれません。もう種を受け取っているのかもしれない。 枝を大きく伸ばし、花や実をつけるにはどうすればいいのか、大人にとっても、読めば読むほど考えさせられる絵本です。数のありかただけではなく、人生のあり方まで学べる、そんな本です。

美しい数学は美しい人生をつくる。 投稿者  森の鵺  VINE メンバー

◆10年前に、こどもに買い与えた本です。懐かしくて本棚から取り出してみたら、ああ、こんなにすてきな本だったのかと、うれしくなりました。簡単な数の考え方を、わかりやすく説明する絵本なのですが、考える事で、貧しい人でも豊かになれること、人生には色々な出来事があるということも、こどもだけでなく、おとなも教えられる本です。

◆タネが金色なのが、シンプルな絵の中で、効果的です。安野さんが書かれているように、私も「種」とか「卵」とか、命の源に不思議な魅力を感じます。これは、一粒のたねを地面にうめることから始まる、10年間のお話ですが、私の10年の実りはどれほどのものか、そして、私にとっての「せんにん」は誰なのか、そんなことまで考えさせられます。 

 あ・・・ピザが焦げてる。消えます ゜.+:。(*´v`*)゜.+:。

「木を見て森を見ず」

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 古来、剣術において「目のつけどころ」は生死を分かつ大事とされた。相手の剣先に惑わされるのはひよっこ。手だれは遠くの山を望むがごとく相手を視野に収め、心の奥底を読み取り、攻防の機微をわきまえた。「遠山(えんざん)の目付(めつけ)」という剣の心得は、「木を見て森を見ず」の戒めでもある。

 ▼これに似て、将棋にも「大局観」という言葉がある。論理的な「読み」とは別に、盤面のパッと見で、攻防を見極める物差しである。プロ棋士の羽生善治棋聖いわく、大局観は「経験を積めば積むほど精度は上がっていく」(『大局観』角川oneテーマ21)。

 ▼苦い水をさんざん飲まされ、培ったはずの大局観からいえば「悪手」に近い手だろう。北朝鮮による拉致被害者の再調査をめぐり、日本政府が担当者を平壌に派遣する。「詳細を聞きたければ来い」という北の高飛車に、日本が腰を上げるのは主客転倒ではないか。

 ▼「調査は初期段階」という北の言い分も、うさん臭い。終戦後に渡航した日本人妻の調査結果などを示し、それを「実績」として新たな制裁解除を求めてくる恐れもあろう。数手進めば、北にとって都合のよい盤面になっている。そんな交渉だけは避けたい。

 ▼リスクを背負ってでも局面を打開するという、安倍晋三首相の胸の内は理解できなくもない。一方で訪朝団には「行動対行動」を原則に、いつでも席を蹴る心構えを望みたい。北が指すべきは「拉致被害者の即時帰国」の一手だ。それ以外の手は一顧の価値もない。

 ▼余談ながら、剣術には「紅葉の目付」という戒めもある。色づいた一葉の美に目を奪われ、肝心の全景を見失うことの愚を指し示す。相手は国力疲弊の深手を負っている。目のつけどころを誤ってはなるまい。【産経抄】

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  このコラム『的を射る』・・・・

(『大局観』角川oneテーマ21)。 最も参考になったカスタマーレビュー

Scientistが読んでも、得るところが沢山あります

 ▽投稿者  ゴルゴ十三  殿堂入りレビュアートップ1000レビュアーVINE メンバー
 〇将棋の羽生さんが書く本だから、もっぱら将棋ファン向けの将棋の本なのだろう、とお思いの方がいらっしゃるかもしれません。しかし、視点を変えて本書を読むと、将棋だけに通じる話ではない、と気付かされます。これはあらゆる分野における「研究者」にも通じるところがある話なのです。

 〇現代の将棋は昔の将棋と違いデータベース化が進んでおり、パソコンで誰でもデータにアクセス出来ます。(→ 却って情報過多な位で、全ての情報を調べるのは時間的に不可能)「新手一生」でなく「新手一局」、どんな新アイディアもたちまち古くなる。そんな中で、如何に創造力を発揮し続け、最前線で活躍を続けることが出来るのか? このような話は、将棋の分野だけに限りません。

 〇現代の自然科学の研究でも、状況はまさに同じです。「将棋の研究」を「科学の研究」と置き換え、「将棋の対局相手」を「自然」と置き換えると、面白いことに研究者としてのあるべき心構えは将棋でも科学でも同じなのだ、と気付かされるのです。

 〇例えば「対局相手にアイディアを引き出してもらう」という処を読んで、「科学とは自然と人間との協同作品である」(中谷宇吉郎氏)を思い出しました。対局(実験)する前に「こうなるのではないか?」と色々と考え尽くした積もりになっていても、いざ対局(実験)してみると、予想外のことが必ず起きます。そんな慣れていない状況になると失敗する確率も当然高まりますが、未知の事態に踏み込むのを恐れるのでなく、そこに挑戦する楽しみ(新発見の喜び、充実感)を持つことが本当に大事なのです。

 〇「現在のリスクを回避することは、未来のリスクを高めることになる」という氏の発言に、ドキッとさせられました。この羽生氏の本を読むと、氏が将棋だけの勉強でなく、他の色んな分野に興味を持っていることに気付かされます。(「素人のように考え、玄人として実行する」の本を書かれた金出武雄先生の話まで出てくるのにはビックリしました) あらゆることに興味を持ち、自分なりの言葉で理解するという氏の姿から、「知識を知恵に」昇華させるご様子が窺えます。

 〇「大局観」を磨くとはこういうことなのだ、ということが氏の言葉の端々に現れています。他の分野の学徒も、そんな氏の姿勢から学ぶ処が多いと思います。「自分はこれからどうやって研究を進めて行けば良いのだろう?」と迷った時に、こういう本も読んでみては如何でしょう? 得る処があることは請け合いです。

これ以上は『蛇足』 ・・・・(o^-^o)


お題目主義

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 米国・ルイジアナ州の郡庁舎にある旧約聖書の十戒の展示物について、ある下院議員がテレビのインタビューを受けた。議員は十戒こそ道徳の根幹と主張したが、「うそをつくなかれ」など三つの戒めしか覚えていなかった

▼失笑を買う中、哲学者のチャーチランドは違和感を持った。議員は人望があり、道徳的人格の持ち主。それは十戒をすべて知っていることとは別問題だと(「脳がつくる倫理」化学同人)

▼ふと、この話題が頭をよぎったのは、中央教育審議会が小中学校の道徳を教科に位置付けるよう答申したからだ。学習に当たって「誠実」「正義」などのキーワードの明示を求め、政権はいじめ根絶や愛国心育成に期待している。だが、米国の例を引くまでもなく、道徳と「お題目」を覚えるのでは、訳が違う

▼道徳性を評価するというのも気になる。徳の有る無しをどう分けるのか。入試に使われる可能性があるだけに、先生の顔色ばかり気にする「ヒラメ生徒」の出現の方が、むしろ心配だ

▼道徳は学校だけで身に付けられるものではない。例えば、なぜ食べ物を粗末にしてはならないか、どうして高齢者に席を譲るのか。家庭で、そして電車の中でも学ぶ機会はある

▼要は、社会とどう向き合うのか、自分の頭で考え続けるほかない。「道徳の与える損害は完全なる良心の麻痺(まひ)である」。芥川龍之介の言葉が警鐘に終わればいいが。<卓上四季>

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 ○道徳は何に由来するのか.良心?宗教?あるいは脳内の化学物質か? 心の哲学のパイオニアである著者が,脳科学の最新の成果を踏まえ,道徳の生物的起源を明らかにする.人間はまず自らを気遣い,愛着によって子供を気遣い,連れ合い,近親者,他人へと気遣いを広げ,人間一般での信頼が形成される.この気遣い,愛着,信頼を生み,制御しているのが神経伝達物質のオキシトシンであり,著者はここに道徳の基盤を見る.今や哲学は限りなく科学に接近している.

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       「私たちの道徳」 コラム『鳴潮』

          本日この欄、子どもは立ち入り禁止である

 ※趣味の問題、いろいろあろう。商売として一般に成立しているのだから、その好みをあれこれとは言うまい。ただ、代金を政治活動費で賄ったとあれば、話は別だ

 ※宮沢洋一経済産業相の資金管理団体が2010年、広島市内のSMバーに1万8230円を支出していた。下着姿の女性をロープで縛り、客も参加する形のショーがある店だそうだ。名目は「交際費」というが、一体どんな付き合いか

 ※宮沢氏に「そういう趣味」はなく、一緒に行ったわけではないらしい。SMバーへの支出など普通は計上しない。「誤って」だとしても、政治資金収支報告書に紛れ込んだ経緯をはっきりさせておくべきだろう。おせっかいながら団体の良識が曇っているなら大変だ

 ※中教審が道徳の教科化を答申した。教科書検定や学習指導要領をどうするか。難題が山積している。これを機に、文部科学省が配布している教材「私たちの道徳」を読んだ

 ※なかなか考えさせられるつくりになっている。政治家諸氏には、134ページからの「法やきまりを守り社会で共に生きる」の一読をお薦めしたい。大人なら当然に身につけておきたい項目である。観劇会やうちわ配布…。「道徳教育が必要なのは、本当は大人じゃないか」。子どもたちのはやし声が聞こえてきそうだ。 o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!

「遊動亭円木(ゆうどうていえんぼく)」

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   小説家の辻原登さんに「遊動亭円木(ゆうどうていえんぼく)」という作品がある。盲目の落語家を主人公にした連作短編集だ。その中の一編「短夜の雨」は矢島のまちを舞台にしている

▼東京から一人でやって来た円木は、踏切で車にぶつかって気を失う。運転していたのは造り酒屋を営む社長。事故の発覚を恐れた彼は円木を自宅に運んで丁重に寝かせ、娘の寧々(ねね)に世話をさせる

▼目覚めた円木は、のりの利いた浴衣や、いい肌の匂いがする寧々の看病に身を委ね、しばらくとどまることにした。まちの年寄りたちは、どこからともなく現れた円木を高貴な上人さまと思い込み、さい銭を上げたり手を合わせたりする始末

▼現実と夢想の世界を行き来する物語には、公園にある遊動円木のような浮遊感が漂う。坂のあるこぢんまりとした城下町で造り酒屋が2軒ある、など描写が具体的なものだから、寧々のモデルはあの人かしら、と町民の臆測を呼んだ

▼実は辻原さん、一人旅でふらり矢島に来て、バス時間まであちこち歩き「いいまちだなあ、いつか小説に使ってみよう」と思ったのだという。だから登場人物はすべて架空。さすが当代きっての物語の名手である

▼辻原さんを招いた文化講演会が、11月9日午後1時半から由利本荘市矢島町の日新館で開かれる。いつか辻原さんの話を聞いてみたいと思い続けた人たちがいて、ようやく実現した。「遊動亭円木」は2000年に谷崎潤一郎賞を受賞。品切れ中だが、図書館で読める。<北斗星>

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遊動亭円木? 子供の遊び用あるいは運動用設備。太い丸太を地上低く水平に鉄の鎖でつり下げたもの。乗って前後に揺り動かして遊ぶ。 ↔ 固定円木

