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2012年3月

「太陽は輝く」

Book_76

 今から27年前の春休み、私は東京商船大学(今の東京海洋大学)の1年にピリオドを打ち、2年になる喜びを感じていた。 『これでボットム(船の用語で1番下という意味)から抜け出せる。』

◇私が大学に入学した頃、大学はまだ全寮制を取っていた。寮を出る事は、大学を辞める事、つまり私達の夢である船乗りの夢を諦める事を意味していた。

◇寮は全部で4階建ての4棟あり、各階は11室の4人部屋となっていた。4人部屋の構成は、完全縦割りの4年/3年/2年/1年となっており、1年は日々の雑用、酒を飲むこと、上級生のストレスのはけ口とまさしく試練の1年を送る事になる。試練に耐えられ無い1年生は、退寮する為、全部が4人部屋ではなく当時全寮生は約600人だった。

◇今はどこも携帯の時代だが、今から27年前は、電話の子機も無い時代で、寮生を取り巻く通信事情は、極めて劣悪であった。内部から外部に電話するのは、寮内外に、いくつか公衆電話が設置されていたので、問題は無かったが、その逆に、大きな問題を抱えていた

◇その問題とは、600人いる寮生用の受信電話がたった3台しかなかった事だった。単純に計算すると、寮生1人あたりの、外部から電話が繋がる確率は、600分の3となる。

◇電話を取り次ぐ者は、週番と言われ、各寮各階の1年生が週毎に担当していた。電話を受けると週番が、各寮各階に設置してあるスピーカーに向け 『何寮何階何室の誰々さん、電話です。又はお電話です。』と、放送する。

◇この電話ですとお電話ですの違いは、前者が男性から、後者が女性から来た、電話の事を表している。 そんな3台の電話だが、600人を相手にするだけあり、休む暇無く稼働している。週番をすれば分かるのだが、常時誰かが話し中か、呼び出し中である。

◇1人が話を終え、受話器を置くと、すぐベルが鳴る今ならチケットゲッターさん達が使用している、高速リダイアル装置を使えば1発なのだろうが、当時は、その様な物は無く、電話が繋がるには、相当の時間/忍耐/運が必要だった。

◇寮の1年生は試練の場である事は、前述した通りだが、この試練に立ち向かうとき、勇気をくれる、大切な女性が私にはいた。私より1つ年上の女性で、彼女とは、私が1年の春に、合コンで知り合った。凄く魅力的な女性だったが、既に彼がいるとの事だったのでそれなら、東京にいる年子の姉と弟の関係で、付き合いましょうという事で、1年生の終わりまで、良い付き合いをさせてもらっていた。
 
◇彼女の短大の卒業に当たり、彼女が地元の長野に帰り、就職する事になった為、その御祝いを兼ねて、2人で会う事になった。最後のデートの場所は、豊島園待ち合わせ場所は、西武池袋線の池袋駅の改札、待ち合わせの時間は、昼の1時とした。

◇デート当日、私はわくわくしながら、待ち合わせ場所に向かった。定刻前に着いた私は、彼女を待つ事にした。しかし、彼女は現れない。30分が過ぎ、駅員に改札は他にあるかと聞いた所、もう1つ有ると言われたので、そちらに行くも見つからず。結局彼女を捜し2つの改札で2時間待ったが、彼女は現れなかった。

    ◇春休みになった為、彼女が住んでいた寮は、閉鎖されており、寮に電話しても、
    応答は無かった。彼女の実家の連絡先を聞いていなかった私は、もうこれで2度と
    彼女に会う事も無いのかと思うと、強烈な寂しさが込み上げて来た。私は彼女を姉
    として見ていない。愛しい恋人として見ていると、そのときはっきり認識した。

    ◇寮に帰って来たのは、夕方だった。私の手元には、明日故郷の広島に帰る、新
    幹線の切符が有った。心にポッカリ穴の空いたまま、荷作りを始めた。『彼女寮に
    電話くれないかな?会うのは無理でも、最後に声だけでも聞きたい。電話よ繋がっ
    てくれ。奇跡よ起きろ!』

    ◇それを念じながら、衣服をバックに詰めていた。時刻は刻々と過ぎ、週番業務終
    了直前の午後10時前、アナウンスが流れた。 『1寮2階7室の福島さん、お電話で
    す。』私は彼女からの電話だと確信し、週番室に全力で走った。電話を取る。彼女
    からだった。何度も何度も寮に電話をかけていたのだが、ずっと話し中だったそう
    だ。これが駄目なら、諦めて、明日長野に帰ろうと思い、最後にかけた電話が、繋
    がったとの事

    ◇ ただただ嬉しかった。お互いなぜ会えなかったなどは、問題では無かった。又会
    う日を約束して、会話を終えた私は、幸せ一杯だった。  彼女とはその後姉弟の関
    係から、恋人の関係にったが、縁が無かったのか、恋は、成就されなかった。愛の
    素晴らしさ、厳しさを教えてくれた人だった。

    ◇ あの電話が無ければ、私は、苦い思いも有ったけれど自分を成長させてくれ
    た、大切な財産を手に入れる事は出来なかっただろう。1本の電話が、それらを私
    に運んでくれたのだ。偶然と必然とを頭に浮かべながら私の身に起こった、600分
    の3の奇跡に、感謝したいと思う。
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Pa6    感動しました。

    コメントは、これ以上は 【蛇足】 !

「余命1年」

Siritai

 「余命1年」と宣告を受けた。実家のある高知へ向かう車中でむせび泣いてから12年余り。高松市の中島英子(あやこ)さんが3週間前、待望の第2子を授かった。2980グラムの元気な男の子。懸命に生きてきた彼女に、神様はまた一つご褒美をくれた。

◇中島さんは22歳の時、1年以内の再発の可能性が80%というスキルス性胃がんと診断され、胃の4分の3を摘出。医師からは「諦めてください」と暗に言われた。別の医師からも「いまのうちに好きなことをしたほうがいい」。まだこれからという矢先の、あまりに残酷な話。

◇病状を正確に知ろうにも医学用語は難解。「医師と対等に話し合うには知識と情報が必要」と母親の安岡佑莉子さんは医学書を読みあさり、抗がん剤についても学んだ。がんに立ち向かう母子の情熱と医師との連携で、5年後、再発の恐れはまずないといわれるまで回復した。

◇経験を生かそうと、母子は患者会を立ち上げた。がん征圧を訴え、24時間交代で歩き続けるアメリカ生まれのイベント「リレー・フォー・ライフ」を高知で主催し、今秋で5回目を迎える。その輪は徳島や愛媛でも広がっている。

◇昨秋からは土日を利用して、支援者らと歩き遍路を行っている。願いは、四国のがん患者や家族らを勇気づけること。自分で歩いた、という達成感を味わってもらうこと。

◇「気持ちで負けては駄目」と安岡さん。命のリレーができたのも、諦めずに前を向いて歩いてきたからだ【一日一言】

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Kuri  

中島英子さんは、偉い。
  【珍念】も かく 生きたい!

「テルマエ・ロマエ」(#^.^#)

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  4月下旬公開の邦画「テルマエ・ロマエ」で俳優の阿部寛さんが演じるのは古代ローマ帝国の公衆浴場の設計技師である。タイムスリップした今の日本で風呂文化を学び、それをローマで生かして話題を集めるというコメディー作品だ。

▼歴史の教科書にも登場したカラカラ帝の大浴場など古代ローマの都市にはどこも公衆浴場があった。それを支えたのが有名なローマ水道だ。日本で銭湯のはしりともいえる湯屋が登場したのは平安時代らしい。江戸時代には銭湯は庶民の憩いの場になり、その江戸の水不足の解消に開削されたのが玉川上水である。

▼3月中旬、東京・新宿の新宿御苑に玉川上水を模した500メートル余りの水路が完成した。四谷大木戸の水番屋の石碑の近くである。歴史的な景観の復活を求める住民の要望を受けて区が整え、水路の周囲には四季折々の草花も植えた。いずれ、せせらぎとともに、遊歩道を散策する人々の目を楽しませることだろう。

▼銭湯はどうか。都内にある数は約760軒とピーク時に比べて7割も減った。今でも地域の人々が手軽にくつろげる場になるはずだが、廃業は止まらない。先週テルマエ・ロマエの完成報告イベントが開かれたのは台東区の蔵前にある「梅の湯」だった。この映画が人気回復の一助になればいいのだが。【春秋】

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う~ん !(^^)! 古き良き時代の思いでが(珍念)の髪の毛のように消えて行く・・・!

◇「テルマエ・ロマエ」是非・是非・見てみたい。・・・\( ^∇^)/θ☆ わ~い!

笑顔の一言、輝く世界

Hana

 出張で新幹線に乗る機会が多い。座席を少しリクライニングしたい時、後ろの座席の人にあえていつも以上に明るく、笑顔で「座席倒していいですか」と聞くようにしている。

◇本来は当たり前のマナーだが、ある時、前の座席の女性に満面の笑顔でそれをやられて以来、すっかり「自分も」という気持ちになった。なぜなら、自分が言われた時にすごく気分がよかったから。

◇自分も笑顔で言ってみると、たいていの人が笑顔で「どうぞ、どうぞ」と答えてくれる。言ったほうも気分がいい。目的地に着くまでの間もずっと心地がいいから不思議だ。

◇笑顔の一言でこんなに世界が輝き出すのならやらないと損だ。【清流】

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(コメント)は 『蛇足』です ヽ(´▽`)/

「原子力ムラ」に阿部の潔さを求める

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 作家の童門冬二(どうもんふゆじ)さんはかつて東京都の幹部職員だった。組織や人の強さ、弱さを描くのがうまい。「江戸のワイロ」(ネスコ)は、金品になびく役人らの事例集だが、正反対の人物も登場する

▼三代将軍徳川家光に仕えた老中阿部忠秋は愛鳥家。「阿部殿はウズラが好きだそうだ」とうわさが広まると、工事の入札や人事で見返りを期待する大名たちがわれもわれもとウズラを届ける

▼阿部はある日、彼らを招いた宴席で、「それがしはウズラがすっかりきらいになりました」と言い、おびただしい鳥かごのウズラを次々に逃がした。賄賂拒絶宣言である。やがてこんな評判がたつ。「阿部殿の門を訪れるのは、スズメだけだ」

▼福井県の原発について助言する研究者4人が、関西電力の関連団体から「奨学寄付金」として計790万円を受け取っていたことが分かった。贈収賄には当たらないという。知事も「問題なし」との認識だ

▼しかし、釈然としない。近く政府は福井県の関電大飯原発の再稼働を判断する。これを受け、県は「同意」や「不同意」などの意見を表明する。その際は研究者たちの知見を仰ぐことになるはずだ。再稼働を望む関電の援助を受けていた人物が、知事の言う「良心と誇り」を持って事に当たれるのか。その助言は信頼できるか

▼人は金品に弱い。それを自覚する者は自ら律する。老中阿部が、大勢の前でウズラを逃がしたのは、あらぬ誤解を招かないための予防策の一面もあったろう。「原子力ムラ」に阿部の潔さを求めるのは無理というものか。 【日報抄】

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◇ う~ん !(^^)! いゃはゃ<豚に真珠>かなぁ?

  ○読者の皆さまへ「珍念」のちょいと、面白くも何ともない(ひとりごと)です。暫くお付き
  合いのほど宜しく、お願い申し上げます!

    阿部忠秋に思いを馳せる。

  ○ある寺の僧侶が他国の寺院へ転属する命令を頑として受け入れないため、松平 
   信綱とふたりで説得に出かけた。最初に信綱が理路整然と僧侶に転属の理由を述
   べ説得したがますます反発して他の方が適任だと言う始末であった。

  ○次に忠秋がどうしても行きたくないのかと聞き、お咎めを受けても行きませんと僧侶
  は答えたので、では咎めとして転属を申し付けると忠秋が言ったとたん僧侶は知恵伊
  豆様(信綱)より豊後様(忠秋)の方が上手ですね(知恵がある)と笑いながら申し付け
  を受け入れたと言う。

  ○徳川家光が櫓に登って小姓たちに「ここから飛び降りた者には褒美を取らせる」と言
  った。小姓たちがそれに困り何も出来ずに居ると、家光は不機嫌になり「阿部豊後(忠
  秋)ならばどうするか尋ねよ」と叱った報告を受けた忠秋は小姓たちに「再び上様がそ
  のよう申されたときは、傘をさせば安心して飛んでご覧に入れますと返答せよ。

  ○戯れのお言葉には当意即妙に答えるのがお側につくものの心得」と諭した。後日、
  家光から同じように櫓の上から飛び降りろと言われた者が、忠秋から教わったとおりに
  答えると、家光は上機嫌になったという(『夜譚随芼』より)

  ○正保二年十月、家光が神田橋外の鎌倉河岸へ鴨狩りに出かけた。家光は鴨を飛び
  立たせるために小石を投げるように命じたが、手ごろな石が無かった。そのため、魚
  屋から蛤を持ち帰らせて小石の代わりにした

   ○翌日、この顛末を聞いた松平信綱は「上様のお役に立った魚屋は幸せ者であり、
   蛤の代金を取らせる事はあるまい」と言った。しかし同席していた忠秋は、「上様のお
   役に立ったのは名誉に違いないが、商人は僅かな稼ぎで家族を養っている。上様の
   なさったことで町人に損失を与えては御政道の名折れである」と反論し、代金を支払
   わせたという。(『寛明日記』より)

   ○由比正雪の乱が起こった折、酒井忠勝や松平信綱らは、江戸から浪人を追放す
   ることを提案し、他の老中らもその意見に追従したが、ただ一人忠秋のみは、江戸に
   浪人が集まるのは仕事を求めるゆえであって、江戸から浪人を放逐したところで根
   本的な問題の解決にはならないと、性急な提案に真っ向から反対し、理にかなった
   忠秋の言い分が最終的には通った。

   ○『駿台雑話』などには、忠秋と鶉の話が収められている。それによると、忠秋は鶉
   の飼育を趣味としており、多くの鶉を飼っていた。ある時、町の鳥屋で非常に良い鶉
   を見つけ、これを欲したが、値段が高かった為購入を躊躇った。すると後日、忠秋が
   その上質な鶉を欲している事を知った出入りの者が、これを入手して忠秋に贈った。

   ○忠秋はその鶉を受け取ったが、程なくしてこれまで飼っていた鶉共々全ての鶉を野
   に離し、以降鶉を飼おうとはしなかった。

   ○将軍家の奥坊主である休庵という人物が、あやまって家光の入浴の折熱湯をかけ
   てしまった際、家光は激怒して休庵を死罪にしようとしたが、忠秋は休庵が助命され
   るよう便宜を図って八丈島への流罪へと罪を軽減し、さらに後日久世広之や酒井忠
    勝と共に休庵に恩赦が下されるよう尽力した

   〇 愚か者の【珍念】も かく 生きたい!\( ^∇^)/θ☆ わ~い!

「砂上の楼閣」

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  いくら金があっても力があっても心がなければ、やがて訪れるのは破滅。改革開放政策の結果、すっかり物質文明に毒されてしまった中国の将来を危ぶむような事実を知り、何千年という悠久の歴史に背くこの心の病を治さない限り、同国における繁栄はうたかたのごとくかき消えるだろうと考えた

▼産経新聞の国際欄に在外支局記者が交代で書くコラムがあり、その一つ、中国総局の記者に与えられた「北京春秋」という欄に「捨てられた女子高生」というタイトルで報告された衝撃の事実は、背筋が寒くなるほどすさまじいものだった

▼暴漢に襲われて瀕死の状態で用水路に放置されていた18歳の女子高生を発見した住民が警察に通報したところ、警官はろくに確かめもせず、「ホームレスの凍死」と決めつけ、さらに連絡を受けた地元政府は「まだ息がある」との声を無視して火葬場に運ぶように手配

▼ところが、運転手が業務命令を無視して女子高生を火葬場まで運ばず途中で捨てた。これが逆に幸いしてあたら命は生きたまま火葬される不運を免れ、一命だけは取り留めることができた。彼女の受難から始まったこの一連の動きの中から垣間見られるのは、現在の中国ではいかに人心が退廃しているかということである

▼後難をおそれたり、手間がかかる煩わしさを嫌って人命にかかわることでも「我関せず」的な事件がしばしば報告されている同国だが、どんなに経済発展しても武力をつけても、心という土台がなければ「砂上の楼閣」に帰すのは明白だ。【世迷言】

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「建設は死闘
破壊は一瞬」の
故事がうかびます

◇文明の発祥の地。古の文化大恩の国・中国歴史と浪漫溢れる中国に憧れていますが昨今は、ちょいと可笑しいようです。古の賢人や・唐.隋・の皇帝が泉下で血涙を流していられるでしょう。

◇こと、隣国の問題だけでは無いようです。平成の平和呆けの日本も、だれも責任はとらない。腑抜けな為政者が跋扈している。 またそれを見て、傍観している。いみじくも コラミストが指摘されたことは誰に言ってあるのかなぁ? 

◇変人の【珍念】「人の振り見て我が振り直せ」が、目に浮かぶ。どんなに経済発展しても武力をつけても心という土台がなければ「砂上の楼閣」に帰すのは明白だ

◇ナヌ心という土台がなければ 「砂上の楼閣」)それを 教えてくだされ~ぃ !(^^)!

◇今日も! 絶好調です。話はムダを省き、短くまとめたい。長い退屈な話は「口害」ともいわれる。  ゲーテも 「美しき虹も、15分も 消えずにいれば、もうだれも見向きもしない」と手厳しい。\( ^∇^)/θ☆ わ~い!

