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2008年9月

世界の名作を訪ねて 1

モモ
ミヒャエル・エンデ 作

大島 かおり訳

町のはずれにある円形劇場の廃墟に、どこからともなく
現れた孤児のモモ。小さくてやせっぽちで、何歳なのか
見当もつかないこの風変わりな女の子の「時間」をめぐる、
不思議なファンタジー物語です。

円形劇場に住み着いたモモを、町の人たちは皆で世話
をすることにします。やがて、相手の話にじっと耳を
かたむけるモモの周りにはたくさんの人たちが集まって
くるようになりました。

モモには特別な能力があるわけではありませんが、みんなモモ
の前では安心して心を開き、素直な自分になれるのです。
そんな平和な町に灰色の男たちがやってきます。
男たちは、人の心のすきまに入り込んで時間を盗む泥棒です。

人々は時間を奪われ、あくせく働き、休息することや
夢見る心もなくしてしまいます。 そこでモモは、盗まれた
時間を灰色の男たちから取り返し、町の人たちに人間らしい
心を取り戻させようとします。

時間を司るホラという老人は、モモにこう言います
「人間には時間を感じ取るために心というものがある」。
作者は時間を粗末にする現代人の愚かさを、強烈な風刺と
してこの物語にこめたのでしょう。

 「人間には時間を感じ取るために心というものがある」。

ちんねん・・恥ずかしながら時間に追われているやに

感じています。  デジタル人間のようです モモ のように

感受性豊かな心を持っていたいです。

時間もですが 大事な物が失われています・・ ちんねん

今日も反省しています。 何で・・こうも 心が狭いのかなぁ・・?

あの世で閻魔さまから・・苛められる・・うぅ 

今夜も深く懺悔します・・また 頑張ります (^^♪

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人間の資質

「人物」の不在!

ロシア出身力士の大麻問題で、日本相撲協会は今月

上旬、2力士を解雇。前理事長が引責辞任した。

相撲界では昨年6月、当時17歳の力士を死亡させた

リンチ事件があった。先月も、幕内力士が大麻取締法違反で

逮捕、解雇されたばかり。相次ぐ不祥事の根源は、どこにあるのか。

多くの関係者が「指導者の力量不足」を指摘している。

「昔は(この人間なら大丈夫だ。指導できる人間だ)というのを

師匠が判断した」 だが昨今は「あまりにも浅はかな人間が

師匠になっている」{元横綱・初代若乃花}毎日新聞7月3日付

というのだ。

「人物」の不在。 これは角界に限った問題ではない。

企業の役員ぐるみの偽装事件、大分県の教育委員会を

めぐる汚職事件など、あらゆる分野で”トップの力量”が深刻に

問われている。

先日の中山国交相の仰天発言と小泉元総理の引退発言に

(~_~;) ^_^; ん・・・ナヌ 呆れ果てて「コメント」出来ません。

こういう世の中にあって、高潔な人格で範を示すのが、政治家

ではないか。 孔子は断言した。

「自分を正しく律することができない為政者は、人を正しく導けない」

第一に問われるべきは「人間としての資質」だ。

実績もないくせに、選挙狙いのデマ宣伝、他党批判に血眼の悪質な

人間がバッジをつけているようでは、社会の混迷は深まる一方だ。

有権者は「この人間なら大丈夫」という人物を見抜かなければなるまい。

心して政治家を監視し、堂々と正義を語る、我ら庶民の声こそ

「政治家改革」を断行する力だ。 (鈴木貴博氏)破邪顕正より 引用

う・・ぅう ちんねん 無慈悲な政治家の行いに 口 あんぐりです。

選んだ 私たちも責任がありますが! あ・・余り深刻に考えると

髪の毛が・・抜ける・・・ぅう (#^.^#)

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生活で楽しむ算数

1割り増しと1割引きは ?  (^_^.)

日用品を扱っている商店では、「割引き」や「おまけ」を
よく見掛けることでしょう。また、深夜でも営業している
飲食店では、深夜の「割り増し」料金を設けて居る所も
あります。今回は、それらの言葉に注目してみましよう。

最初に、「10個購入すると1個のおまけ」と「1割引」を
比べてみます。前者の場合。1個100円の商品を10個購入すると
1000円で11個持ち帰ることができます。一方、後者の場合で
11個購入すると、購入代金は、1100円から1割の110円を引いて
990円となります。すなわち、990円で11個持ち帰る事ができます。

