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「小さな生き物」(^-^)

    A11 珍念のひとりごと

 筆者は、昨夜、摩訶不思議な夢をみました。

それは(大蛇)と(トラ)にどこまでも追われて断崖絶壁に阻まれて

「万事休す」の時・目覚まし時計のベルで目覚めパジャマが寝汗

で、びしょびしょに濡れていました。

 ▼朝日新聞の「天声人語」に次のような事が述べてありました。

人は蛇を怖がるか、蜘蛛(くも)を怖がるか、どちらかだということを

劇作家の故・木下順二さんが書いていた。

脚のあるものとないもの、どちらが苦手か、という二分法だろう。

ご自身は蛇なら平気だが、大きな蜘蛛を見ると総毛立ったらしい

 ▼「蜘蛛」という字を書いただけで、体がざわざわしたそうだ。

思えば「虫偏」の漢字は不遇である。先の小欄で、蛞蝓(ナメクジ)

や蚯蚓(みみず)といった虫偏を並べたら、書きながら字づらの

”迫力”にたじろかされた。 だが!

「虫たちも生きているんです」という優しい便りをいくつか頂戴した。

 ▼「虫」の字はもともと、ヘビの象形なのだという。

柔らかい篆書(てんしょ)体の字を見ると、なるほどヘビがくねる姿

に似ている。柔らかい爬虫類(はちゅうるい)を元祖に、両生類から

昆虫、その他大勢も表して、虫偏は生き物の一大勢力をなす

 ▼ルナールの「博物誌」にも虫偏が色々登場する。

蛇を天敵にする蛙の項もある。「睡蓮の広い葉の上に、青銅の

文鎮のようにかしこまっている」などと、あの神妙な思索顔を描

いていて楽しい。

 ▼だが近年、その蛙族の受難がよく伝えられる。開発や農薬に

追われ、感染症にも脅かされている。

先日は北九州市の川沿いで片脚のない蛙が大量に見つかった。

 ▼原因は不明という。災いの発端が、ささいな、異変として表さ

れることもあるから気味が悪い。

ありふれた虫偏の生き物たちが、当たり前に周りにいる尊さを

いま一度胸に刻みたい。

(小蟻どもあかき蚯蚓のなきがらを日に二尺ほど曳(ひ)きて

日暮れぬ〉啄木。 わが命につらなる、小さきものたちの営みである。

 ☆ 仏典には「蚕(かいこ)と蜘蛛(くも)」の譬えがある。

蚕は自分が口から吐き出した糸によって自らを縛り上げ、最後

に繭に覆われて動きがとれなくなるが、蜘蛛は糸を吐いてその

上を自在に動き回る。人間のもつ執着や欲望が、ある時は自身

を縛る軛となりある時は向上や成長へと向う生のエネルギーとも

なることを示した譬である。

 ☆感覚的な楽しみといった身近なものから、自己実現への

あらゆる欲求に至るまで、人間の行動を駆り立て着き動かす

多層にわたる欲望や執着・・を真の生へのエネルギーへと昇華し

深き生へのダイナミズムへと転換することこそ、移ろいゆく人生に

確かな充実をもたらす道であることを仏法は示している。

 ☆生命の年輪は、ただ年齢によって刻まれるものではない。

そこにどれだけの生に歓喜と躍動深き充実感が刻まれているか。

いわゆる欲望や執着に追い回されるようにして生きた人生か。

それとも死をも超えて真に執着すべき目的へ向かって完全燃焼

した一生であったか、それこそが永遠なる生命の輝きを決定づ

けるのではないだろうか!

 ☆大宇宙から見れば「珍念」も(小さな芥子粒)のような生き物です。

どれだけ長生きしたかより、どれだけ世の中の役に立ったか・・!

きっと、あの世で閻魔さまから厳しく断罪され兼ねませんです。

愚か者の珍念・まだまだ 欲望や執着に心が揺れています。

蚕の生き方はちょいと 蜘蛛の生き方のほうが。モジモジ(。_。*)))

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