 

「3・11の証言」

Hoci

 車は水中の潜水艦のようになり、窓から見上げていると船のスクリューが上を通過していきました―本紙朝刊で連載の「3・11の証言」。

◆東日本大震災から1カ月が過ぎ、津波に襲われた被災者が重い口を開いたその証言には、驚くべき内容が含まれている。

◆「運がよく車には水が入らずに、ポンって浮き上がりました」。述懐方式で淡々とつづられる文章だからか。体験を語る言葉の重みが、真に伝わってくる。<ぎふ寸評>

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◇コメントは 『蛇足』! (*^^)v

「『勝ち組』の行動様式」

News51

 2月28日の朝日新聞に、扱いは小さいけれども、興味深い記事があった。

▼「勝ち組は自己チュー?」という見出しで、その記事はお金持ちで高学歴、社会的地位も高い「勝ち組」ほどルールを守らず、反倫理的な振る舞いをすることをアメリカとカナダの研究チームが実験と調査で明らかにしたと伝えていた

▼例えば、企業の採用面接官の役割を演じてもらう実験では、企業側に不利な条件を隠し通せる人の割合は社会的階層が高いほど多かった。休憩時に「子供用に用意された」キャンディーをたくさんポケットに入れる人の割合も同様だ

▼路上観察調査によると、横断歩道で歩行者が待っていても停止しなかったり、赤信号を無視したりする車は、高級車ほど多い傾向があった。なるほど、と思い当たる節が多かった

▼日本の政財界に当てはめると、この話はよく理解できる政権中枢は増税路線を突き進み、公務員給与のカットにも踏み込んだが、国会議員の歳費や定数削減については知らん顔。地域独占でその権益を保障されている電力会社も料金の引き上げには熱心だが、身を切る改革には動きが鈍いもちろん自分たちに不利なデータは公開しないままだ

▼こういう「勝ち組」にどう対抗すればよいのか。有権者、消費者としての市民が立ち上がるしかない。一人ひとりの力は小さくても、束になってかかれば太刀打ちできるのではないか。「弱者」の声を上げ続けよう。【水鉄砲】

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Gj1 旨い!あっぱれ。
コラミストの叫びは
(曖昧模糊)の世相に、
名刀は冴えに冴えている。
かく言う【珍念】の名刀は
一六銀行で寝ている・・!

“心の花”を咲かせよう

ImageKomika 

 「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」。この季節、在原業平のような心境の方もいることだろう。桜はいつごろ咲くのか。咲けば咲いたできょうの雨や明日の風で散ってしまわないか……さまざまに心騒がす。実に不思議な花だ

▼「さまざまの事思ひ出す桜かな」(芭蕉)。人生の句読点に、桜色に染められた思い出を刻んでいる人も多いに違いない

▼平安時代以降は花と言えば桜。さまざまな形容も生まれた。枝先の桜花を雪に例えた「梢の雪」。「花逍遥」は、桜を見ながらのそぞろ歩き。「夢見草」「心の花」という表現もある。『自然のことのは』(幻冬舎)に教えられた

▼「さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ」(御書1492ページ)。日蓮大聖人は、仏性の開花を桜に例えられた。黒い樹皮から「花の王」が咲く、自然の妙。どんな人にも、「花王の命」がある。桜を咲かせるのは、春の陽光。人の心の「堅い芽」を膨らませ万朶と咲かせるのは、私たちの“春光の対話”だ

▼満開の“夢見草”の陰には「必ず咲かせる」と決意した桜守がいる。夢を現実にするための、命を懸けた努力がある。一人一人が「妙法の桜守」だ。友の命にある仏性を開き“心の花”を咲かせよう。【名字の言】

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仏法は「桜梅桃李」 桜は桜 梅は梅人と比べるのではない 満々たる唱題で 自分らしく咲き薫れ! 「池田大作」

 情景の美しさでは次の2つが気に入っています。

◇ ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ (紀友則)

◇ 山里の春の夕暮れ来てみれば入相の鐘に花ぞ散りける (能因法師)

 西行には花の歌が山ほどありますが,このちょっと皮肉な歌が好きです。

◇ 花見にと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜のとがにぞありける

◇ 散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛の辞世の句)

□ 散る桜 愛しの君は 今いずこ (珍念)

初恋の彼女は手の届かない所に行きました。
やんぬるかな・・ご冥福を祈っています。
誠におそまっな 俳句です。お笑いくだされ~ぃ。 (^-^;

くぎ

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<ある作家の体験>

 子供の頃、私はひどく短気で、そのためにしばしば怒りが昂じて、残酷なことを言ったり、良くないとわかっている事をしたりしました。

〇 ある日、私が遊ぴ友達に対して怒りを爆発させてしまい泣いているその友達を家に送って帰ってくると父は言いました。「おまえが怒って、思いやりのないことを言うたびに、門の柱に釘を打ち込むことにしよう。だが、おまえが、忍耐強くいて、親切で優しい言葉を言う度に、一本釘を抜いてやろう」と。

〇 数カ月がたちました。その入り口を通るたびに、釘の数がどんどん増えているのが見え、どうしてもその理由を思い出さずにはいられません。そこで私はついに、その釘が抜かれるようにするのはチャレンジになるから、最善を尽くしてやってみようと決めたのでした。

〇 とうとう、待ちに持った日がやってきました。最後の一本の釘を父が抜いてくれた時、私はそこらへんを飛び回りながら、誇らしげに言いました。「お父さん、やった、釘が全部なくなった!」父が穴だらけになった柱をじっと見つめている様子が今も目に浮かびます。

〇 父は、思慮深くこう言ったのです。「ああ、確かに釘は全部なくなった。だが、痕は残っている」と。

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◇ 明々白々・・「恐れ入谷の鬼子母神」! (珍念) 恥じてイル・・こっそり退散・・(@_@)

「納棺師の姉妹の体験記」

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  アカデミー賞の受賞で有名になった「納棺師」。このほど、聖教新聞に「創価のおくりびと」という体験記事が掲載されていました。珍しい職業の記事であり、加えて若い姉妹の体験とあって目を引きました。

▼ 「安易な気持で勤まる仕事ではありません。多くの人は、すぐに辞めてしまう」とのこと。何故、この姉妹が続けられたのか。「離婚していたし乳飲み子を立派に育てるためにも必死で仕事をしました」(姉)とのこと。さて、多い時で、1日に3~4名も受け持つ納棺師の仕事。

▼ 「慣れるのに1年かかりました。病気、交通事故火事…死因も享年も千差万別。宗教も様々。世の中には、こんなにも死が溢れている。その中で、人は生きてきたようにしか死ねない」と語っていました。「死」を目前にしたとき、問われることは、「何のために生きたか」「どのように生きたか」ということでした

▼ 仏法では、生き方の根本に「境涯」を掲げています。仏の境涯を開き生きることが、「何のため」「どのように」の究極の答えなのです。人生の終わりを悔いなく迎えるためにも、私自身、この一点を磨かなければなりません。

▼ より良く生きて、より良く死にたい。この記事を読んで、思い知らされました

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◇ う~ん・・思わず腕組みして思索しています。「トルストイ」の民話を思い出しました。!(^^)!

    ――皇帝が三つの質問の答えを探していた。

   ○「一番大事な時はいつか?

   ○この世で一番大事な人は誰か?

   ○今何をなすべきか?」 賢者に聞いても分からない。落胆して散歩に出たときに出
    会った少女に尋ねると。
   ◇「一番大事な時は今この時
   ◇大事な人は今自分の横にいる人
   ◇なすべきことは自分の横にいる人に善を行うこと」

   ○皇帝は喜び、少女が持っていた重い井戸水を代わりに運んであげた、というもの
   “あれこれ悩むより、けがえのない今を悔いなく生きよ! 眼前の一人を救え!”と、
    文豪は友を励ましたのだった。

    ◇愚か者の【珍念】重い井戸水を汲んでいた少女に恥じています。<皇帝の三つの
    質問> 胸にずしりと響きます。 一番良い解答は・・? 【言わぬが花です】
    \( ^∇^)/θ☆ わ~い

「悪魔の辞典」

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 米国の作家、アンブローズ・ビアス(1842-1913年)が残した最高傑作といわれる「悪魔の辞典」社会のあらゆる事象を一刀両断に、あるいはチクリと風刺した名著である

▼所収項目は1000以上に及び、その中で「野党」について解説している。筒井康隆さん翻訳の「筒井版悪魔の辞典 完全補注」(講談社)を引用すると…

▼野党とは「政治用語で、政府が暴走せぬよう、その足の腱(けん)を切って予防する政党」だという。そしてある国の、海外で民主的な政治を学んできた王様の寓話(ぐうわ)を紹介する

▼徴税法案を作るため王は100人を議員に任命。そのうち40人を「野党」と命名し、何でも反対するように教え込んだ。しかし最初の法案が満場一致で可決され、王は激怒した

▼野党議員は全員が切腹。しかし自由主義は野党なしに成立しない-と、死体を防腐処理して議席に釘くぎ)付けにした。これで万全のはずが、今度は与党議員の欠席で否決された

▼政治は思い通りにはいかない。消費税増税案で苦労する野田佳彦首相。野党が話し合いに応じないこともあるが、足元の民主党にも離反の動きがある

▼「悪魔の辞典」では、王様は砲兵を動員し議会を解散。人民の、人民による、人民のための政治は消え失(う)せた-と書いている。日本でも国民は何も決められない政治に失望している。既成政党を見限る声が聞こえる。【越山若水】

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☆ コメントは『蛇足』! ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

「しあわせな未来」のその果てに 」

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 コンピュータの利用度がますます増大して、人間は生産や頭脳労働から解放される、というより、追放されるか、もしくはコンピュータに管理される奴隷のような存在になるかもしれない。そうなれば、ロボットは人間、 つまりあなた自身のことになるかもしれませんよ。 (アンドロイド・『鉄腕アトムの未来学』週刊読売掲載エッセイより)
 
○家庭の仕事は 何でもこなせる 便利なロボットが普及し、 ママは家事から解放されました。そしていつしか子育ても ロボット任せになってしまいます。子どもたちが両親ではなく ロボットに育てられる。そんな未来は果たしてバラ色の未来でしょうか?

○人は人と触れ合うことで はじめて心を育むことが出来る。だとすれば、 インターネット授業が主流になって 子どもたちは学校へ行く必要がなくなる、という話題がもはや 「未来の話」では なくなりつつ ある現代は、「とても危険な世界」になりつつあるのかもしれません。( 手塚治虫)

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☆デジタル思考の【珍念】禁断の園に足を踏み入れたようです。悍ましい。怖い。余り考えると残り少ない髪の毛が抜ける。 
【下手な考え休むに如かず】 \( ^∇^)/θ☆ わ~い

ありがとうは〈奇跡の言葉〉

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「感謝」から「幸福」が

 ありがとうは〈奇跡の言葉〉である。口に出せば、元気が出る。耳に入れば、勇気がわく。私自身、毎日朝から晩まで「ありがとう」「ありがとう」と言い続けている。

▼ 外国に行った時も、「ありがとう」の言葉だけは現地の言葉で伝えることにしている。「サンキュー」「メルシー」「ダンケ」「グラシアス」「スパシーバ」「謝謝(シェシェ)」。それを、心を込めて、きちっと相手の目を見て言っているつもりである。「ありがとう」を言うとき、聞くとき、人は心のよろいを脱ぎ捨てる。人と人とが深いところで通い合える。

▼ 「ありがとう」が非暴力の真髄なのである。「ありがとう」の中には、相手への敬意がある。謙虚さがある。人生に対する大いなる肯定がある。前向きの楽観主義がある。強さがある。「ありがとう」と素直に言える心は健康である。だから「ありがとう」を言うたびに、あなたの心は光ってくる。体にも生命力がわく。

▼ 「祈り」も感謝しながらの祈りこそが、最も大宇宙のリズムと合致し、人生を好転させていく。「ありがとう」と言えない時、人の成長は止まっている、成長している時、人は他人のすごさが見えるからだ。成長が止まると、人の欠点ばかりが目につくからだ。

▼ 家庭でも「こうあってほしい」「こうあるべきだ」と、自分の思い通りの妻や子供に変えようとしないで、まず「ありがとう」と言ってはどうだろう。ある婦人は晩年、病んで、家族の名前さえ思い出せなくなった。しかし、医師が「人生で一番幸せだったのはいつ?」と聞くと、はっきり答えた。「娘が生まれた時です……うれしかった!」。それを聞いた娘さんの眼から、涙がどっと、ほとばしった。

▼ 「ありがとう、お母さん。その一言で十分です」そして自分の子供をいつも叱ってばかりいたことを反省した。「そうだ、この子が生まれた時、生まれてくれたことだけで私は幸せだった!」

▼ それなのに、いつか自分の中の「理想の子ども」に、この子を合わせようとしていた。百点の理想像と比べての減点主義。いつも「ここが足りない。あれがもうちょっと」「どうして、こんなことができないの」。

▼ そんなお母さんだったのに、子どもは一生懸命、こたえようとしてくれた。優しくしてくれた。ありがとう。本当は、あなたが生きていてくれるだけで、お母さんは幸せ。あなたはそこにいるだけで、お母さんを幸せにしてくれている。ありがとう。――彼女は新しい目で子どもを見た。すると「ありがとう」「うれしい」の材料には、こと欠かなかった。

▼ 朝、ぎりぎりだけど起こせば起きる。それが実は「すごいことなんだ」と感動した。ご飯も好ききらいはあるけれど、成績も良いとは言えないけれど、「今日も学校に行ってくれて、ありがとう」「今日も笑顔を、ありがとう」 何もなくても「いつも、ありがとう」。

▼ 「無事の一日」にありがとう。「当たり前」を「当たり前」と思う心は傲慢だと気がついたのである病を宣告されてはじめて、今まで健康を「当たり前」と思い、少しも感謝していなかったと気づいた人もいる。

▼ だからたまには、しっかりと目を見て「お父さんいつもありがとう」と言ってみてはどうだろう。お父さんも黙って食べていないで、奥さんに「いつも、ありがとう」と言ってみてはどうだろう。照れくさくても言ってみれば、そこから何かが変わっていく。

「きっと変えられる」「人生の道に立ちはだかる壁を乗り越えるには『必ず勝てる』という楽観主義が必要です。そして楽観的になるためには、楽観的な人たちと交流することです!」サンティアゴ博士からの励ましである。

▼ 私たちには仏法の楽観主義に生きる多くの友がいる。だから、きっと変えられる。自分を変えられる。一家を変えられる。職場を変えられる。地域を変えられる社会と世界を変えられる。変革の夢は、あきらめなくていいのだ。 人生は素晴らしい(抜粋)池田大作

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※サンティアゴ・ネグロン博士はアメリカの自治領ある プエルトリコの学者。

○大学に入りたてのころ、国連研究会の1つ上の先輩から、この切り抜きを渡されたことが懐かしい。整理していると、偶然その切り抜きのコピーが現れましたその先輩からは、たくさんの期待と、たくさんの励ましをもらいました。「『自分が苦しいときに、どれだけ人のことを想えるかが勝負』って決めて戦う先生のようにいこう」「みんなの意見を引き出すリーダーになってほしい」「大河しかいない」感謝です。ありがとうございます

A2   稚拙な文才の
  【珍念】のブログを
  読んで戴き感謝
  しています。 
  ありがとうございます!

まだまだ後半生,やるべきことはたくさんある.

 
 Sugiyama 杉山由美子

  古来脈々と流れる「習い,教える」文化.身近で気軽なコミュニケーションの手段として,ゆるやかに仲間を作りながら習い事を楽しんだり,お手玉,ちゃんばらからパソコン,英語まで何でも気軽に教えたりとお稽古ごとの世界は自由で多彩だ.80代,90代の現役も大勢活躍しておられる.団塊世代のための,新しい仲間との出会いと人生の楽しみへの招待状。

◇寺子屋の昔から,日本人は読み書きそろばんから武術,華道,文化教養のすべてを教え教えられて,人から人へと伝えてきた.現代でも,パソコン,スポーツ数学,宗教,森羅万象,教える人がいて教わる人がいる。

◇長年,子どものお稽古ごとの現場を取材してきて,日本人はなんて豊かな人間関係の築き方を心得ているのだろうと感心してきた.血縁でも地縁でもなく,年齢,性別越えて,人は人とつながることができるのだ気づけば,夫と齟齬をきたし,子どもは独立し,友人もろくにいない.そんな私に彼らは言ったものだ.「新しい友人ができて,人の役にたって楽しい」と

◇静岡,大阪,金沢,八王子と訪ね歩き,森林の蘇生子どもの田舎体験,シニア対象のパソコン教室,52歳新流派をたちあげた華道家,お手玉教室などなど,中高年からはじめたさまざまなお稽古ごとを取材した

◇これからの人生,どう生きるか.私と同じく踏み迷っている人に贈りたい.この本を書いて,まだまだ後半生,やるべきことがあるぞという気持ちになりました。 杉山由美子(すぎやま ゆみこ) 1951年静岡県生れ.早稲田大学文学部卒業.『マダム』『日経ウーマン』編集部所属後,フリーランスライターとなる著書に『卒婚のススメ』『人生なかばのギアチェンジ』(以上オレンジページ),『ひとりっ子時代の子育て』『見えない虐待』(以上NHK出版),『SAPIX メソッド』(日本実業出版),『共働きで「家を選ぶ」ということ』『間違いだらけの塾選び』(以上WAVE出版),「こんな生き方がしたい」シリーズ(理論社)の中で『マンガ家里中満智子』『公務員赤松良子』など。

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◇ 杉山由美子さんは、希望に燃えて輝いていられる「珍念」ロウソクの灯が間もなく消える年齢に・・(*^_^*)悔いのない日々を過ごして生きたい。

○ 【名もない 人達の中で 心を 打たれたといわれる 人生を 私は 生きたい】 (池田大作)・・・・・。
○不肖:<珍念>も そう生きたい

女性初の日本物理学会会長  (#^.^#)

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  本紙の文化欄でも登場いただいた物理学者の米沢富美子さん。研究と3人の子育て、乳がんとの闘い母の介護…困難に負けず女性初の日本物理学会会長になるなど、女性科学者のパイオニアだ

▼彼女は「めげない」「優先順位をつける」など、人生のモットーを五つに要約。その第1に掲げたのが「自分の能力に限界を引かない」。自分には無理と「可能性を限ってしまうのは、自分自身に対する侮辱」「人間のほんとうの底力なんて、じつは本人にも把握できていない」(『まず歩きだそう』岩波書店)

▼限界を決めるのは、他の誰でもない。“後ろ向き”の自分自身だ。弱気を打ち払い、挑戦を貫くことで成長もある。新たな扉を開くこともできる

▼骨肉腫が再発し、高校時代に、左足を切断した女性に話を聞いたことがある。創価大学に進学し義足と松葉づえで雨や雪の日も通い抜いた。海外への一人旅も。自分で限界の線を引きたくなかった。卒業後は大手都市銀行に就職。信頼も厚く、なくてはならない人に。両足があったら今より人生は良かったか。彼女は首を横に振る。「苦難と戦うからこそ充実感が生まれる」と

▼困難に出あうたびに、また戦える喜びがわいてくるそれが創価の心意気だ。【名字の言】

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Otama     旨い。凄い!
    <コラミスト>の迫真の
    筆致は冴えに冴えている。 

【珍念】・・・恥ずかしいので こっそり退散・・!