したがって、ぴったり11個持ち帰る場合でも、「1割引き」の方は
「1個のおまけ」の代金の1%分だけお得になっているのです。

次に、深夜料金が1割り増しになっているレストランで、10周年
記念サーピスとして通常月の同一時間料金の1割引で全メニュー
を利用できるようになっているとします。 その店で、通常月の
昼間のメニュー価格が500円のものを深夜に食べると、「1割り増し」
にして「1割引き」にするので、結局そのときの代金は500円になる
ように思うかもしれません。しかしながら、500x1.1x0.9-495なので
その代金は5円安くなって495円になります。

したがって、「1割り増し」の「1割引き」は1%引きになるのです。
ここで先に「1割引き」にしてから「1割り増し」にしても、同じ
結果になることに注意しましよう。 それは500x0.9x1.1-495
となるからです。 この本質は1.1x0.9-0.9x1.1というように
掛け算には「交換法則」が成り立つことです。

交換法則は 2+4-4+2 のように足し算でも成り立ちますが
引き算や割り算では成り立ちません。

江戸時代に広く普及した数学の学習書である「塵劫記」の最初に
九九の表があります。そこには「三八二十四」(3x8=24)は
あるものの、「八三二十四」がないように、大きい数の後から
小さい数を掛けるものは書かれていません。

そのような覚え方によって、掛け算の交換法則を知らず
知らずのうちに理解するのです。

(桜美林大学教授 芹沢光雄)氏 より

う・・・ぅう ちんねん 数字に弱いので「さっぱり」分かりません!

分かっているのは 財布の中の小銭だけです  (^^♪

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報復は何も生まず、誰も癒さない!

映画「帰らない日々」を観て

事故は一瞬である。「あっ」と声を上げたとき、
すでに起きた後のこと。その一瞬をさかいにして
被害者、加害者それぞれの人生が大きく変わる。

アメリカ映画「帰らない日々」が「事故のその後」
を意味深く語っていく。どちらも中年に入りかけているが、
まだ若い夫婦。被害者は四人家族だった。子供は男の子と
女の子。幸せな一家だった。家族そろっての帰り道、「ドーン」
と音がして男の子が跳ね飛ばされた。

加害者は三人家族。ただ夫婦は離婚して、弁護士の父親は
週に一度だけ息子と会える。この日が面会日だった。
離婚の際に了承した門限に遅れそうでスピードを出しすぎて
いた。はねた後一瞬チューチョしたが、夜の闇に誘われた
かのように走り去った。

事故は偶然だが、偶然の出会いにいたるまでに小さな必然が
あった。映画は生き残った者がもつ特有の心理を丁寧にえがい
ている。ひょっとしたひとこと、とっさの反応。あのとき、あの
ことを言わなかったら・・あのとき、あのようにしていなければ・・
小さな必然をたどっていくと、事故が自分の責任に思えてくる。
そして悲しみのなかで思わず口にした言葉が、どれほど家族の
胸を刺すものか。

小さな町の出来事であって、被害者の父親が弁護士事務所を
訪ねると、加害者の弁護士がいた。被害者はそれと知らず。当の
加害者に調査を依頼する。いま一度の「一舜」があって、これを境に
して二人の男が、あらためて事故に立ちもどる。

タイトルが、なおのこと意味深い。 もとの場所にもどれても、もとの
時間には帰れない。いい映画である。およそ悪人とは遠いタイプなのに
われ知らず悪に加担する。一舜の事故が、そのように運命をねじ曲げる。
それは誰にも起こることであって、そのこともきちんと語っている。

事の真相を知ったとき、被害者の父親はどうしたか? 映画を作った
人たちのメッセージが込められている。 報復は何も生まれず、誰も
癒さない。 報復をこえて、他者の痛みを共有するということ。
悲しいことに人間は、一度あやまてば百度あやまつ可能性をもって
いるからだ。  
(ドイツ文学者・エッセイスト 池内紀氏より)

ちんねん・・この映画を観て複雑な気持ちになりました。

とても・・ 「報復は何も生まれず、誰も
癒さない。 報復をこえて、他者の痛みを共有するということ。
悲しいことに人間は、一度あやまてば百度あやまつ可能性をもって
いるからだ。」 このような寛大な境涯では有りません・・・まだ
修行が足りませんです! !(^^)! 

読者の皆さまは・・・いかがでしょうかぁ?  

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世界の名作を訪ねて!

 ヴェニスの商人

(ウイリアム・シェイクスピア著) 小田島雄志 訳

ある時、中学生のとある グループと懇談した時のお話です!