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  「遊動亭円木(ゆうどうていえんぼく)」商品説明

 どこまでが現実なのか? 摩訶不思議な十篇。高座をおりた遊動亭円木、金魚池にはまって死んだ、はずが…。落語に日常と幻想とが入り交じる十の奇妙な物語。谷崎潤一郎賞受賞作


   ▼遊動亭円木は落語家だった。真打ち昇進直前に、不養生がたたって盲人となり、以来、妹夫婦が経営するマンションで世話になっている。円木と周りにいるさまざまな人々との日常の時間が、この連作短編にゆっくりと流れている。さしずめ、落語でいうところの長屋ばなしか。

   ▼読みすすめながら、地面から数センチほど浮き上がったような感覚にとらわれていることに気づく。思えば前作『翔べ麒麟』もそうだった。非現実感というか、ファンタジーというか、この著者の筆致には、日常を描きながらも、どこか日常から離れていってしまうところがある。

  ▼ その心地よさに身を委ねていると、こんな円木の独白に出あったりする。パトロンである明楽のだんなから、大相撲の桝席のチケットをもらったくだり、「妹の声にかすかに、その目で相撲がみえるの、という色合いがこもった。あざけりの色か。悪意があったんじゃない。だれにだってそれくらいの底意はある。底意がなければ人間じゃない」。

 ▼危うく現実離れしそうな物語の尻尾をつかんでいるのは、こうした残酷さだ。そんな残酷さを円木はユーモアでもって受け流す。残酷さとユーモア。あるいは怖さとおかしさ。そのどちらにも物語の色は染まらず、残酷の裏にユーモアが、ユーモアの裏に残酷さが縫いこまれて、彼らの時間がふわふわと過ぎていく。第36回谷崎潤一郎賞受賞。(文月 達) --このテキストは、絶版本またはこのタイトルには設定されていない版型に関連付けられています。

  最も参考になったカスタマーレビュー

  人生はカタリ、カタリ♪ 投稿者  野火止林太郎   

 〇遅ればせながら著者の最高傑作を紐解き、感歎!!
人情ものの外見、読みやすさ、オチの文字通り落語のごとき上手さ、更には現代文学の前線で活躍する著者ならではの<語り=騙り>。そのさり気なさは魔術さながら。遊動亭円木は読者の心に生きていると共に(ジャン・バルジャンのように)、小説言語としても脳内をうごめく(ベケットの短編のように)。

 〇「手だれの文体」という以上の意味をこの物語・語りは具えているのだ。
藤沢周平の滋味ある文体と心を打つ人情物語、そして後藤明生の小説言語を共に具えた稀有の文学世界!!シュールなたとえ(?)ながら、舞城王太郎を好まれる向きにはオススメ?!

  円木と愉快な仲間たち 投稿者  斉藤健志

 〇盲目の噺家円木とその仲間たちをめぐる日常を、東京の下町を舞台に描く連作短編集。現代の東京が舞台であるにも関わらず、何故か江戸を舞台にした時代物ないしは人情話のような、安定した味わいをかもし出している。それは多分に、主役の円木と不動産屋である明楽の旦那の関係が、芸人とそのパトロンという古典的なものであり、この二人の関係を主軸に日常的な出来事や事件のあれこれが描かれているためではないか。

 〇しかも、どんなに時代が変わり、場所が長屋ではなくボタンコートという名の鉄筋コンクリート五階建てのマンションになろうとも、小松川や葛西、新小岩という「土地」が、下町の小説世界の空気を決定してしまうように思われる。
 また、脇を固める金魚池、岩茶、大相撲、塩原温泉、鳥海の地酒、落語、イチョウ、山藤とった風物が、小説世界をより堅固なフィクショナルな世界とする礎石として効いている。

 〇それにしても、盲を主人公にするなんて、今のご時勢随分と思い切ったあことをなさるお人だよ、この辻原のセンセー(作者)は。 時に、盲の円木は、目に見えない身の回りの情景を、額の裏側のスクリーンに再現する。しかし考えてみれば、われわれ読者も、本を読みながらそれぞれの場面を、頭に思い浮かべながらページをめくっているのではないか?それを思えば盲の円木も、われわれ読者も立場は一緒だ。

 〇このボタンコートを中心とした円木とその仲間たちの世界が、本当に東小松川界隈に存在するんじゃなかろうか?あったっていいんじゃないか?いや、あってほしいな、そんな思いで本を閉じた。

  これ以上は『蛇足』・・・・ ( ^ω^)おっおっおっ

なぜ人を殺してはいけないのか ヾ(・∀・;)オイオイ

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 「透明人間になったら何をしたいか」。小学6年生にこんな質問をすると、7人の児童から驚くべき答えが返ってきた。「人を殺す」「強盗する」。2年前、岐阜県の公立小学校の卒業文集にそのまま掲載され、保護者に配布されて大騒ぎになったことがある。

 ▼「チェックが不徹底で児童や保護者に申し訳ない」と学校は平謝りだった。もちろん、問題の本質はそんなところにはない。かわいそうに児童たちは、家庭でも学校でも、「人を殺してはいけない」ことを、教えられてこなかったに違いない。

 ▼小中学校での道徳教育の教科化が、平成30年度にようやく実現する運びとなった。検定教科書も導入されるという。「子供の心の自由を侵害する」。相変わらずの批判の声は、大人の無責任としか受け取れない。価値観がますます多様化するなか、子供たちは大量の情報にさらされている。だからこそ、小学生のころから、社会の一員としての規範をきちんと教える必要がある。

 ▼中学生に対しては、それぞれの心に踏み込んだ教育も可能だろう。「なぜ人を殺してはいけないのか」。重いテーマの作文に挑ませるのもひとつの方法である。もちろん、模範解答を求めるものではない。古今東西の数え切れないほどの識者が悩み論争してきた、人類永遠のテーマなのだから。

 ▼テロリスト組織の残虐行為を是とする理由は何か。先日のコラムで、イスラム過激派「イスラム国」に戦闘員として参加しようとした、北海道大学の男子学生(26)について疑問を呈した。

 ▼彼もまた、徳育の欠如した戦後教育の被害者なのかもしれない。テレビのワイドショーの路上インタビューに対して、北大生には行動の自由があると答えた若者も、同様である。【産経抄】

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〝珍念〟の灰色の脳細胞に{手塚治虫}の言葉が、思い浮かぶ!

自然というものを「思い出」としてさえ持っていない子どもたちに、他人の痛みや生命の大切さを説くのは、ひどくむずかしいのではないでしょうか


 
 ◆人は森を切り開き、そこに都市を築いてきました。それが文明の進歩でした。神話では空へと高く伸びて行くバベルの塔ですが、その塔が空へではなく、地平線へと向けて、横へ横へと拡大していったのが、 いまのこの世界です。

 ◆バベルの塔が結局は崩れ落ちたのと同じように、いまのこの世界も これ以上の拡張が出来ないところまで来ています。このまま森を消し去り続けたら、地球という星そのもののバランスが崩れてしまう。いや、もう崩れはじめている。この星の断末魔の悲鳴があなたの耳には聞こえていますか?

 ◆人間がどのように進化しようと、物質文明が進もうと、自然の一部であることには変わりないし、どんな科学の進歩も、自然を否定することはできません。それはまさに自分自身=人間そのものの否定になってしまうのですから

  ◆自然や人間性を忘れて、ひたすら進歩のみを目指して突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や 歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくか──

  ◆マスコミに囲まれ、水槽の中で泣いている小さな人魚の女の子──。
人間たちは「珍しい」と言うだけで、平和に暮らしていた生き物たちを親や仲間から引き離します。それだけではなく、バイオ技術などで遺伝子を操作し、新しい生き物を作り出してさえいます。

 ◆何のために? 人間の暮らしを豊かにするために。
けれど、こんなふうに自然に生きる生命たちに涙を流させてばかりいる暮らしが、本当に「豊か」だと言えるのでしょうか。

 「生命なくして、経済も、教育も、科学も、政治もありません。
 一切が、人生、社会の幸福を追求するための分野なのです。
 根本は全部人間です。生命です。その生命とは何かという
 根本解決の道が、宗教じゃありませんか」と<池田名誉会長>は綴る

 コピペ・コピペ・と仄かに聞こえる。『君の引用はたくさんだ、自分の言葉で語れ』 (A;´・ω・)アセアセ

京都が西京だったら

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 幕末。「公武合体」そして攘夷の熱気。政治の都・京都を志士が奔(はし)る。都を遷(うつ)すという。大坂か江戸か?浮上する東の京。遷都をめぐるさまざまな構想……。大坂行幸、東京行幸、京都還幸、そして明治2年3月28日、東京再幸をもって帝都・東京が誕生する。新鮮な天皇イメージ。新たなる「首都」。明治日本のスタートを活き活きと描く。

明治元(1868)年7月17日、明治天皇は行幸に先立ち最初に出した詔書のなかで、自ら政務に当たることを宣言した。同時に、江戸を西の京(京都)にたいする東の都(東京)に定めた。

 ▼江戸市民はさぞ驚いたことだろう。なにしろ何の予告もないまま、東京が誕生したのだから。東京が名実ともに首都になってからは、今度は京都が、西京(さいきょう)と呼ばれるようになる。「〈ミヤコ〉をあらわす京都の地名が、政府内で問題になったのではないか」。明治維新史が専門の佐々木克(すぐる)さんは推測する(『江戸が東京になった日』講談社)。ただ、伝統ある地名の変更までには踏み込めなかったようだ。

 ▼「TOKYO」と「KYOTO」の違いがわからない。欧州など遠く離れた国からの観光客から、こんな声が上がっていると、きのうの社会面が報じていた。6年後に五輪を控えているというのに、「東京」は「日本」や「京都」に比べて、意外に知られていない。舛添要一知事も危機感をあらわにしているという。

 ▼確かに、「クールジャパン」のように、日本全体を売り込む努力だけでは不十分である。今やそれぞれの都市や地域が、世界に向けて知名度や特産物の魅力を発信しないと生き残っていけない。

 ▼たとえば、ワインで知られるフランスのブルゴーニュ地方は、世界の美食家にとって、あこがれの場所である。日本の各地方はブルゴーニュをめざせ、と櫻田淳さんが、「地方創生」の対外戦略について、「正論欄」で提言していた。

 ▼東京と京都の話題に戻れば、「EDO」と「SAIKYO」だったら、外国人観光客に混同されることはなかったかもしれない。日本は、維新の元勲たちが予想もしなかった課題に直面している。【産経抄】

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  う~ん・・・地方はどうなる? <珍念>チト・サビシイ 「杞憂」かなぁ・・・。

絶望の涙を落とすな

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   辞任した閣僚

   左側:「うちわ問題」の松島みどり法相
   右側:将来の首相候補」の呼び声も高った
       小渕優子経済産業相

 きのう80歳の誕生日を迎えた皇后さまは平成14年、単身でスイスを訪問されている。児童図書の国際大会へのご出席が目的だった。開会式で述べられた英語の祝辞は、大きな反響を呼んだ。