「蘭室の友」

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  道すがらの沈丁花の香りに、春を思う。同時に、記憶のかなたに誘われる。小学生のころ通学路で同じ匂いをかいだ情景がよみがえる

▼詩人・谷川俊太郎氏は記した。「生きることの味わいを意識して、そこに喜びと一種のさびしさを感じる時、いつも匂いが私と人生をむすぶひとつの通りみちになっていた」(『日本の名随筆「香」』作品社)。「におい」は、人生の味わいに欠かせない

▼テレビや新聞・雑誌に、“3・11から1年”をテーマにした活字や映像があふれている。被災地の厳しい現状、懸命に生きる人々の姿を伝えようとしているだが、メディアでは伝えきれないものがある。その一つが「におい」だ。「におい」は、共に現場に身を置かなければ分かち合えない

▼御書に「蘭室の友」(31ページ)と。良き友との交わりが心を磨くことを、蘭室にいれば、自然に花の香を身に纏うことにたとえた。同じ場所、同じ時間を共有し、共に泣き笑う。その経験の上に初めて、人は人に心を動かされる

▼福島から他県に避難した同志の掌握と激励に走る友が、こう言っていた。「“掌握”とは、“掌を握る”ような思いで、共に進むことです」。励ますには、まず会って語ることだ。共に春の香気を浴びながら。【名字の言】

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◇ 「蘭室の友に交わりて麻畝の性となる」香りの高い蘭のある室にいる者は、その香りが体にしみてくるように、徳の高い貴人と共にいると自然にその感化を受ける。また、蓬のように曲がって育つ草も、真っ直ぐな麻の畝の中で育つと自然に真っ直ぐに育つ、という感化の力を例えている。

◇かく言う【珍念】も <蘭室の友に交わりて麻畝の性となる> ように、精進したい!

\( ^∇^)/θ☆ わ~い

本田宗一郎に思いを馳せる

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私の【宝

  かつてバイク店を営んでいた壮年が今も〝宝〟にしている思い出を語っていた。昔、店頭に現れた老紳士から声を掛けられた。「いつもありがとう!」。我が目を疑った。〝世界のホンダ〟の創業者、故・本田宗一郎氏だったからだ

▼聞けば、数百カ所もある全国の販売店や工場を直接回り、全社員に感謝の握手をしているという。その時壮年の手は作業で油まみれ。一瞬、躊躇した。だが本田氏は構うことなく手を握り、「この手がいいんだよ」と。〝モノ〟づくりの達人といわれた氏は、〝心〟を大切にする人でもあった

▼連載中の小説『新・人間革命』の「薫風」の章に、九州の壮年が、対話の姿勢について語る場面がある。「生命ばい。生命の触れ合いがあっての、指導であり折伏たい」。立場や肩書を度外視して、真っすぐに生命を、心を見つめ、結び合う。それが麗しき創価の世界である

▼人の心を動かすのは、やはり心。元気な人に会えば元気が出る。勇気の人に触れれば、勇気が湧く。感謝の人に接すれば、感謝の心が呼び出される

▼大切なのは、我が胸中に広布への情熱が燃えているかどうか。躍動の春。強き祈りと満々たる生命力で、友の心に希望を目覚めさせる、〝対話の薫風〟を送りゆこう。【名字の言】

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◇ コメントは 『釈迦に説法』です。  \( ^∇^)/θ☆ わ~い

「鶯(うぐいす)の内裏」

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 「見るなの座敷」「鶯(うぐいす)の内裏」などという昔話が東日本各地に残っている。-ある男が山で迷っていると突然、立派な屋敷が現れた。そこには美しい娘がいて「屋敷には13の座敷があるが、最後の座敷だけは見てはならない」という

▲娘が出かけたすきに男が屋敷を探ると、12の座敷には1月から12月までの四季の景色が広がっていた我慢できなくなった男は禁じられた13番目の部屋を開ける。座敷では梅の木でウグイスが鳴いていたがすぐどこかへ飛び去った。気づくと男は谷底に立っていた

▲地域によって話の細部は違っていても、昔話の中ではとびきり幻想的な異界である。さて、人間界にも春を呼び込んでくれるウグイスの初鳴きだが、こちらの前線も梅の開花ともども日本列島を北上中だ。四季のサイクルが起動する秘密の座敷も一緒に移動中だろう

▲ただ実際のウグイスは声が聞こえても、なかなか人目につく梅の木にとまってくれない。そこで梅花に蜜を吸いにくるメジロの姿とチューチュルという声をウグイスの代理に見立ててきた日本人だ。メジロはくちばしや舌も蜜を吸いやすくできている花吸い鳥である

▲かつて鳴き声を競う「鶯合わせ」が行われたウグイスも今は捕獲・飼育が禁止された。それに対し鳴き合わせが今も行われ、一定条件下での捕獲・飼育が許されてきたメジロだった。しかし環境省はすでに来月から原則的に捕獲を許可しないという指針を決めている

▲やはり今日では「野の鳥は野に」が人と鳥の関係の基本だろう。春を呼ぶ野のウグイスやメジロの声のうれしさは、どんな座敷の中の声にもまさるはずだ <余録>

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。

 Photo_3  「野の鳥は野に

  民主党は野党の時の輝きがない。

『手に取るな  やはり 野に置け蓮華草』(てにとるな

やはりのにおけれんげそう)が一番似合う (*^^)v

「婚活」ブログ

第9回「NTT西日本コミュニケーション大賞」

Book_138

 「婚活」を始めてもうすぐ1年になるというのになかなか運命的な出会いが訪れない。何人かの女性と会い、前向きな返事をもらったことも何回かあったが「もっといい出会いがあるかもしれない。」という思いが頭をよぎり、なかなか決断することができないでいた。当然、相手は優柔不断な私の態度に愛想をつかして去って行った。

◇ こんな私の心の支えは、同じように婚活に取り組む人たちのブログを読むことである。「婚活」で検索すると、数多くの体験談を読むことができる。ある女性のブログでは、いまだに「高学歴、高収入、高身長」の相手を探して奮闘している様子が面白おかしく綴られていた。

◇ また、ある男性のブログでは、自分は40代であるにもかかわらず、求める相手は20代限定ということで、苦戦していた。こんな話に「ハハハ。」と笑っている私ではあるが、しかし、人を笑えるような立場にはない。「運命的な出会い」を求めて活動を続ける自分だって、他の人から見たら滑稽に映ることだろうまだブログを書く彼らの方が、自分で自分を笑ってみせる心の余裕があるだけ健全なのかもしれない。

◇ 実は私の心の支えはもう一つあった。それは3年前に別れた彼女のブログを読むことである。彼女はとても仕事熱心で、デートの最中も仕事に関係するものを見つけると熱心に観察し、場合によっては手帳を取り出してメモしたり、あるいは写真を撮ったりするくらいであった。

◇ 仕事以外では、合気道の道場に通っており、また中国語も習っていた。とにかく何でも頑張る元気いっぱいな彼女であった。先月、ふと彼女のことを思い出し久しぶりに彼女のブログを検索してみると、まだあった。あれからずっと書き続けていたのである。

◇ すぐに3年前の記事を読んでみた。私と付き合っていた頃のデートの話がたくさん出てくる。当時、何度も読み返していたものであるが、あらためて読むと胸がときめいた。春はお花見に行った。桜の木の下を二人で歩いた。夏は花火に行った。ほとんど真下に近いところで見ていたので、打ち上がった後に火の粉や灰が降ってきて大変だった。

◇ 秋は紅葉を見に行った。赤や黄色に色づいた木々の葉が、池に反射してキラキラ輝いていたのがきれいだった。冬は、大きなクリスマス・ツリーを見に行った。鮮やかなイルミネーションと素敵なクリスマス・ソングに包まれ、幸せいっぱいだった。ブログにはそんなエピソードとともに写真も掲載されているので、懐かしい記憶が次から次へと鮮明によみがえってきた

◇ 次に現在の日記を読んでみると、相変わらず仕事に追われながらも、合気道の道場に通い、中国語も続けている様子が綴られていた。ただ、それらの話題に加えて、なんと「婚活」についての記述もあった。彼女も相手を探して頑張っている様子であった。そして記事の中には、こんなことが書いてあった。

◇ 「相手に求める条件は3つ。まず身長が175センチ以上の、背の高い人。それから英語ができることあとは私以上にお酒が強いこと。この条件は昔からずっと変わっていないのだけれど、でも、この3つの条件にまったく当てはまらない人と付き合ったことがある。彼は4つ目の条件をつくってくれた。彼は、私のことを会うたびに「好き」って言ってくれた。そうしたら3つの条件なんてどうでもよくなった。3つの条件などどうでもよくなるくらいの、4つ目の条件をつくってくれる人も受け付けますよ(笑)。」

◇ 4つ目の条件をつくってくれた彼とは、私のことだった。彼女に最初に交際を申し込んだ時、この3つの条件を言われた。しかし、今の自分では考えられないくらい頑張ってアタックを続けた。あの時、どうしてあんなに頑張ることができたのだろうか。懐かしい思い出に浸る一方で、今後、もう二度と会うこともない彼女の日々の生活をリアルタイムで知ることができるということが、不思議に思えた。

◇ 彼女のブログに向かって、「頑張れよ。」と思わず語りかけていた。彼女は、私がまだこのブログを読んでいることを想定しているのだろうか。4つ目の条件の話を今さら書くことを考えるとひょっとして・・・。いずれにせよ、彼女のブログは、自分へのエールのようにも思えてきた。私はもう一度、彼女のブログに向かって声をかけた。「お互い、頑張ろうな。」

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  !(^^)!う~ん <縁は異なもの味なもの>の諺がありますが! こればかりは、「口八丁手八丁」の「珍念」も(アドバイス)は 出来ませんです。

○ 破れ鍋に綴じ蓋 (われなべにとじぶた)意味; 破損した鍋にも、それに似合う蓋があることどんな人にもふさわしい配偶者があることのたとえ。また、似通った者どうしの組み合わせがよいということのたとえ。 が ・・・これ以上は「言わぬが花」!

o(*^▽^*)o わ~い

大木喬任 に思いを馳せる

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 佐賀の七賢人の中で、知名度と人気が低いのは大木喬任(おおきたかとう)(1832~99年)ではないだろうか。東京府知事を務め文部卿、司法卿を歴任するなど明治政府の中枢にあった。佐賀市の南水公民館の敷地には巨大な一枚岩の顕彰碑が立っている

◆大人物なのに「喬任の功績は何か」と問われて明確に答えられる佐賀人は少ない。県立佐賀城本丸歴史館が発行する佐賀偉人伝の第6弾として、重松優(ゆう)著『大木喬任』が出た。重松氏は気鋭の日本近代史研究家。一読して、大木の奥の深さも、人気が伴わない理由も分かった

◆大木の一番の功績は、京都の三条実美(さねとみ)に「江戸を東京と改称し、東西に二つの京を置く」ことを主張した建言書を奉呈したことだ。「遷都(せんと)」ではなく「奠都(ていと)」という。ところが東京遷都は後で言い出した前島密(ひそか)の手柄となった

◆大木は「佐賀の乱」で刑死した江藤新平とは仲が良かったが、江藤を止めることができなかった。「いたずらに私情にほだされて在京中に捕縛し置かなかったのは一生の過ち。彼の死によって半身を裂かれた感がある」と述懐している

◆これも江藤ファンからは、大木は征韓論を唱える江藤を裏切ったとみられ、人気が上がらない理由の一つだ。それでも、東京の礎をつくり、日本の教育制度をつくったのは大木だ。功績はもっと知られていい。【有明抄】

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◇ 佐賀の七賢人の一人で、奥が深い大木喬任の活躍は燦然と輝いている。未曾有の国難に佐賀の七賢人よ今こそ 出番です・・あぁ それにしても、変な国会議員が多い。選んだ有権者も責任は有りますが。未だに、福島原発の責任者は逮捕されていない。摩訶不思議な「法冶国家」だなぁ!

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愚か者の(珍念)

『ごまめの歯ぎしり』なのだ

葉タバコ畑のフラダンス

第9回「コミュニケーション大賞」 作品

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単三Mg(ペンネーム)/岡山県

 役場に勤める僕の一日はメールのチェックで始まります。そのほとんどは事務連絡ですが、たまにその中に仕事以外のメールを見つけます。それはこの村に住むお年寄りから寄せられる朝の挨拶とも言えるメールです。進む高齢化による人手不足。村はパソコンの導入について補助金制度を設けました。

▼ 特産品である葉タバコの出荷や管理にはどうしても必要でした。また畑の多くは傾斜地ですし、冬には雪も積もります。外出もままならない高齢者も少なくありません。その結果、現在では多くのお年寄りがパソコンを利用するようになったのでした。

▼ そんなお年寄りからもらったメールの中で、今でも忘れられないものがあります。それは三年前の僕の結婚式で披露されました。送り主は村に住むハルさんです。ハルさんは小柄ですがとにかく元気なおばあちゃんで、当時八十近くの高齢でしたが畑仕事を欠かしたことはありません。畑の脇道にたまたま通りかかった僕を見つけると、すごいスピードでこちらにやって来ます。畝の間をたたたと駆け寄って「茶ぁ飲んでけ」と袖を掴む。そんな人でした。

▼ 役場から式場に転送されたそのメールは、驚くことに動画付きでした。パソコンに関してハルさんは当初からとても熱心な生徒でしたが、さすがにこれは息子さんかお孫さんの協力だと思いました。やがて動画が再生され、式場のスクリーンにハルさんが映りました

▼ 次の瞬間、会場がどっと沸きました。どアップのハルさんのなんとも豪快なつけまつげ。抜群のインパクトです。耳には真っ赤なハイビスカスの花。まさにこぼれんばかりの笑顔です。いつもの日焼けした顔は「何もそこまで」と言いたくなる程の厚化粧の下に隠れています。今度は全身が映されました。赤いワンピースが風になびきます。フラダンスの衣裳に身を包み、やる気満々のハルさんでした。

▼ やがて聞こえて来た音楽にのせてゆっくりとダンスが始まりました。梅雨空の下。葉タバコの淡いピンクの花びら。雑草ひとつ無いご自慢の畑で踊るハルさんは、まっすぐに僕だけを見つめています。そしてそれは会場のみんなさえ笑顔にしてくれる、そんな温かなメッセージでした。

▼ 新婚旅行から戻って久しぶりに出勤したその日の午後、ハルさんの家を訪ねました。旅行の土産話とあのメールのお礼です。ちゃんとお礼を言うつもりでしたが、しかしハルさんの顔を見た途端にあのメールを思い出し、僕は吹き出してしまいました。

▼ 「ほんまに失礼な人じゃこの人は」ハルさんは笑いながら怒っています。しかしその手にはいつの間にかお茶とお菓子をのせたお盆を持っていました。「フラダンスいうのはな、全部言葉なんよ。手で伝える言葉。手話みたいなもんじゃ。あんたも知らんじゃろ? まぁ私が教えてあげるけぇ」

▼ そう言って腰を伸ばしました。波、花、風、海、山鳥。それぞれ手で表現するそうです。あの日は気付きませんでしたが、全ての動作に意味があったそうです見る、香る、大地……。ハルさんのダンスの先生はパソコンでした。一人で繰り返し見て覚えたそうです。結局その日は夕方まで話を聞いて、そして五時ぎりぎりにあわてて役場に戻ったのでした。

▼ それから一年後。町から駆け付けた息子さん夫婦に見守られ、ハルさんは病院で静かに息を引き取りました。斎場の煙突から立ち昇るハルさんの煙。息子さんの話では、ハルさんは僕に感謝していたそうです。僕がパソコンを手取り足とり教えてくれたおかげだと。一人暮らしを心配する息子さんにハルさんは「私は色々と忙しい」と言っていたそうです。その時、僕にはパソコンに向かうハルさんの背中が確かに見えた気がして、思わずもう一度合掌しました。

▼ 帰りの車の中。僕はあの話を思い出しました。フラダンスは言葉。妻に話すと彼女もうん、と頷きました。もう一度あのダンスを見よう。ハルさんの声を聞こうそう思ったのです。

▼ パソコンを起動させ、保存してあった動画を再生しました。あの日のハルさんです。しわくちゃの笑顔です。途端に涙があふれました。私の背をさする妻も泣いています。一度目の再生では結局何ひとつ解りませんでした。しばらく休んで気を取り直し、そして再度挑戦しました。

▼ 風、揺らす、花、あなた、あたえる、ふくらむ、つぼみ、そして……ありがとう。メモをとる鉛筆の文字が何度もにじみました。あの日のフラダンス。それはハルさんの気持ちそのものだったのです。

▼ それから間もなく生まれた娘も今年で二歳になりました。ハルさんがきっかけで村に出来たフラダンス同好会。そのお年寄りダンサーに混じって、娘は小さな腰を懸命にくねらせています。

▼ こうして僕のメールチェックは毎朝続いています。そしてその度に僕は思います。送られたメールはパソコンに届くのではなく、実は受け手の心に届くのだということを。そして届けられるものは決して文字ではなくて、送る側の心に違いないのです。

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□  審査員コメント  重松清

インターネットが人々の暮らしに根付いていることを表す素敵なストーリーです。島のおばあちゃんと役場職員との地域コミュニティが、結婚式の出し物に、そしてフラダンス同好会に、大きな絆のカタチへとどんどん広がっていく様子が、上手に描写されています。メッセージが込められた踊りとしてのフラダンスをお話の中核に据えた展開など、二重三重に味わえる作品でした。

□ 審査員コメント  窪田等

この作品は本当に情景が浮かびます。厚化粧のおばあちゃんがフラダンスをがんばって踊っているんだろうなというのが、生き生きとした映像としてイメージすることができます。それだけでなく、どんな手の動きをしているのだろう、おそらく真っ赤な口紅をしているんだろうなといった、情景をイメージできるだけでなくそのイメージをどんどん膨らませてくれる作品でした。読んでいてとても楽しい思いにさせてくれる、動きと色があり表現力が豊かな作品でした。

□  審査員コメント  やすみりえ

登場するハルおばぁちゃんのお人柄でこの作品が魅力的なものになっているのだと感じます。読み進めていくと作品の中に様々な視点が散りばめられていることに気付きます。インターネットでいろんな出会いの機会が増えたからこそ、ハルおばぁちゃんのような深い「人間力」が大切なんだと改めて発見させられました。

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◇ 一言居士の【珍念】 コメントは“蛇足” !(^^)!

