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2010年6月

「心の不思議」 (●^o^●)

    A11_2 珍念のひとりごと

 「圧倒的に巨大で機能性の高かった防衛力に劣らないくらいに

重大さで税制によっていた」。1200年のローマ帝国の歴史の中でも

最盛期の約200年は、「バクス・ロマーナ(ローマの平和)と呼ばれる・

繁栄理由を、塩野七生さんは、「ローマ人の物語」の中で、こう指摘した。

 ▼いつの時代でも、税制は重要だ。まして、日本の財政状況が先進国

最悪とされるなか、今回の参院選も消費税引き上げが争点となるのは

当然のことだ。だからカナダ訪問中の官直人首相が、消費税に

ついて、同行記者に語った言葉には、耳を疑った。

 ▼「(野党に議論を)呼びかけるというところまでが、私の提案だ」。

首相はこれまで、「税率は10%を参考にしたい」

「公約と受け止めてもらって結構だ」と言い切ってきた。

自らの発言を、修正液で消そうというのだ。

 ▼世論調査で内閣支持率が下落しているのが、よほどこたえている

と見える。首相発言に連動しているのか、「消費税は争点ではない」と

街頭演説する民主党の候補者まで現れた。

 ▼G20首脳会議で採択された宣言には、先進国が2013年までに

財政赤字を半滅させる目標が盛り込まれた。ただし、日本だけは例外

扱いだ。各国からイエローカードを突きつけられたといえる。

それでも、国民の目を消費税論議からそらす道を首相は選んだ。

 ▼塩野さんは政治家の心情として、他者によく思われたいという

虚栄心と、他者の想いに関係なくやり遂げようとする野心がある、という。

「発言修正」で、官首相の野心がますます分からなくなった。

その「現実主義」がただ政権を安定的に維持したいだけの虚栄心に

基づくとしたら、日本にとって、これほど不幸なことはない。

コラム 「産経妙」 引用    ( ^ω^)おっおっおっ

○ この「コラム」言いえて妙です・座布団10枚差し上げます!

  閑話休題  <船の運命を左右する三毛ネコの神秘>

動物には、不思議な能力があるといわれる。そして、昔から、人間は

その能力を利用しようとしてきた。船乗りのあいだでは、オスの三毛

ネコが幸運を招くとされている。

そのため、昔の大和船では、必ずネコを船内に飼い、ネコが騒げば

シケになり、眠れば海は穏やかになると信じられていた。

しかも、シケで方向が分からなくなった時には、ネコは北の方を向く

ので磁石のかわりになると言われている。

 ▼これらは、科学的に証明された事実はない。しかし、実際に三毛

ネコが、船の運命を左右したという事件がある。

 ▼第一次大戦末期、日本の船が潜水艦に撃沈されたのだが、その直前

に、飼っていたネコが隣の船に逃げ出していたというのである。

 ▼また、逆に別の船からネコが逃げ出してきて、とうとう住み着いて

しまいその船が奇跡的に撃沈を逃れて助かったという事件もあった。

こうした事実を見れば、「オスの三毛ネコは航海の守り神」という説も

あながちデタラメとはいえない気がする。

動物とは、実に不思議なものである。

 ▼そうそう・「万物の霊長」の人間も・・動物でした (#^.^#) 

珍念も、「才能ある畜生のたぐい」かも知れませんです。 三毛ネコより

予知能力は有りません。・・悪知恵は無尽蔵に出ますが良い知恵は

髪の毛のように 余りないです。 今日も 反省しています。

あ・・愛犬が散歩に連れて行くように 甘えて・・いるぅ・・!

妻からは・・知人宅に連れて行ってと・・・せがまれる・ぅうう。

珍念・・戦国の武将、武田信玄のように影武者がいたらなぁ・と 変な

妄想を抱いています。 ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

「高額報酬に思う」

  A11 珍念のひとりごと

 浅草を愛した永井荷風が、いつものように劇場で踊り子

たちと歓談して帰る途中、顔見知りの(街娼)に会った。

昭和24年6月18日のことだ。隅田川のほとりに連れ出して

暫く話を聞き、謝礼のつもりで、百円札3枚を渡そうとした。

 ▼「そんなに貰っちゃわるいわよ」。若い娘は遠慮して受け取

ろうとしない。荷風は、その日の日記「断腸亭日乗」に感謝して

つづる。「年は21になるべし。その悪ずれせざる様子の可憐なる

ことそゞろに惻隠の情を催さしむ」。善良な娘の身の上話を小説の

種にして、原稿料をむさぼるのは、買春行為より浅ましい、とも。

 ▼先週、各地で開かれた株主総会や公開された有価証券報告書

によって、1億円以上の役員報酬を得ている企業トップの名前が次々

に明らかになった。「そんなにもらっちゃ悪い」と突き返す人はいなか

ったのか。

もちろん、高額報酬と縁がない小欄からの、単なるいいがかりである。

 ▼ところで、暮らしぶりにこそ質素だったものの、荷風は大変なお金

持ちだった。印税収入のほか、投資家としてもすご腕だったらしい。

いつも持ち歩くポストンバックに入っている預金通帳には、約二千万円

の記入があった。

 ▼今の物価で換算すると、1億円を超える額だ。荷風がそのバックを

電車の網棚に置いて盗まれ、ニュースになって世間に知られてしまつた。

幸い米兵が駅で拾い、中身もそのまま帰ってきたものの、それからが

大変だった。

 ▼金を無心する手紙が、全国から自宅に殺到したのだ。

「私のところは銀行じゃありません」。荷風がうんざり顔で語る、古い

新聞記事も残っている。高額報酬を公表された方々にも、苦労が

あるかもしれない。なんだか気の毒になってきた。

コラム「産経妙」引用

 ▼珍念・・学歴も・肩書きも・財産も、持っていませんので何も

心配はないですが・・でも・・欲しいです! モジモジ(。_。*)))

 ▼「喜劇王チャップリン」は言いました。

「生きることは素晴らしい」 「笑うことは素晴らしい」と

名作「ライムライト」(1952年完成)で(チャップリン自身を思わせる

老勇カルブエロが、足が麻痺して絶望している、バレリーナの娘テリー

を励ますシーンで・・・){人生は美しい!生きることは素晴らしい!君は

いつも病気(悩み)のことばかり考えて、暗く、うっむいている。

それじゃ、いけない。

人間には「死ぬ」ことと同じぐらい、避けられないことがあるんだ。

それは生きることだよ!」

「生きる」ために必要なのは、ただ、ほんの少しのお金と、そして

「勇気」なんだよ}と。

あ・・つい 珍念 減らず口を叩きました・・閻魔さまから叱られる・・ぅう

そく・・退散します。 ( ^^) _旦~~

「池田大作 名言100選」をよんで!

   A11 珍念のひとりごと

 脳科学者の「茂木健一郎」氏の「池田大作 名言100選」をよんで

の感想文をご紹介します。

言葉に対する信頼を回復するためには、深くて粘り強い対話が必要!