 ▼そのなかで「子供を育てていたころに読んだ、忘れられない詩」として紹介されたのが、「頬(ほお)」である。幼い長男に寄せる母親の極限の愛を詠んだ詩を、議員活動と子育てを両立させてきた小渕優子氏(40)も目にしたことがあるかもしれない。

 ▼作者の竹内てるよは、13年に96歳で亡くなった。テレビドラマにもなったその生涯は、過酷の一言に尽きる。芸者だった生母は、出産後に自殺した。自身は20歳で結婚して男の子を産むが、病気のために離婚、子供は里子に出された。25年ぶりに再会できた長男は刑務所で服役中で、まもなく死別する。

 ▼小渕氏にとって経済産業相辞任は、人生最大の挫折かもしれない。それまでの道のりが、てるよとは正反対に、恵まれすぎていたともいえる。父親の小渕恵三元首相の急死後、地盤を引き継いで26歳の若さで初当選を果たす。

 ▼「将来の首相候補」の呼び声も高く、今回は2度目の入閣で、重要ポストに就いたばかりだった。期待の分だけ、失望も大きくなる。きのうの会見では、「観劇会」の収支の問題から、ベビー用品購入の謎まで、納得がいく説明はまったくなかった。まるで人ごとのような話しぶりは、政治家としての資質さえ疑ってしまう。

 「ただ 自らのよわさといくじなさのために 生れて何も知らぬわが子の頬に 母よ 絶望の涙をおとすな」。頬はこう結ばれる。小渕氏に続いて、「うちわ問題」の松島みどり法相(58)も辞任した。泣きたいのは、政治の混乱に振り回される国民の方である。【産経抄】

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  『秋葉山から火事』

  『過ちては改むるに憚ることなかれ』の言葉を二人に贈ります。

「人間VS野良ネコ」

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(河北新報社主催、東北6県教育委員会、仙台市教育委員会後援、三陸河北新報社協賛)

 
      編集局長賞

Photo_2「人間VS野良ネコ」 仙台白百合学園小5年・井崎 英里(いざき・えり)さん
今朝もまた、家の庭に大きな落とし物をし、立ち去った野良ネコ。この夏はその回数がとても多い。
一体どこからやって来て、どこで生活しているのだろうか。そんな疑問から、私の野良ネコ調査は始まった。

  はじめに、野良ネコの行動範囲を調べるため、町内の様子を歩いて観察したが、この時に野良ネコを見かけることはなかった。

 ▼しかし、次に行った聞きこみ調査では、野良ネコの被害状況や、野良ネコを防止するために行っているアイデアの話を聞くことができた。話を聞きながら歩いてみると、実に様々な野良ネコ対策を見つけることができた=地図=。

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調査の結果、私の家がある区画では、大きな茶色の野良ネコと、親子のネコが確認されていた。フンの被害の他、大きな足跡(3)、(5)では親子の宿泊が確認されている。

 続いて、町内を少し北に向かうと、野良ネコの数が少し増え、大きな鳴き声(8)や、冬に室外機の上でお昼寝をする様子(9)や、生協の箱でのツメとぎの話(9)を聞くことができた。この辺りでは、門にペットボトルを並べ、CDをつるす(10)。室外機の上に針金のしき物をしく(9)。ネコのパネルを庭に立てる(8)など、野良ネコ防止策の数々も見ることができた。

 ▼さらに町内を東へ向かうと、野良ネコの数はもっと増える。大きな道路からはなれていること。公園や森があること。さらには、えさを与える人がいるからだと聞いた(11)。この辺りのゴミ捨て場のネットはがんじょうに作られているが、すぐにこわされるようだ(12)。

 ▼今回の調査で、町内にはたくさんの野良ネコが住んでおり、その中の1匹が我が家に来ていることが分かった。そして、その野良ネコに困っている人が多いことにとても驚いた。

 ▼野良ネコ問題はむずかしい問題だ。人間もネコも幸せに生きる方法での解決を私は願う。

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  ニヤンとも、いやはや『名案』はないものか?
  かく言う〝珍念〟【五里霧中】なのだ!
  (下手な考え休むにしかず)・・・・

「3万人」 (´;ω;`)ウウ・・・

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社会を直視、鋭く取材 伝えたい熱意込めて

 東北の小中高校生が、学校や地域など身の回りの出来事を調べたり、社会の動きをテーマにしたりして、記事や論説にまとめる第20回新聞記事コンクール(河北新報社主催、東北6県教育委員会、仙台市教育委員会後援、三陸河北新報社協賛)の入賞作品が決まった。

 今回は宮城、秋田、山形の3県から1035点の応募があり、ネット依存症、集団的自衛権、自然災害、震災復興などのテーマが目立った。審査は、ニュース性があるか、体験や取材に基づいているか、論旨に一貫性があるか-を基準に行った。最高賞の河北新報社賞と主な入賞作品を紹介する。

河北新報社賞

「自殺から見る命」宮城県古川黎明高1年・森風美香(もりふみか)さん

 ◆「3万人」。このフレーズで、人は何を思うのだろうか。東日本大震災の被災者人数、仙台市の人口、県内の学生人数、そのどれにも私の言う「3万人」は当てはまらない。これは、日本国内で年に自殺をしてしまう人数である。つまり、1日83人の人が自殺によって死んでいるのだ。何が原因で人は自殺まで追いこまれてしまうのか。私は自殺について考えてみた。

 ◆実を言うと、私も何回か自殺を考えたことがある。ここで私のことを話すとすれば、私は軽度の難聴者である。軽度とは言えど、私は補聴器をつけている。周りと違う、そのことに何度も悩まされた。カ行タ行の使い分けができない。虫の声が聞こえない。人の声が聞きとりづらい。また、補聴器には多くのお金がかかるため親への負担も大きい。

 ◆もう、死んでしまった方が人のためになるのではなんて考えたこともあった。そんな私は今も生きている。私が死ななかった理由は一つ。友達の存在が大きい。私が補聴器をつけていても気にしないでくれる。だから死ななかった。私にはストッパーがいたのだ。しかし、自殺をしてしまう人には、ストパーとなる物や人がいなかったのではないだろうか。または、ストッパーに気づけなかったのではないだろうか。

 ◆私は問いかけたい。「自分のこと、価値のない人間だと思っていませんか」と。これは自殺を考えている人以外にも言える言葉である。この世に価値のない人間はいない、というのが私の考えだ。もし、それでも自分に価値がないと思うなら、一回その考えを捨ててみるのはどうだろうか。自分が生きたいから生きる、それで良いのではないだろうか。そんな考えが日本に広がり、「3万人」が少しでも減ったらいい、私はそう考えている。

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◎生きる価値 誰にも

  私は補聴器を着けています。それが原因でいじめられたことはありません。でも、難聴が精神的な負担となり、「もう、死んでしまった方がいいのでは」と考えたことはあります。

 ◆重松清さんの小説「十字架」を読んだことが、自殺について深く考えるきっかけになりました。いじめに遭って自殺した少年。級友たちは重いものを背負ってその後の人生を歩みます。何にせよ、死んでしまったら終わりです。ことに、いじめによる死は、いじめた相手のために死んでしまうような感じがして、いやです。

 ◆生きている価値は、他人に決められるものではありません。逆に、どんなささいなことでも、生きる価値につながるものだと思います。人は、それぞれが固有のものを持った、かけがえのない存在なのだとの思いを込め、この文章を書きました。

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 森・風美香(もりふみか)さんは、素晴らしい!
〝珍念〟「行住坐臥」が良くないです。 恥じています (A;´・ω・)アセアセ

『国賊と売国奴』

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 「国賊」が「自国の独立や尊厳、利益を故意(または過失)により傷つける者」、「非国民」が「思想・信条その他において異質であり国民の統一や一体性を乱すもの」という意味合い・ニュアンスであるのに対して、「売国奴」という言葉は「母国を外国に売って私益を図る奴」を指している。

 注意しなければならないことは、定義は「個々人の主観とイデオロギーに基づく部分が大きい」という点である。ある人の主観での「愛国的行為」が、別の人の主観では「売国的行為」である場合は珍しくない。

 模型的な例を挙げれば、ある国家が敵対勢力と戦争をすることは、タカ派やジンゴイズムの人にとっては「国益と自国の平和・安全のために敵を粉砕する愛国的行為」であっても、ハト派の人にとっては「一部の勢力(軍産複合体、母国を上回る国力の同盟国など)の意向に奉仕し、自国の独立を危うくする売国的行為」であるかもしれない。
売国(ばいこく)とは、祖国に対するスパイ、国民に対する背信行為など、自国を害し敵国を利するようなことをおこない、私利を得ることを指す。

 現在の日本においては、外国と通謀して武力を行使させた者に適用される外患誘致罪は死刑をもって適用するという、日本の刑法でもっとも重い罪である。

 すべての災いには、原因がある。いま世上をにぎわせている慰安婦問題のタネをまいたのが、「済州島で200人の若い朝鮮人女性を狩り出した」といった吉田清治氏が語った嘘八百を大々的に報じた朝日新聞であるのは、疑いようがない。

 ▼朝日がまいたタネに水をやり、肥料をやって大きく育ててしまったのは、自国より他国を大事にする政治家たちだった。ことに平成5年、官房長官だった河野洋平氏は、自民党が総選挙で敗れ、退陣直前だったにもかかわらず、慰安婦募集の強制性を認めたかのような「河野談話」を出してしまった。

 ▼河野談話は、3年後に国連人権委員会報告書(クマラスワミ報告)というとんでもない怪物を生むもとになった。同報告のあれこれは、昨日発売の「歴史戦」(産経新聞出版)で詳しく書かれているが、とにかくひどい代物である。

 ▼女子挺身(ていしん)隊を慰安婦と混同するのは序の口で、「学校制度も少女を集めるために利用された」とあり得ない話をでっち上げ、慰安婦を「性奴隷」と毒々しく断定した。もちろん、吉田証言も「事実」として取り扱っている。

 ▼クマラスワミ報告の毒は、いまも消えていない。先日開かれた国連総会第3委員会では、韓国の次席大使が同報告を引用し、日本を攻撃した。日本代表が、答弁権を行使して報告に疑義を示したのは一歩前進ではあるが。

 ▼別の大使もクマラスワミ女史に直接会い、一部撤回を求めたという。世界に浸透してしまった「慰安婦=性奴隷」という誤解を払拭するには、あまりにも遅すぎる対応だが、やらないよりはまし。さて、タネをまいた朝日は、彼女に会って誤報取り消しを説明したのだろうか。怪物を生んだ責任への反省が、まだまだ足りぬようだ。【産経抄】

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  カスタマーレビュー

  知識人としての良心がある人間のことを中韓では「売国奴」と呼ぶ。 投稿者  青頭倶楽部 
  売国奴としか言いようのない知識人は我が国に大勢いるが、実際にはなかなかそう呼ばれるものではない。だが呉善花女史と石平氏は現在でも"売奴"扱いを受け、出身国から罵られている。それは帰化後も変わっていない。要するに憎むべき日本人相手の自国批判が許せないというだけなのだろう。




 ◇しかし本書は大変に面白い鼎談である。親本は平成19年に刊行されているが、このほどソフトカバーの廉価版となって再販されたのは中身が古くなっていないことと、中韓が抱える問題点を知るに非常に啓蒙に富んだ内容だからであろう。特に彼らの反日の背景が明瞭になるはずである。

 ◇黄氏を司会役に「国家」「民族」「歴史」「文化」「日本」「反日」の六テーマで鼎談は進む。故国はもちろん日本も熟知している三氏だけに、その洞察は深く鋭い。反日の背景に歴史が利用され、「歴史を鏡とせよ」の言説は単に「俺達の歴史認識を受け入れよ」というものに過ぎないことが示唆される。

 ◇また反日の本質は中国の場合、共産党独裁の正当性の道具に過ぎず、韓国の場合は独善的な民族主義から自由になれないことが土壌にあるという。典型的な反日韓国人青年だった呉女史が目を覚ます転機となった話が興味深かった。

 ◇それは韓国の歴史と文化に詳しく、議論において猛烈に反論してくる、ある意味日本人らしくない日本人たちとの出会いだったという。この辺に韓国の反日に向き合うヒントがあるような気がした。多くの気づきを与えてくれる好著である。

 ※それにしても。嘘八百を大々的に報じた「朝日新聞」と慰安婦募集の強制性を認めたかのような「河野談話」をだした。平成5年、官房長官だった「河野洋平氏の責任は?