晴天の霹靂

「ライブラリーコミュニケーション大賞」

Book_47

 涼木登子(ペンネーム) 兵庫県

  ある日想像だにしなかったことが起こる!なんて、テレビか、物語の中のことだと思っていた。しかし、突然にことは本当に起こってしまうものだ。誰が想像しただろう。我が優秀なる娘が「うつ病」になるなどと。

◇ 真面目でかわいくて、けなげに勉学に励み、立派に国立大学まで出たというのに。社会人になって2年娘はほとほと疲れまくっていた。勤務していたのは他県だが、私と会うたびに彼女は太っていた。それに髪の毛がよく抜けると嘆いていた。もっと早くなぜ気がついてやれなかったのかと思うが、職場でのストレスで娘は過食症とうつ病になっていたのだ。

◇ 気がついたときには精神内科医の前で泣き叫び「仕事を辞めるしか回復の道はないでしょう」と。部屋の隅にへばりつき「何をやってもダメやねん。生きててもしゃあない。私は能無しや。生きていたないわ死にたいわぁ」と泣くだけの娘に、ただただどうしていいのかも分からず、それから私達には悪夢のような日々が続いていった。

◇ 正直、このまま二人で地獄へ落ちるような悲惨な結末になるのではないかとさえも思った。しかし、この想像もしなかった出来事から2年。またも想像しなかったような出来事が起こっていた。これは、情報網の発達によるパソコンの出現によるものが大きい…。

◇ 毎朝毎朝、時刻は6時。娘はパソコンの前に座り会話を始める。なんと、相手はスウェーデンの青年!しかも、スウェーデン語である。娘の表情は眩しいほどの笑顔。ときおりの笑い声には何か自信のようなものさえ感じられる。写真を送ってみたり、キーボードをたたくタッチがかろやかな時もある。信じられない光景だ。

◇ 嘆きの淵に立たされていた2年前、しぶる娘を縁あって私は北欧に連れて行った。せめて気分転換でもさせて、という気持ちからであった。北欧のダイナミックな自然は娘の心をほぐしかけているように思えた

◇ そして、ノルウェーのダールスニッパという夏なのに雪だらけの山に登ったとき、小さく見える下界を見下ろしながら娘がやっと「すごいなぁ。街も人もちいさいなぁ。すごい!」と笑顔をみせた。

◇ やったぁ!どれほど振りにみる笑顔だろう。私は嬉しくて心で泣いていた。しかし、笑顔と共にそこで娘が「北欧に住みたい。だから言葉を勉強しよう」という希望を見つけていたことなど知らなかった。そして「これほどの速さでスウェーデン語を覚えるとは信じられない。発音も目を閉じて聞くと癖のないスウェーデン人並だ」と半年後に言われるまでになろうとは………。

◇ 娘は独学でまずスウェーデン語を学んだ。そして平行してパソコンでスウェーデン人との交信を始め、文字の勉強、カメラをつけての会話稽古をしていた。宇宙語を喋っているとしかおもえないし、なんにしても、娘が悲しみから立ち上がってくれたのだからと好きにさせていた私だが、流石にマティアスというスウェーデン青年がスウェーデンから現れたときには腰がぬけそうだった。

◇「石になった私」だが、よく見ると人の良さそうな優しい青年でもある。なにぃ、このこ、毎朝娘がしゃべってる相手ではないか!?

◇ 以来、彼は2回来日。娘も2回スウェーデンに。ひと昔まえはペンパルも時間がかかる文通であった世の中。しかし情報通信の信じられないような発達で今私たちは電話はもとよりパソコンで毎日瞬時にして顔を見て会話もできる。世界は身近になり、色々な信じられないような可能性が広がってきた。

◇ 娘が「うつ病」から回復できたのは、生きる希望をもってくれた事と共に、この文明の機器があったからにほかならない。この小さな機器の偉大な力。が、とどめの想像をもしなかったことを今また起こそうとしている。娘が来年スウェーデンに行くというのだ!

◇ 夢も希望も広がりすぎたのか、可能性がありすぎるようになったのか…あんぐりと口が開いたままの私である。「パソコンでいつも話せるし顔もみれるやん孫の顔だって、いつでも見せてあげられるんやから」と、娘。

◇ ひえーっ!「うつ病」でいてほしくはなかったけれど、ここまで想像もしなかったことが起こるなどとは……。

◇ さてさてこれからこの先、どんな想像もしないことが起きるやら。ドラマや物語だけの中のことではないサプライズがすぐそこにある気がする。いや私も今度はサプライズをさせる方になってみるか。その前にこれからパソコンに「救心」をインストールしよう!

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一言居士の【珍念】も
「救心」をインストール
 しよう! 

同じ空の下

第9回「コミュニケーション大賞」最優秀団体賞

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中村美有紀/宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校

  私は「月食」を今まで2度見たことがある。月食は年に何回も見ることができない、とても珍しい現象である。そんな月食を見ることができるかもしれないと聞いたとき、私はとてもうれしかった。月食の起こる1週間前には準備も始め、インターネットを使い月食の仕組みや始まる時間を調べた。私は天体が大好きなので、月食という現象を見ることができることは、クリスマスやお正月と並ぶくらい楽しみなイベントだった

▼ いよいよ月食を見られる日がやってきた。夜になっていくにつれ、私の気持ちは高まっていく。そんなとき、突然祖父から電話がかかってきた。はっきり言うと、なんでこのタイミングに・・・と思った。周りに電話に出られそうな人が誰もいなかったので、仕方なく私が電話に出た。祖父は、「もしもし、今から月食だなあ。」と普段通りに話し始める。

▼ すると、祖父が、 「なあ、確か地球とかそういうのが好きだったの、あんただったよなあ。月とか太陽とか、自分らが何してても上から見てる。それは、すごいことだよなあ。」私はあっけにとられた。祖父がいきなり何を言い出したかと思った。

▼ 「同じ空の下で、自分もあんたらも生きているんやって思うと、なんだかほっとするよなあ。」祖父はこう言ったのだ。私はなんだかとてもうれしくなった私と同じように天体が好きな祖父と、一緒に月食に対する気分の高揚を味わえているということが、とてもうれしく感じた。

▼ その後、月食を祖父と電話越しで一緒に見た。同じ空の下でつながりを感じながら時を過ごすことがとても楽しかった。祖父は普段は物静かで、自分のことは自分でする真面目な人だ。そんな祖父が私に言ってくれた言葉は、今でも私の心にしっかりと残っている

同じ空の下の月食は、一生の宝物だ。

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 中村美有紀さんの「ロマン」溢れる文才は旨いです。あっぱれです・・天然ボケの【珍念】お金と美人には興味がありますが、(^_^;) 中村美有紀さんのような境涯になりたいです。 恥ずかしいので消えます!

8文字のサプライズ

第9回「コミュニケーション大賞」 作品

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 22年前の誕生日に恋人から受け取った電報を私は今も心から大切にしている。たった8文字のそれは私の心の中に本物の「ありがとう」と「ごめんね」という、言葉を生み出してくれた。

◇ 人は、ほんの数文字の言葉で生き方の有り様が変わってしまうことがある。本当に大切なのは「心」と「言葉」だということを、彼はわずか8文字で私に教えたのだ。彼があの日私に送った言葉は、今も私の中でいきいきと輝き続けている。

◇ 私は25才の誕生日に彼と大喧嘩をしてしまった。会社帰りの短いデートだった上に誕生日プレゼントもなかった事に私は腹を立ててしまったのだ。

◇ 二人で散々言い争った後「何よ、誕生日プレゼントもないなんて!」と大きな声で彼を罵った私は駅の階段を一気に駆け降りた。一度だけ振り返ってみたけれど、彼は私を追いかけるでもなく、少し悲しそうな顔で私を見下ろすだけだった。

◇ 「もう終わりかもしれない」悲しさでいっぱいの私は絶望感にどっぷりと浸かりながら、ホームに滑り込んできた電車に乗り込んだ。シートにもたれかかってぼんやりと夜の景色を眺める。彼の事が本当に大好きだったのに、彼の手のぬくもりや少しかすれた声がもう私のものではなくなると思うと体中の力が抜けた。

◇ あまりの悲しさに涙も出てこない。高価な物が欲しいわけではない。私の誕生日を祝ってくれるささやかな気持ちが欲しいだけだった。

◇ なのに、彼はただいつも行く普通の店で軽く食事をしただけで、何の気持ちも示してくれなかったのだ自分は、指にバンドエイドを貼っているだけでも「どうしたの?」と聞いてくれるような気配りの出来る女性でないと嫌だと言っていたくせに。

◇ 私は彼の気持ちが全く分からなくて、夜の電車の悲しい揺れに身をまかせるしかなかった。最寄りの駅に着いて、とぼとぼと家に向かう。2月だというのに寒さも感じないほど心に余裕がない。一歩一歩前に進むのに、これ程身体を重く感じたことは今までに一度もなかった。

◇ ようやく家にたどり着いた私は、母に「ただいま」も言わず、不機嫌な顔で自分の部屋に向かおうとした。母はそんな私を不思議そうに見つめて「どうしたの。彼から電報が届いてるわよ」と言うと、私に一通の電報を手渡した。

◇ 「何これ」と、とことんふてくされて投げやりに開いた電報から、突然軽快なハッピーバースデーのメロディーが流れ出す。 私は、賑やかに鳴りやまないハッピーバースデーに戸惑いながら、書いてある文章を見て自分の目を疑った。『しあわせにするぞ』ナンということだろう。彼の最大のプレゼントは、私の知らないうちに家に届けられていたのだ。

◇ たった一行の、けれど私にとって最高のプレゼントだった。息が止まりそうなほど嬉しかった。フランス料理や高価な宝石どころではないプライスレスなプレゼントだ。すぐにでも彼に抱きついて「ありがとう」が言いたくて、私は電報をぎゅっと強く抱きしめたけれど、あんな罵り方をしてしまった私はどうすればいいのだろう。

◇ 私はどうしようかと悩んだ末に思い切って彼の家に電話を掛けてみた。彼の声が聞こえているのに一体どんな風に話せばいいのか言葉が出ずに戸惑ってしまう。その時、彼が優しく「電報届いたか?」と問いかけてきた。

◇ 私は、とても小さく「うん」と返事をして、その時初めて涙を流した。そして自分の浅はかさを反省して「ごめんなさい」と言う私を彼は快く許してくれたのだ。 そんな出来事があって、9月に私達はめでたく結婚式を挙げた。 あれから22年が経つ。色々な事を二人で乗り越えてきて今がある。喧嘩もするし、ぎくしゃくとする時もある。そんな時、私はそっとあの大切な電報を取りだして眺めては、また新しく出直すのだ

◇ 私がこの世から消えてしまうまで、私の中に輝き続ける宝石をくれた彼。そして、本当に私を言葉通り幸せにしてくれた彼。私はこれからも変わらず彼を愛していく自信がある。「何故なら、私の中であのプライスレスな8文字が生き続けていくのだから」。


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○ 審査員コメント  重松清

電報にはこういう使い方や価値があるんだなとあらためてびっくりしました。FAXやメールもそうなのかもしれませんが、言葉が残ることの喜びを、「8文字の言葉は今も私の中でいきいきと輝き続けている」というフレーズに上手に表していると思います。

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・

Kuri

 おしやべりの〝珍念〟
 号泣しています。
 これ以上は『蛇足』です。 

従姉妹に伝えた金平糖の青

第9回「コミュニケーション大賞」最優秀団体賞

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井上桃子/宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校

 私の母の弟の次女の、つまり私の従姉妹の由香利ちゃんは、4歳のとき、ジャングルジムから落ちて視力を失った。初めて由香利ちゃんと会ったのは、小学四年生の正月の祖母の家だった。私は初めて会う親戚に緊張して、玄関に立つ前からそわそわしていたのに出迎えた由香利ちゃんの明るい口調や楽しい冗談や親戚の叔父さんのよく似た口真似にたちまちその場に馴染んでしまった。

◇ 集まった親戚の中で子どもだったのは、私と由香利ちゃんだけだった。私たちはおばあちゃんの家にいる間、ずっと二人でお母さんを手伝ってぼたもちを作ったり夜中に未だ続いている宴会に聞き耳を立てたりして遊んだ。布団の中に金平糖を持ち込んで、二人で夜中まで宴会ごっこをして怒られたこともある。

◇ 冬休みが終わる頃、由香利ちゃんも私も、それぞれの家に帰らなければならなくなった。その時私たちは初めて由香利ちゃんと私の家の距離を知った。私たちの家は長野と宮崎、およそ800kmも離れていたのである。

◇ それから私たちは決まって月末の最後の土曜日の夜に10分だけ話をした。それは遠方へ電話をかけることを渋る大人たちと、由香利ちゃんと、私との間の約束だった。

◇ それから半年も経った時だ。ある夜の電話口で由香利ちゃんは言った。「青ってどんな色だっけ」私はもちろん青は空の、と言いかけてやめた。由香利ちゃんは、空の青の色が分からないからそう言ったのだ

◇ 由香利ちゃんは私が黙り込む前に言った。「ごめん今日友達が、すごく綺麗な青のカバン見つけたって言ってたから、つい気になって聞いちゃった。」

◇ いつもの明るい声が少し早口に聞こえて、なんとなく気まずくなって、たった七分で電話は切れた。私はその夜、由香利ちゃんのたずねたことの意味について考えていた。

◇ 由香利ちゃんは、4歳で視力を失った。きっと色の記憶はないのだろう。だとしたら、私はそれになんと答えればよいのだろう。私はいつも空の色を聞かれて青と答える。空のような、透ける青が好きだ。だけどそれを、どんな言葉で示せるだろう。

◇ 答えは出なかった。自分の言葉の貧しさに、私は初めて涙した。答えを出せないまま次の月末の土曜日はあっという間にきて、私たちは他愛の無い話をしたどんなに関係の無い話をしていても、私は答えを出すことに必死だった。今答えを出さなければ、もう電話は通じないんじゃないかと思った。

◇ 由香利ちゃんが、「じゃあまた、来月。」と言いかけたとき、私はふいに思いついた。「待って。」私は続けた。「青は、おばあちゃんの家で、布団の中で一緒に食た金平糖の味。」え、と由香利ちゃんが小さな声で言うのが分かった。 しばらく、沈黙が続いた。私は目を閉じて由香利ちゃんの言葉を待った。

◇「ずっと考えててくれたの?」 うん、と私は言った。「ありがとう。ずっとへこんでたの。本当はね。なんかスッキリした!」 由香利ちゃんは快活な笑い声をあげた。私も笑った。金平糖を食べる度に、そのことを思い出す。それが私と由香利ちゃんの、一番の思い出だ。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

22123865_s   井上桃子さんと、由香利ちゃんの

   思いでは、この世のどんな

   「金銀財宝」よりも凄いです!