イタリアの町、ヴェニスに住む商人アントーニオは、親友
バッサーニオのために、ユダヤ人の金貸しシャイロックから
金を借ります。

バッサーニオは、あこがれの女性ポーシャを妻に迎えた。
バッサーニオのもとへ、船の難破で全財産を失った
アントーニオがシャイロックから「肉を一ポンドよこせ」
と要求され、裁判にかけられるという知らせが届きます。

驚き慌てて法廷へかけつけたものの、なすすべのない
バッサーニオ。そこへ表れ、機知を働かせてアントーニオを
救ったのは・・・・ん・・・それは 言えませんです。
読まれてのお楽しみです!

小学校のころに「シェイクスピア物語」を読んでストーリを
知っている人もいるかもしれませんが、戯曲という形式、そして
普段の読書では
あまり味わう事のできない言葉のリズムを堪能して下さい。
物語の背景が分かる解説も味わいがあります!

ちんねん・・法律を守るのは当然と思いますが、あっと驚く

展開に法の摩訶不思議な運用に血も涙もある 凄い

法律だと・・全員襟を正していました。

古今の名作を読む事は、未知の世界の扉を開きますが!

そうそう・・ちんねん・・自分の心の扉は、まだ開いていませんです。 (^_^.)

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強くなれ「強い人」が「幸福な人」

珍念の恩師の青春対話の一部を抜粋し英訳を掲載します。(^^♪

恩師・・インドには、「カ-スト制度」が、今も習慣として、根深く

残っている。人を「生まれ」によって分けてしまう。その一番下の出身で

ありながら、国の大統領になった人がいる。 元大統領のナラヤナンさん です。

私の古い友人です。ナラヤナンさんは、7人兄弟の4番目。家は本当に貧乏で

お風呂もなかった。いつも飢えに苦しんでいたそうだ。小学校まで片道7キロ

メートル。来る日も来る日も、歩いて通った。雨の季節には、足首まで泥だらけ

です。その中を、ナラヤナン少年は、いっも何かを読みながら歩いた。

本が買えないので、目にふれる新聞や本を片っ端から読んではメモを取った。

「弟は勉強好きだ。応援しよう!」・・彼のためにお兄さんや、お姉さんは、

小学校への通学をあきらめた。それでも、たった一人分の学費が払えなかった。

学費が払えないから、先生に、罰として立たされた。

・・・・ひどいですね!

恩師・・ナラヤナン青年は、どうしたか。彼は立たされながら、それでも教室

の外から、授業を懸命に聞いたのです。

・・・・脱帽です!

恩師・・やがて、ガンジーが作った「奨学金」をもらって勉強を続け、大学をトップ

で卒業し、外交官になったのです。しかし、「外交官は図々しくないと、できないので

人前で立たされるのは、いい訓練だったんですよ!」と 苦労を笑い話しに

しておられる。

強い方です。 強い人が幸福です。 幸福は「強い・強い心」の中にあるのです。

・・・ ナラヤナン少年くらい強ければ、「先生がキライ」とかの悩みは、小さなものに

見えてくるかもしれません。

恩師・・・私は、あえて具体的に「こうしなさい」とは言わない。諸君自身が決める

ことだし、状況は一人一人違うからです。 ただ、何をするにせよ、「人のせい」

にする弱さがあるかぎり、希望の大道は開けません。 まず「全部、自分で決まる

んだ!」「自分が強くなるんだ!」と決意することだ。

ナポレオンは言った。 「環境がなんだって? 環境は私自身が作るものだ」

環境のせいにしないで、自分が満足できる環境を自分で作ろう、という

決意です。

う・・ぅう ちんねん ナラヤナン少年の爪の垢でも煎じて飲みたいです

甘えん坊の ちんねん 恥じています (#^.^#)