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この鵺め、恥をしれ!

毒味役  ヾ(・∀・;)オイオイ

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     ヒトラー         ヴェルク

  

「毒殺を恐れたヒトラー」その毒見役だった女性の告白

 ※ドイツの95歳の女性が、かつて第2次世界大戦中にヒトラーの毒味役をしていたことを打ち明け、ヒトラーが毒殺されるのではないかと極度に恐れていた様子などを明らかにし、貴重な証言として注目を集めています

 ※今日とかの出来事ch : 【NHK】「ヒトラーは毒殺されるのを極度に恐れていた。15人もの女性を毒味役としていたヴェルクさんは、第2次世界大戦中にヒトラーが東部戦線の指揮を執った現在のポーランド北部にある司令部で、2年半にわたってヒトラーの食事に毒が盛られていないか事前に食べて確かめる毒味役だったということです。

◇ロシアのプーチン大統領は食事の時、毒味役を立ち会わせているという。特に7月のマレーシア航空機墜落原因をめぐって国際的な疑惑を招いてから、海外にも同行させ、自分専用のコショウや食塩も持参しているそうだ。英インディペンデント紙が伝えていた

▼ローマ皇帝をはじめヒトラーなど多くの権力者は毒殺を恐れ、部下に味見をさせていた。そのおかげで、伊達藩主のように命拾いをした大名もいる。主人のためとはいえ、「役に就け」と命令された者は生きた心地がしなかったろう

▼使用期限切れの肉や農薬にまみれたピザ…。最近、国内外で食の安全を揺るがす事件が相次いでいる。何らかの毒味役が必要なのではと思ってしまう。それを察したかのように中国のネット検索大手百度(バイドゥ)が「スマート箸」を開発した。不衛生な油に触れると、箸のランプが赤く光る

▼水際ならぬ口際作戦。試したい人もいるかもしれないが、反応する毒はわずか。これで“一膳落着”とはいかない

▼最近、野菜売り場などで生産者の顔写真を掲げているスーパーが目立つ。多少価格が高くても、そちらに手が伸びてしまうから不思議だ

▼もちろん、食の安全を確保するには、検査の充実は欠かせない。が、生産者と消費者の信頼関係も大切だ。消費者の顔がもっと見えれば、「どうせ自分は食べないのだから」などと無責任な気持ちにはそうそうならない【卓上四季】

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Photo_6 珍念の灰色の脳細胞に【武士の一分】が思い浮かぶ!

 下級武士の三村新之丞(木村拓哉)は、妻の加世(檀れい)とともに幸せに暮らしていた。しかし、藩主の毒見役を務め、失明してしまったことから人生の歯車が狂い始める。

 妻が番頭の島田(坂東三津五郎)といい仲であることが判明し、絶望のなか離縁を決意。愛する妻を奪われた悲しみと怒りを胸に、新之丞は島田に“武士の一分”を賭けた果し合いを挑む。

『百聞は一見に如かず』 ぜひ。映画をご覧下さい。きっと心が和むでしょう・・・(*´v゚*)ゞ

 

郷静子さんに思いをはせる

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 戦時下の女学生は、当然のように“軍国少女”だった。「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」-。少女たちは勤労動員先で痛々しいほどけなげに働き、時にささやかな夢を語り、しかし、それを果たせず、空襲で多くの命を落とした

▼郷静子さんは鶴見高等女学校(現鶴見大学付属高校)時代のそのような体験を長年かけて練り、小説にまとめて、「れくいえむ」を1972年、「横浜文学」に発表した。戦争に対する静かな怒りが込められていた

▼当時、本紙文化面で同人誌評を担当していた作家の宮原昭夫さんが同欄で無名作家の作品に注目。それが縁で「れくいえむ」は文芸誌「文学界」に掲載され、芥川賞受賞につながる

▼郷さんが亡くなった。享年85。記者が最後にお会いしたのは2003年11月、30年ぶりの長編小説「草莽(そうもう)」を発表した直後だった。片方しかない肺の機能が低下して、酸素吸入器が離せない。ベッドに半身を起こし、数行書いては横になりという執念に、作家の業を見る思いがした

▼芥川賞選考委員の1人、瀧井孝作は「れくいえむ」について「戦争悪をこれほどはっきり示した手腕は大きい」と評した。横浜と戦争、戦争と人間。何やらきな臭くなった当節、「れくいえむ」は貴重な文化遺産である。【照明灯】

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郷静子「れくいえむ」 最も参考になったカスタマーレビュー

忘れられない本 投稿者  らりー 

◇高校のとき読んで、以来忘れられない作品です。主人公が同年代の少女たちということもあって、引き込まれたことを覚えています。対照的な二人の少女が主人公ですが、以来、戦時中に少女だった年代の女性に会うたびに、この人はどちらのタイプだったかしらなどと考えたものでした。

◇伏線として『チボー家の人々』が効果的に使われていて、この作品の影響力の大きさがよくわかります。(戦後の、ということですが)高野文子の『黄色い本』がお好きな方は是非読んでみてください。

(そういえば現皇后が、結婚当時のインタビューに愛読書として『チボー家』を挙げていたのを、古い『アサヒグラフ』で見たことがあります。今や昔…の感ですが。)


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※「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」。
小説『人間革命』第1巻の書き出しである。

教育や文化の振興を通じて、戦争の悲劇を繰り返さないとの理念により設立の意義を定めた「ユネスコ」憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」との文言があり、設立の目的とその精神を顕著に表している。

あ、つぃ。演壇で講義している錯覚に変人の〝珍念〟舞い上がっています!

『物言えば唇寒し秋の風』・・・( ^ω^)おっおっおっ

食べ物 ヾ(・∀・;)オイオイ

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日本人は何を食べてきたのか。採集狩猟の原始時代から現代のスローフードまで、豊富な図版で解説。調理法の変化や調味料・食材の渡来。日本風になっていく外国料理など、多彩な食文化の全てを網羅した日本〈食〉百科。

鎌倉幕府第5代執権、北条時頼にまつわる話が「徒然草」にある。供の者も床についた夜更け、家に招いた家臣に酒の肴(さかな)を探させた

▼この家臣がすみずみを探し回ったところ、台所でみそがついた小さな皿を見つけた。それを持ってくると時頼は「それで十分であろう」と言って気持ちよく酒を飲んだと出ている(安良岡康作訳注・旺文社文庫)

▼当時の武士の質素な生活を伝える例ともされる。一方でこの時代は「随や唐などの食文化を取り入れ、地方からの貢ぎ物をもとに食文化を発展させてきた貴族階級」(「日本食物史」吉川弘文館)の凋落(ちょうらく)が色濃い

▼食べることは命を維持すること。その食生活も時代とともに大きく変わってきた。1日2度食という時代もあったらしい。いつのころからか1日3度食となった。その始まりも定かでないが江戸時代との説もある

▼今や日本は世界に冠たる長寿国。医学の発達、住環境の向上に加え、食糧事情も大きく貢献しているだろう。だが飽食という。まだ食べられるのに多くの食材が小売りや消費の段階で廃棄される現実。実りの秋に食のありがたさを学び直したい。 【編集日記】

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毎日新聞の「みんなの広場」より

大食い番組見てて不愉快 (主婦 城崎雅子さん)

 ◇本欄10月4日の「腹が立つ大食い番組」に全く同感です。私もつねづね大食い番組を不愉快に思っていました。出演者が料理をひたすら口に詰め込んでいく姿からは、食べ物への感謝の念が感じられず、見ていて悲しい気持ちになります。

 ◇プロ野球の優勝パーティーでのビールかけもしかり、ピールを無駄にするだけでなく、その後の片付けにも多くの資源が使われるなんて、もったいなくて仕方ありません。

 ◇日本では、売れ残りや賞味期限切れなどで、まだ食べられるのに廃棄される「食品ロス」が年間500万~800万トンにもなるのだとか。これだけの食料があれば、飢饉にに苦しむ国の人々を救うことも可能だそうです。

 ◇食品ロスの削滅は、日本の抱える課題の一つです。私たちが日々の生活の中で、食べ物を大切にするように心がけるのはもちろん、影響力のある有名人や番組制作者の方々にも、良識ある行動と放送を意識していただきたいと思います。

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かく言う<珍念> 『ごまめの歯ぎしり』している・・・

『天の梯』 (そらのかけはし)

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 読書の秋。たまには本の話をしたい。

 取り上げるのは、高田郁さんの『天の梯』(角川春樹事務所)。
全10巻に及ぶ「みをつくし料理帖」シリーズの完結編である。

 ▼ときは江戸後期。舞台は江戸にある家庭料理の店「つる家」。主人公は大阪の天神橋一帯を襲った大洪水で両親を失い、江戸で料理人の修業をしている少女、澪(みお)。同じ洪水で家族を失った幼友達は吉原に売られ、顔を合わせることもできないが、互いに「雲外蒼天」「旭日昇天」の言葉を胸に、明日を信じて生きている。

 ▼その物語を2009年5月からほぼ半年に1回のペースで文庫本書き下ろしで出版。先日、そのシリーズが完結した。本は1冊ごとの読み切りだが、物語は10巻で完結する連続大河小説。巻末には毎回、登場する料理のレシピを付けるサービスもあって働く女性や若い読者から圧倒的な支持を受けている。シリーズ合計300万部を売り上げているという。

 ▼調理場の見習いから料理人への道を一歩ずつ歩む主人公が、見知らぬ土地で成長していく物語であり、それを取り巻く人々が織りなす人情話でもある。隠し味には思い人への思慕を胸に秘める淡い恋物語の要素もある。

 ▼同時に「料理人、医師同然程の役也」「食は人の天なり」という言葉が示すように、食と健康について正面から向き合った本でもある。「料理は人を幸せにしてくれる」というメッセージが、痛いほど伝わってくる。 【水鉄砲】

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『天の梯』 内容(「BOOK」データベースより)