賞味期限が迫っている【珍念】も かく 生きたい。

\( ^∇^)/θ☆ わ~い

言葉の返らない会話

第9回「コミュニケーション大賞」最優秀団体賞

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長嶺宏士朗/宮崎県立宮崎西高等学校附属中学校

 今、僕は医師を志して勉学に励んでいる。それにはやはりきっかけがあった。祖父が病気になったことである。

◇ 昔から、いつも傍にいて、そして僕を優しく育ててくれた祖父は、僕が小学校に入学して以来、少しずつ筋力の衰えを感じ始めた。そして僕が小学三年生を修了しようとしていたとき、ほぼ全身に力が入らないだけでなく、物を飲み込むことや呼吸をすることさえままならなくなった。

◇ 祖父は人工呼吸器を付けるしか生き延びることのできる術がなくなった。最初、祖父はそれを受け入れなかった。死んでいくことは覚悟の上で、生きる希望や楽しみも何もない世界を、死ぬまでの間ずっと進んでいくだけなのだから。病名はALS。

◇ 筋肉が次第に衰えていき、現在も治療法のない難病だ。同じ病の患者にも、延命治療をしない人は珍しくない。祖父もその一人になりかけようとしていた。

◇ しかし、僕はまだ幼かった。このまま、何も出来ぬまま祖父を亡くしてしまうなど、今の自分でさえ狂いそうなほど哀しいことなのに、幼い自分なら、なおさらそんなことはできなかった。必死の思いで祖父に手術をすることを説得した。祖父は、僕の願いに応えてくれた。自分が医師になろうと志したのは、その時からである。ただ、祖父の病気を治したい、それだけだった。

◇ 身動きもできず、天井を見ているだけの生活が死ぬまで続くなど、気が遠くなるほど虚しい。そんなことは分かっていた。だから、僕はできる限り祖父に会いに行き、いろいろな話をした。その時の祖父は常に笑顔でいた。

◇母から、「こうちゃんが行った時だけにっこりしているよ。ママがいくら行っても全然笑わないもん。」と何度も聞いた。祖父が自分のことを大切に思ってくれているのだと思うと、とても嬉しかった。

◇ 小学生の頃の自分は、今では考えられないほど忙しい生活を送っていた。そこにしょっちゅうお見舞いに行く余裕などなかった。しかし、祖父に会えないと何か後ろめたさを感じた。祖父は苦しんでいないのか寂しくないのか、とても不安だった。そこで電話なら使えると思った。

◇ 祖父は声を出すことはできなかったが、舌打ちをして、それで電話越しの僕に合図することを約束したいつも、会話は「あのね、おじいちゃん。」から始まって、一文一文会話の間に祖父が舌打ちした。返ってくる言葉はなかったけれど、僕と祖父の心を繋ぎ、コミュニケーションをとる仲立ちをしてくれたのが電話だった。

◇ 幼い頃から、自分の中に祖父の存在がなかったことはない。いつも祖父のことを心強く感じて生きてきた。重病になり、祖父が声を失っても、遠く離れていても、僕と祖父との「会話」がこうしてなされたのだ

◇ 今年の夏、祖父は亡くなってしまった。この世に祖父の肉体はもう存在しない。肉眼で祖父の姿を見ることはできないのだ。それなのに、僕と祖父の心が繋がっているように思う。そうなのだ。自分の中に祖父はいる。今でも、心強い存在として確かにいる。

◇ それは、電話での祖父との会話でも感じたことだった。祖父が電話越しに言葉を返すことはなかったが心が繋がっていたことは確かだ。忙しい毎日、電話は僕と祖父のコミュニケーションの手段を与えてくれた

◇ それは祖父への孝行の一つになったと思う。今、祖父のためにできること。それは、祖父が身を滅ぼしてまで自分に志させた、医師となり、患者さんの身も心も治癒する努力をすること。その一つに尽きる。

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10 コメントは 『蛇足』です
    

   

<彼女の夢をのせて>

第9回NTT「コミュニケーション大賞」作品

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 私は昨年入院していました。風邪が悪化して肺炎になり、せっかくの春休みなのにベッドに横になり天井を眺めるだけの生活が続きました。

◇ そんな時祖父がかねてより約束していたノートパソコンを買ってくれました。業者さんにパソコンの設定をしてもらいパソコンは私の物になりました。友達とメールをしたり趣味のサイトをのぞいたり、気がまぎれるせいかせきに悩まされることもへっていきました

◇ 入院して数日が過ぎ、いつものようにサイト巡りをしていると、あるサイトが目にとまりました。「上手な絵だなぁ」そっとクリックしてサイトを開くととても上手で細かく描かれた絵が画面いっぱいに表れました。教室の絵。女の子と男の子が何人も描かれていてみんな楽しそうに笑っていました。

◇ 学校がなつかしい。早く友達に会いたいなぁ。そう思いながらそのサイトの絵を見てまわりました。最後にサイトの管理人さんのコメントが置いてあるのを見つけました。

◇「私は今病院にいます。このサイトでは学校や制服の子達を描いてきたけど、本当は学校に行ったことがないんです。だから憧れをいっぱい詰めてサイトを作りました。もうすぐ手術なので更新はおやすみです。応援して下さるみなさんありがとう。病気が治ったら高校生ですよ!普通の学校とはちがうけど、とっても 楽しみです」

◇ そうなんだ。この人の描く絵が目にとまったのは願いが詰まっているからなのかも。メールしてみようかな。サイトのメール欄に精一杯の応援とお友達になりたいことを書き込み、送信。返事はすぐに来ました

◇「初めまして。私達同い年なんだね。ちょっとびっくりだね。私も入院してるんだけど、なかなかよくならなくてね。来週手術を受けるんだ。退院したら会うことがあるかも!?」

◇ 私はうれしくなってキーを打つ。友達がふえた。「もしかしたら同じ学校だったりして!会えるといいなぁ。今はまだ寒いけど、暖かくなったらいっしょに外に行こうね」

◇ いつまで待っても返信はありませんでした。何か変なこと書いたかな。怒らせちゃったのかな…。それから一週間後。あの子からメールが来ました。急いでメールを開きました。

◇「私の初めてのお友達へ。私、もう治らないかもしれない。いっしょに遊びたかったけど、ごめんね。もうキーボードも打てない。お姉ちゃんにかわりに打ってもらってるんだ。サイトを見て。あなたのために書いた最後の絵、置いてあるから。このメールが届いたなら、私はもういない。でもあなたを見守っています忘れないで、さようなら。そしてありがとうー」

◇ 私はぼやけていく画面をずっとにらみつけていました。ゆっくりとあのサイトを開くと、二人の女の子が仲良く手をつないで、笑っていました。ほんの少ししか話せなかったけど、彼女は私の人生でとても大事な存在になりました。
  
◇ 友達として大事なのはいっしょにいる時間ではないのです。私達のきっかけを作ってくれたあのサイトは今も彼女の夢をのせて輝き続けています。

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 Z11

  【珍念】感動しました

<無菌室の奇跡>

第9回NTT「コミュニケーション大賞」作品

Hakari 

 「急性骨髄性白血病」、それが私の病名でした。告知されてから五日目、私は抗癌剤投与の開始と共に、社会から隔離されて、その部屋の住人となりました。五年前のことです。
 
◇ 無菌室と呼ばれる狭いその部屋には、ベッド洗面台、トイレ、テレビ、そして簡易のシャワールームが窮屈そうに押し込められています。ベッドの脇にはインターホンを兼ねた電話機がポツンと置かれていました。二重構造のその部屋に、外界の音は聞こえません。聞こえてくるのは、絶え間無く流れる換気装置の人工的な風の音だけです。

◇ 寂し紛れにテレビの声を大きくしても、叱られる事もありません。夜ともなれぱ、点適のしずくのしたたる音さえ聞こえてきそうな静寂に、孤独感はいっそう深まっていきました。(生きてここを出られるのだろうか)、(いつまで、ここにいるのだろう)と、世界から取り残されていくような不安感から、何度ナースコールを押しかけたことでしょう。

◇(だれか、そばにいて欲しい)わが身に起こったことがなかなか受け入れられず、後から後から涙が溢れました。(どうして私がこんな目に?)そんな茫然自失の状態が数日間続いて、やっと先生や看護師さんの話が、耳に入るようになった頃のことでした。
 
◇ トゥルルルル…。電話の呼び出し音です。(ナースステーションから?)病人には重たすぎる受話器を取ってやっとのことで耳にあてると、「もしもし、今日は大丈夫だったね。お母さんたい。」 

◇ 聞きなれたふるさと訛り。それは、一番聞きたかった母の声でした。前の年に脳梗塞で倒れた母は、左半身が麻痺し、厳しいリハビリの日々を送っていたのです。「私の時には、世話になったとにね。飛んでいってやれんで申し訳なかね。ごめんね。」 母は、何度も詫びながら泣いています。「そんなことは、なかよ。大丈夫だけんね。」

◇ 途端に、ふるさと訛りに戻った私の心に、ついこの間母の車椅子を押して、リハビリ室に付き添って行った時の光景が浮かび、懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになって次の言葉が出てきません。「お母さんも、リハビリ頑張るけんね。元気になって、あんたが帰ってくるとを信じて待っとるけん、頑張って乗り越えないかんよ。」

◇ 故郷が、私の隣にやってきた日でした。 次の日から毎日、夕暮れ時には、母の声の定期便が届くようになりました。(そろそろかな?)と思うと電話機の呼び出し音が鳴り始めます。「今日は、気分はよかね?お母さんは、杖の使い方を教えてもろうたよ。トイレまでは歩けるようになったけんね。先生がびっくりしとらしたよ。」

◇「今日は、気分はよかね。先生がね、左の手は、もう回復せんかもしれんて言いなさったけど、何のことはなか。ちょっとずつ動くようになってきたけん。」前進あるのみの母の戦果報告に日々励まされ、私の中にも少しずつ、希望の灯がともり始めました。「薬の副作用で、髪が抜け始めたよ。抜け落ちるとを待っとるとも辛気臭かけん、思い切り良く自分で抜いてしもうたよ。」

◇ ある日の電話の、出し抜けの私の言葉に、さすがに母は絶句して泣いているようでしたが、私ももう後戻りは出来ません。「私も頑張って、必ず生きて会いに帰るけんね。夢ができたけん頑張るだけたい。」母と約束をしました。それは、未来の私との約束でもありました。すると驚くことに、その翌日には、主治医の先生から朗報がもたらされたのです。

◇「山本さん、弟さんの骨髄の型がぴったり一致しましたよ。これで、移植ができます。」骨髄の型の適合は、兄弟間でも四人に一人、合うか合わないかの低確率です。それなのに私はたった一人の弟と百パーセント、型が一致したのです。

◇「奇跡ですね。」先生の言葉に感激しながら、共に頑張ろうと約束した母と私の思いが、早速天に通じたのだと、その奇跡の始まりに感謝せずにはいられませんでした。 それから半年後、私はその部屋を出て、移植の為に大学病院に移りました。移植後も何度か命の危機に見舞われたものの、そのたびに奇跡的に救われるという事の繰り返しで入院生活は二年間に及びました。

◇それでも、(夢は叶う)と念じ続け、昨年の秋、私は母と四年越しの約束を果たせました。失意のあの部屋にかかった母の電話は、私の生還への道しるべだったのですね。夕暮れ時、今日も母からの定期便が届きます。

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Kann1

〇 コメントは『蛇足』!

「大石順教尼」に思いを馳せる

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  昨夜、摩訶不思議な夢を見ましたそれは、何と50年前、大津市で偶然セミーナの最前列で「大石順教尼」のお話をお伺いした事がありありと走馬灯のように蘇ってきました。

☆ 愚か者の【珍念】完全に当時の事は、忘れていました19歳の悩み多い、多感な青春を送っていました今もですが・・・ (^_^;)凛とした素晴らしい方でした。なぜ両腕がないのだろうか? ・・と。ところで 読者の皆さまへ。筆者の稚拙な筆致では「大石順教尼」の偉大な境涯を正しくお伝え出来ません・・お気に障ったらお許し下さい。

◇ 大石順教は本名を大石よねといい、明治21年(1988)大阪の寿司店の娘として生まれました。幼時から芸能の才があり、大阪堀江の茶屋の養女となって15歳で博覧会の舞台で人気を集めるほどの芸妓(芸名は妻吉)になりました。しかし、18歳のとき、養父の中川万次郎が妻の出奔により乱心し、家族6人を刀で殺傷するという「堀江事件」を起こします。ただ一人生き残った妻吉も、両手を斬り落とされるという災厄に見舞われました。

◇ その後の妻吉は生活のために「両手のない美人芸妓」として巡業し、同情と人気も得るのですが、あるとき篭の小鳥が嘴で雛に餌を与えるのを見て、手がなくても出来ることがあると悟ったということです。そこから向学心に目ざめ、口に筆を咥えて字を書き文学を学び、仏門に入ることを希望しますが、僧正は「女としての一通りの経験をしてからにせよ」と諭しました。

◇ それに従って24歳で画家の山口草平と結婚口筆で絵を描きながら一男一女の母となりました。その後は自立の道を求めて上京し、和装美術などで生計を立て、自己の経験を「堀江物語」として出版これが映画化されて話題になったりします。39歳で協議離婚し女性のための障害者福祉施設の設立を実現。45歳にして念願の出家得度を果たし、名を順教と改めました。

◇ その後も寺にこもる尼僧ではなく、障害者福祉の活動をつづけ、仏光院を創設して堀江事件の犠牲者と養父の菩提を弔う一方で、芸術の面でも口筆で書いた般若心経が日展に入選するまでになりました。こうした見事な人生を、昭和43年に80歳で完結したということです。

○筆者は、大石順教尼を指呼の間で見ました。温顔そのものの表情とともに、この人の底知れぬ肯定的人生観を伝えています。「私は手がないから不便だなどと思ったことは一度もございません。やりたいことは、何だってできるんです」と、本人が言うのですから信じないわけには行かないのです。心が障害にならなければ、人間として不可能はないことを実証した人生でした。

 何事も 成せばなるてふ 言の葉を 胸に刻みて生きて来し我れ   順教尼

○ 万次郎の日常に関しては二極論があって定かではないが、順教尼は自分を地獄に突き落とし、結果的に死刑に処せられた万次郎も含めて公平に家族の菩提を生涯ねんごろに弔ったという。

○ 余談ではあるが、筆者はかつて交通事故・癌・頸椎等を痛め数々の試練に遭遇しましたが、生活に不便はない。そのせいもあって、もし視力を失ったら、もし片腕、いや、指一本さえ失ったらどんなだろうかという恐ろしい妄想に囚われる事が少なくない。

○ 日常だけでなく日々「ネットサーフイン」に嵌り文字を打ち込み、画像を加工したり・ ・・(*^^)v とにかく両腕・両の手に世話にならずにはいられない生活。 順教尼のような目に遭って正気でいられる自信はない。ましてや、加害者を赦すなどありえないだろう。 (順教尼)さま、は 偉いです。

◇ だが、彼女の生き様に学ぶ事は不可能ではないはずだと思う。そんな出逢いがあったこと自体、筆者にとってのひとつの教えだったのだと思う。

☆「大石順教尼」さま。有難うございました! <珍念>目から鱗が落ちました。後はお迎えが来るまで走ります。来ても、やんわり、まだ早いとお断りします。

( ^ω^)おっおっおっ

<ナオミの(小さな奇跡)>

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 NTT西日本「コミュニケーション大賞」作品

 「専門医として意見を言わせていただくなら、お父様の受ける手術法は納得がいきません。私がセカンド・オピニオンになってもかまわないし、他の信頼できる神戸の医師を紹介することもできるし、東京で手術することが可能であれば、こちらの病院を受診していただくことも出来ます」

〇受話器を握りしめ、暖かい話し声に安堵しながらも私は途方にくれた。すでに一ヵ月後に神戸の病院での胃がんの手術が決まっていた私の父。年老いた私の両親が、唐突なこの話にいったいどう反応するだろう。第一、今のこの事態が理解できるだろうか?当事者の私でさえ半信半疑なのに…

○ことの始まりは、わずか一時間半前に届いた一通のメールだった。いや、もっと遡ればことの始まりは私が買った中古のパソコンだ。知り合いにゆずってもらった中古のパソコン。これでいったい何がしたいのか何ができるのか、いまだ自分でもはっきりしないまま私はインターネットに接続し、メールはなんとか使えるようになり、プロバイダーのサーバーを借りて知人の手助けを得ながら小さなHPも作ってみた。

〇そのHPには「日記」と称してエッセイを綴っておりそれは専業主婦の私が初めて持った自己表現の場所で「だれかに見てもらいたい」という気持ちもあった。かといって知人に公開するのも気恥ずかしかった私はあるサイトで自己紹介の欄に自分のHPのアドレスを載せられることを知り、そこに登録した。そして、そのメールが届いたのは一時間半前だったのだ。

〇「…HPのエッセイ拝見しました…」差出人のプロフィールを確認すると「外科医」とあったので「ご専門は何ですか?」と尋ねるメールを出すとすぐに返信があり「胃・食道外科です」とのことだった。

〇私は「実は私の実父が来月胃がんで手術を受けることになっており、…」と以下、簡単に病状・現状を書き送ったのだ。 10分もしないうちに次に送られてきたメールをみて驚いた「名前をあかすつもりはなかったのですが、専門医としてぜひお話ししたいことがあります。現在、外来も手術もないので○○病院の内線○○番にお電話いただければ、私が電話で直接ご説明したいと思いますが…」とそこには書かれていた。〇物騒なご時勢。しかし、父の体のこと。ネット上でつい一時間半前に「知り合った」ばかりの人に電話をしても良いのかどうか? しかし、名の通った大病院の電話番号であることは確認した。間違いない。

○私は何がなにやらわからないまま、その番号に電話をし内線番号と医師の名前を告げ、つないでもらったそして「あまりの偶然に無視できなくてメールしてしまいました。きわめて珍しい僕の専門分野だったものですから」という前置きの後、最初の言葉があったのだ医師の話の内容は、しろうとの私にも納得のいくものであった。

○私は受話器を置いた手ですぐさま神戸の父に電話をした。父は70を越していたが、あたらしもの好きでパソコンにもなじみがあった。私が事情をあらまし説明し、その医師の名前を告げると父は電話口で驚きの声をあげた。 「僕が癌告知を受け、ショックの中、本屋に行き、そこで最初に買った本の著者と同じ苗字だひょっとしたら、その著者の息子さんではないだろうか?」

○そして驚くべきことには、事実、その著者は私にメールをくれた医師のお母様であった。のぞみの個室で車椅子に乗って運ばれた父は病室の窓から見える見事な大銀杏の黄葉を静かに眺めていた。転院直後、神戸の医師からお借りした写真をみた東京の医師は「一期という診断でしたがおそらく三期には進んでいます。慣れない医師だと見間違うのですが…こちらで改めて全ての検査をやり直します。」と私たちに告げた、予想しないなりゆきに私たちは呆然とした。

〇しかし、同時に「もし、あのまま神戸で手術を受けていたら…一期と思って開けるのと三期と思って開けるのでは手術の手順も全然違うだろう…。連れてきて本当に良かった」と母と私と妹は病院の食堂で頭をつきあわせ、お互いに励ましあった。

〇手術室を出た医師は「最善を尽くしました。しかし一年以内の再発の可能性は高いです。」と私たちに話した。頭に毛糸の帽子をかぶり、まだ少し冷たい空気の中、父が元気に退院したのは桜の開花もまぢかな3月の末だった。しかし、父は今も元気だ。

〇今も私たちは顔を合わせると、あの時の一通のメールから始まった奇跡について語り合う。今年も11月の「手術記念日」に私は医師に御礼のメールを送った。「術後4年目の正月を今年も元気で迎えることができそうです」

〇そう、あれから既に4年が経過した。父は常人と全く変わることのない生活を今も送っている。ネットの中に生まれた小さな出会いと医師の誠実に驚きと感謝の念が絶えない私たち一家である。
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Kuri 泣き虫の珍念です!