 ▼人は、一人で生きていくことはできない。お互いに助け合い、関係

性のネットワークを築くことによってこそ、自分自身の生命を輝かせる

ことができる。

 ▼他人とコミュケーションを図る上で、最も力になるのが「言葉」である。

池田大作さんの「名言100選」には、他者と真摯に向き合うことで自分を

高めるきっかけを与えてくれる言葉が散りばめられている。

 ▼インターネットなどの新しいメディアが発達し、世界が蜜に結びつけ

られている現代。立場や志向性の違いを超えて、言葉を通して他者と

かかわることの必要性はますます増大している。

 ▼「たった一つの言葉にも、人生を変える力がある」と池田さんは言う。

また、「対話こそ人間の特権である。それは人間を隔てるあらゆる障壁

を超え、心を結び、世界を結ぶ、最強の絆となる」とも語る。

 ▼人間の脳の働きから見れば、言葉は、他人のために何かをすると

いう「利他性」と深く結びついている。自分のために、というのでは一人分

の力しか出ない。他人のために、と思ってこそたくさんの力がでる。

 ▼「笑顔は、幸福の結果というよりも、むしろ幸福の原因だといえよう」

「自分だけの幸福もなければ、他人だけの不幸もない。人を幸福にした

分、自分も幸福になる」という池田さんの言葉を、私たちは噛みしめる

べきだろう。他者の声に耳を傾けることの楽しみの一つは、そこに

反映されている人生経験の重みを感じ取ることである。

 ▼「毎日、雨の日も嵐の日も、寒い冬も暑い夏も、太陽は同じように

運行していく。その太陽と同じように、いかなるときも、庶民のお母さん

は、多くの労苦を一身に担って、生命を育み、守り。慈しむ。庶民の

お母さんが一番尊くて偉いのだ」

 ▼池田さんのこの言葉を、私は美しい短編小説のように読んだ。

言葉に対する信頼を回復するために、私たちは深くて粘り強い対話を

必要とする。本書はその出発点となろう。

 ☆読者の皆さまへ・・珍念の、要らざる「コメントは蛇足」ですので

すぐ退散します。 (*´v゚*)ゞ \( ^∇^)/θ☆ わ~い

「演説」ヾ(´ε`*)ゝ エヘヘ

  A11 珍念のひとりごと

 英語の「スピーチ」に、福沢諭吉が「演説」の語をあてたのは

よく知られている。

かの「学問のすゝめ」でも、「我思うところを人に伝うるの法なり」

などと解説している。もともとあった「演説」という語を、「舌では

俗っぽい」と「説」に替えたそうだ。

 ▼たしかに、話す言葉の不実をたとえる「舌」のイメージは

芳しくない。「舌先三寸」に「二枚舌」「口舌の徒」「舌の根の乾かぬ

内に」というのもある。舌でごまかさず説を述べるべし・・訳語には

そうした思いが込められていたかも知れない。

 ▼ところで今日は、諭吉が開いた日本で初の講演会にちなむ

「演説の日」だという。折しも参院選の選挙サンデーである。

津々浦々で言葉が飛び交うことだろう。それが「演説」なのか、「演舌」

ではないのか、ここはじっくり吟味したい。

 ▼「口に蜜あり腹に剣あり」などと中国の故事に言う。

悪だくみを腹に秘めた政治家など、今の日本にいるまいが甘い言葉は

あふれている。剣はなくても、腹の中がからっぽなら有権者はまた

「力量不足」という肩すかしを食うことになる。

 ▼諭吉が偉かったのは、訳語を作っただけでなく、演説を真っ先に

実践したことだろう。それは政治家にかかせぬ技能となる。

切磋琢磨から多くの名演説が生まれ、言論として光を放ってきた。

 ▼その輝きが衰えたと言われて久しい。

政治家の言葉を楽しむ、心震わせる機会は、いまやすっかり希少

になった。選挙戦を眺めつつ、物干し台で特訓をしたという諭吉の

時代の熱に、ふと想いを致してみる。 朝日新聞 「天声人語」引用

 ▼珍念・「憲政の神様」「議会政治の父」と謳われた尾崎行雄

に思いを馳せています。

(おざき ゆきお、安政5年11月20日(1858年12月24日)生まれ

昭和29年(1954年)10月6日没)は、日本の政治家。

清廉潔白の政治家で日本の議会政治の黎明期から戦後に至るまで

衆議院議員を務め・当選回数25回・議員勤続年数63年・最高齢

議員記録95歳・東京市長の時「アメリカ」に、桜を贈る・ポトマック川

に「ソメイヨシノ」の桜が今も春に綺麗な花を咲かせている。

 ▼真の政治がなければ、民衆はあまりにもかわいそうである。

今後、必ずや、この願い通りに、絶対に民衆を裏切らない。本物の

政治家が出てくることを信じたい。また青年が、日本のため、世界の

ために、実現していただきたい。

 ▼ヨーロッパをはじめとして一級の政治家、指導者には、詩心が

ある人が多い。詩の精神が真の政治には必要であろう。と

恩師は語る。

あ・・珍念 (#^.^#) つい、下手な演説を、閻魔さまから二枚舌を

抜かれる・・三十六計逃げるに如かず・・消えます。 ( ^^) _旦~~

「兆し」

   A11_2 珍念のひとりごと

 ローマ帝国が滅亡の坂を転げ始めた3世紀。皇帝が

次々に交代した。平均在位は4年。

▼「五賢帝時代」と称され、帝国が最も繁栄した頃、在位は

約20年だった。「ローマ人の物語」を書いた塩野七生さんは語る。

「危機の時代は、指導者が頻繁に変わる。首をすげ代えれば、危機も

打開できるとかと、人々は夢見るのであろうか」「(日本人へ)文春新書」

 ▼その後、すぐに帝国が滅びたわけではない。

度重なる指導者の交代が一貫性のない統治を生み、国力を弱め

危機を乗り越えられなくなったのである。

 ▼物事の動きには”兆し”というものがある。仏典には「(水に浮かん

だ)華が見事に咲くのを見て、池の深いことを知る」とある。

目の前の変化に一喜一憂したり、目先を少し変えて安心しては

いけない。表面に出てきた姿の裏に真実がある。

それを見抜く透徹した目をもっことが肝要だ。

 ▼私たちの生活でも、大きな事故を起こす前には必ず、小さな

ミスがある。大病にいたるまでに小さな症状がある。心に油断が

あれば、兆しを見逃してしまう。 コラム「名字の言」(立)引用

 ▼ハインリッヒの法則(1:29:300)

これはアメリカの技師ハインリッヒが発表した有名な法則です。

労働災害の事例の統計を分析した結果、導きだされたものです。

数字の意味は、重大災害を1とすると、軽傷の事故が29、そして

無傷災害は300になるというもので、これをもとに「1件の重大災害

(死亡・重傷)が発生する背景に、29件の軽傷事故と300件の

ヒャり・ハットがある。」という警告として、よく安全活動の中で出てくる

言葉です。

 ▼日常、ヒャリ・ハットの状態にいかないが(もしくは自覚しない)

実は、非常に不安全な状態や行為となると相当な件数になる。

いっもやっていることだから、今までも平気だったので・・という

不安全行為が、いつ「ヒャリ・ハット」を飛び越え一気に

重大災害になるかも知れません。

「1:29:300」で言い表されている比率は、よく考えれば非常に

高い確率で重大事故を招くことを示唆しています。いつやってくるか

分からない災害を未然に防ぐには、不安全な状態や行為を認識し

ヒャリ・ハットの段階で地道に対策を考え、実行(よい習慣として

身につける)していくことが重要です。

 ▼不肖・珍念・・仏法は、人生と社会で勝利するための哲学

大海原を安全に航行する羅針盤だと自負しています。

各人の幸福・地域の発展・わが国の繁栄・・・へ万般にわたって

兆しを知り、真実を見抜き、異風堂々と語り行動していきたい。

最後には勝つそう決めていこう!

   A11 珍念のひとりごと

 「どうせ・・」という言葉をすてよう、最後には勝つ

 そう決めていこう!

頭をふれば髪ゆるぐ心はたらけば身うごく、大風吹けば草木

しずかならず・大地うごけば大海さわがし・教主釈尊をうごかし

奉れば・ゆるがぬ草木あるべき・さわがぬ水やあるべき」

「日限女造立釈迦仏供養事」1187ベージ {日蓮大聖人}

 ▼{頭を振れば髪が揺らぐ。心が働けば身体が動く。大風が

吹けば草木も静かではいられない。大地が動けば大海も波立つ

同じように、教主釈尊を動かせば・揺るがぬ草木があるだろうか。

騒がない水があるだろうか。 あ・・珍念・髪の毛が少ないので

頭を振っても・・揺らぎません です ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙ わーい

 ▼ 閑話休題 (゚ー゚;

心理学の世界では今、このように言われているそうです。

「成績の不振は、その人の能力のなさからきているのでは

ない」と。では、なんでしよう。それは「自分を悲観的に見る習慣」

だそうです。つまり、自分が「力がない」「才能がない」という思い込

みです。いったん、そういう「習慣」がついてしまうと、何に対しても

あきらめに心が占領されて、「どうせ、やったってダメだろう・・・」と

 ▼さらに悪いことに、うまくいかないと周囲から「努力しょうよ」

「怠けないで」「いいかげんではいけないよ」とアドバイスをされて

しまうもの。ところが、そう言われると、「自分は怠け者で、いい

かげんな人間なんだ」と、知らず知らずのうちに思いこんでしまう

ものです。

 ▼周囲は”何とかしよう”という思いなのですが、まったくの逆効果

です。「悲観的に見る習慣」がついてしまうと、たとえ、「やすやすと

上れる坂」であっても、心の中で、「巨大な壁」と見えてしまう。

さらには、失敗するのではと、びくびくしてしまい、なおさら失敗しやすく

なってしまうものです。

読者の皆さま・・ちょいと長い・・なが~い 退屈な論文ですが、お気に

障ったらご容赦ください。

 ▼でも、よくよく考えてみてください。その人は「能力がない」わけでも

「やる気がない」のでもないことがわかるはずです。

足りないものは、ただ一つ、”できる””やれる”という「楽観主義」です。

では、積極的な考え方をするようになるには・・・?