『食は、人の天なり』――医師・源斉の言葉に触れ、料理人として自らの行く末に決意を固めた澪。どのような料理人を目指し、どんな料理を作り続けることを願うのか。澪の心星は、揺らぐことなく頭上に瞬いていた。その一方で、吉原のあさひ太夫こと幼馴染みの野江の身請けについて懊悩する日々。四千両を捻出し、野江を身請けすることは叶うのか!?厚い雲を抜け、仰ぎ見る蒼天の美しさとは!?「みをつくし料理帖」シリーズ、堂々の完結。

最も参考になったカスタマーレビュー

(身請け主の正体)に脱帽! 投稿者  阿部洋士   

◇ふん、なっとらん。P145の1行目に『面影膳で、大関位に返り咲いた』だと?関脇位だろうが。愚か者めが。」と、いきなり清右衛門先生が登場してしまいましたが、この著者はキャラ立てが実に上手いですね。皆が生き生きしています。

 ◇また(みをつくし献立帖)では「ミステリーは不得意」との事でしたが、ミステリーの才能も素晴らしい。特に驚いたのは身請け主の正体。これには脱帽致しました。その上で、美しいとも思える完璧な着地。そして、エピローグに代えて付録に料理番付をつけたのも見事。ただ最後に再び清右衛門先生に登場してもらうなら・・「気に入らん。贔屓のシリーズが終わってしまうのだ。全く気に入らん。」

「天晴れ!」の一言です。投稿者  maidosan   

 ◇10巻目にしてついに完結です。どのような終わりになるのかと気をもみましたが、「天晴れ!」の一言です。取ってつけたような話ではなく、始まりから終わりまで作者が練られていた事がよくわかりました。小学生の頃に父親がよくおみやげに買ってくれた「粟おこし」が食べたくなりました。

 ◇読み終えておまけを見て作者の心づくしが感じられたのがうれしかったです。特別編も考えていただいているようです。登場人物達に再度あえる日を楽しみにしています。作者の高田郁さん、5年間ご苦労様でした。楽しい本をありがとうございました。

幸せなその後を想像させる筆致に感無量。投稿者  J子 

 ◇完結編。予定調和と言われようが、この作者の作品は大好きです。誠実さでもって、人を幸せな気分にさせてくれる作品ばかりだからです。素敵な結末に心があたたかくなりました。巻末の番付表も心憎いです。

 ◇行間を読む…と言うか、色々想像させてくれますね。登場人物達の幸せなその後を。ここまでやられちゃうと、続編を!とか思わないです。西の番付に「井川屋」「真帆屋」が有るのも、「銀二貫」を愛する読者としてはニヤリとしてしまいます。 

読み終えるのが惜しい最終巻。 投稿者  かなっち

 ◇遂に最終巻。続きは気になるけれど、読み終えてしまうのが勿体無い・寂しいと思える作品はそう多くはありません。途中巻で辛い経験や読み手の心が痛くなるほどの決断が続いた時は、悲しい涙を流しました。けれどこの最終巻を読み終えた時に流れた涙は、喜びから溢れたものでした。(途中巻の辛い部分で読むのをやめないで良かったと心底思いました。)

 ◇まさに「雲外蒼天」な澪の料理人・女性としての道。今巻でも別れはありますが、それは前に進む為の別れ。関わった様々な人との強い繋がりを確認し、彼女は新しい一歩を大切な人と踏み出します。個人的には“あの人”との一瞬の再会が一番印象的でした。納得の結末。爽快な読後感です。

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   数をいうまい羽織の紐

思い込み [壁]_・)チラッ

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 悪しき王妃として断罪されたマリー・アントワネットが、後世で高い人気を得、人々の共感を集めているのはなぜか。彼女が目指した「本当の王妃」とは何だったのか。栄光と悲劇の生涯を...

 思い込みや印象が、いつしか事実のように定着してしまう例は多い



▼18世紀のフランス革命。断頭台の露と消えたルイ16世は決して暗愚の王ではなかったし、マリー・アントワネットも浪費専門の王妃だったわけではない。フランス文学者・安達正勝さんの新著『マリー・アントワネット』(中公新書)に、あらためて教えられた

▼読後、ナポレオンの言葉を思い起こした。見ず知らずの人が自分に熱狂する姿を見て語ったという。「あの連中は余を知りもしなければ、一度だって余を見たことすらない。ただ彼等は余の噂を聞いていただけだ」「こういった不思議なことは何処の国にも、何時の時代にも、男の中でも女の中でも繰返されるのだ!」(ラス・カーズ著、難波浩訳『ナポレオン大戦回想録』改造社)

▼人にはいろいろな「顔」がある。一時の、一つの「顔」だけを見て、相手を判断できない。直接、会って話さなければ、相手の本当のことは分からない

▼東北の被災地で、励ましの絆を広げる婦人の言葉。「足を運んだ分だけ相手も心を開いてくれる。やはり、顔を出さないとダメね」。さりげないが、真実を突いていた。「一人対多数」の関係では分かり合えない。「一人」と心を通わせるには、「一対一」の対話に徹することだ。【名字の言】

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『論語読みの論語知らず』の〝珍念〟(人にはいろいろな「顔」がある。一時の、一つの「顔」だけを見て、相手を判断できない。直接、会って話さなければ、相手の本当のことは分からない)言い得て妙です・・・・
「一対一」の対話に徹することが欠けています。 (/ω\)ハズカシーィ

「ギュゲスの指輪」

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「ギュゲスの指輪」とは自由に姿を消せる不思議な指輪のこと。古代ギリシャの哲学者・プラトンの著作「国家」では、人間の倫理観を論じる題材として登場する。
羊飼いのギュゲスが、自由自在に透明人間になれるという不思議な指輪を手に入れて、最終的には王妃と通じて王権を奪ってしまう、つまり「もし誰も見てないのならば、人間は元来、悪いコトをしてしまう」ということのたとえ話。

もし自分が透明人間になれるとしたら、どうなるのでしょうか?
誰も見ていないと知ったとき、あなただったらどうしますか・・・?



▼指輪の話を持ち出したのはプラトンの兄グラウコン。人間は不正がばれると困るから道徳に従うが、姿が見えないとなると誰もが不正を働くだろうと主張した

▼現代版「ギュゲスの指輪」といわれたのが、英国で明るみに出た国会議員のセカンドホーム維持経費。ロンドンと本拠地に住む議員には長く補助金が支給されていた

▼しかし監査が不十分で公開もされなかったため、修繕が必要な建物をセカンドホームとして申請。終了するともう一方の家を再申請して無料で改装した。中には家を売り払い利益を手にした者もいた

▼「社会はなぜ左と右にわかれるのか」(紀伊國屋書店)によれば、2009年に新聞で告発されたという。機会があれば誰でもずるをする―。グラウコンの主張通りだった

▼日本に置き換えると、兵庫県の“号泣県議”で一躍脚光を浴びた「政務活動費」だろうか。県警の調べに対し、本人もカラ出張と不正を認めたという

▼当の兵庫県議会は、さすがに活動費の1割削減や第三者による監視機関の設置を決定した。しかしあれだけ全国を騒がせながら、運用見直しの動きは遅々としている。ギュゲスの指輪は簡単に手放せないらしい。<越山若水>

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 【ギュゲスの指輪】・・・ぜひ。欲しいです!

浄玻璃(じょうはり)の鏡

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『閻魔大王浄玻璃鏡図』

地獄の閻魔大王は、罪人の生前の罪が写される。鏡を使って裁きをおこなう。だがその日、連れてこられた女は信仰心が厚いせいか、はたまた鏡が故障したのか、そこには何も映らない。閻魔大王と、次の罪人を連れてきた鬼の、困惑した表情が実におもしろい

今朝は、恐ろしい、何かに追われ・いつまでも脳裏に残る夢を見た。
<人間の枠を離れた世界> 「死後の世界のことをお考えになったことがありますか」・・・?

 ◇人間には死んでからあの世に持っていけるものが二つだけあるという
一つは「人に与えた喜び」 もう一つは「人に与えた悲しみ」

 ◇どんな財産も、車も 。愛用した物も・ 豪邸も・ 社会的地位も・ 自分の体も・ そして、自分の思い出も…あの世には持って行けない。 持っていけるのは、知らず知らずに。人の心に与えた喜びと悲しみだけ

 ☆浄玻璃の、鏡の前に立つまでは。秘めておきたし・あのことも・このことも。(相田みつお)

 ※仏教では、浄玻璃の鏡というのがある。亡くなってあの世に行く前に誰もが一度は浄玻璃の鏡の前に立つそうだすると、生まれてから死ぬまでの間。人に与えた喜びと。人に与えた悲しみが走馬灯のように一瞬にしてその鏡の中に再現される

 ※人に与えた悲しみが多ければ身もだえするような苦しさとなり・いてもたってもいられないほど、深い悔悟の念にかられ針のむしろとなる。その状態を地獄という

 ※人に与えた喜びが多ければ、無上の喜びがこんこんと湧いて、笑顔がこぼれ・うれしくて、楽しくて仕方なくなるそれを天国という

 ※一度、人に与えてしまった悲しみは取り消すことはできない。だからこそ今日(こんにち)、ただ今からの人生は人を喜ばせることだけを多く考え実行することが必要だ人に喜んでもらうことこそが、今生の使命なのだと思う

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  「死を忘れた文明」




 ◇「徒然草」の中に興味深い 言葉がありました。木の枝に座って居眠りをして、何度か落ちそうに成りながら、競馬を観戦している人を見て、周囲の人間が「あんな危険な所で、寝ているなんて馬鹿なやっだ」と。それに対して、吉田兼好が「我々だって、いっ死ぬか判らない。それは、今かもしれないのだ、そんな事も解らずに見世物を見て暮すなんて愚かな事だ」と

 ◇「死」はだれでも必ず、訪れることがわかつているのにそれを意識することなく、日々をただ、面白可笑しく過ごしてしまう事の愚かさ警鐘した叫びだと 思います

 ◇「人ひさしと言えども、100年には過ぎず、その間の事はただ一睡の夢の出来事なり」と仏典にありますが!筆者の拙い「ブログ」を読んでいられます方は 殆ど50年後、100年後は・・亡くなっています!