ブログの名前は 「風を切って」

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NTT西日本

「コミュニケーション大賞」作品

 

「半年以内に95パーセントの確立で再発、転移します。」病名告知と同時に、執刀医から余命宣告に近い話を事務的に聞かされた。

▼入院中に治療方針の提示はなく、医師とのコミュニケーションもうまくいかなかった。活路を見出すのは自分自身しかない、逃げ出すように退院した。自宅のパソコンで病気の詳細な内容、悪性度、5年生存率などを調べ、県内いくつもの「がん拠点病院」相談室に電話をかけた。

▼どの病院の担当者も温かく共感的に話を聞いてくれたが、「うちの病院にいらっしゃい。」と、声をかけてくれた県立病院に行ってみようと決めた。

▼現在の主治医であるA先生との出会いだった。すでに手術から1ヶ月以上経っており、先生は初診の場で治療の方針と計画を話してくださった。私と夫の目の前で病棟と連絡を取り、次の週には入院し6クールの化学療法に入ることが決まった。

▼最初の抗がん剤治療から2週間くらいで、髪の毛が抜け始めた。事前に聞かされてはいたものの、ショックは大きかった。娘が毎日一緒に風呂に入り、髪を洗い、抜けた毛を始末してくれた。風呂上がりには新聞紙を広げて私を座らせ、少なくなった髪の毛をゆるいドライヤーで乾かしてくれた。パジャマの肩や新聞紙の上に広がった抜け毛を手際よく始末してくれるのも娘だった。

▼治療を始めた頃に、同じ病気を患った友人がメールで教えてくれた。「抜け始めたら、あっという間になくなるから、思い切って短くしといた方がいいよ。」悩んだ末に、行きつけの美容院に電話した。「ナナ?先生やけど。病気の治療で髪の毛抜け始めたんや。カットしてもらえる?」

▼電話の向こうに、声の出ない泣き顔が浮かんだ。ご主人と二人で美容院をやっているナナは、6年生の時担任していた子。できることなら誰にも病気の心配などさせたくなかった。「うん、いいよ。店開ける前にしてあげる。9時に迎えに行くね。」

▼初めてナナにしてもらうカットだった。それまではナナじゃ心配…といつもご主人に任せていた。泣き虫ナナが鏡の中でニコニコ笑っている。「先生、『ベストフレンド』ってドラマ知ってる?上野樹里、ベリーショートですごく可愛いしそんなのにするよ。」

▼電話がかかってきたのはその翌日。「先生、みんなで相談してブログ開くことにしたわ。」 地元に残っている数名に連絡して、どうやって私を元気にするか笑顔にさせるか相談したと言う。そして、その中の一人が「オレがやるわ」と、一晩で開設してくれた。

▼合唱と作文・日記に明け暮れた学級担任の私が一番喜ぶのはみんなからのメッセージだ!と話がまとまりブログの名前は、「風を切って」。6年生の学級通信の名前そのまま、パスワードは私の誕生日。

▼2回目の入院時、もう髪の毛はなかったが、抗がん剤点滴のベッドは辛いことばかりではなかった。メール着信のたびにベッドが揺れ、ついでに開くブログが私に笑いと嬉し涙を誘ってくれたから。退院すると自宅のパソコンからブログに参加することができた。内容は本当にありふれた日常で私からは、「白血球が増えないので、また注射だよぅ…」教え子たちからは「センセイ、おはよう。窓際のベッドは暑くないかい?」「今日、二人目の女の子誕生!」というとびっきりの幸せ報告もあった。

▼この半年間、自宅にいる時は簡単な家事や散歩、草花とのおしゃべりなど心穏やかに過ごせる日がほとんどで、病気は少し離れたところに置いて生活していた「死」に囚われて眠れない夜や涙の止まらない日もあるにはあった。しかし、その度に姉、友人、先輩、教え子…身を投げ出して甘えさせてくれる存在がいつも傍にいてくれた。ブログでもメールでもみんなが「絶対大丈夫。病気になんか負けるはずがない。」と言ってくれた。

▼春から夏、4週ごとに入退院を繰り返し最後の治療は告知から半年、季節は秋を迎えようとしていた。治療の前に、全身の転移と再発を調べるPET検査が待っている。検査結果を聞くのが怖かった。95%という数字は大き過ぎる。名古屋から来てくれた姉と夫に囲まれてA先生のことばを待った。「今のところ、再発・転移の兆候は見られません。」再び春がめぐり、復職することができた。その歓迎会の場で私は質問に答えた。「私の自慢は、教え子たちが作ってくれた私のためのブログがあることです。」 

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◇ コメントは『蛇足』!

「ありがとうの詩」

親子ともに優秀賞/作詞家・堀越そのえさん
 

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「ありがとうの詩」に
   親子で入賞し、作品が
  CD化された作詞家堀越
そのえさん(右)と母高橋時枝さん

◎情熱受け継ぎ希望紡ぐ

 東日本大震災の被災地に届いた支援への感謝を詩に託す河北新報社の募集企画「ありがとうの詩(うた)」で、仙台市若林区の作詞家堀越そのえさん(44)が実母の高橋時江さん(74)=若林区=とともに優秀賞に選ばれた。そのえさんはかつて母が抱いた作詞家への夢を継ぐ形で、プロとして活躍中だ。母娘に受け継がれた作詞への情熱と復興への願いは、ダブル受賞を機にさらに強まっている。

<あなたがいたから歩き出せたあなたがいたから笑顔になれた>

 そのえさんの詩「あなたがいたから」は、昨年の震災から間もなく、関西から炊き出しボランティアに来てくれた知人たちの温かさに触れ、生きる勇気に気付いたことへの感謝をつづった作品だ。

<10年前プロに>

 高校時代から作詞家を夢見て、同人誌などに投稿を重ねていたそのえさん。20代後半になって主婦業の傍ら、通信教育であらためて作詞を学んだ。作詞家の松井五郎氏に見いだされ、専門の指導を受けて10年前にデビュー。田川寿美、川中美幸、松原のぶえ、天童よしみら有名歌手の曲の歌詞を書くようになった。現在、レコーディングなどで月2回上京するほか、仙台を拠点に地元演歌歌手らに曲を提供している。

◇ 作詞は感性に負うところが大きいという。だから書くときは一気呵成(かせい)。それだけに、震災後は被害のあまりの甚大さにうちひしがれ、ぼうぜん自失の日々を送った。

◇ 仕事も手に付かず、無力感にとらわれていたそのえさんにとって、再起のきっかけになったのが新聞紙上を通じ、5月末から募集された「ありがとうの詩」だった。「やはり自分にできるのは詩を書くこと」。被災地に住む作詞家として「各地からの支援に、ありがとうの気持ちを形として残したかった。書くことで心が洗われ、自分も救われた」と振り返る。

<悲しみ重ねる>

 一方、母・時江さんの詩「愛の絆にありがとう」は12年前に29歳で亡くなった長男(そのえさんの弟)への思いを、家族や友人を失った被災者の悲しみに重ねた作品だ。「震災で大切な人を失った方たちの悲しみがすごく伝わってきて、『書かなくちゃ』という使命感みたいなものがこみ上げてきました」と時江さんは言う。

◇ 2人が互いの応募を知ったのは投稿後。そのえさんにとって、受賞以上に励みになったのは、母が詩に情熱を持ち続けていたのを再確認できたことだ。
 時江さんも20代の1958年、石原裕次郎が歌う曲の一般公募に詞を投稿。入賞は逃したものの審査委員だった船村徹氏の目にとまり、上京を勧められたことがある。具体化はしなかったが、「図らずも娘が私の夢をかなえてくれました」と時江さんはほほ笑む。

<幸せかみしめ>

 「ありがとうの詩」の入賞50編(最優秀5、優秀45編)は9日、詩集になって発売された。2人の詩を含む8編には曲も付き、CD楽曲集として添えられた。

◇ そのえさんは「被災者に寄り添い、一日一日を支え希望の明かりになるような詩を作っていきたい」と力を込める。日常的に詩を書けるようになった幸せをかみしめながら、“ライバル”の時江さんと創作を続け

ていく。<河北新報社>

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜

Tine  旨い。あっぱれ!
  かく 言う (珍念)も
  そう 生きたい。

「浜辺の歌」

Photo_2作詞:林古渓、作曲:成田為三

1 あした浜辺をさまよえば
  昔のことぞ しのばるる
  風の音よ 雲のさまよ
  寄する波も 貝の色も

2 ゆうべ浜辺をもとおれば 昔の人ぞ しのばるる寄する波よ 返す波よ 月の色も 星のかげも

 
◇ この一年、残された者がこうべを垂れる場面に流れた追悼の曲の一つに唱歌「浜辺の歌」があった。歌人林古渓の詞に大正初期、秋田県出身の作曲家成田為三が曲を付けた。

◇ あした浜辺をさまよえば 昔のことぞ忍ばるる。心のひだに染み入るようなメロディーと詞は長く親まれ日本を代表する曲として海外で演奏されることも多い。誰もが口ずさめる唱歌がちりばめられた映画「二十四の瞳」で「浜辺の歌」は2度歌われていいる

◇ 初めは、子どもたちの沸き立つような高揚を運ぶ修学旅行の船の上。しかし戦争、貧困といった世のうねりは高峰秀子演じる大石先生にも、12人の教え子にも過酷な運命を与えた。時を経て大石先生と再会できたのは7人。皆が思い出の写真に涙ぐむシーンに重なったのも「浜辺の歌」だった。

◇ 大石先生は「将来の希望なんてない」と泣く女の子に「泣きたい時はいつでも先生の所へいらっしゃい。先生も一緒に泣いたげる」と言って肩を抱いた。時が止まったままの警戒区域に昨日、冷たい雪が降った凍った時間を解かすのは涙かもしれない。そう。泣きたい時は泣くのだ。あなたを忘れない-と泣けばよい。<あぶくま抄>

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〇 ううぅ 【珍念】泣いています。

合言葉は〝進みつづけろ〟

小学生文化新聞主催第42回
「作文コンクール最優秀賞」作品 <負けない心>
高学年 宮城・登米市5年  及川大樹君

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◇3月11日の東日本大震災の時、僕は学校でまとめの新聞を書いていました。

◇急に大きな地震が来て机の下にもぐりこみました。その後。学校裏の駐車場に出ました。間もなくして弟と母も学校に駆け付けました。そうしているうちに第一波が校庭すれすれまでのぼり、あたり一面湖のようになりました。

◇それをながめていると、ドンという音とともに、上と下の両方の道路から波がおしよせてきました。「みんな、走れー」の先生の声に全校生徒で裏山の道をかけのぼりました。「もっともっと上へ」との先生の声にさらに土手へとのぼり、あたりは山しか見えなくなりました。

◇そのうちに大粒の雪がふりはじめ、僕たちは近くの保育園に避難しました。その夜は寒くてふるえました次の日になると、たくさんの人が保育園に避難してきました。家族と再会する人、行方不明者をさがしに来た人、いろいろな人がいれかわり入ってきました。

◇そのよく日、母にうで時計を手渡されました。それは僕のおじいさんがいつもしていたうで時計でした。それを見て僕はおじいさんがダメだったことに気がつきました。なんで? どうして? 悲しくて泣き崩れました。

◇おじいさんは、2日後の13日に見っかったそうです。地震の当日の姿のままだったそうです。その時つけていたうで時計は、その後もずっと時をきざみつづけていました。それはまるでおじいさんが「止まってはいけない。進みつずけろ」と言っているようでした。

◇4月から僕は別の学校に転校しました。母も仕事に復帰しました。僕は大好きな野球もつずける事になりました。わが家の合言葉は、「前に進みつづけろ」です。

◇何があってもグチを言わず、たえて乗りこえる。そういう子どもになる事がおじいさんが望んでいたことだからです。きっとおじいさんは僕たちを見ているだから負けるわけにはいかないのです。

◇残された僕たちが力強く前へ進んで行く事が、一日一日を精一杯やりきる事が、おじいさんへの供養にもなると思います。だから僕はこれからもずっと、負けない心で力強く進みつづけて行きます。

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  東日本大震災で
  亡くなられた方たち
   のご冥福を
   お祈りします

「タタ自動車」

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燃費100キロ走行
可能なインド・タタ
社の低燃費試作車(AP9)

 これはジョークなのかそれとも本気なのか?世界一安い車を売り出したインドの「タタ自動車」が発表した試作車が、なんと1㍑当たり最大100㌔の走行が可能というのだから

▼「インド人もビックリ!」というCMがあったが、インド人だけでなく世界をビックリさせたのがタタ自動車の開発したオリジナル「ナノ」。20万円台というその価格が世界に衝撃を与えたことは記憶に新しいがバイク並みの価格でインドに自動車を普及させるというその発想も見事だった

▼このナノは何件か発火事故を起こしており、「安かろう悪かろう」のイメージを拡散させたが、どうしてどうして性能的には評判がよく、インドの持つ開発能力の潜在性がかなり高いことを物語った。その技術力を次に投入したのが「タタ・メガピクセル」と名付けられた電気自動車で、消費電力をガソリン車の燃費に換算するとこの驚くべき走行能力となる

▼6日開幕したジュネーブ国際自動車ショーに展示された当の試作車は4人乗りで、リチウムイオン電池とガソリンの発電機を併用するとあるから、電気自動車というよりプラグインハイブリッド車に近いが、それにしても100㌔走行というのは驚異だ

▼もっとも実用化は3年先とかで、まずはアドバルーンを上げて注目させるという作戦でもあろう。化石燃料依存体質からの脱却から、今後脱ガソリン車の開発は電気自動車や水素燃料電池車などに向かうのは間違いないが、そんな中で、タタ自動車の挑戦力は刮目すべきものがある 【世迷言】

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F6 ◇わ~を! 
コラミストの慧眼。
恐るべし あっぱれ
かく 言う 【珍念】
の眼は邪な煩悩で曇っている。

「タタ・メガピクセル」の完成を(一日千秋)の思いで待っています。国産車で「ナノ」を超える夢のある自動車を何処のメーカーが作るのか。楽しみにしています。

 あ・・<釈迦に説法> こっそり消えまする。

「世界基準の授業」

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  スマートフォンの普及など情報技術の革命。中国の台頭など世界経済の変動。日本では急速に少子高齢化が進む

▼そうした変化に対応し、いかに質の高い教育を提供するかが大学にも問われる。新刊の『「世界基準の授業」をつくれ――奇跡を生んだ創価大学経済学部IP』(時事通信社)は、創大の経済学部が行った改革の軌跡を描く

▼同学部では英語で経済学を教えるIP(インターナショナルプログラム)を2001年に開始。受験人口が減る中、経済学部の魅力を高めるため、「英語で経済学を学ぶ」を掲げて国際人育成に挑んだ。教授陣の努力、学生の真剣さが相まって、学力は飛躍的に向上有名企業への就職も相次ぎ勝ち取るように。同学部所属の「経済学理論同好会」は経済学検定の大学対抗戦で9連覇を飾った

▼同書に、ある歴史学者の言葉として「時代が大きく変化するとき、3種類の人間がいる」とある

①何かを起こす挑戦の人たち

②それを見ている多くの人たち

③何が起きているのかすらわからない圧倒的多数の人たち、だ

▼時代の変化を捉え、自らも変わり続けるものだけが勝利できる。そして、その変化を起こすのは、非難を恐れない「一人立つ」人々である。そうした不屈の挑戦者でありたい。【名字の言】

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◇ コメントは<恐れ入り谷の鬼子母神>\(^o^)/

○名言に思いを馳せる!(蛇足)かなぁ

◆徳川慶喜  大政奉還の後、再起を促す家臣に対して「ならば、わが方に、西郷隆盛に匹敵する人物はいるか、大久保利通に匹敵する人物はいるか」慶喜の問いかけに、家臣は、「残念ながら・・・」と答えて、うなだれるしかなかった。 晩年、親せきの子どもとの会話。「おじいさまはなぜ大政奉還をなさったのですか」「あの時はね、誰がやってもああやるほかに方法はなかったのだ。しかし、私は多くの人を不幸にしたからたくさんの人に恨まれているよ」