 ▼この御文は、日蓮大聖人が門下の婦人(鎌倉の門下の中心者で

あった四条金吾の妻・日限女)に送られたお手紙の一節です。

その婦人は厄年を気にしていました。厄年は心身の調子に変化がある

年齢です。大聖人は、”その節目を勝ち超えるなら、健康・長寿で進め

ます”と励まされ、そこで大切なのは{根本からの変革}であると教えら

れたのが、この御文です。

一つの頭を振れば、すべての髪が揺れます。心一つが定まれば全身を

駆使して動けます。根本を動かせば、すべてが変わるのです。

 ▼ここで仰せの「教主釈尊」とは、全宇宙の森羅万象の根本に息づく

永遠の生命であり、人々を幸福へと導く、壮大な慈悲の動きです。

御本尊への祈りを根本にすれば、自身の内にある仏の命も、周囲の

人々も、すべてのものに具わる仏の命も、一気に動かしていけるのです。

すべてを味方にできる。この確信こそ、究極の「楽観主義」です。

大聖人は、”あなたはできる!”という強い自信を与えられたのです。

 ▼ですから、周りに「自分を悲観的に見る習慣」に陥った人がいたなら

知恵を絞って、「あなたならできる」という自信を伝えていくことが大切です。

 ▼池田名誉会長は言いました。「どうせ」という言葉を捨てよう(無理だ)

という言葉も捨てよう。

今、どんな状態にあろうとも、こう自分に言い聞かせて生きていくべきだ。

「自分は、最後には勝つに決まっている」「大白蓮華・社会で光る」・・引用

愚か者の「珍念」コメントは、モジモジ(。_。*))) 即・実行する事です。

あ・・タイム アウト です、ラーメンの麺がのびる・・ぅう・・消えます。

「一番大切なもの」Σ( ゜Д゜)ハッ!

  A11 珍念のひとりごと

 ”ロケットで宇宙旅行をしてみたい”・・誰もが一度は憧れる

夢だろう。そんな夢を実現しようと奮闘する町工場がある。

 ▼そこは、過疎化が進む北海道の田舎町。国家予算の

ような莫大な資金などない。従業員は20人ほど。しかも

専門家はほとんどいない。だからこそ専務取締役の植松

努氏は挑み始めたという。「(どうせ無理)という言葉をこの

世からなくしたい」との信念で。

 ▼困難に思えたことも多々あった。だが結局、問題は環境

ではなかった。一人一人の心の変革が不可能を可能にして

いく。たった数年でロケットや人工衛星の開発に成功。

世界で三つ目の無重力実験施設も完成させた。

{植松努著}「NSAより宇宙に近い町工場」

 ▼「出来るかもしれない」と「だめかもしれない」は紙一重。

心一つで、どちらにも傾くからだ。宇宙開発だけではない。

人生においても困難な局面に出くわしたとき、”あきらめという

”心の弱さに負けるのか。それとも乗り越えていくのか。

まずは自身の心との闘いである。

 ▼牧口初代会長は「人生、あきらめなくてすむことが、たった

一つある。それが信心である」と。誰でも”不可能を可能にする

力”がある。そう強く信じて行動しよう。 今が、それを実感する

チャンスである。 コラム「名字の言」{奨}引用

 ★珍念・・このコラムに座布団10枚差し上げます。 (p_q*)

池田名誉会長は50年前・・ある会合で「経済・政治・社会の

根本とは何か、順々と指導を進めた。

「生命なくして、経済も、教育も、科学も、政治もありません。

一切が、人生、社会の幸福を追求するための分野なのです。

 根本は全部人間です。生命です。その生命とは何かという

根本解決の道が、宗教じゃありませんか」

読者の皆さま・・ご自身の「一番大切なもの」は、何ですかぁ。

珍念・・今も 悪しき心と・良い心・が熾烈な綱引きをしています。

愚か者の珍念・今日も悪しき煩悩に揺れています・・

また反省して頑張ります。 ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

「確信の対話」(●^o^●)

     A11 珍念のひとりごと

 夏目漱石の小説「行人」の一場面。”私の生死は、自分を

超越した神に任せている”と男が語る。それを聞いた相手は

突然、平手で彼の頬を打つ。「何をするんだ」と気色ばむ

男に、彼は答えた。”それみろ。やっぱり怒るじゃないか”

 ▼”神に身を委ねる”と胸を張っても、実際は些細なことに

動揺し、感情を露わにする。そんな”信仰”は現実の平手打ち

一つで、すぐに馬脚を表す。漱石は、地に足の着かない信仰

論議を痛烈に難じた。

 ▼日蓮大聖人は、諸宗と法論するための問答集を表された。

(早勝問答)。例えば、大聖人が「念仏無間」と訴える根拠は

法華経にあるのか、との設問。大聖人はこれに対し、すぐに

文証を示さず、まず「文証があれば、自身の主張を認めるのか」

と質す。 相手が言い逃れする余地を最初に塞いだ。

 ▼重ねて「法華の文を訪ねるは信じて問うか信ぜずして問うか」

と詰問。議論のための議論に陥らむよう、相手の覚悟を促す。

信なき言論は煙のごとし。大聖人が烈々たる気迫と大情熱で

正義を訴えられる様子が目に浮かぶ。

 ▼対話は、人格と人格の触発の場。相手を納得させゆく真剣さ

と誠実さに貫かれてこそ、有意義な語らいとなろう。

友の心を揺さぶる「確信の対話」を、今こそ広げていきたい。

コラム{名字の言}(弘)引用

 ★先ほど、友人宅を訪問してきました、珍念、訪問する先々で

悩みや苦しみの声を聞きます。豪邸に住まれていても、心の中は

虚ろになっていられる方も見受けられます。

そのたびに謙虚に学ばせて戴いています。

中国のことわざに、「人と交わるには心にて交われ、樹に注ぐには

根に注げ」と。木を育てる場合にも、目に見えない根っこに水を注ぐ。

それと同じように、うわべだけの形式や儀礼ではない。

心と心の深い触れ合いを大切にしていくなかに、友情の大輪の花

が咲く。そこにこそ、なにものにもかえがたい人生の宝がある。

と恩師は語る。

 ★そうそう・・ずいぶん前に、ある人からこんな話を聞いた。

「イスラエルのある大学で日本から有名な華道の女流大家が来て

ここのステージの上で花を生けて見せたことがある。ところが

そのさいに彼女は豪華絢爛たる衣装を身につけていたのだ。

それがいけなかった。生け花のデモンストレーションという本来の

目的がまったくぼゃけてしまった。目立たない、黒地の着物でも

着てステージに出ていれば、さぞかし花が引き立っただろうと

思うのだが・・・」

 ★この華道の女流大家は、花びらをいため、その色も香りも

そこないながら、しかし、蜜味さえも十分に吸えなかったことになる。

彼女の心が生け花だけ(蜜味だけ)に集中して、不動の状態に

成り切れなかった。

愚か者の珍念・・も、この華道の女流大家のように陥る可能性が

あるやに・・思います・・まだまだ 修行が足りませんです。

今宵も猛省しています・・悪しき煩悩に心が揺れています。

あ・おしゃべりが過ぎました嫌われますので退散します。(^-^;

「前車の覆るは後車の戒め」

   A11 珍念のひとりごと

 「前車の覆るは後車の戒め」前の車がひっくり帰れば後の

車はそうならないように気をつける。このように先にやる人の

失敗は後から続く人にとってのよい教訓、戒めになるということ。

 ▼先日友人から、君の応援している政党は清廉潔白だけど、ここ

んとこ国政選挙では、伸び悩んでいるが、なぜですか。と

件の友人曰く・・「前車の覆るは後車の戒め」が生かされていない

ように思う。古代ローマ帝国が滅んだ原因の一つは傭兵に頼り

貴族や高級官僚が堕落していたのが大きかった。と

確かに同じ失敗を何度でもするのは・・愚か者です (@_@;)