 ◇私の恩師は「臨終とは、「人生の総決算」の場と述べています。この時「どう生きてきたのか」厳しくとわれます。 その時に何の悔いも無く、自身の人生を深く肯定し、大満足で臨終を迎えられるか。

 ◇逆に、後悔と自責の念で人生の終幕を迎えてしまうのか。まさに、臨終の時こそ、その人の生き方そのものが、何一つ誤魔化しようがなく、この一瞬に凝縮されます。したがって、臨終をたとえ、今迎えたとしても、雲一つない
澄み切った青空のごとく、何一つ悔いや不満がない。そう断言できるように、どれだけ「今」を真剣に精一杯生きているか、大事です。

 ◇瞬間、瞬間、「今、臨終になっても悔いが無い」と言い切れる覚悟で「現在」を真剣に生きる のが大事です・・どれだけ長生きしたか、より・どう生きたか、何をしたか・・? 問われそうです。

不詳:〝珍念〟今のままでは・・閻魔さまから、酷い目に・あわされ兼ねません・・・・反省し・恥じている・・・・。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・

終活に挑戦

「リビング・ウィル」(終末期医療・ケアについての生前の意思表明書)

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 地域にリビング・ウィルの文化を育む。住民の皆さんが元気な時から終末期医療について考え、自分がどんな最期を望むのか意思表明することは、より良く生きることにつながります。法的効力はありませんが、いざ延命をするかしないか選択を迫られた時に、本人の意思を尊重した選択を家族ができるように、家庭内で話し合うきっかけとして活用してください。

 婚活、妊活、終活。「活」の字が活躍して久しい。これまで自然の流れで迎えた事柄も、就職活動のように自ら積極的に働き掛けようと生まれた言葉が広がった

 ▼特に終活は葬儀や墓関連のビジネスを巻き込んでブームとなった。しかし死や病という日本人が触れたくない話題を避け、表面的な話で終わっているように思えてならなかった

 ▼長野県須坂市を訪れた。長野県は平均寿命で沖縄を抜き、今や男女とも日本一の長寿県だ。須坂市はそのきっかけになった「保健補導員」発祥の地として知られる。主婦らが補導員となって減塩運動を指導し、隣近所の健康づくりを支援する

 ▼地域保健の先進地となった須坂を含めた3市町村の協議会は、自身が望む最期を生前に表明する「リビング・ウィル」を進めている。危篤状態になったとき、希望することをカードに記入しておくことで、本人の意思を尊重する仕組みだ

 ▼体が衰え、食べ物を飲み込む力が弱くなると栄養補給に鼻チューブを使う。次は胃に穴を開け栄養を送る胃ろうだ。「生かされているだけ」と指摘する医師もいる

 ▼試しにカードの七つの設問に記入してみた。「心臓マッサージなどの心肺蘇生」は「してほしい」にマル。「胃ろうによる栄養補給」にはバツ…。設問に真剣に向き合った。小さなカードは自らのよりよい最期を考えるきっかけになる。<金口木舌>

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かく言う〝珍念〟50年後か、今日か、明日か、生ある者は、必ず死ぬ!終の住み処は、ちゃんとメモリアル・パークに準備しています。でも永遠にその場にはいません。(法華経寿量品)の自我偈には 「方便現涅槃」 とあり、死は一つの方便であると説かれている。

 ◇たとえてみれば、眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的からみれば、たんなる方便である。人間が活動するという面からみるならば、眠る必要はないのであるが、眠らないと疲労は取れないし、また、はつらつたる働きもできないのである。そのように、人も老人になったり、病気になって、局部が破壊したりした場合において、どうしても死という方便において、若さを取り返す以外にない。

 ◇一日の疲れを取るために寝ますが目覚めたら昨日の読きです・・・しかし、もっと確実な死がきた時、困らないように準備をする人はすくない。

 ◇トルストイ (ロシアの文豪)は、こう述べています「名声」など「死」の前には無力” 生死の哲学がないのは野蛮人”死は確実に来る 死の準備をせよ「死よりも、死がすべての人を訪なうという事よりも、確実なものは何も無い死は、明日の日が来るという事実よりも,昼の後に夜が来るという事実よりも、夏の後に冬が来るという事実よりも正確である。

 ◇それなのに なんで われわれは明日の日,明日の晩、また冬の用意をしながら死の準備をしないのだろう・?死に対しても準備をしなければならぬ。死に対する準備はただ一つだ。善なる生活がそれである(「人生の道」(原久一郎)

 ◇「死の準備」とは何か。 トルストイは、「死によっても滅びない」のは「魂(生命)だけなのだから、自分の「魂」を磨き、鍛える事だけが「死の準備」だと・・!ゆえに彼は「より学問のある人になる」ことよりも、「より有名な人になる」ことよりも、もっと大切なのは「より善良な、正義の人になる」ことであり「より人間愛に満ちた人になる」ことである。 と、訴えました。「磨き抜かれた生命」以外の名声や栄誉はすべて幻です。しかし、多くの人は、それを忘れています。

 ◇トルストイは言いました。「死を忘れた生活」は、動物的な本能のままの野蛮人の生活である。死を意識し、「死の準備」をする生活すなわち、生命を磨く生活こそが、真の文明人の生活であると!

 ◇「生死」の解決がなければ、真の幸福も、平和も、文明もありません。すべて砂上の楼閣であるといえます。 と・恩師は綴る!
 

あ・調子に乗って演壇で講義している錯覚に、これ以上は『蛇足』 (^ω^*)))

「もしも青いキリンを見せてくれたら莫大な賞金を出そう」

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 スウェーデンの王立科学アカデミーがノーベル物理学賞の授与を発表し、スクリーンに映し出された(左から)赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さん。この場で発表者がスマホをかざして見せた=7日、ストックホルム(AP)

  酔狂な大富豪が言った。「もしも青いキリンを見せてくれたら莫大な賞金を出そう」。イギリス人はそんな生物がいるのか徹底的に議論した。ドイツ人は図書館で文献を調べた。アメリカ人は世界中に軍を派遣して探し回った。日本人は品種改良の研究を重ねて青いキリンをつくった。

 ▼早坂隆さんの「世界の日本人ジョーク集」(中公新書ラクレ)より。青は青でも、こちらは青色発光ダイオード(LED)である。発表者が、ここにも使われている、とスマートフォンをかざして見せたが、これほどわかりやすい業績はない。信号機やLED照明、テレビなど、わが家にもノーベル賞があるのが誇らしい。

 ▼受賞者の一人、中村修二さんは勤務していた企業に「発明の対価」を求めた訴訟でも話題になった。約8億4千万円で和解が成立したが、研究者に希望を与えた。もう一つ重要な功績がある。STAP細胞論文の騒動で日本の科学界に漂う暗雲を吹き払ってくれたことだ。【浪速風】

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「世界の日本人ジョーク集」(商品の説明 内容紹介)

◇世界から憧憬の眼差しが注がれる経済大国? それとも、物真似上手のエコノミック・アニマル? 地球各地で収集したジョークの数々を紹介しながら、適材適所に付された解説により、異国から見た真の日本人像を描き出していきます。

◇『世界の紛争地ジョーク集』『世界反米ジョーク集』に続く、同著者入魂の第三弾は、読者からも問い合わせの多かった「日本人をネタにしたもの」を満載しました。笑って知って、また笑う。一冊で二度おいしい本の誕生です。知的なスパイスの効いた爆笑ネタを、ぜひご賞味あれ!

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  ノーベル物理学賞の授与の赤崎勇さん、天野浩さん、中村修二さん。
  おめでとう御座います!

         これ以上は『蛇足』なのだ・・・・

「ポジティブ心理学」

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 池田SGI会長とも対談したアメリカ心理学会の元会長・セリグマン博士は、「ポジティブ心理学」の提唱者として知られる。博士が、二つのグループに分けて行った、「感謝」に関する実験がある

▼一つのグループは、「お世話になったが、感謝の意を表していない人」に感謝の手紙を書き、訪問して直接渡すようにした。それを行わなかったグループと比較すると、訪問から1週間後、そのさらに1カ月後と、長期間にわたって幸福感が続いたという(ロバート・A・エモンズ著『Gの法則』片山奈緒美訳)

▼感謝を言葉や文字にして伝えることは、幸福感を2倍にしてくれる。話し、つづった言葉は、相手に届くだけでなく、発した自分自身にも返ってくるのだ

▼先日、関西創価学園を訪れた韓国・国立済州大学の趙文富元総長。SGI会長と出会い、友情を結んだ喜びを表しつつ、こう述べていた。「普段の生活の中で、感謝する出来事に遭遇するのは、それほど多くはない」。ゆえに、人生の中で感謝する出来事を多く持つ人は、幸福な人である、と

哲学者アランは「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」と言ったが、それにならえば、幸福だから感謝が湧くのではない、感謝できるから幸福になるのであろう【名字の言】

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  このコラム『的を射る』素晴らしい!




最も参考になったカスタマーレビュー

感謝のススメ。 投稿者  あお

感謝について研究するという、切り口のいい本。

 ただ、研究したわりには、感謝ということに対しての新しい研究成果といえるものを感じることができなかった。

 あなたの人生において感謝する側面を考えるとき、それを贈りものという言葉と関連づけるよう、意識して努めてみましょう。

 自分の気持ちゆ想像力を駆使して、この贈り物をどのように味わい、楽しむかに意識を向けましょう。感謝の深さに、とくに関心を向ける時間をとりましょう。そのツールとして、感謝日記をつけることをススメている。

そうして、感謝の気持ちを持つ能力が鍛えられる。

かく言う〝珍念〟・・・・感謝の気持ちを保ちたい。 (A;´・ω・)アセアセ

『角を矯めて牛を殺す』

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   曲がった牛の角を直そうとして牛を殺してしまう
   ような、わずかな欠点の修正のために、みすみ
   す全体をだめにしてしまうことをいう。




 ◇1600年ほど前の中国の詩人・陶淵明(とうえんめい)に「子を責(せ)む」という詩がある。5人の男児の出来が悪いのをひたすらぼやく内容だ。「16歳の長男は無類の怠け者」「ともに13歳の三、四男は6と7の区別が付かない」「末っ子は梨(なし)だ栗(くり)だとねだってばかりだ」。

 ◇大げさな嘆きの後の結びが実におおらかで絶妙だ。「これも運命なら、あきらめて酒でも飲むことにしよう」。欠点が多くても、かわいいわが子。そんな親心がにじみ出る。今の日本でも同じ心境の親は多かろう。

 ◇もっとも、子の教育をあきらめきれないのも親心だ。が、無理すれば、とんでもない悲劇につながる。北海道南幌町(なんぽろちょう)で高校2年の女子生徒が母親と祖母を包丁で殺害する悲惨な事件があった。2人の躾(しつけ)が厳しすぎ、不満がたまっていたという。それが爆発したらしい。

 ◇「小さい頃から庭の草刈りや除雪などをやらされ、友だちと遊ぶ暇もなかったようだ」と、近所の人は話す。生徒は学校では極めて優秀だったというから、真面目で親に逆らうこともせず、耐え続けたのだろう。それが躾の厳しさに拍車をかけたか。

 ◇だとしても、子が親を殺すとはよくよくのことだ。「わが子はあるがままでも愛さないではいられない」。少なくともそんな親心が伝わっていれば、生徒の悲しい決断もなかったのではないだろうか。 【天地人】

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   かく言う〝珍念〟<漫画の神様>の手塚治虫の
   名言が思い浮かぶ!