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珍念の愚考です

いかなる国や団体も、未来の興亡を決する焦点は、

「青年」が生き生きと活躍し、輝いているかどうかにある。

今の日本はどうだろうか。経済至上主義の価値観で作り

あげてきた戦後社会にあって、青年たちは心身ともに

大きな重圧を感じているように見える。

「定職につかない」「就職しても長続きしない」若者が増えてい

るのも、未来への不安の反映ではなかろうか。

師に導かれ弟子が殻を破る

若年化する凶悪事件などを見ても、刹那的な欲望や衝動に

流されがちで、他人の痛みに想像力が及ばない青少年の魂の

病理を感じてならない。 彼らを正しい方向に導く、人生と社会の

「哲学」が、今ほど必要な時はないであろう。

著述家の内田 樹{たつる}氏は、”若い人たちを見ていて、一番気の毒なのは

「尊敬できる先生」「人生の師」に出合っていないことだ。 出会えば、

豊かな人生が展開する”(先生はえらい)ちくまブリーマー新書・・と

述べている。

師匠とは、深い英知の力で弟子を鍛え、内的変化を遂げさせ、自らの

殻を破れるように導く存在である。 師弟関係の希薄化が叫ばれ、後進の

育成に光を見出せない時代にあって、強靭な師弟の絆で結ばれ、青年が

伸び伸びと成長している世界がある。

その団体は「青年が多いのは、哲学が深いからです」

悩みを抱える青年たちに「たとえ、あなたが どこで悲しみに沈んで

いょうと、私は草の根をかき分けても捜しだして、必ず幸福にして

みせるよ」 と 渾身の激励を贈り続けた方に世界は賛嘆しています。

私たちに求められているのは・・人の評判、うわさ など 惑わされなくて

自分で調べる・・確かめるその第一歩を踏み出せるか 勇気が要りますが!

例えば食べ物でも 食べなければ味がわかりませんです。

ただ・・どれが 良いのか・・判断に迷う可能性がなきしも あらずですが!

珍念の一考察です・・・お粗末でした。 !(^^)!

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 人間は「何のため」生きるか?

読者の皆さま ふと 自分は何を目指して生きているのか?

素朴な考えが脳裏に浮かんだ事はありませんかぁ! (*^。^*)

古代の賢者の考えに答えがあるやに思われます・

 紀元前三世紀のことである。 地中海にピュロスという

 王がいた。 彼は外征の計画を立てる。

「まず、イタリアを征服しよう」と。すると、側近の賢者

 シネアスは尋ねる。「なるほど。では、その次は?」と

 問答は続く。

「ガリア{フランス}とスペインを手に入れよう」 その次は?

「アフリカを従えよう」 「では、その次は?」

「アジアに渡り、インドまで行こう」  「インドの次ぎは?」

「ああ!」王はため息をつき、 「・・休息しよう」。

「なぜ」と賢者。 「今すぐ休息しないのですか?」。

 最後が休息するだけならば、今 休息しても同じではないか!

 何のための外征、何のための危険と多くの犠牲なのか、と

経済至上主義・・金もうけ自体が目的となってしまったかのような

 現代日本の姿を風刺しているようにも思える。

「何のため」という究極の目的観と哲学のない行動は、どんなに

 世界に版図を広げても、結局はむなしいのではないか、と・・

 私が青春時代、こよなく愛読した ロシアの文豪トルストイ

 彼も、生涯にわたって、この「何のため」を追究した。

 例えば1910年5月10日の日記には・・・

「何を作るための機械か? 何を伝達するための電信?

 何を教えるための小、中、大学校? 学士院か?

 何を議するための集会か? いかなる報知「情報」を広める

 だめの新聞書籍か? 誰を、どこへ連れて行くための鉄道か?

 何をするために数百万の人々が一緒に集められ、一つの権力下

 に置かれてあるのか? 生を持続させるための病院、医者か 

 薬剤師かという。

 何で生を持続させる必要があるのか?」{ビリューコフ}

「大トルストイ」から!

 文明は発達する。社会もめまぐるしく動く。人々は 毎日。

 忙しく活動している。。

 しかし、それは何のためなのか。あの古代の王ピュロスの

 ように、最後がどうなるかを考えることなき動き、努力を

 したとしても、それが人類の進歩といえるのだろうか。

 ・・・トルストイは疑問を呈する。

 つまり彼は、「最後はどうなるか」を考えない人生の努力や

 文明の発達は、根本的には人間を幸福に出来ないと考えた

 のである。「それが、どうしたというのか?」

「それで、どうなるのか?」と

人生の意義を探し求めようとしない者がいるならば、

 その人間は生きながら死んでいるのだ。

「人生の意義・・死によっても滅ぼされない意義を

 あたえてくれるのは宗教だけだ」

 ここで言う宗教は特定の宗派ではなく 宇宙の森羅万象を

 司どる 人類不変の法則の哲学が自分に 有るや 否やと!

 
 知恵に行き詰まりはない

 人間のものの見方は、その人の境涯による。

 同じものでも、見る側の目によって、まったく違って

 見えるものである。

 わかりやすい例で言えば、例えば、恋愛時代。

 恋をしている時は、相手のすべてが素晴らしく見える。

 しばしば、他人には理解できないような美まで発見する。

 ところが結婚するや、見方が一転「奥さんの方

 でも、こんなはずじゃなかった。だまされた・・・と思っている。笑い (#^.^#)


 本当はおたがいに そんなに変わっていないはずだが。?

