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良医の話

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 仏典に、ある良医の話がありますが!
・・・・昔、釈尊が舎衛国の祇園精舎で説法していたころのこと。

◆ある国の王が病気にかかり、国中のどの医者も治すことが出来なかった。そのとき、遠国より一人の良医がきて、国王の病気を治した。 喜んだ国王は、その恩に報いようと、一人の家臣に莫大な財宝を持たせて医者の生国へつかわし、彼のために宏壮な邸宅を新築させた。また医療の器械をはじめ、畑、象、馬、牛、羊、使用人など一切をととのえ、家来が帰ってきたので、王は初めて、医者に帰国を許した。

◆医者は、王のために良方良薬を用い、苦労して治療せしめたのに対しなんの謝礼も与えられず帰されるので、心中おだやかならず、悶々として家路についた。 ところが、家の近くまでくると、多くの牛や羊、象や馬がいる、そこで通りがかりの人に「これらの家畜は、いったいどこの、誰のものですか」と尋ねる。すると人々は口々に「みな、お医者さまのものです」と答えた。

◆キッネにつままれたような心地で家に帰ると、広大壮麗、じゅうたんを敷き、金銀の器をそなえ、妻の服装も見違えるばかり。はなはだ不思議に思い、妻に「いったい、どうしたというのだ」と聞くと「あなたは、なにも御存じないのですか。あなたが国王の病気を治してさしあげたので、ごほうびとして、こんなりっぱな家や財産をくださったのです」とのことであった。

◆医者は、いまさらながら自分の不明から、有徳の王を恨んだのを悔いたという。まことに「情けは人のためならず」である。とともに私は、この逸話からり深い教訓が学べると思う。

◆それは、人情や愛情など、人間同士の心のやり取りにおける無報酬ということの大切さである。「自分がこれだけしてあげたのだから、相手も相応のことを」と報酬を求める人間関係はどうしても脆い。相手が応えてくれないと、すぐ崩れてしまう。勿論友人や知人の間で、礼儀が必要なことは当然だろう。しかし、それとても、古今の美しい友情物語などには、どこかに無報酬、無償の絆が秘められているものだ。

◆ましてや、夫婦の間、そして親子の関係ともなれば、計算ずくのやり取りではとうてい成り立っはずがない。そこに要請されるのは、絶対の信頼関係であり、愛情である。無心に乳を口にふくむ嬰児と母親とのまなざしの交差のように・・ひたすらわが子の健全な成長を願うお母さん方の無償の愛情のように。

◆じっさい、「焼野の雉子夜の鶴」とは、よく言ったものだと思う。雉子は巣を営んでいる野を焼かれると、わが身の危険もかえりみず、雛どりを救おうとする。また巣籠る鶴は霜の降る夜には、みずからの翼でわが子をおおってかばう。というのである。

◆母の愛をたとえるこの諺は、お母さんの方の間では、けっして死語になってはいまいと、私は信じているのだが・・・! (つれづれ随想=池田大作)

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Raburabu    〝珍念〟 良医のように、自分自身を反省しています!
    「コピペ」・・・恥じている。
    「情けは人のためならず」う・・ぅう 
     余りにも「おそまつ」ですので言えません。

 



    かく言う〝珍念〟希望があるや否か !
「悲惨とは あれやこれやが 欠けていることではない。それは希望が存在しないことである」  
(フランスの作家クロード、モルガン)

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