 ☆オヤジの役目というのは、その生きざまを子供に見せてやることだと思う。子供がオヤジの行動に感動すれば尊敬するだろうし、尊敬しないまでも条件反射的に、その行動をなぞっていくものだろうと思う。

 ☆親の暴力が一概に悪いとは決して言わないが、子供が納得する暴力でなければならない。子供が親の予想以上に高い判断力を持っている事を、まずは理解しなくてはいけない。

 ☆子供と対話する時は親子という関係より、社会人としての先輩、後輩という立場で、社会一般の知識を教えることを大事にしています。子供は、親に対する建前の心がある。教師や大人に対しても子どもの建前があるんです。

 ☆幼い子供が怒られるようなことをしでかした場合、それが不器用なための過ちなのか、未知への探求欲のためなのか、破壊本能のためなのか、完全な悪意によるものなのか、大人は知る必要がある。

 ☆商売人になってほしくない。金はないけど、その中で、本当の歓びをわかってもらいたい。子供にとってのひとり旅は、リクリエーションではありません。教育であり、しつけです。きびしい試練でなければなりません。

 ☆しかもその裏には、保護者のやさしい心遣いもなければならないのです。

<大学生への3つ直言>

1、学ぶべきことに貪欲になれ。
2、本を読みあさり、論説や評論を読む習慣をつけよ。
3、中途で放り出す人間になるな。体力と根性をつけよ。

 ダサいグチごとと取るか否かは諸君の自由だが、少なくとも国際的に通用する大学生になりたまえ。どうかしっかり頑張って。

 これ以上は『釈迦に説法』・・・・(*´v゚*)ゞ

「先用後利」 ヽ(*´∀`)ノ

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   油断ならぬ時代とあって、訪問販売員も家に上げにくいが、越中富山の薬売りと聞けば、警戒心も緩むか。それほど富山の薬売りは信用されている。最近はあまり見掛けぬが、「売薬さん」から頂戴した紙風船を覚えている人もいるか

▼富山商人の売薬の起源は一六九一年で三百年を超える歴史がある。加賀藩から分かれた当時の富山藩にはこれといった産業がなく、目を付けたのが薬だった

▼全国で売り歩くルートを開いたきっかけは江戸城での腹痛事件という。ある大名が腹痛に苦しんでいたところ、富山藩主の前田正甫(まさとし)が富山の「反魂丹(はんごんたん)」を与えると、あっという間に回復。その場にいた、大名たちは「霊薬をわが藩内に売り広めてくれないか」と求めたという(遠藤和子さん『富山の薬売り』)

▼エボラ出血熱の勢いが衰えない。深刻な状況だが「富山」の薬を服用したフランス人女性が回復し、退院したという話にほっとする

▼富士フイルム傘下の富山化学工業が開発したファビピラビルという薬。富山市で設立。その後、東京に移ったが、開発製造の拠点は今も富山市にある

富山の薬売りの精神は、「先用後利」。誰であろうとまず薬を渡し、苦しみを除去してもらいお代はその後。「置き薬」の発想は優しさであり、だから信用された。そういう土地でエボラに挑む薬が生まれたことを世界にちょっと自慢したい。【中日春秋】

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 (遠藤和子さん『富山の薬売り』)商品の説明 内容(「BOOK」データベースより)

 ロングセラー『佐々成政』で富山の歴史認識を転換させた女流作家が、今日の日本人がおき忘れかけているものへの痛烈な警鐘を、人間味あふれるタッチで描く。

<一言居士>の珍念、ふと、脳裏にメーテルリンクの『青い鳥』が浮かぶ。

 ※メーテルリンクの『青い鳥』はいまも読みつがれ、自分自身の幸福をさがしもとめている世界の人びとに、1日1日を清らかな心で生きぬくたいせつさを、やさしく語りかけています。幸せの青い鳥はどこにいるのでしょう。そして、どこにいたのでしょう

 ※病気のむすめのために、青い鳥をさがしてきておくれ。青い鳥さえあれば、あの子はしあわせになれるのだからね」クリスマスの前の晩、貧しい木こりの息子チルチルと妹のミチルは、魔法使いのおばあさんにたのまれ、犬やネコのほか、光の精や水の精などのふしぎなお供をつれて、夢の中の世界へ青い鳥をさがしにでかけます。

 ※しかし、思い出の国へ行っても、幸福の国へ行っても、未来の国へ行っても青い鳥はみつかりません。やっと青い鳥をつかまえたと思うと、すぐ色がかわってしまいます。

 ※やがて、朝になり、ふたりは目をさましました。するとどうでしょう、
青い鳥は、木こり小屋の鳥かごの中にいるではありませんか。ほんとうの青い鳥(しあわせ)は、すぐそばの、自分たちの生活のなかにあったのです。 

 ※ 今日も〝珍念〟の(オチ)は、相変わらず冴えません! これ以上は『蛇足』・・・・モジモジ(。_。*)))

山の神 Σ(゚д゚lll)

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 恐妻家であれば、「山の神」は口慣れた言葉かもしれない。俗語で妻のことを指す。なぜか。いろは歌の「有為の奥山今日越えて」に語源を求めた説がある。「山」の上(かみ)にあるのは「奥」。だから妻(奥さん)という(『日本語源広辞典』ミネルヴァ書房)。

 ▼各地に伝わる山の神も、多くは女性である。容姿は醜悪でねたみ深い。地方によって醜いオコゼを山の神に奉じたのは、嫉妬を恐れた昔日の名残という。田畑が潤うのも山からくだる水があってこそ。日本の山岳信仰は、命の源泉たる山への畏敬にほかならない。

 ▼突如の噴火で戦後最悪の犠牲者を出した御嶽山は、日本有数の霊山として知られる。御嶽神社の奥社は大宝2(702)年の創建と古く、修験者は登拝前に100日の潔斎が義務づけられたという。江戸後期に登山道が開かれるまで、一般人の入山は禁忌とされた。

 ▼登山ブームに沸く昨今は、山の神域と里を画す一線がどこにあるのか知るよすがもない。犠牲者の多くが神社付近に集中していたのは何とも皮肉だった。行方不明者の捜索が難航する中、西から台風が迫り、山頂は雪の季節が近い。今は一人でも多くの無事を祈ろう。

 ▼かつて里人がふもとで参拝できる「里宮」の役割は小さくなかった。われわれの先祖は「山を畏れよ」という警告の鐘を方々に配していたのだ。科学の力で噴火の予知がかなうときがいずれ来よう。それでも人が打てる最善手は、早逃げの一手しかないのも事実だ。

 ▼柳田国男は民俗学の役目をこう説いた。「人を誤ったる速断に陥れないように、できる限り確実なる予備知識を、集めて保存しておきたい」(『先祖の話』)。われわれは耳をさとくして、どこかで鳴る鐘の音に気づくしかない。【産経抄】

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 このコラム 『頂門の一針』 痺れる!

    『恐れ入谷の鬼子母神』



『先祖の話』 商品の説明 柳田國男没後50周年記念出版。

▼柳田の不朽の名著「先祖の話」を読みやすくリニューアル。 現代かな使い、新漢字、専門語・難解語にふりがなと脚注、別注、索引をつけた新編集です。 本書は家族の健全な幸せは先祖を祭ることと説くとともに、 現代社会に見失われた「生と死の尊厳」を回復する警鐘の書。 日本の固有信仰を始めて体系的に解き明かした柳田「神観念」総決算の書です。 ・四六判変形 ・カバー装 ・本文332ページ ・自序 口絵 索引付き

最も参考になったカスタマーレビュー

風俗の由来  投稿者  齊藤 誠   

▼実家の周辺地域にある葬祭に関する風俗に興味がありこの本を購入しました。日本の昔からの風習の由来を知る上で非常に分かりやすかった。
使われている言葉に現在は使われいないような表現があるので、それを乗り越えられれば読みにくくはないと思う。

これ以上、減らず口を叩くと〝閻魔さま〟から叱られる・・・ι(´Д`υ)アセアセ

天災の戒め

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 1・17、3・11、6・3、8・20・9・27。…。阪神大震災に東日本大震災、雲仙・普賢岳の火砕流、そして今夏の広島・土砂崩れ・御嶽山の噴火・と、多くの命を奪った自然災害の悲しい記憶は、日本のカレンダーにいくつも刻まれています。

 ▼東海地方にとって忘れ難いのは、やはり9・26。五十五年前に襲来した伊勢湾台風です。

 ▼生後三カ月だったため記憶はありませんが、一年前に名古屋市南区へ引っ越したわが家は、少し高台だったことが幸いし、大きな被害を受けずにすんだようです。ただ、もっと名古屋港寄りの家も移転先の候補にあったようで、そちらへ移り住んでいたらどうなっていたか。

 ▼自然災害について回る運不運の一例かもしれません。
阪神大震災では、運だけで片付けられない実例をいくつも目にしました。完全に倒壊した家とビクともしていない家が、隣り合わせで並んでいるのです。

 ▼建築時期の違いか、工法や資材の差か。明暗を分けた理由はさまざまですが、住民の心構えも大きな要因でしょう。

 ▼天災は公平ではありません。備えを怠らない人とそうでない人を見分け、被害に大小をつけることがあります。幾多の悲しい経験から生まれた戒めは、自らの命は自らで守る気概を持ち続けることだと思います。<編集局デスク>

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    コメントは『蛇足』です!



時間どろぼう \(◎o◎)/!

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 時間貯蓄銀行の外交員と名乗る「灰色の紳士」は理髪師に勧めた。睡眠や友人付き合いなど無駄を削れば将来、時間は数倍になり戻ってくる―。実践した理髪師は次第に怒りやすく落ち着きのない男になった

◆ミヒャエル・エンデの児童文学「モモ」(1973年発行)のお話。理髪師のように人々は時間を奪われ、ゆとりを失う。エンデは時間を換金する金融システムへの疑問も込めたが、24時間いつでも商品が買え、食べられる社会の進化も見ていただろうか

◆75年にコンビニから始まった24時間営業は外食産業に広がった。牛丼チェーン「すき家」は代表格である。業界首位に上り詰めたが、深夜の過酷な1人勤務態勢が批判を呼んだ。見直しを進めたものの必要な従業員を確保できず、きのうから全国の店舗の6割で深夜営業を中止した   

◆夜も便利な24時間社会は、眠らない、眠れない状況になる。日本人の睡眠時間は減り、慢性的な睡眠不足に陥った人が多い。夜通し仕事をする人の利便を考えれば、深夜営業を悪者にできないが、休みなく動き続ける社会のあり方を見直す契機にはしたい 

◆貯蓄銀行に奪われた時間は、少女モモが取り戻し、人々は再び心豊かに暮らす。貧しくても人の話に耳を傾け、自分自身を気付かせてくれる才能がある。モモが現代の24時間社会に現れたら「灰色の紳士」の正体を教えてくれるだろうか。<斜面>

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     コラムニストの筆致は、『快刀乱麻を断つ』 素晴らしい!
     座布団10枚差し上げます。
 

ミヒャエル・エンデの児童文学「モモ」  商品説明

  ▽冒険ファンタジー『はてしない物語』の著者であるミヒャエル・エンデが贈る、時間どろぼうと風変わりな女の子の物語である。文章のみならず、モノクロの挿絵までもエンデ自身が手がけた本書は、1974年にドイツ児童文学賞を受賞。小学5、6年生以上から大人まで幅広い年代の人たちが楽しめる、空想力に富んだ小説だ。

  ▽円形劇場の廃墟に住みついた、もじゃもじゃ頭で粗末な身なりをした不思議な少女モモ。黙って話を聞くだけで、人の心を溶かし悩みを解消させる能力を持った彼女のまわりには、いつもたくさんの大人や子どもたちが集まっていた。しかし「時間」を人間に倹約させることにより、世界中の余分な「時間」を独占しようとする「灰色の男たち」の出現により、町じゅうの人々はとりとめのないお喋りや、ゆとりのある生活を次第に失っていく。