 自分の見る目のなさを嘆くより、相手が悪いように

 誰もが言う。   こうした例が多い。

 立場や境遇が変われば、ものの見え方も変わるものだ。

 貧乏な時には、少しのお金でもありがたい、と思える。

 けれども、いったん贅沢になれば、金がいくらあっても、

 足りないと思うようになる。

 欲に目がくらんでしまうのである

 政治家など指導者の場合は問題が深刻である。

 そう言う立場の人間が貪欲であれば、民衆が献身的に

 努力していても、働きが悪いように見えてしまう。

 そして、もっと働け と民衆にけしかけ、圧迫する。

 こうした悪しき権力は常に鋭く見破らねばならない。

 中国・南宋{12-13世紀}のある帝王が、銅の像を

 作らせた。出来あがった像を見て、帝は文句を言う。

 「顔がやせすぎている」と

 当時の優れた彫刻師たちが作ったものである。

 偉ぶった人は、必ず何かケチをつけなければ気が

 すまない。  本当に民衆を愛している人は、あまり

 文句を言わないものですが。 しかし王の命令である。

 何とか直そうとするが、「やせすぎている」のを直し

 ようがない。

 太っているのなら削ればよいのだが、やせているのでは、

 うまくいかない。

 困りはてた人々はある賢者に相談した。

 賢者はいとも簡単に解決した。 「これは顔がやせすぎ

 ているのではない」皆は「どいうことか」と耳を傾ける。

 賢者は言う「むしろ肩や腕が肥えすぎているのだ」と

 ドイツの文豪ゲーテは、言っております。

 どんなに利口に立ちまわって、策を使い、有名に

 なったとしても、心の中に「宝石がなければ空しい」と

 参考文献(池田大作著}輝きの明日より

ちんねん 賢者の知恵を学んでいますが 心が汚れていますので

直ぐに忘れかねませんです。 う・・ぅう なんでかなぁ・・?

あ・・余り考えると・・頭の髪の毛がぬかる・・う  (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

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命を駆ける !

読者の皆さん こんにちは 連日・目を覆いたくなるような不祥事や

悲惨な事件が多発しています・・やりきれない空しさがあります。

何処かに、大事な大切なものを亡くしたように思います!

そうそう・・今日は アメリカの有名なアダムズのお話しです!

 アメリカのリンカーン大統領の盟友に、ジョン・アダムズという指導者

 がいた。 彼は、高潔にして、公明正大な人格で知られた。

 悪人たちも、彼を恐れて、近づこうとさえしなかったいう。アダムズは

 燃え上がる「アメリカ民主主義」の魂の真髄を、わが娘に語り、教え、

 伝えていった。

  ある時は、敬愛するリンカーン大統領のもとへ、娘を連れていった

 こともある。 ある地域の「草創の開拓者の集会」にも、娘と一緒に

 出席した。 その会合で、彼は、自ら立って、かって開拓の草創期に

 自分たちが鉄道事業を進めた時の思い出を語り始めた。

 ”若き日のアダムズ青年は、新しい鉄道事業への支持を、一生懸命、

 人々に訴えたが、だれも耳を傾けようとしなかった。

 さすがの彼も、がっくりして、希望を失いかけていた。 しかし、その時

 農村のある元気な女性が、明るく、力強く、協力を申し出てくれた。

 ”大事な事業です。私は応援しますよ!と。

 一人の女性の真心からの協力が、行き詰まった事業に、どれほど

 大きな力となったことか・・・・!民主主義の真正の闘士アダムスは、

 その後、どんなに自分が偉くなっても、このとき庶民の女性から受けた

 恩を、決して忘れなかった。 立派な指導者となった今。アダムズは

 その昔、自分たちを支援してくれた、無名の女性への変わらぬ感謝の

 思いを、聴衆に語っていったのである。

 すると、思いがけないことが起こった。その聴衆の中から、女性の良く

 響く声が聞こえてきた。 「アダムズさん、それは私ですよ。もしお望み

 なら、もう一度ご協力しましょう」と。 なんと、あの時の恩人の女性は

 まだ健在であった。そして、その会合に来ていたのである。

 彼は即座に壇上に招いた。年老いて、今ではすっかり腰が曲がった女性

 に最高の礼を尽くして。 そして、劇的に、誇り高く、恩人の女性を、皆に

 紹介し、宣揚した。「彼女こそ公共精神に富んだ開拓者であり、この

 国の発展は、彼女ような英雄的行為に負うところが大きい」と

 会場を深い感動が包んだ。 この時15才であったアダムズの娘も、その

 光景に心を揺さぶられた。 民衆こそが、真実の英雄であり、国を動かして

 いく原動力であることを、乙女は鋭く学びとった。

 この娘こそ、のちに最も貧しい庶民のために戦い、教育と福祉のルネサンス

 をもたらし、女性の幸福へ、世界の平和へと奔走した、ジェーン・アダムズ

 その人であった。{1931年、アメリカ女性として初めてノーベル平和賞を受賞

 新しい世紀の「女性のモデル」として世界的に敬愛された。

 (池田大作著)輝きの明日へより 引用

 ちんねん 感動しました。 (@_@)