 ▼浜名湖でのボート転覆事故は、 。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

女子中学生1人が死亡した浜名湖でのボート転覆事故に

「真白き富士の根」という哀しい歌を思い出した人も多いだろう。

くしくもちょうど100年前の明治43(1910)年、鎌倉の七里ケ

浜沖でボートが沈んだ。その直後に作られた歌である。

 ▼事故は悪天候で起き、乗っていた逗子開成中学の生徒

12人らが亡くなった。悲報を聞いた近くの鎌倉女学校教師、三角

錫子が歌詞を書き、すでにあった米国人作曲の唱歌の曲と合わせた。

生徒たちの追悼法会の席で初めて歌われるとたちまち全国に広

まったという。

 ▼そこには「風も波も 小さき腕に 力もつきはて 呼ぶ名は父母」と、

少年の力では如何(いかん)ともしがたい自然の脅威が歌われる。

さらに「神よ早く 我も召せよ」と、突然わが子を奪われた両親の

無念さも伝わってくる。今でも歌い継がれている所以(ゆえん)だろう。

 ▼浜名湖の事故も、強風で波が高いという悪天のもとで起きた。

中学生たちは一瞬にして湖水の中に投げ出されたらしい。その恐怖

を思えば胸がいたむ。だが明治時代に比べ、気象情報は格段に

正確になっているはずだ。なぜボートを出したのか、誰でもそう疑問を抱く。

 ▼まだ原因の捜査は始まったばかりだ。厳しい責任追及でこうした

訓練が過度に自粛されるのも、いかがなものかとは思う。ただ気に

なるのは、訓練の指導をする静岡県立の「青年の家」の担当者が、

中学生のボートに乗らずに判断を下していたらしいことである。

 ▼同乗してみれば、気象情報がどうであれ「無理」と判断できた

気がするからだ。食品衛生の問題でもそうだが、危険は与えられ

た情報だけでなく、自らの五感でつかみたい。そうしないと人は

いつか、自分では危機管理もできなくなる気がする。「産経妙」引用

 ▼珍念・・今宵は減らず口は叩きませんです。

亡くなられた方のご冥福を祈らさせて頂きます。 (´;ω;`)ウウ・・・

 

 

「疑心暗鬼」Σ( ゜Д゜)ハッ!

A11 珍念のひとりごと

 「蝸牛角上の争い」・・お互いに狭い考え方から、つまらない

ことで争うこと。カタッムリの左右の角に領土を持っ触氏と

蛮氏が領地を争って戦争をした寓話による。

現在の世相は、「疑心暗鬼」 「蝸牛角上の争い」のように

珍念・心配しています。あ・・単なる杞憂かなぁ。

 ▼BSテレビで放映されている韓国ドラマ「女人天下」が

面白く・・大好評を得ています。 天下を揺るがした女たちの

熾烈な戦いを描いた全部で150話の大河ドラマです。

▼ チョン・ナンジヨンは下女の娘に生まれながら高官の妻

に上り詰めチャン・ノスク、チャン・ヒピンとともに朝鮮三大妖女

と称された歴史上の人物です。しかし、策を弄して権力の座を

射止めたものの、暴政をしいて結局は自殺する羽目になった

悲運の女性だった。主人公の生きざまと当時の政治模様が交差し

さらに登場人物たちのラブストーリーがドラマに彩を添える。

 ▼芸人の出であるがゆえにチョン・ナンジヨンと愛し合っていても

添い遂げることが出来ない「キルサン」の切ない想いはこのドラマ

のもう一つのメインストーリーとしてドラマを盛り上げる。

崇儒廃仏を国是とした朝鮮王朝のムンジョン王后と、仏教中興の祖と

自認する僧侶「ボウ」の国家的タブーを犯してのロマンスも見逃せない。

 ▼本作では、チョン・ナンジヨンが「下賤の出」と蔑まされて生きた

幼少時代、キーセンから王后の側近となって昇殿し政争に加わる出世期

そして事実上の女帝政権を確立し遂に朝鮮の天下を動かしてゆく。

 ▼ポイント 「女人天下」の背景となる時代は、500年の治世を誇った

朝鮮王朝がもっともドラスティックに動いた時代でもあった。

日本の視聴者には、「大長今(宮女チャングムの誓い)」の頃、と言えば

通りが良いかもしれない。

この時代は、旧功臣たちによる“旧勲派”と、新進の官僚たちによる

“士林派”とが真っ向対立しており、「朝鮮のネロ」とも言うべき燕山君

による粛清に次ぐ粛清や、絶えることのないクーデターなど、

急変する政局により世の上下を問わぬ一大改革期であった。

朝鮮王朝開闢以来の大転換期となるこの時代は、政治の領域に

留まることなく庶民の生活風俗、宗教、世界観までが一変するほど

波乱に満ち、そして社会的エネルギーも最高潮に達していたのである。

混迷を極めた政治は、いきおい歴史に闇を積み重ねていくが、それに

もまして多くの階層・出自の人物に栄達への道が開かれていた。

 ▼「女人天下」は、卑賤の身に生まれたナンジョンが志を立て、

最後には大権を獲得するという、一種の立志伝である。

しかしながら簒奪した権力は再び簒奪されるというのが歴史の常である。

このドラマにしても単なる出世物語に終始せず、歴史の光と影とを

等分に描くことによってストーリーを濃密なものにすることに成功している。

韓国の「サンテレビ」より 引用

思わず「珍念」腕組みして う~ん と ため息をつきました。

奢れるもの久しからず・・ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ…

       

「民話は希望の泉」

    A11 珍念のひとりごと

 ルーマニアの代表的な民話の「利口なお妃」の話です。

王様が「機転」の利く娘を妃に迎え、その妃の助力を得て

正しい政治を行い、国を平和にし、繁栄させたという物語です。

 ▼ある日、王様が大臣に命じる。「羊を2千頭、市場で売って

くるように。ただし、売れた代金と一緒に羊も連れて帰るのだ」と。

頭をかかえる大臣。その悩みを聞いた十六歳の娘が、言う。

「何も心配することはありません。市場で羊の毛を刈って売り

羊たちは全部連れて帰ればいいのです」と 難題は解けた。

そして大臣に知恵を授けたのが、その娘だと知った王様は

利口な娘のことがすっかり気に入り、妃にすることにした。

 ▼それからある時、「子牛」を奪われた一人の男が王様に

直訴する

しかし犯人は「それは自分たちの(牝馬)の子だ」と、わけの

分からない、ごり押しの主張を、こともあろうに王様は犯人の

云い分を聞き入れてしまう。

嘆き悲しむ男を哀れんだ妃は、この男にある知恵を授け、もう

一度、王様の裁判を受けるように諭した。

 ▼次の朝、やってきた男は王様に「自分の羊が鯉にまるごと

飲み込まれてしまった」と。「何をばかなことを」とあきれる

王様に、男は答える。

「それなら、私の子牛が牝馬の子だなんて、どうしてそんなことが

あるのでしょうか」と。

 ▼答えに窮する王様。「牛」を「馬」と言い。「黒」を「白」と

言いくるめるような王様の裁きの誤りが、これで明らかに

なった。このほか、さまざまな場面で王様は「利口な妃」の

知恵と機転に助けられる。

そして政治や裁判が正しく行われ、国も繁栄した。

▼以前・ルーマニアのミルチャ・ミトラン在日大使と恩師との

対談の時に大使は次のような物語を紹介された。

昔、ある国の皇帝が “国を守りたければ年寄りを殺せ”

”年寄りは収穫を食いつぶすだけで役に立たないから” 

と言ってきた。この無茶な要求をきかなければ、他の人まで

殺すとの恫喝であった。

 ▼しかし、一人の青年は老いた父を殺したように見せかけて

地下室にかくまう。年寄りがいなくなったのを見て、皇帝は更に

脅しをかけた。「長さ1キロの砂のロープを、あすまでに作れ。

でなければ、侵略するぞ」と。

 ▼青年は父のところに帰って、この無理難題を相談する。

「それなら皇帝に、こう言えばよい」と父「砂のロープを2メートル

だけ作ってみせてください。それができたら、模範にして、後は

りましょう」青年の答えを聞いて皇帝は気づく。「こんな知恵は

若者にあるはずがない。老人は、まだ生きている」。そして

「知恵者の老人が死ぬまで、侵略するのを待つことにしよう」と

 ▼大使・・こうして知恵によって、侵略を免れました。我が国の

歴史の一つのエッセンスが込められています。

またこうした物語のなかに、知恵者である老人を敬うという文化

が脈打っている。日本も、年配者を尊敬し大切にする文化を

持っておられることは、よく知っています。と

 ▼辛口の評論家の「珍念」・・やること、なすこと、深く反省して

います。利口な妃 のような人格の妻だったらなあ・・と(#^.^#)

あ・・閻魔さま・と・妻から苛められる・・(/ω\)ハズカシーィ

顔は童顔ですが、頭は融通がきかなく石頭です・柔らかいのは

煩悩に靡く弱い心です・・特に美人と・お金には・弱いです。

まだ修行が足りませんです。 今宵も深く懺悔します!