   ▽本書は、時間どろぼうである「灰色の男たち」とモモの対決というスリルあふれる展開を通して、1分1秒と時間に追われる現代社会へ、警鐘を鳴らしている。たとえば、モモの友だちだったニノが「スピード料理」の店を始め、大繁盛しているせいで他人とわずかな世間話をする暇もないというように、時間を盗まれた人たちは、現代の私たちの姿そのものとして描かれている。

 ▽昨今、モモのように際限のない時間の中で、空想をめぐらせ楽しむ生活はほとんど忘れられている。子どもばかりでなく、忙しい大人たちにも夢見ることの大切さを教えてくれる本だ。(砂塚洋美)

最も参考になったカスタマーレビュー

時間とは意識。意識とは心。投稿者  malone  トップ1000レビュアーVINE メンバー

 ○貧しいが、のほほんとした温かい生活を送っている村人たちのところに、効率こそ大事だとささやきながら、無駄なことをどんどんやめさせようとする灰色の男たち、時間ドロボウがやってくる。

 ○おっとりしたモモが、そんな時間ドロボウから奪われた時間を取り返して村人の生活を元通りにするために立ち上がるといったストーリー。70年代に書かれた本であるが、時間に追われる現代人と資本主義の行く末を暗示するかのような世界観が描かれている。

 ○本当に大切なもの、幸せってなんなのか、そもそも無駄なことってなんなのか、立ち止まってじっくりとそういうことを考えるべきときに感じるものがある本。

 ○しかし、ミヒャエル・エンデがすごいのはもう一段上のレベルの概念、『時間とは意識である』ということを子供に語りかけるような言葉で説明しているところだと思う。

時間の国に住むマイスター・ホラがモモに語った言葉では、こうなっている。

 ○「人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんできめなくてはならないから だよ。・・・・・時計というのはね、人間ひとりひとりの胸のなかにあるものを、きわめて不完全ながらもまねてかたどったものなのだ。・・・・人間には時間を感じとるために心というものがある。そして、もしその心が時間を感じ取らないようなときには、その時間は・・・・ ›

エンデからのメッセージ  投稿者  あやちょこ。

 □モモと同じくらいの年に初めて読んでから10年以上。読むたびに心に響くメッセージが増えていきます。読めば新しいメッセージをもらえることがわかっているので、何かに迷ったとき、必ずこの本を開きます。

 □最近私がもらったメッセージは・・・『本当にそうしたいのなら、待つこともできなくてはいけないね』というマイスター・ホラの言葉です。私の中でずっと大切にしているメッセージはベッポのこの言葉。『一度に全部のことを考えてはいかん、次の一歩のことだけを考えこんだ。すると楽しくなってくる。楽しければうまくはかどる。これが大事なんだ』 「モモ」は私の宝物です。

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  珍念のコメントは『蛇足』なのだ!

本年は「国連ESDの10年」の最終年。

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作者は愛媛県の小学6年生(堀之内遥奈)さんです。
「今日よりいいアースへの学び」。
これは、持続可能な開発のための教育(ESD)について知ってもらおうと、文部科学省、環境省が公募の上、決定した愛称。「アース」に「明日」と「地球」の二重の意味を込める


▼考案者は小学生。地球上の人々により良い未来を、との思いからだ。だが、現実の地球環境はどうか。世界気象機関によると、昨年の大気中の二酸化炭素濃度は、この30年で最大だった。環境保護の対策は待ったなしである

▼本年は「国連ESDの10年」の最終年。11月には、愛知と岡山で、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界会議が開催される。その岡山県の創価学会教育部が先頃、ESDをテーマに「人間教育実践報告大会」を開催した。子どもたちの胸に、「生きる力」「共生の心」「生命尊厳の思想」をいかに育むか――報告する教師の、真剣な挑戦の姿が感動を呼んだ

▼池田名誉会長は「自分の生き方を人類の運命にまで連動させゆく『全体人間』」の育成こそ教育の本義と語る。それは、自他共の幸福を目指す創価の生き方そのものであろう

まだ見ぬ未来の他者へと思いをはせ、自らの使命を果たしゆく人材を育てたい。その熱意で、子どもたちを応援する大人の輪を、地域に社会に広げたい。【名字の言】

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未来に羽ばたく 「子どもに贈る言葉」

 ◆何をするにも、大切なことはまず、〝好きになる〟ことである。〝好きになる〟ことから〝よし、自分もやってみよう〟という志しも生まれる。そして、それが成功へのバネとなる。だから何でもよい。本であれ、友人であれ、自分を伸ばすものを一つ、〝大好き〟になっていただきたい。ー

 ◆何ごとも、〝もうボクはだめだ〟〝いくら努力しても私は変わらない〟といった悲観主義では、次の勝利はない。みじめになっていくだけである。ひとたびは負けても,〝次は勝つ〟〝今まで以上に努力して必ず克服してみせる〟との強い「心」が大切である。

 ◆心を決めれば、勇気と知恵がわいてくる。できないと言われていることも、自分でやってみないとわからない。人がどう言おうと、まず自分である。そうした強い決心の人であっていただきたい。 と、池田大作名誉会長は語る。

『頂門の一針』痺れます! 反省し・恥じている・・(´;ω;`)ウウ・・・

「日頃の備え」

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  ▼アガサ・クリスティの短編「スズメ蜂の巣」は、事件を未然に防ぐべく活躍する名探偵ポワロを描く。危険の芽を察知したポワロは、観察力と推理を駆使して的確に状況を判断し、先手を打つ

 ▼前兆というべきさまざまな事実を積み上げ、一つの結論を予測したわけだが、火山観測の場合はそう簡単にはいかないようだ。長野、岐阜両県にまたがる御嶽山(おんたけさん)の噴火は、予測の難しさをあらためて浮き彫りにした

 ▼御嶽山は常時観測火山の一つで、気象庁のデータでは微妙な変動が事前に検知されていたという。しかし噴火の前兆との判断に至らず、予知は「技術的に限界がある」。何とも無力感が漂う

 ▼災害のたびに防災対策は進んできた。浅間山や草津白根山を含む110の活火山が分布する日本列島である。御嶽山噴火を契機に、予知や監視態勢の強化が検討されることだろう

 ▼時に人知を超える自然の猛威。突発的な災害では「個人の判断、選択、行動が生死を分けることが多い」とは、お天気博士、倉嶋厚さんの言葉だ。いざという時、的確に状況判断するため、知識の習得や心構えも「日頃の備え」の一つに加えたい

 ▼御嶽山では懸命な救助活動が続く。本県の災害派遣医療チーム(DMAT)や陸上自衛隊第12旅団も現地で活動している。今はこれ以上、犠牲者が増えないことを祈るばかりである。 【三山春秋】

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 珍念、ふと、嵐山光三郎著「徒然草の知恵」が脳裏に浮かぶ!

 思いがけないのは死の時期である


ーー思い懸けぬは死期なり。今日まで遁れ来にけるは、ありがたき不思議なりー思いがけないのは死の時期である。きょうまで死をのがれて来たというのは、じつに珍しくて不思議なことである 〈第137段〉

ーー暫しも世をのどかに思いなんやーほんのわずかでも、人生をのんびりと考えることができようか 〈第137段〉

◇これは、桟敷の前を行き来する大勢の人を見ていて、その中に見知った人が何人もいたので、世の中の人の数はそんなに多くはないのだなと兼好が思った感慨の一説である。

◇その人たちがみな死んでしまったあとに、最後に自分が死ぬとしても、それはそんなに先のことではないと兼好は思うのだ。たとえば、大きな入れ物に水を入れて、細い穴をあけておけば、水がしたたることはなくても、絶え間なく漏っていたらすぐになくなるに違いない。

◇そう考えていけば、世の中にたくさんの人がいても、誰も死なない日はあるはずがないのだから、年が若いとか体が丈夫だということと関係なく、思いがけないときに死はやってくるのだと兼好はいっているのである。

◇こうして、兼好は世の無常を語るのだが、それに対応する人間の道は、前出の次の言葉なのである。 「暫しも世をのどかに思いなんや」死は、いつ突然に襲ってくるかわからないからこそ、しばらくでも人生をのんきに考えてはいけないと語るのである。

◇ここで初めて、兼好の無常観に、現実的な道が与えられることになる。
無常なのだから、その中に溺れてしまえというのではなく、いまこの一瞬を大切に生きろというのである。

◇これが、兼好のもつ現代に通じるシビアさである。世は無常だと嘆くだけの人生観であったら、『徒然草』は単なる厭世の書でしかなく、長く現代に至るまで読みつがれることはなかったであろう。

◇無常という、冷酷な現実認識、はかない美学を根底におきつつ、現在に果敢に立ち向かっていくところに『徒然草』の底知れぬ奥深さ、したたかさがあるといえるだろう。それではいったい、現在に生きるとはどういうことなのか。

自己責任 (アンサイクロベディア)

◆この記事の内容には批判・批評記事を勝手に改ざんした内容が含まれているわけではありませんが投稿に参加した時点であなた自身にユーモアが波及する可能性もあります。この記事を編集・執筆する方は自らのユーモアセンスを自覚した上で自己責任で利用してください。詳しくは無視された方針を参照。この記事の執筆は全て自己責任で行うことを推奨します。

1.自らで全ての責任を負うならば、つまみ食いから殺人まで何をしても許される便利な 呪文のようなもの。この呪文を応用すれば「自己責任で夏休みの宿題をやらないことの何が悪い」「責任は取るのに、なぜ人を殺してはいけないのですか?」「これは自己責任でやっていることだから君は邪魔するな」といった必殺技を編み出すこともできる。自業自得とも言う。

2.あらゆる問題を、弱者を含むその人自身の責任とすることで、弾圧や搾取を効率よく行うために考えられた魔法理論である。この理論を応用すれば、あなたが通り魔によ る被害を受けたとしても「外出は自己責任で行われるべきであり、たとえ殺されたとして もそれは仕方がない」「道路を歩く奴が悪い」「わが国では路上での通り魔による被害は保障の対象外だ」ということになる。

 
●高齢になれば働けなくなるのは当然であり、自己責任において老後の備えをすべきである。
●一家の働き手(夫や父親が多い)が唐突に事故死して収入を失っても、そうした事態に対し十分な備えをしてこなかった家族が悪いのであり、自己責任で処理すべき問題である。
●以前、福知山線脱線事故で沿線のアパートが被害を受けたが、これは鉄道敷、しかもカーブの外という、事故に巻き込まれる可能性の高い土地に住居を選んだ住民たちの自己責任の問題であり、賠償を求めることはできない。
●ビタミンKではなくホメオパシーのレメディを投与された結果、乳児が死亡しても、そのような助産師を選んだ母親の自己責任であり、助産師には責任はない。

どこかで、「コピペ」・「コピペ」と仄かに聞こえる。今日も灰色の脳細胞が冴えません。
大学に行かなかった。自己責任かなぁ! モジモジ(。_。*)))
  

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