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 さて宗教とは? 「常識{コモン・センス}で「真実」を見抜け

 物の怪に化かされた僧の物語 (^_^;)

 アメリカで青年時代ジャーナリストなどをして文筆に活約し、やがて日本に

 永住した人物がいる。

 ラフカディオ・ハーン{1850~1940年}日本名・小泉八雲である。

 彼が書きとめた日本の民話に「常識」という話しがあります。

 勿怪{化けもの}に騙されていた僧を庶民の「常識」が救う物語である。

 ・・昔、関西のある山の中、一人の博識の僧侶が住んでいた。

 俗世間との付き合いは、ほとんどない。供養に訪れた猟師に言った。

 「このごろ、毎晩【法華経に説かれる」普賢菩薩がこの寺にお見えになる

 のじゃ。不思議なことじゃが、これも長年の修行の功徳と思う。今夜は泊

 まっていくがよい。普賢菩薩さまにお会いできるから」猟師は喜んで寺に

 泊まった。しかし、考えれば考えるほど、そんなことがあるだろうかと疑わ

 しかった。聞いてみると、寺の小僧も何度も見たことがあると言う。

 猟師は、ますます「おかしい」と思い始めた。

 その日の真夜中、待っていると、東の方に、星のような白い光が現れ

 ずんずん大きくなった。やがて光は形をとり、経文の通り、六本の牙

 のある雪のように白い象に乗って、普賢菩薩が現れた

 僧侶と小僧は,ひれ伏して必死に拝んでいる。すると猟師は、いきなり

 手に弓を取って立ち上がり、菩薩めがけて矢を放った。たちまち,激しい

 雷のような音とともに,白い光は消えた。僧侶は絶望し、涙を流しながら

 怒った。「この恥知らずめ!何という罰当りな!」猟師は静かに言った。

 「和尚さま、落ちついてお聞きなさい。はっきり申し上げるが、あれは

 普賢菩薩ではなく、あなたをだまし、ことによると、あなたを殺そうとして

 いる化け物ですよ。朝になれば判ることでしょう」

 夜明けとともに、調べて見ると、点点と血の跡が付いていた。

 辿って見ると矢を突き立てた大きな狸の死骸があった。これが化けて

 いたのである。猟師は、どうして狸の仕業とわかったのだろうか。

 それは・・もしも本物の普賢菩薩ならば、だれよりも法華経を修行している

 人の所にこそ現れるはずだ。 しかし、ろくに修行もしてない寺の小僧や

 猟師の自分にまで、はっきりと見える。、これはおかしい!

 仏法は【修行」に応じて「功徳」があるはずだ。修行に関係なく結果が現れ

 るとしたら、それは仏法ではなく、魔法ではないか。

 因果を無視する勿怪の仕業だ!猟師はこう見破った。八雲はこの物語を

 こう結んでいる。

 僧は学識があり聖といわれていたが、いともたやすく狸に化かされたので

 ある。猟師は無智で信心もなかったが、すこぶる常識に富んでいたから

 生来の才覚でもって、その化けを見破り、その恐ろしい幻想を打ち砕いた

 のである」 これは日本の昔話であり、真実の宗教とは、関係がない。

 ただ、宗教が人間を愚かにする危険を,判りやすく示す物語である。

 どんなに【知識」があっても、健康な「常識」{コモン・センス}がなければ

 生かすことはできない。

 建国の時、独立の時のアメリカを大きく支えたのも「コモン・センス」であった。

 「常識」がなければ、宗教は時に「盲信」となり「狂信」となる「盲信」【狂信」

 は仏法ではない。 と

  参考文献(池田大作著)輝きの明日より

 宗教は日本だけでも18万法人あると言われています、沢山あります、

 世界でも ヒンズー教,イスラム教、キリスト教、回教、仏教 儒教 など・

 それぞれ教えがありますが・・教祖は一体何を伝えたかったのか・・?