「一刀両断」

  A11 珍念のひとりごと

 一触即発・・ちょっと触れただけでも、すぐに爆発しそうなこと。

転じて、ちょっとしたきっかけで、何かが起こりそうな危険な

状態のこと。事態が切迫しているさま。

 ▼ナポレオン戦争の危険から「戦争論」を書いた独軍人

クラウゼピッツは、指揮官にとって現実の戦争と机上の戦争の

違いとは「摩擦」のあるなしだという。

実戦では必ず予測できない事態が重なり、計画が阻まれることを

摩擦と呼んだのだ。

 ▼「物事は思い道りにいかない」のは常だが、とくに平時の約束事

が通用しない。危機にあっては、人が頭で考えるプランは現実の摩擦

の中でたちまち損耗してしまう。問われるのは予想外の事態に直面する

リーダーの決断だ。

 ▼被害が広がり続ける宮崎県の口蹄疫である。えびの市での終息で

一時は封じ込めに成功したかと思えた直後の飛び火続発だけに畜産

農家の方々の心中は察するに余りある。感染経路も分からぬまま

まるで人の予測や見通しをあざ笑うかのような成り行きが悔しい。

▼宮崎県内では感染拡大防止に向け野球場や図書館、博物館などの

閉鎖も相次いでいる。住民生活や地域経済全般への影響も深刻化し

ここままでは参院選もできないとの声も出始めた。

社会的なダメージも予測を上回った。

 ▼「兵力の逐次投入は得策でない」と首相が軍事の格言を引き合い

に自衛隊など防疫要員の大幅増派を表明したのも、摩擦の強まる

危機下の判断だろう。家畜の処分の滞りが感染を拡げたとの見方

もあり、「今が九州全土に広がるか否かの瀬戸際」と考えたら当然だ。

 ▼クラウゼピッツは摩擦の克服には強い意志と知性とに根ざした

「天才」が必要だと説いた。

口蹄疫を「国家的危機」という首相である。ならば自らに求められる

資質が「天才」であるようなその役割を十分に自覚し、決断に臨んで

もらいたい。 毎日新聞 余録・引用 

○筆者の知人に、自分の見解だけを無条件に「是」とし、他のす

べてを一方的に「非」と断定される方がいられますが「自縄自縛」

の生き方と思います。自由自在の人間らしい人生を目指すならば

自分の見解に固執して、そのために束縛されてしまうような生き方

息苦しい生き方からは・・・抜け出さなければならないと思います。

 ▼そうそう、以前有る本で是に類するエピソードを思いだしました。

1605年のことである。当時の朱子学の第一人者{林羅山}は、弟の

信澄とともに「妙貞問答」の著者ハピアンを訪問して、一問一答を

試みた。まず、羅山が地図を拡げて地球の形体について質問すると

ハビアンは確信に満ちてこう答えた。

「地に上下なく、それは円球をなしている」羅山先生はこの答弁に

猛然と反駁して、朱子学の「天は丸く地は平ら」という説を主張し

「万物を見るにみな上下あり。しかるに、彼は上下なしという。

これ理を知らざるなり」ときめつけて、一歩も譲らなかったと伝えて

いる。

これに類する見解を私たち自身もどれほど持っていることだろう。

「自分の見解だけを無条件に(是)とし」ていると、必ず「自縄自縛」

に陥ってしまう。その挙句、心理を絞め殺してしまうことになる。

▼英国の哲学者バートランド・ラッセルはこう語っている。

「世界の災いの一つは、何か特定のことを独断的に信じる習慣である。

と私は思う。それらはすべて疑問に満ちており、理性的な人間なら

自分が絶対に正しいなどとむやみに信じたりはしないだろう。

私たちは常に、自分の意見に、ある程度の疑いをまじえなければ

いけないと思う」と・・・モジモジ(。_。*)))

あ・・またまた・・減らず口を閻魔さまから・・叱られる・・消えます。

 

「自縄自爆」 Σ( ゜Д゜)ハッ!

   A11 珍念のひとりごと

 自縄自爆・・自分の言葉や行動・心がけが自分を縛って

身動きがとれなくなって苦しむこと。

 ◆{説}自分の縄で自分を縛るという意味。{類}自業自得

読者の皆さま・・現在の政権を担っている方々は、野党のとき

の自分の言葉や行動に偽りがなかったのか、否や・・?

立場が違うからと・・豹変したのではないか!

 ▼不肖・珍念で、さえも・・自分の言葉や行動に偽りがあれば

直ぐに誤りますが・・どうも 政治家の方たちは何か可笑しい。

そういう人を選んだ人も責任がありますが・・

江戸時代で・もしも・・藩主が今のような政治をしていたら 即

藩はお取りつぶし・厳しい裁きが下されたでしょう。

今の主権在民の世に 為政者はいったい・・何の為に、誰のた

めに・・いるのかなぁ? 変な太平の国・日本 (´ρ`)ぽか~ん

 ▼ 閑話休題・・ (○゜ε゜○)ノ~~

屁理屈を捏ねると変人と思われるので、タンポポの話をします。

タンポポは「幸福を知らせる花」とか「神から受けたお告げ」

などという花言葉がある。そのイメージとは裏腹に、なんと、物凄い

効能が秘められている。 それについて、こんな面白い話がある。

 ▼昔、ある武家が、馬に乗ったまま高い崖から滑り落ち、そのまま

気絶してしまった。しばらくして気がつき、可哀そうに馬は死んだに

違いないと思って見渡すと、馬はピンピンしていて、あたり一面に

咲いているタンポポを貪るように食べて元気でいた。

動物の本能で、さまざまな雑草の中から効力のあるタンポポを選んで

自分を守っていたという有名な話が伝えられている。

 ▼ドイツでは、タンポポの根を焦がしてコーヒーの代用にしている。

仏教寺院でも精進料理にこのタンポポが使用されている。

解熱には、タンポポの葉7~10グラムを一日量として、500~

600・CCの水で半量になるまで煎じ、毎食前に飲むと解熱の

効果がある。と

あ・・支離滅裂・・に お粗末な 珍念の説法でした(●^o^●)

「温室の中の宝物」(^-^)

