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幹部は率先して身をただせ!

     A11珍念のひとりごと

 孫子の兵法に・・(よく兵を用いる者は、道を修めて法を保つ

 故によく勝敗の政を為す)と。

 ▼李広将軍は秦の時代に燕の太子丹を捕えた人物である。

漢の文帝の14年、匈奴が侵入した時。弓の名手である李広は

馬上から多くの敵を殺し、あるいは捕虜にした、そして匈奴を撃退した。

 ▼景帝の6年匈奴が大拳して上群に侵入した。 ある日、百騎ばかり

を率い李広を寵愛する宦官を守っていると、数千騎の敵がいるのが

見えた。匈奴の兵は李広らを見て囮と思い山に登って陣をしいた。

李広の率いる百騎も驚いて、馳せかえろうとした。すると李広は

「我々は本隊から数十里離れているのに、こんな状態で、すぐ逃げだ

せば、匈奴に後から射かけられて、全滅しまう。じっとしておれば

匈奴は本隊の囮だと思って、攻撃してはこまい」

 ▼李広は、百騎を率いて匈奴の陣の二里ほど手前まで進め馬

から降りて鞍をとかせた。「あいつらは。我々が逃げ出すと思っている

だから、鞍をといて逃げようとしないところを見せ、いよいよ囮だと思い

こませるのだ」・・・はたして匈奴の兵は攻撃しないで立ちさつた。

李広は兵法にも長じていたのである。

 ▼李広は清廉潔白であった。恩賞が下賜させれば兵士に

分け与えた。飲食も兵士とともにした。

李広が死んだ時、四十年もの間二千石の禄を

貰っていたのに、家には蓄えがほとんどなかった。

財産のことを口にしたことは、なかった。同僚の将軍、程不識

はこう言った。

「李広の軍は格式ばっていない。兵士を楽しませているから

みな喜んで、李広のために死のうとしている」と。

 ▼匈奴は李広の智略を畏れ、兵士もまた李広に従うこと

を喜んだ。

武帝の時・李広は大将軍衛青に従い匈奴を攻撃中道を失い

戦闘に間に合わなかった。大将軍はそれを責め記録係を

李広のもとに派遣して報告を取らせようとした。・・すると李広は

「将校たちに罪はない。わしが自分で道を見失ったのだ、自分で

報告書をつくる」といい、さらに部下に向かって、「元服以来、匈奴

と大小七十回あまり戦ってきた。このたび、幸いにも大将軍にした

がって出征し、単于の兵と対することになった。ところが、回り道

をすることになって道に迷ってしまつた。天命と言わねばならない」

といって、自分の首を切った。

 ▼道に迷った責任をとり、法の決まりを明らかにしたのだ。

李広の軍は、一人残らず声をあげて泣いた。国民も、それを聞いて

李広のために涙を流した。

仏典にも「石に矢のたつ是{これ}又、父の敵と思いし至信の故なり

李広は復讐の一念の故に草かげの岩を父を殺した虎と信じて

弓で射たところ、石に矢が突ささったと言われている」。

○読者の皆さま、面白くも、なんともない (@_@;) あくびがでるかも

しれません・・お気に障ったらお許しください。 

もうちょいと お付き合い戴ければ幸いです。

▼同じく道に迷った右将軍趙食其は、その罪によって死刑に処せられ

るはずだったが、金で償って平民に下った。李広のごとき将軍こそ

孫子のいう「よく兵を用いるものは、身をいさぎよくして法を守る」と

戦争を含めて、あらゆるものは人間の論理の上に成り立っている。

 ☆しかるに、選挙で落選した千葉法務大臣には、あいた口が塞が

りません、それを党内事情で遺留した官首相も「殿ご乱心」? ナヌ! 

戦いに大敗した責任を取らない・・また、企業でも 個人でも 大事な

規範が・・問われています・愚か者の「珍念」李広将軍の爪の垢でも

煎じたらなぁ と 思ったりしています。

孫子の兵法に「同じ作戦は二度と使ってはならない」との戒め

がある。(その戦い勝つや 復さずして形に無窮に応ず)と

あ、つい「珍念」調子に乗って大法螺を・・もう消えます (゚ー゚;

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