 それは 人類の幸福を目指していたと思いますが

 いつの間にか堕落して本来の使命を喪失しているようです。

 なんのため・・を忘れた教えは、インチキですよね! ちんねん 愚考します

 宗教も、政治もですが・・そもそも 為政者は誰のために・・? 何を

 するのか?と 言わずもながら主権在民の庶民のために成るように

 司るのが当たり前ですが・・どうも・・ちょいと可笑しいようです。

 物の化に翻弄された博識の僧のように成らないように、心して

 「常識{コモン・センス}で「真実」を見抜け と 言いたい!

 

 「生命は 他の生命と 多く結びつくほど 自我が拡大する」

 {トルストイ}

 「人間は 広い人間関係の中に より大きな自分を みつけることが

 できる」 {タゴール}

 「自分と会わない人間」と 付き合ってこそ 刺激を受け 成長できる

 {ゲーテ}

 ちんねんの一考察でした。

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自分って何だろう・・?

人間は、いつ死ぬかわからないから!

この世が、なんでも思いどうりにいってしまうとしたら、これはど

退屈な事はない。人間は、いつ死ぬか分らないところがいいのね。

人間ほど長生きする動物はいない。かげろうは夕方に死ぬ。蝉は

夏が終わると死ぬ。人間の一生が短いと悲しむ人は、譬え千年生きても

同じ事を考えるだろう。

長生きすれば、その分恥をかくことになる。四十歳までに死んでしまう

のが理想である。その年を過ぎてしまうと恥じる心がなくなり、自分の

子や孫を可愛がり、名誉とお金が欲しくなってみっともなくなる。

「吉田兼好」{徒然草}第七段より

ちんねん・・腕を組んで・・う・・・ん と頷きました感銘しました。

頭の中で何かが弾けました。 そうそう 若いころ 読んだ本で

世界文学の最高峰と評されるダンテの「神曲」の中に

ハットさせられる一節を思いだしました。

ダンテが師ウエルギリウスと地獄の門をくぐると、そこには嘆きの声

を上げる亡者の群れがいた。この人たちはだれか?・・・ダンテの問いに

師は答える。「これこそ、恥もなく、誉もなく、凡々と世に生きた者たちの

なさけない魂の惨めな姿」(寿岳文章訳)と

悪はないが、善もなさなかった傍観者をダンテは糾弾した。中途半端に

生きた人間は結局、中途半端にしか死ねない。同じ生きるなら、善をなせ

正義に生きよ! 不屈の詩人の叫びは 時代や宗教の違いを超えて

輝きを放つ。

人間は、ともすれば困難や労苦のない安逸な世界に憧れる。

だが建設や前進への苦闘なき自己満足の生き方は、いいように

見えて真の魂の充足をもたらさない。 (名字の言)より

ちんねん またまた・・腕組して う・・・ん と 呟きました。

ダンテの 誠に迫真の筆致は、さすがです  筆者も ダンテから

悪はないが、善もなさなかった傍観者を糾弾されないように

またまた・・・精進します・・・う・・・ん 今のままでは・・あの世で

ダンテと閻魔さんから・・叱られる・・・怖いので頑張ります (*^_^*)

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自分ってなぁに?

自分のことばかり話す人  (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

久しぶりに会った人が、自分に起きた事ばかりを、つぎから

つぎへと話すのはどうもよろしくないな。 どんなに親しい間柄

でも、自分のことばかり話す態度は、恥ずかしいと思わんのかね。

教養がない人は、ちょいと外出して帰ってきただけで、そのとき

あった事を息もつかず話して面白がる。教養ある人は、聞く人が

大勢いても、その中の一人に対して話しかけ、その話に他の人も

耳を傾けるんだ。

教養のない人は、誰に話すともなく、見てきたような

作り話をするので、みんな、面白がって、笑うが、ただうるさいだけでね

面白い事を話しても面白がらない人もいるし、つまらぬことをいっても

やたらと笑う人がいて、聞く者の品格もわかってしまう。

他人の容姿のよしあしを品定めしたり、才能のあるなしを評価するときでも

自分のことを引き出すのは、実に聞き苦しいことである。

(吉田兼好) 徒然草{第56段より}

ちんねん・・も 大いに思い当たります・・以後気をつけます。

お友達の中にも・・それと思い当たる方がおられます ん・・同じ

穴の狢かなぁ・? 恥ずかしいので・・口にチャックします。 (^_^;)

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過ちを悔いるのに 憚ることなかれ 

昨年、流行した言葉に「KY」があった。「空気が読めない」 (^_^;)