    A11 珍念のひとりごと

 独断と偏見の新聞斜め読みから・おしゃべりします。

「天声人語」・・現代社会の森羅万象を、鋭く温かな視点から

招く、朝日新聞の代表的コラム より

 ▼亡くなった多田富雄さんが読売新聞に連載していた「落葉隻語」

は、ライバル紙ながら楽しみだった。今度一冊に纏まったのを読み

(清土社刊)また色々と教わった。近ごろの日本人の「過剰な無菌

志向」を案じて、こう書いている。

 ▼子供がたまに発熱したり下痢したりするのは子供が黴菌との戦い

方を習得しているからである。・・成長の時期に、ここで戦い方を学習

しないと、雑菌に対する抵抗力が弱くなり・・逆にアレルギーを起こし

やすい体質になる」。そして「免疫学者の私が言うのだ。信じていい」

 ▼しかし、無菌志向はますます高じているようだ。たとえば子の遊ぶ

砂場も砂には抗菌加工をし、抗菌用の備長炭を敷いたのが人気だと

小紙の記事にあった。

ショッピングセンターの有料施設だが、犬猫の糞もなく安心なのだろう。

 ▼東京の声欄では高校生がそれを嘆いていた。「過剰に気にすると

鳥の糞も不潔と気になるだろう」という、その感覚に一票を投じたい。

生きとし生けるもの、「汚さ」なしに命をつなぐ事はできないのだから。

 ▼ある元大学教授は小紙に、「そのうち犬や猫にも触れなくなって

しまうのではないか」と感想を寄せていた。加えて「危ない」やら「騒が

しい」やらで近年、遊ぶ場所はとみにインドア化していると聞く。幼い

日常がやせ細ってはいないか心配になる。

 ▼五感を働かせてのびのび遊ぶ経験は将来、親が思う以上に生きる

力を生むそうだ。過保護で芽を摘むことなかれ。多田さんの一節を、子

育て全般への貴重な教訓と読む。

★ (@_@;) 不肖・珍念・・この頃の世相は、物質的には、満ち足りて

いるように感じますが・・大事な思想(心)が・・失われているやに痛感

しています。

 5月29日の筆者のブログに「米元章」の潔癖症をるる述べて

います・・興味あられる方は、ちょいと お立ち寄りくださいませ。

★「フィゴや器で大切なのは、フィゴそのものや器そのものではない。

それらのものが作りだしている空間である」と・・哲人・老子は語った。

フィゴは送り出される風の強さと量が問題なので、外形がいくら美しく

ても、動かなければ役に立たない。器も、物や液体を入れる空間が

大事なのだ。人間も同じと思う。外観だけ見場が良くても、フィゴや

器の空間に相当する部分を持ってない人間はつまらない。

 あ・・ぴったり・符合しています・・愚か者の珍念ですι(´Д`υ)アセアセ

このままでは、あの世で「閻魔さま」から二枚舌をヤットコで 引き

抜かれて「牛タン」のように塩焼きにして食べられる・・ううぅう

今宵も深く深く懺悔します・・・精進します・・ (=゚ω゚)ノ o(_ _)oペコッ

「切磋琢磨」(*゚ー゚*) 

  A11_2 珍念のひとりごと

 硬度の高いダイヤモンドは、原石同士で磨かれて

人々を魅了する美しい輝きを放つ。

人間も、人間同士のかかわりを通して磨かれていく。

 ▼「詩経」に切磋琢磨の故事がある。「切磋」は角や象牙

を刀で切り、やすりで研ぐこと。「琢磨」は玉や石を槌で打ち

砂や石で磨きをかけること。学問をし、徳を修めるため、努力

に努力を重ねることの意。また、友人同士で励まし会い、競い

会って向上する意味にもつかわれる。

 ▼「論語」には「我れ三人行なえば必ず我が師を得る」とある。

三人で行動したら、そこに自分の師を見つける。常に向上して

いこうとする心を持てば、皆が我が師であり、学び会うことが

できるのだ。

 ▼学会は師匠を中心とした同心円の組織であり、同志と切磋

琢磨して成長していく人間道場でもあう。座談会一つとっても

さまざまな立場の老若男女が集い、苦楽を語りながら励まし会う

場となっている。

 ▼自分を磨き、自分を変える方途が信心である。生命を磨く

ためには、「只南無妙法蓮華経と唱えたてまっるを是をみがく

とは云うなり」(384ベージ)と御書に仰せである。しかも毎日

怠ることなく実践していくように教示されている。自身を磨き

切って悔いのない一日一日でありたい。名字の言(敬) 引用

 ★う・・ん 珍念・・無駄口は無尽蔵に出ますが、一言も

二言も多いんです。何か重みがないんです・・ひょいとしたら

脳味噌が少ないかもしれませんです。 (*^_^*)

「知る者は言わず・言う者は知らず」と「老子の格言」を思い浮

かびました。

(本当に物事を知っている人は、その智を深くおさめてひけら

かすようなまねはしない。逆によく知らないものにかぎって

したり顔でぺらぺらと生かじりの知識をしゃべりたがる

ものである)。と

 ★ある、アメリカの提督は言った。

「機械があっても、人間がいないと何にもならない。人間が

たくさんいても、勢いがなければ何にもならない」・・と。

愚か者の「珍念」今日も悪しき煩悩に心が揺れています。

修行がたりませんです。・・反省しています。ι(´Д`υ)アセアセ

「過ちては改めるに憚ることなかれ」

   A11 珍念のひとりごと

 君子豹変・・君子が自らの過ちをただちに改め、すばやく

善に向かうこと。転じて、態度や思想が急に変わること。

(豹のまだら模様のように鮮やかにはっきりと、君子は過ち

を認め、善に向かう意)。もとは良い意味だったが、今では変わり

身の速さを悪い意味で表す場合に用いる。 「易経」

 ▼この前、ある方が、今の政治家の行動は下手な「テレビ・ドラマ」

より面白い。 と 皮肉たっぷり語っていました。

一喜一憂・・状況が変わるたびに、喜んだり心配したりして落ち

着かないこと。

玉石混淆・・すぐれたものと劣ったものが入り交じっているさま。

「玉石」は宝石と石ころの意。「混淆」は「混交」とも書く。

四字熟語がぴったりと、符合する世相・・は・・? (・_・)エッ....?

 ▼「君が代」はどうゆう位置を占めているのだろう。

作家の佐藤優さんが、5日付「サンケイエクスプレス」紙へ

の寄稿の中で官直人首相に対して、こんな疑問を呈している。

出演者とスタッフ全員が「君が代」を斉唱するのが習わしの

ラジオ番組に出たとき、首相は一人だけ歌はなかったそうだ。

 ▼平成11年に成立した国旗国歌法案にも、反対票を投じている。

首相となった今の考えを、小欄も聞きたい。市民運動の活動家

出身で、「草の根」という言葉を好む首相の、国家観を知る道しる

べでも、あるからだ。 

 ▼もっとも、官首相は、自分に都合の悪い質問を極力避けようと

している。おとといの就任記者会見では、メディアの取材によって

「政権運営が行き詰まる」との、驚くべき発言を行っていた。

 ▼ことさら小紙は目障りな存在らしい。会見で拉致問題に触れ

なかった首相に対して、小紙の記者が対北朝鮮政策について質

そうと挙手したものの、指名されなかった。

28日の鳩山由紀夫前首相の会見に続いての「取材拒否」である。

 ▼首相は「煙たい存在だった仙谷由人氏をあえて官房長官に

起用した人事を自賛しているではないか。

「煙たい」メディアを排除するのは理屈にあわない。自らの内閣を

「奇兵隊内閣」と名付けるほどに、隊を結成した高杉晋作を敬愛し

ている首相である。高杉が作ったといわれる奇兵隊の歌にある

この文言をご存じだろう。

 ▼「聞いて恐ろし見ていやらしい、添うてうれしい奇兵隊」

時に耳の痛い報道や論評の方が、頼りになることもある。

高杉の「逃げる」ときの速さを称えているが、常に投獄、暗殺

の危険にさらされていた高杉とは立場が違う。

首相は逃げては、いけない。コラム 「産経妙」 引用

;:(・∀・)イイ!゙ ( ^ω^)おっおっおっ

へそ曲がりの「珍念」 このコラムに座布団10枚差し上げます。

あ・・減らず口を余り叩くと・・珍念も、ばっさり 切られるう・・ぅう

三十六計逃げるに如かず・・・消えます。

 

 

「心に残る言葉」(^-^)

  A11 珍念のひとりごと

 「諍い果てての乳切り木」 いさかいはててのちぎりき

争いが鎮まった後で棒を取り出してきても役には立たないように

時期を失ったものは無意味であることの譬え。

“乳切り木”は棒のことで「千切り木」とも書く。

 「争い果てての棒千切り」「喧嘩過ぎての棒千切り」類「証文の出し

遅れ」「十日の菊六日の菖蒲」「六日の菖蒲十日の菊」

 ★読者の皆さま・・今の政界は当に 「諍い果てての乳切り木」の

格言がぴったり、符合するのは、強ち、珍念の、邪推でしょうか。

民主党の小・鳩・コンビの横暴に・・? 面と向かって意見をいった

忠臣は いたでしょうか。代表が辞任して・顔は変わり、支持率が

回復してほっと 浮かれた感じですが、噴飯ものです。

前大臣・や副総理・など務めていた人たちは・・小・鳩・コンビを

支える立場にいながら・・小沢さんは「おとなしくしてもらいたい」と

ナヌ・・アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!! そういう 人は・・ (・_・)エッ....?