孔子の教え

○巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁(じん) 「心にもないおべっかを使ったり、顔色をつくろったりする者には、本当に他人に誠実な者は少ない」。それに、そういう人間は途中まではうまくいっても、どこかで必ず化けの皮がはがれるゾ。先ず其の言を行い、而して後(のち)にこれに従う。「まず、言葉を口にせずそれを実行する、その後で自分の主張をする」。

弟子の「立派な人間とは?」の、問いに答えた言葉。「不言実行」あるいは「先行後言?」こそが立派ということ。

○其の以(な)す所を視(み)、其の由(よ)る所を観(み)、其の安んずる所を察すれば、人いずくんぞ隠さんや、人いずくんぞ隠さんや。 人間の行動には、必ず動機がある。そして、その動機をどのように発展させて行動しているかを観察すれば、その人は絶対に自分を隠すことはできない、絶対に隠せない。

〇君子は言に訥(とつ)にして、行に敏(びん)ならんと欲す。「賢人は、口数は少なく、行動に敏捷でありたいと思う」。スピード感のある「不言実行」を説くもの。能書きばかり多いのはダメ! ある人が言った。
 
「孔子の門人の雍(よう)は、人柄は立派だが口下手だ」 それを聞いた孔子はこう答えた。 「口がうまいのがどれほどのことでしょう。そうい人間は口先で他人を貶めることがあり、必ず人から、うらまれます。雍に仁があるかどうかは分かりませんが、しかし、口先上手というのは世の中でそれほど役には立たないと思います」
 
 子路が孔子に訊いた。「先生がもし大軍を率いて指揮なさるとしたら、誰と一緒になさいますか?」 孔子は言った。「私は、トラに素手で立ち向かったり河を歩いて渡ったりして、死ぬのを恐れないような無鉄砲な男とは一緒にやらない。どうしてもと言うなら、事にあたって慎重で、よく計画を練った上で実行するような人物と組むね」

愚か者の【珍念】恥ずかしいので、こっそり退散します。 \( ^∇^)/θ☆ わ~い

「本当の助け合い」

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 江戸中期に奉行職を歴任した根岸鎮衛(1737~1815)という人が書いた随筆集「耳嚢」(みみぶくろ・岩波文庫)を読んでいて、興味深い話を見つけた。次のような内容である。

▼浅間山の噴火で溶岩流が押し出して上州・蒲原村(群馬県嬬恋村)では、300人ほどの住民のうち93人しか助からず、あとは残らず埋められ、押し流されてしまった。生き残った人は途方に暮れたが、同じ郡内の奇特な3人が彼らを引き取り、仮設の小屋を造り食料を用意して急場を救った。

▼それだけではなく、こういう大災害に生き残ったのも何かの縁だといって、夫を失った女性には妻を流された男性を紹介、子を失った老人には親を亡くした子を養わせ、互いに親族のように助け合うよう取り計らった。

▼そこまで尽くした理由について、彼らは「同じ郡内であっても、私たちの地区は被害を免れた。もし、自分が被害にあっていたと考えたら、財産すべてを捨てても、災難に遭った人を救うのが当然」といって、家財を惜しまず救援に充てたという。

▼江戸時代にあっても、これだけの倫理観、心意気を持って行動する庶民がおり、自分の村は自分たちが守るという強い自治意識が存在した。「負けるな○○」とか「絆を大切に」などという掛け声だけでは終わらせなかったのである。

▼何につけても「自分さえよければ」と振る舞う人の多い現代にあって、深く考えさせられる話だった。 【水鉄砲】 

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◇随筆集「耳嚢」とは・・・。

江戸中期に奉行職を歴任した根岸鎮衛が同僚や古老の話を書き留めた随筆集。猫が人に化けた話、安倍川餅の由来、塩漬にされた河童の事、都で欺かれた好色漢の話等々、珍談・奇談を満載した世間話の集大成。

 コメントは『蛇足』! (@_@;)

最期のブログ

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 「とうとう、皆さんにお別れをしなければならない時がきました」。蓮孝道みどり市議は、ブログにこう書き残してこの世を去った。日付は、2012年2月15日死の翌日である

▼腎臓がんの発覚から約2年半。「3人に1人がなる国民病であるがん患者の当事者として、自分にしかできない役割があるのではないか」と、闘病生活をブログで公表し続けた蓮市議。冒頭のメッセージは、病室で家族が聞き取り、本人に代わって掲載したものだ

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▼自らの死に直面し、どれほどの恐怖、悔しさ、無念さを押し殺しただろう。「生まれ育った故郷みどり市をよくするために活動してきましたが、残念ながら命の期限がきてしまいました。応援してくださった方には、申し訳ないという思いと感謝の気持ちでいっぱいです」。あふれる感謝の言葉でブログを、人生を締めくくった30歳。あっぱれだった

▼みどり市では2010年度から、それまで40歳以上だった大腸がん検診を、20歳から偶数年で受診できるようになった。若年時からのがん検診の必要性を懸命に訴えてきた蓮市議の、これは一つの功績である

▼葬送曲として流れたのは、なんと「アンパンマンのマーチ」。選挙などで愛用した彼のテーマ曲だった。ふてぶてしいまでに颯爽たる態度と、おちゃめで人なつっこい笑顔。最期まで自分らしさを貫いた政治家だった。合掌。 <ぞうき林>

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  蓮たかみちです。

○とうとう、皆さんにお別れをしなければならない時がきました。2009年に腎臓がんを告知されてから、このブログではずっと皆さんに病状をご報告してきました

○病状を公表することに関して、ご心配の声をいただこともありましたが、3人に1人がなる国民病であるがん患者の当事者として、自分にしかできない役割があるのではないかと思い、公表を続けてきました。その結果、多くの方から温かい励ましの言葉をいただき、あらためて多くの人に支えられて生きていることを感じました。

○そのことに気づくことが出来たのは、この病のおかげだと感謝しています。また多くの同じように闘病中、同志の方やそのご家族の方ともお会いすることが出来ました。励まされることも多く、視野も広がりました。

○病状を公表しながら仕事をすることで発信したかったことは、「がんはキャリアの終わりではない」ということです。がんに対抗するには、早期発見が第一ですが、たとえ早期発見ができなくても、病気を抱えながらでも働き続けられる、世の中に役割がある、そんな社会を政治家としてつくりたいと考えていました。最後まで議員の仕事を続けることでそのことを少しでも訴えられたとしたら本望です。

○一病息災という気持ちでがんと共存しながら、生まれ育った、故郷みどり市をよくするために活動してきましたが、残念ながら命の期限がきてしまいました。応援してくださった方には、申し訳ないという思いと感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。 (2012年1月病室にて聞き取り、本日、本人に代わり投稿しました。)

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【珍念】涙で文字が打てません。愚か者の
【珍念】も、かく 生きたい!

蓮孝道みどり市議のご冥福をお祈りします !

【ピポクラテスの誓い】

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▼医師が尊敬される存在でなくなったと、著書『医師の主張』で世相の移ろいを嘆いたのは唐沢祥人・前日本医師会長だが、その傾向はますます強くなりそうだ四日市市の七十一歳の産婦人科医が、初めて医療ミスが理由の戒告処分を受けた

▼これまでは刑事処分を受けた場合に限られていたがこの産婦人科医は麻酔薬の誤投与で出産後の女性を死亡させた業務上過失致死罪の確定で、昨年戒告処分を受けている。今回は死産と新生児に脳障害を残した二件について厚労相の諮問機関、医道審議会がいずれも分娩ミスと判断。いわゆる「リピーター医師」に初めて処分のメスが入った。「明らかな不正が確認できない」というグレーゾーンの別の一件もあるというからあきれる

▼子宮頸(けい)がん検診受診率は、欧米の七、八割に対し日本女性は25%と極端に低い。内診の恥ずかしさが原因として名古屋市立大の杉浦真弓産科婦人科教授が「われわれはプロ。お気遣いは要りません。羞恥心を克服して検診を」と新聞のコラムで呼び掛けていたが、免許取り消し処分を受けた六人のうち、強姦未遂が二人で強制わいせつが三人

▼産婦人科医はいないようだではすまない。女性の産婦人科医が数で圧倒でもしない限り、疑心暗鬼も加わって受診率向上は望めまい。医道審は診療報酬の不正請求については「厳罰化」を打ち出したが、国民の医師への信頼回復にどれほどの効果があるか

▼「われわれはプロ」と国民に公言する以上、グレーゾーンの解消ぐらいはお上任せにしないで自分たちで工夫しなければ、尊敬などとてもとても。 【大観小観】

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☆ナヌ、このような人物が医師? 語るのも憚れる《ピポクラテスの誓い》をお忘れになっている。西洋医学の父」と呼ばれた【ピポクラテスの誓い】

P31 ○医業にたづさわることを許されたからには
全生涯を人道のために捧げる
○恩師に対して尊敬と感謝を捧げる
○良心と威厳をもって医を実践する
○患者の健康と生命が第一の関心事である
○患者の打明けるすべての秘密を厳守する

       ○医業の名誉と尊い伝統を保持する
       ○同僚は兄弟と見なす

       ○人類、宗教、国籍、政党、政派及び
       社会的地位の如何によって患者
        を差別しない
       ○人間の生命を受胎の始めから
        至上のものとして尊重する

       ○如何なる弾圧に遭うとも人道に反した
        目的のためにわが知識を悪用しない
       ○以上は自由意志によりまた名誉にかけて
        厳に誓うものである

      【釈迦に説法】かなぁ・・ (´・ω・`)ショボーン

<私塾・嚶鳴館(おうめいかん)>

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 米沢藩主・上杉鷹山の師匠でもあった江戸時代の儒学者・細井平洲は、私塾・嚶鳴館(おうめいかん)を開き多くの人材を世に輩出した教育者でもあった

▼入門に当たっては、武士だけでなく、広く庶民にも門戸を開いた。教育の機会をすべての人々に開放した平洲は、「教学の道はまづ良師を求め、良友を撰み申す事」(『嚶鳴館遺草』)と述べている。身分の違いを超えて互いに高め合う友が、同じ師匠のひざ元に学ぶ。これが、平洲の理想とした教育の在り方だった

▼人は教育によって人となる。日蓮大聖人は、「人に眼や耳が備わっていても、物を教える師匠がいなければ、それはなにもならない」(御書1248ページ、趣意)と仰せである平洲がそうであったように、人間を人間たらしめる教育の根幹は、優れた師匠の存在と言えよう

▼学会はまさに“校舎なき学校”だ。池田名誉会長の指導のもと、皆で人生の目的や仏法哲学を学ぶ。お互いに切磋琢磨し、人格を磨く。そこでは、年齢や社会的立場の違いなどはまったく関係ない

▼「嚶鳴」とは元来、中国最古の詩集「詩経」に出てくる言葉。鳥が仲間を求めて鳴き交う意味だ。私たちも宝の同志と励ましの声を掛け合いながら、共々に崇高な師弟の道を前進したい。【名字の言】

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◇ 愚か者の【珍念】(論語読みの論語知らず)です!恥じています。(^_^;)先日読んだ「格言」を思いだしました。

○『格言』:簡潔に人生の真理や機微を述べ、処世の訓戒となるようなことば。多くは昔の聖人、偉人などが言い残したもの。

○財貨を失ったのは、いくらかを失ったことだ。名誉を失ったのは、多くを失ったことだ。勇気を失ったのは、すべてを失ったことだ。生まれなかった方が良かっただろう。ゲーテ

○身体の老いは怖れないが、心の老いが怖ろしい。中国の諺

○濡れているものは雨を恐れない。裸の者は盗賊を恐れない。 ロシアの諺

○心の奥底に達してあらゆる病を癒せる音楽、それは暖かい言葉だ。エマーソン

○人は信念とともに若く、疑惑とともに老いる。人は自信

とともに若く、恐怖とともに老いる。希望ある限り若く失望とともに老い朽ちる。サミュエル・ウルマン

○今日も減らず口は、絶好調です・・・。\( ^∇^)/θ☆ わ~い

 

「一人を大切に」

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 フロイトの心理学は、患者に人間としての「自立」を求め過ぎた。人生においては、むしろ「成熟した依存関係」をはぐくむことが大切だ――米国の心理学者・コフートの主張である(和田秀樹著『「自己愛」と「依存」の精神分析』PHP新書から)

▼「一人立て」との呼びかけも、「一人を大切に」という温かい支えを伴ってこそ、真実の力となるにちがいない

▼思うたび、胸が熱くなるエピソードの一つ、それは創価大学1期生に寄せた、創立者・池田名誉会長の期待と信頼である。 「さまざまな人生がある。しかし何があって皆さんは一生涯、大切なわが創大生です。
この中で、もし牢獄へ行く人がいたとしても、それでも私は諸君の味方である。それが創立者としての私の真情です」

▼熱き期待に応えようと、弟子は甘えず、己を鍛え、進みゆく。人間の信実の絆である。人生の目的とは、とある地点に達することではない。師と共に、友と一緒に、歩み抜くことのうちにある

▼東日本大震災・福島原発事故・円高・倒産、リストラ、不況の冷たい風が吹いている。なればこそ、ぬくもりの励ましで、友を強く包み、共々に立ち上がりたい創価の運動とは、励ましのネットワークづくり――私たちの前進は、時代の要請である。 【名字の言】

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

◇ コメントは 『釈迦に説法』 口を閉じまする! \( ^∇^)/θ☆ わ~い

「オーダーメード医療」

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 医学は日進月歩。少し前のニュースに、脳梗塞を簡単な血液検査で発見できるようになるかもしれない、とあった負担も軽く、早期治療につながれば、喜ぶ人も多いだろう

▼個々の遺伝子情報をもとに、最適の薬の種類、投与量を決めたり、副作用の少ない治療が可能となる「オーダーメード医療」の研究も、文部科学省のプロジェクトとなっている。個人情報の保護、遺伝子による差別の危険性など、検討すべき課題は多いが、あらかじめ身体の状態や傾向性を知ることは、健康の大きな助けとなるには違いない

▼仏法では、仏の異名を「医王」とも「大良医」ともいう仏は最適の治療法を選ぶ名医のように、衆生の悩みを解決する最善の道を知るからだ。日蓮大聖人は「法華経と申す御経は身心の諸病の良薬なり」(御書1015ページ)と説かれている

▼妙法を持つ人は、病苦や経済苦、人間関係の悩みなどに直面した時、それを自分自身の「宿命」と捉えることができる。自分はもうだめと勝手に自己診断したり、逃げる、人のせいにする、策に走る等、一時しのぎの”対症療法”ではなく宿命転換、変毒為薬という根本的解決の道を歩むことができる

▼信心こそ最良の「生命の健康法」と大確信で語り抜きたい 【名字の言】

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う~ん!(^^)! 今日も(弱い)自分と(強い)自分が綱引きしている。でも、それが〝珍念〟の元気の元ですが!

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手塚治虫の

「ブラック・ジャック」

を思い出しました。

ある時、恩師が急死し

ブラック・ジャックが

手術して奇跡が起こり

    蘇生しましたが、間もなく死亡。なぜ手術は成功したのに亡くなるとは!

    ○そんな時、恩師の言葉が聞こえてきました。

    「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましい

    とは、思わんかね」

    ○生命には目的がある。その目的を終えた生命はさっさと死の向こう側へ旅立って

    しまう。それを何とかこちら側に引き留めようと奮戦するブラック・ジャックの姿は、
    もしかしたら、生者の勝手な傲慢なのかもしれない。

    ○死ぬよりも生きている方が幸せなはずだと考えるのは、生きている者たちであっ
     て、死に行く命(魂)には、これとは違う見解があるのかもしれない。生と死の境界
    線上で必死にメスをふるうブラック・ジャックもそんな医学の限界を知っています。
    医学は魂の領域には踏み込めない。それを知っているから、ブラック・ジャックは常
    に苦悩の中で生きなければならないのです。

    ○いちばん大切なものは何か、それを忘れない医療でありたい。人間は誇りなしに
    は生きていけない動物だからです。医師としての名誉のためなら、患者の人権など
    二の次にしてしまう。悲しいけれど、そういう医者も、少なからずいるのが現実す。
    移植手術で名を挙げたいばっかりに正しい手順で脳死判定をしなかったり、名誉を
    守りたいばっかりに明らかな医療ミスを闇に葬る。

    ○ 度々、そんなニュースを目にします。人間を無視し、自分たちのプライドだけを
    守ろうとする医者たち。同じ医学博士だからこそ、手塚治虫の描くこの物語には、
    医者たちの権威主義に対する厳しい視線が光っています

    あ、能書きを述べて「閻魔さま」から叱られる。 キョロ(・_・ )( ・_・)キョロ

「がんよ! 素晴らしい『宝物』をありがとう」

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 彼女に告げられた病名は「がん」。看護師として、その大変さを誰よりも知る自身が、一転して患者に。動揺を隠せなかった

▼入院中、毎日のように見舞ってくれた友。少し弱気になると、「頑張れ、頑張れ」と励ましてくれた友。母や姉のように包容してくれた友。そして今、車椅子で活動に励む彼女に付き添ってくれる友……

▼ふだんから自分は、何とありがたい友に囲まれていたことか。改めて気づいた今、彼女は「がんよ! 素晴らしい『宝物』をありがとう」と。病と闘う青森の婦人部員の手記である

▼日蓮大聖人は闘病中の婦人に手紙を送り、あなたの平癒を「大日月天に申しあぐべし」(御書986ページ)と励まされた。また書面には、門下の四条金吾も、医師として婦人の容体を案じている、と

▼利害でも義務でもない。同じ人間として同苦するのみならず、ともに祈る。苦難に立ち向かう勇気を分かち合う。創価学会の強さは、こうした心の絆を内外を問わず、大きく強く結んできたところにある

▼「本当は痛いはずなのに、いつも笑顔を絶やさない彼女、私たちのほうが勇気をもらっています」とは周囲の声。さあ、きょうも友のもとへ! かけがえのない「宝物」を、ともに見つけるために・・・・ 【名字の言】

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

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「がんよ! 素晴らしい
 『宝物』をありがとう」
 そう言える婦人は偉い。
 感動しました。

    ☆ 病上手に死に下手
    (やまいじょうずにしにべた)

    ○よく病気にかかる人は、なかなか死なないということつまり病気にかかる人は自
    分の身体に気を 使うから、かえって丈夫な人より長生きするたとえ。

    ☆「諺百科」では、民衆の中でだれが言うでもなく、古くから語り伝えられてきたもの
    をわかりやすく説明しながら紹介しています。近年、目まぐるしい生活環境の移り変
    わりで、忘れられていることわざや名言が数多くあると思います。

    ☆短い言葉の中には学ばなければならない知恵や教えがたくさん詰まっています。
    ことわざを積極的に使うと、話しや文章が生き生きとした豊かなものになってきます

    ☆ かく言う【珍念】13年前、悪性リンパ種で(某大学病院)で余命00月と宣告さ
    れ、大勢の方たちの励ましで、奇跡の生還をさせて戴きました。現在は再発もなく 
    完全に治癒しています

    ☆経過観察で時々病院に行っています。病院に行くのは苦になりませんです。
    <病院大好きですから>・・・・・ !(^^)!語弊があるかなぁ!