 ▼珍念・・学歴も・肩書きも・財産も・持っていませんが、物事の

本質は、冷静に見ているつもりです。 ああ・・嘆かわしいです

江戸時代の為政者は、恥をしり切腹して責任を取っていました。

なんのために、世界一優遇された議員に選ばれたのか・・?

あ・・余り興奮すると髪の毛が・・・ ┐( ̄ヘ ̄)┌ フゥゥ~

 ▼そうそう・・昔、備前の国(岡山県)に「三次郎」という大泥棒

がいた。この三次郎がつかまり、いよいよ断罪になる時。

「私は、押し込み(強盗)に入ってよく傷を受けたが、早く血止め

をしないと、証拠を残すことになるので、いつでもキリの葉を干し

て粉末にしたものを懐中に入れて仕事(強盗)をした。

押し込み先で傷を受けた時にこの粉末を振りかけると、即座に血

が止まった。まことに効力があるので、世の中の人に教えておき

たい」と、アオギリの薬効を褒め称える遺言を残して首を切られ

たという。「釈迦がのこした健康法」 岩淵亮順 引用

 愚か者の珍念・・穴があったら入ります。 (;´д`)トホホ…

まぶしく、ほど苦い (#^.^#)

  A11 珍念のひとりごと

 「トム・ソーヤーの冒険」は19世紀半ばの米ミズーリ州が舞台だ。

いたずら小僧のトムと、相棒の浮浪児ハック。少年たちの粗野で

気ままな日々は、西部への出口だった州の空気と無縁ではない。

作者マーク・トウェインの故郷でもある。

 ▼お仕置きの塀塗りをまんまと人に押し付け、トムが呟く。

「結局この世は、それほどつまらないものでもない」。

読者へのエールに違いない。

その作家の、つまらないはずのない自伝が初めて本になる。

 ▼死後100年、すなわち今春まで世に出すなとの遺志に従い

出版元は5千ページの手書き原稿を保管してきた。

1世紀の時差を託したのは、宗教や政治、知人の悪口を正直に

書いたためともいわれる。

 ▼本をめぐる「長い約束」をもう一つ。221年前、ニューヨークの

図書館で貸し出された法律書が戻ってきたそうだ。

借り主は初代米大統領ジョージ・ワシントン。未返却が分かり旧

ワシントン邸の管理団体が同じ版の古書を百万円で調達したという

 ▼作家と大統領は、代理人を介して「約束」を守り、21世紀に新

たな話題をまいた。移ろう時は真相をうやむやにもするが、その

逆で、歳月と書物への畏れがのぞく痛快な話である。

時空を超える本の力を思う。

 ▼図書館で背表紙をたどれば、しらないこと、しっていないことの

多さが身にしみる。未知と未体験の海に見え隠れする若い日の

夢や憧れ、果たすあてなき約束の日々。

(20年後、あなたは、やったことよりやらなかったことに失望する)。

トウェインの言はまぶしく、ほろ苦い。コラム 「天声人語」引用

 ★珍念・昨夜、芥川龍之介の「鼻」を読んで身に思いあたる

一文に冷や汗をかきました。それは、無意識の中で絶え間なく

活動している、エゴイズムですが、仏教では、未那識(まなしき)と

いいます。

「人間の心には互いに矛盾した二つの感情がある。もちろん

だれでも他人の不幸に同情しない者はない。

ところが、その人がその不幸をどうにかして切り抜けられた事が

できると、今度はこっちではなんとなく物足りないような心持ち

がする。少し誇張していえばもう一度その人を、同じ不幸に

落としいれてみたいような気にさえなる。

そうしていつの間にか、消極的であるが、ある敵意をその

人に対していだくようなことになる」

 ★どなたでも、これに類する心を・・・持っていられるのかなぁ?

その証拠に、身近な人の不幸はたとえどんなものでも、それを

見る人の目を楽しませる、なんだかの要素を、多少なりとも含んで

いるのでは、ないのかなぁ。 あ・・語弊があるかなぁ!

また、自分が何か善行をした場合、相手のためよりも自己愛

の度がどれほど強いことでしょうか。”そんな気持ちになっては

いかん”と、自分の不完全を反省して気を病むのも、つまると

ころ単なる自己満足に過ぎないと、筆者は思います。

今宵も 珍念の減らず口は・・絶好調です・・あ・・閻魔さんから

二枚舌を・・抜かれる・・・(´;ω;`)ウウ・・・こっそり 消えます。

「勝ってこそ正義」

  A11_2 珍念のひとりごと

 ノルウェーの劇作家・イプセンの作品に「民衆の敵」

(竹山道雄訳)がある。

正義感あふれる医師が、町の温泉が毒に汚染されている

のを発見、告発したドラマである。

 ▼町長をはじめ利害にさとい人々は、この事実をデマとして

隠蔽しようと画策を始める。その結果、”民衆のために行動している”

はずの医師は、糾弾された揚げ句、「民衆の敵」という烙印を押されて

しまう。この作品でイプセンは世論とは、党派とは、正義とは何か、を

描こうとした。そして、多数派が必ずしも正義とは限らないという

民主主義が陥りやすい問題点を鋭く指摘したのだ。

 ▼戸田第二代会長が誕生した1951年、会員は約三千人に過ぎ

なかった。しかし、正義を貫く広布の運動は大きく広がり、今や創価の

友は世界で活躍している。

 ▼今日までの常勝の歴史には、”正義であれば勝つだろう”との油断や

甘さは、微塵もなかった。「勝ってこそ正義」と、あらゆる壁を打ち破って

きたからこそ、成し遂げられたのである。池田名誉会長は「あらゆる

広布の戦に勝ちに勝って、その「現証」をもって、師弟の正義を証明

してきた」と語っている。

 ▼誰かでもない。正義を正義たらしめるために、今こそ、と輝かしい

完勝の歴史をつづっていきたい。 コラム「名字の言」(喜)引用

 ★う・・ん 珍念・・甘い考えを恥じています。 深く反省しています。

日蓮大聖人は「願わくは我が弟子等は獅子王の子となりて群狐に

笑われる事なかれ」(御書1589ベージ)と仰せられている。

獅子王の子は、獅子王の心で断固と戦うことだ。

広布の前進は激流のごとくである。正義の前進が勢いを増せば

反動の魔も、当然、競い起こる。

 ゆえに、一日一日、一瞬一瞬に勝負がある。「今」を勝つことが、一切の

勝利の出発点である。

 ★自分の心に嘘はつけない。今いる場所で「本当にやりきった!」と

誇れる勝利を飾るのだ。その気概で挑戦を続ける人こそが、本当の

勇者である。 わが親愛なる友よ!頭を上げ、胸を張り、スクラム固く

行進だ! 民衆勝利の凱歌を、日本全土に、世界の隅々に轟かせ

ようではないか!