    ☆ともあれ。できる事なら、癌に罹らない方が良いですが天然呆けの「珍念」末期癌
    でも怖くなかったです。人間一度しか死にませんので・癌が全身に転移して暴れて
    いても根っこの珍念が死ねば 癌も死にますので(寄生木)のように生きていかれま
    せんので。みように 自負していました。

    ☆小欄の「珍念の誓い」に、延べています・・自分自身の体験を全部披露するは、
    無学の筆者では、至難の業ですノー天気の幼稚な <珍念の誓い>を読んで戴け
    たら 嬉しいです。

    ○今日も!絶好調です。話はムダを省き、短く纏めたい。長い退屈な話は「口害」と
    も言われる。

    ゲーテも 「美しき虹も、15分も 消えずにいれば、もうだれも見向きもしない」
    
と 手厳しい。きえます。    \( ^∇^)/θ☆ わ~い!

待ち遠しい「山笑う」

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 「山笑う」という言葉が好きだ。中国の古詩に由来し春の季語でも知られる。常緑樹に混じって、落葉樹の芽吹いた淡い若草色がぽこぽこと顔をのぞかせる。その濃淡を眺めると、本当に笑っているように見えてくる。

○10年前、取材先の女性にこの言葉を教えてもらって以来、春の楽しみにしてきた。ちなみに夏は山滴る秋は山装う、冬は山眠る。自然に寄り添い、暮らしていた昔の人の感性に驚かされる。

○一方、東日本大震災でこれほど自然の恐ろしさを痛感したことはなかった。それでも四季は美しい表情を見せる。複雑な思いにかられながら、今年の「山笑う」姿がいっそう待ち遠しくなる。【清流】

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・

◇うい! うぃ。 【珍念】のコメントは『蛇足』です。・・・・\( ^∇^)/θ☆ わ~い

<黄金> (@_@;)

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『黄金』(おうごん)は、1948年のアメリカ映画。 B・トレヴン原作。

解説: 1920年代のメキシコ。職も無くうらぶれたアメリカ人ボガートは相棒のホルトと共に、安宿の老人ヒューストン(アカデミー助演男優賞受賞)から聞き付けた金鉱掘りの話に飛びつく。偶然当てた宝くじの賞金を元手に、三人は金が眠っているといわれるシェラ・マドレの山へ向かった……。

○金を掘り当てるにつれ次第に仲間を信じられなくなるボガートの描写が鮮烈で、金の持つ魔力を如実に物語る。B・トレイブンの原作をヒューストン自身が脚色、どん底の生活から脱しようと金探しに賭ける三人の男たちの葛藤と破滅を活写した人間ドラマの傑作。アカデミー脚色・監督賞受賞。

あらすじ
▼  時は1920年代のメキシコ、メキシコ革命の混乱はほぼ収まっていたが、地方では山賊がはびこり人々を脅かし続けていた。革命後の新しい政府により、地方の統制と山賊の排除は、フェデラルズと呼ばれる、有能ではあったが非情な連邦警察に任されていた。

▼この話の主役ともなる3人のアメリカ人山師たちのような外国人にとって、山賊に出くわすことは死を意味するほど危険なことであった。同様に山賊も一度フェデラルズに捕まれば、自分の墓穴を掘り、「最後の一服」を与えれられ銃殺されることは明らかだった。

▼そんな中、ダブズ、ハワード、カーティンの3人の白人がメキシコの港町タンピコで出会い、一獲千金を夢見てシエラ・マドレの山中に金鉱を求めて旅立ったのである。男たちは途中で、ゴールデン・ハット率いる山賊の列車襲撃に遭いながらも切り抜ける。列車の旅を終え砂漠に出ると、これまで老人然としていたハワードは、屈強で知識豊富な山師であることを見せつける。

▼ハワードの活躍で金鉱が見つかり砂金が掘り出されてゆくが、黄金の魅力にとりつかれたダブズは次第に冷静さを失い、仲間を信じられなくなり、金を独り占めしたい衝動に駆られるようになってゆく。

▼コーディという一人旅の男が現れ仲間に入れてくれと申し出ている中、ゴールデン・ハットたちが今度はフェデラルズのふりをして接近してきた。警察の証のバッジを持たない山賊の正体を男たちは見抜き、銃撃戦となった。コーディが銃弾に倒れ、形勢が不利になったと思われたところで本物のフェデラルズの一団が現れ山賊を蹴散らした。

▼やがて、砂金の生産が減り、十分な金を手にした男たちは、山を下りる決心をする。ロバを引く道すがら、インディオの少年を助けたハワードは村人に請われて礼を受けるため、残りの2人と一時別れることにする。

▼ハワードを裏切り金を山分けにしようと言うダブズと、コーディも入れた4人で分けるべきだとするカーティンはついに対峙する。勝負に勝ったダブズは瀕死のカーティスを後に町へと向かうが、寸前で三度ゴールデン・ハットに遭遇し、あえなく命を落とす。

▼一方、カーティスは一命を取りとめハワードと合流する2人はダブズを追い町に着くが既にダブズは死に、ゴールデン・ハット一党も処刑されたと知らされる。ようやく砂金が捨てられた場所へと辿り着くも、折からの季節風が金を空中へと吹き飛ばしてしまうのであった。全ての冒険と苦労が無に帰したことを知った2人はもう笑うしかなかった。

▼ハワードは彼を必要とするインディオの村へ、カーティンはコーディの残した家族に会うためテキサスへ、それぞれの道へと馬を向けるのであった。(ウィキペディア)

      ・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

   ◇大変古い映画ですが、普遍的な人間の姿を描いています

   「金は人を変える」という諺を体現した映画ですが、決して

    説教めいた映画ではありません。うらぶれた3人の男が

   黄金を手に入れるまでの過程、手にした事による疑心暗鬼

   人間故の愚かさや欲望のすべてに共感でき、その描き方は

   サスペンスフルで極上な”娯楽映画”に仕上がっています

   皮肉を伴うラストシーンも秀逸です。

  ◇(百聞は一見に如かず) 是非是非ご覧ください。

  あ・・これ以上は『蛇足』です。・・・\( ^∇^)/θ☆ わ~い

<皇帝の三つの質問 (トルストイ)>

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◇ブレハブ小屋に無造作に収納されていたスクラップブックを整理中、次のような出来事が書いてありました。ご紹介します

▼本年は(2008年)ロシアの文豪トルストイの生誕180周年。それを記念して制定された「トルストイの時代」賞の第1号が池田SGI会長に贈られた。

▼授賞を発表したウラジーミル・トルストイ氏は文豪の玄孫。氏は今年、来日中の講演で、文豪が悩める友に教えた民話を紹介した。

――皇帝が三つの質問の答えを探していた「一番大事な時はいつか? この世で一番大事な人は誰か? 今何をなすべきか?」

▼賢者に聞いても分からない。落胆して散歩に出たときに出会った少女に尋ねると、「一番大事な時は今この時、大事な人は今自分の横にいる人、なすべきことは自分の横にいる人に善を行うこと」と

▼皇帝は喜び、少女が持っていた重い井戸水を代わりに運んであげた、というもの“あれこれ悩むより、かけがえのない今を悔いなく生きよ! 眼前の一人を救え!”と、文豪は友を励ましたのだった

▼人は悩むと観念の迷路に陥りがちだ。だが、行き詰まりを打破するには行動しかない。文豪の晩年は、思想を行動に移す戦いだった。先のSGI会長への授賞も、文学・哲学遺産の普及と人類の精神変革への「行動」を讃えたものだ。思想は勇気の一歩の中に生き続ける。【名字の言】

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◇最も野蛮な迷信のひとつは、人間が信仰なしで生きうるものだ、という独断に対する現代の、いわゆる学者の大多数の持っ迷信である。

◇最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである。 {トルストイ}

◇愚か者の【珍念】重い井戸水を汲んでいた少女に恥じています。<皇帝の三つの質問> 胸にずしりと響きます。一番良い解答は、即 実行することです!

\( ^∇^)/θ☆ わ~い

太陽みたいな笑顔で

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手足のない彼女がエール あきらめないで!

佐野有美著「手足のないチアリーダー」(主婦と生活社)CDアルバム「あきらめないで」
日本レコード大賞「企画賞」受賞太陽みたいな笑顔で

◇高校でチアリーディングと出合え、卒業後は会社に就職昨年はCDデビューをして、アルバム「あきらめないで」でレコード大賞の「企画賞」を頂くことができました。

◇腕で抱きしめることはできなくても、声を通して人を勇気付けることはできます。

◇多くの人に支えられてきた私ができること――それは“太陽みたいな笑顔”で、皆を元気にすること。そして何より「諦めず、今を一生懸命生きること」だと思います。

◇正直なところ、好きな人と手をつなぎ、自分の足で歩いてみたい気持ちもあります。

◇でも母は「有美に手足がある姿を想像できない」と。高校のチアリーディング部の顧問には「有美には、もう手足が生えてこない」と諭されました。

 これが私です

◇この体に生まれたことを、両親のせいにしたことはありません。なぜなら、「人は誰もが役割をもって生まれてくる」のだから。・・・【名字の言】

★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★゜・。。・゜゜・。。・゜☆

K3446131 感動しました。

 ※佐野有美さんに関するお問い合わせは「㈱Mプランニング」のホームページ(http://www.m-plan.net/)をご覧ください

「言葉を扱う職業」

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 定期健康診断を受けた。看護師さんが「少し、ちくっとしますよ」と注射をする。終えると、「大丈夫ですか?」「ご気分はいかがですか?」。こちらの立場に立った一言に、心が温かくなった

▼医療にとって、技術の進歩が大事なことは言うまでもない。それ以上に言葉の重要性が増していると、医師の鎌田實氏は指摘する。人間を相手にするからには「言葉を扱う職業」との認識に立て、と

▼例えば、患者の側が薬や治療の説明を求めても、「素人にはわからないよ」と不愉快な顔をする医師がいる。そうした言動が、患者に不信や不安を抱かせ、ひいては生命力を減退させかねない。氏は訴える。「丁寧で、心をちょっと支えるような言葉が必要」「生きる力を注ぐ言葉が大事」 (『言葉で治療する』朝日新聞出版)

▼医療の現場だけではない。言葉は、人間関係を円滑に導く“橋渡し”だ。だが今、対話を断ち切ろうとする“素っ気ない”“冷たい”言葉があふれてはいないか。心を傷つける言葉が横行すると、人間も社会も病んでいくばかりだ

▼友の成長を喜びたたえる言葉、悩んでいる同志を勇気づける言葉。その根底には、「祈り」という、命と命を結ぶ同苦の心が輝いている。この創価の慈愛の世界を広げたい 【名字の言】

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

☆【珍念】も「丁寧で、心をちょっと支えるような言葉が必要」「生きる力を注ぐ言葉が大事。その「注射」を是非打って貰いたい!・・・・\( ^∇^)/θ☆ わ~い

「仲人の落とし扇」

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 昔の大阪の言葉に「仲人の落とし扇」というものがある。結納や婚礼が滞りなく進行している時に、仲人が扇を落としてしまう。仏教的な根拠などないが、世間的には扇は「末広がり」「縁起がいい」ことの象徴。それを仲人が落とす。迷信深い人ならば、「縁起でもない」となってしまうところだ。が、この言葉が意味するところは違う。そのぐらいの“失敗”は、むしろプラスというのだ

▼すべてが完璧、何の欠点もない、などということは、あまりあるものではない。もしあったとしても慢心や油断を生み、敗北の因となるかもしれない。また、少し欠点があった方が、価値が高まる場合がある。そのような教訓を込めた言葉だ

▼大病を克服した壮年が語っていた。「南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さは(障)りをなすべきや」(御書1124ページ)の一節に、どれほど勇気づけられたか

▼「現実に病気はある。ぱっとなくなるわけではない。でも病気ごときに、わが人生を邪魔されてたまるか」「病気よ、そこをどけ! 邪魔するな!って、心で叫びながら題目あげたよ」

▼人生に、失敗や苦難はある。それがないことが幸福ではなく、それを克服する勇気を持つことこそ、真の幸福なのだろう。【名字の言】

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*.。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。..。.:**:.。.

Kann1    旨い。あっぱれ!
   一言居士の【珍念】
   恐れ入谷の鬼子母神
  (おそれいりやのきしもじん)

   こっそり 消えまする。・・・\( ^∇^)/θ☆ わ~い

私の宝「耳かき」

Mimi

 かつて先輩に耳かきを頂戴したことがある。同封の手紙には貴重なアドバイスが。「良い文章を書くには、まず、人の心の声に耳を澄ますことです」「とかく、人は物事を一気に推し進めたり、理解したがるものですが、本来は耳かきですくえる程のものを地道に、誠実に積み重ねてこそ真実に近づけるものです」

▼これらの助言は今日までの指針ともなっている。心の声に耳を澄ます。地道に、誠実に物事を漸進させる――この1年、復興へ歩む人々が心を砕き、真剣に取り組んできたことと重なる

▼先日、友人の仮設住宅で手作りのひな人形を見た。大震災で家財の全てを失った友人に、地元の同志が届けてくれたという。励まし続け、共に泣き、祈り、一歩ずつ前進してきた同志だからこそ贈ることのできる“真心の春”だ

▼関東大震災の翌年の桃の節句。東京等の被災地の人々が今でいう仮設住宅に、ひな人形を飾った。この情景を歌人・与謝野晶子は、「苦労を忘れると共に、新しく励む元気を生むことになります」(『与謝野晶子評論著作集』龍溪書舎)と記した

▼「3・11」から、この3月で1年。人生勝利の春へ歩み続ける方の心の声に耳を傾けたい。どこまでも伴走し、雄姿を書きとどめていきたい。【名字の言】

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◇旨い!あっぱれ。【名字の言】は甚深の哲学がある。こういっては、我田引水とお叱りを被るかも知れません変人の【珍念】読むたびに感動している。いゃ 痺れている。

◇ 「私の宝」は 48年前、21歳の時・まだ髪の毛もふさふさしていました。悩み・苦しんでいる時。不思議に池田大作名誉会長に、三回、お目にかかり、激励を受け著書の本3冊を戴きました。光陰矢のごとし 月日が流れても、その時の感動は走馬灯のように脳裏に浮かんできます。苦しい時。楽しい時。も いっも 心に池田先生がいられる。

○ちょいと【珍念】の文才では「師弟不二」に言及するのは おこがましいので・・・・口を閉じます。

Hyoudai_2     もう一つの「宝」は、
    ある(パソコン塾)の先生です。
   通い始めて一年になります。
   その先生は花も実もある
   立派な人です。

【珍念】さん あそこは こうしたら見栄えがよいかも知れません。ある方がブログの事で「珍念のひとりごと」について尋ねられたとき。先生は【珍念】さんのは けた違いに凄い。と言っていられた。幼稚な(珍念)天にも舞い上がるようでした。

○早く体調を整えて塾の皆さまと、先生に会いたいですそうそう 、お近くの皆さま、興味あられる方は、一度見学においで下さい。

あ・・きょうも【珍念】の減らず口は絶好調です!・・・・\( ^∇^)/θ☆ わ~い

<命は誰のものかなぁ>

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 体調に異変を感じ、病院へ。医師はまゆを曇らせ、「すぐ入院を!」と告げた

▼「ちょっと待ってください。大事な用があるので、それを済ませてから、また来ます」。医師を説得し、自宅へ戻り、締め切り間近の原稿を仕上げて、再び病院へ。現在、治療も無事に済み、元気に活躍されている。中部文芸部の方である

▼「もちろん、医師の言うことは、きちんと聞くべきでしょう。命は大切です。でも、原稿執筆の約束も、破るわけにはいかなかった……」。自分の命と約束のはざまで苦悩しつつも、勇を奮い起こし、すべてに勝ち抜く。その気骨に胸を打たれた

▼命は尊い。一人の命は地球より重いと言われる。その通りだ。が、ここで注意しておくべきことがある。この命は誰の命か。もちろん「自分の命」も含まれるが、何より「相手の命」なのだ

▼作家のアンドレ・マルロー氏は、池田名誉会長との対談で語った。「人間の権利」を教えるとは結局、「他者たちの権利」を教えるということだ、と。“自分のため”より“友のため”に――その生き方を学ぶことが、人間としての最重要課題にちがいない

▼私たち創価の同志は、命を懸けて、きょうも戦う。何よりも「友」のため、「あなた」のために。【名字の言】

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

012759s1 <珍念>のコメントは

  「蛇足」です!

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