 ★さあ、威風堂々、新たな挑戦の一歩一歩を、粘り強く踏み出して

いくのだ。 「困難は、人の辛抱強さに触れると消失する」とは

マハトマ・ガンジーの叫びである。 山本伸一(随筆) 引用

あ・・そうそう 読者の皆さま・・珍念の減らず口は、狂信者の

独りよがりと、お叱りを受けるかも しれませんです。

お気に障ったら、ご容赦下さい・・ ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙

「自然は誘う」

  A11 珍念のひとりごと  

(第2回ドラえもん大賞受賞作品)「わたしのいちばん」

鹿児島県・小学四年 松村 由紀さん

「早く来い。牛がうまれるぞ」という、いきなりのでっかい声。

父だ。前の日からうきうきして落ちつかなかった私は牛小屋へ

急いで走って行った。「今度こそメスだぞ」父の声が弾んでいる。

 ▼「ほんと、メス。良かったね」心臓の音がどきどき。破裂しそうだ。

このメスが成長して、また子牛を産む。想像するだけで、私の心臓

はまた踊りだす。

子牛の体が全部引き出された。生まれたばかりのメスの子牛だ。

体全体がぬるっと光っている。首を持ち上げ、必死に足を踏ん張る。

まだ立てない。何度も挑戦を繰り返す。黒い目が力強い。

私は、この一瞬がたまらなく好きだ。弱々しい力しかないはずなのに

生きようと必死だ。

 ▼どこにこんな力があるのだろうと感心する。ぎゅっと握りしめた

私の手に力がこもる。父は、子牛が無事生まれてほっとしたのか

おだやかな顔で、腕組みしながら見守っている。

私の家族は、この夏休みも牛の仕事で忙しかった。暑い中、草

入れの手伝いが毎日続いた。草を刈り、ロール型に固める。

2・3キロはあるだろうか。この草を納屋まで運んでは、棚に積み

上げて行く。

 ▼時間がたっと、この草の塊が4・5キロにも感じられるから

不思議だ。仕事は、延々と三時間も続く。時には嫌気がさす。

足が棒になり、腰も痛い、とても三時間も続けられるような仕事

ではない。それを愚痴も言わずにやれるのは、父や母の気持ちが

良く分かるからだ。

 ▼私は、父と母の働く姿が大好きだ。緑の草原とどこまでも広がる

大空の中で、いつも仲良く頑張って働いている父と母、父と母の心の

中は、きっと花畑だと思う。 私も、心の花を一杯咲かせてみたい。

そのためにも、農業をつぐことが一番だとわたしは思っている。

だからこそ、弱音をはきそうな時も、後継ぎになる第一歩の仕事

だと思うと、がんばらなきゃと気合が入る。

 ▼父の朝は早い。毎朝三時起きだ。みんなを起こさないように

クマみたいな体を小さく丸めて、そっと起きる。まずラジオをつけ

天気予報を聞く。一日の仕事の段取りを決めて行くのだ。一人で

朝ご飯を食べ、出かける父に、今年の夏は、「熱中症に気をつけ

てね。」とよく声をかけた。

 「そうだねありがとう。」と笑顔で出かける父。生き物が、相手だ

から、怠けるわけにはいかないのだ。

 ▼真っ黒く日焼けした両親は、いつも慣れた手つきでぐっと力を

こめ、てきばきと仕事をすませていく。真剣な目だ。

わたしは、(いいな。こんないい顔で働くことができて。)と思う。

わたしは、こんな両親といっしよで本当に幸せを私もついで

いきたい。

 ▼口蹄疫の深刻な被害に遭われた宮崎県の方々が一日も

早く勝ち超えていかれますように 珍念祈ってます。

わたしのいちばん を書かれた 松村 由紀 さん ・・・

愚か者の珍念・・目がさめました。 感動しました。

余りにも「構成のうまさが光る完成度の高い作品」と・・・

ゆえ、あるかなと、おもいます・・珍念の文才では足元にも

及びません。

恥かしいので退散します。モジ(((*´ε` *)(* ´З`*)))モジ

ごまめの歯軋り

   A11_2 珍念のひとりごと

 ごまめの歯軋り・(ごまめのはぎしり) どんなに悔しがっても

力が及ばずどうしようもないこと。

ごまめのような小さな魚が歯ぎしりをし、悔しがったとしても

どうすることも出来ないこと。

「ごまめ」は、カタクチイワシの幼魚を干したもの。

  ▼ 舌は過の根(したはわざわいのね)言葉は災いを

招くものである。不用意な発言やおしゃべりは慎めということ。

ううぅ・・珍念 2枚舌、いや5、6枚舌を! (´Д⊂グスン

”ごまかす”江戸時代に「胡麻どうらん」というお菓子があった。

小麦粉に黒ゴマを混ぜたお菓子で、見かけはいかにも美味しそう

に見えたが味はというと、それほどでもない。

見掛け倒しのお菓子で「胡麻菓子」といったのが「ごまかし」の

語源になった。

▼これらの「ことわざ」がぴったり符合する鵡みたいな人物は

もう・・読者の皆さまは・・ご存じでしょう  キョロ(_ )( _)キョロ 

あ・・珍念の幼稚なおしゃべりは、おいといて・今日は毎日新聞の

(ちなみに珍念毎日新聞社の拡張員ではないです)

コラムより ▼余録:鳩山首相の辞意表明 

「だからこそ武装した預言者はみな勝利をおさめ、備えの

ない預言者は滅びるのだ」。君主が権力を獲得し、維持する

術を説くマキアベリの「君主論」の一節である。

「だからこそ」の前には改革

をめざす君主に必要な条件が書かれている。

▼マキアベリはそこで旧制度に依存する多くの敵対者と

新制度へのいいかげんな支持者に囲まれた「改革」の

難しさを説く。

改革に挑む君主には自らの能力への信頼と、自前の「力」

が欠かせない。他人をあてにすれば、必ず災いを招き、何も

実現できないというのだ。

 ▼「私は10年、20年先の日本の姿を国民の皆さんに申

しあげてきた」鳩山由紀夫首相は辞任表明演説で「地域主権」

「新しい公共」「東アジア共同体」などの持論を再説して

そう述べた。「預言者」の言葉に国民は聞く耳をもたなかった。

そういいたげな物言いだ

▼神ならぬ国民には預言が実現するかどうか分からない。

だが一国の指導者がその実現の努力と責任を放棄する

辞任会見で語る「預言」があろうとは、神様もびっくりした

だろう。

改革を達成する自前の力などは、はなから自分で信じて

いないのならば、「滅び」もいたしかたない。

 ▼改革にあたり首相がその「力」をあてにした小沢一郎

幹事長も道ずれにしての辞任劇である。

結果責任が問われる政治にあって最後まで「思い」をうたい

続けた首相だったが、ことツートップ辞任では最後まで「思い」

をよせていたのが、マキアベリ並みの駆け引きを成功させ

ように見えるのが皮肉だ。

 ▼政権交代をまたぎながら、またまた見慣れた短命内閣

の再演だ。なぜこの国の政治は「「備えのない預言者」しか

生み出せなくなってしまったのだろうか。

う・・ん 愚か者の珍念・・・思わず腕組みして・・下手な考え

・休むにしかず・・もう 口を閉ざします・・・( ̄ー+ ̄)

「魂を吸い取られる」ヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

  A11 珍念のひとりごと

 昭和26年(1951年)から6月1日は「写真の日」と定められた。

カメラが日本に初めて伝えられたのは、1840年のころ。

長崎の上野俊之丞、がオランダ船より買い取ったといわれている。

翌年そのカメラで薩摩藩主、島津斉興に謁見し、斉彬を撮影した。

これが日本人が撮影した最初の写真といわれている。

 ▼当時の写真は、いわゆる「銀板写真」。これは、1839年に

フランス人の画家ルイ・マンデ・ダゲールが開発した写真法で

撮影には時間がかかった。

 ▼露出時間は30分以上もかかり、その為撮影中に卒倒する

人もいたという。現代のカメラのように、気軽に「チーズ」という

わけにはいかなかった。

 ▼また、写真が登場した当時は「魂を吸い取られる」とか

「寿命が縮む」などという、まことしやかな噂が流れ、撮影を恐れる

人も多かった。 自分の姿がそっくりそのまま写るのだから、初めて

見る当時の人が取り乱すのも無理はない。(まるわかり歳時記参照)

▼そうそう・珍念「写真は森羅万象のワン・シーンを凝縮した魔法の

鏡」と自画自賛しています。 幼少のころは値段が高くて手がでません

でした。20代のころ、カメラを手に入れた時の感動が今も忘れられ

ません。その当時から現在まで・・色々な物を写してきました。

何千・何万枚の写真を少しずつ整理していますが。一枚・一枚の写真

は・・珍念が歩んだ・・過去からの偉大な「タイム・カプセル」のようです。

大自然が織りなす・・神秘の輝きや集合写真の笑顔も・・懐かしい

思い出が蘇ります。一期一会の集いでも永遠に残ります。

 ▼ 珍念・・赤ちゃんの時から現代まで自分の姿を数多く写真に

取って貰っています・・そこで 思ったんですが・・自分で言うのも

おこがましいですが・・自分の心の在り方が顔に現れているやに

思っています。 珍念の顔も・・貧弱な・・あはは (●^o^●)

今日から品格のある顔に輝くように一段と精進します。┗(^o^)┛パーン

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