の略である。もちろん、その場の雰囲気に気を配ることは大事である。

しかし、みんなと違う意見を言って「あいつはKYだ」と苛められる例が

多くの学校で報告されている。これは行きすぎと思います。

そのような世相を風刺する「寓話」がある。アンデルセン童話の「裸の

王様」の舞台を、現代日本に置き換えたら、どうなるか。みんなが

「王様の服は素晴らしい」という中で、少年が「王様は裸だ!」と叫んだ

すると周囲から「KY!空気をよめよ!」とたしらめられてしまう。

昔から「付和雷同」長いものには捲かれろの雰囲気が強いとされる

日本社会。だが、意見を言うことすらできない「雰囲気」は危険だ。

昨日、ある主婦の方から相談を受けました。それは趣味の

サークルの運営の件で各々の意見がまとまらず・・とうとう

メール上で激しいバトルが起き・・四面楚歌の状況でした。

☆まず・・民主主義の世界ですから意見は意見ですから

検討に値しますが!10人10色ですから主催者の判断に

委ねる。

☆まず・・感情的に成ってあるようですから意見の善悪は別として

もしも・・主催者の言葉に皆様が気に障っていられますから

まず、「過ちを悔いるのに 憚ることなかれ」 の 故事を

アドバイスしました。 先ほどこの件は解決しましたとの嬉しい

電話がありました。

実は、愚かな、ちんねんも このような目に遭遇しましたので

得難い勉強をさせて頂きました。

日蓮大聖人の御遺文集に「ともだちが一日に10回、20回と

訪ねてきても、千里、二千里と離れた遠くから訪れてきた人の

ように思って丁重に、少しも礼儀を欠くことがあってはならない」

と、たとえ親しい友人であろうと、いかなる時も誠実に謙虚な態度で

接していくよう、弟子に教えられている。

心を亡くすと書いて漢字の「忙しい」に。どんなに忙しいくても

相手に対して誠実に心をこめて応対していく。

そこに確かな信頼が生まれる。

ちんねん 今朝も反省しています。 (@_@。

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素晴らしい教育?

この前 ある、ご家庭を訪問した時に、子供の教育

の事でアドバイスを求められ弱りましたが ふと

吉田兼好の徒然草の(第百八十四段)を思い出しました。

相模守時頼の母は松下禅尼といいます。息子の時頼が禅尼の

家にくることになり、禅尼がすすけた障子の破れたところだけを

小刀で切り取っていると、接待の手伝いにきた禅尼の兄の城介義景が

「そんな仕事はこちらがやります。障子張りの得意な者がおりますから

やらせます。」といったところ、禅尼は、「私みたいに上手ではないでしょう。」

といって、また、ひとコマずつ張っているので、義景は、「ぜんぶ張り替えて

しまったほぅが簡単でしょう。まだらに張るのは見苦しいですよ。」と、

かさねていった。

すると、禅尼は、「私も後でさっばりと張りかえようと思って

ますが、今日ばかりは、わざとこうしておくのがいいの、物は、破れた処だけ

修理して使うということを、時頼に見ならわせて、注意しようとしたためです。」

といった。これは世にもまれな、素晴らしい教育でした。

世を治める道は、倹約が基本です。この母の心は聖人とおなじですね。

天下を治める子供をもつほどの親は、まことに、なみの人じゃあ

ありませんや。

ちんねん・・やや時代遅れの故事を述べましたが、ややもすると

先人の慎ましさや 子育ての厳しさが薄れかけているように思うのは

ちんねん だけでしょうかぁ・・?

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誠実な「対話」に黄金の果実が微笑む

「人の心を動かすのは、真剣にして誠実な対話である。

燃えるような情熱に触れた時、人の心もまた燃え上がる」

池田大作著(小説{人間革命}より

今、日本の国家財政と地方財政は、危機的な状況に陥って

いますが、それを司る役人や議員は自らの身を削るような事は

余りしないようです・・が 江戸時代の為政者は自分の仕事を

失敗したら切腹したりして責任を取っていましたが、また 藩に

落ち度があれば お取りつぶし などの厳罰がありましたが、昨今

の大分の教員採用事件や事故米?事件・国会議員の事務所費

など・・ぞろぞろと 不正が明るみになっていますが、もうそろそろ

人間性善説など・・信じられない世の中に成りつつあります。

刑法の厳罰化を考える時期が来ているように思います。

一例ですが まず財政再建の立て直しをどうやって?

江戸中期、信州松代藩は深刻な財政難に陥っていた。その

立て直しを行ったのが家老、恩田木工(おんだもく)である。

彼の特筆すべき取り組みは「対話」であった。領民すべてを

対象に、財政再建の要である租税問題について話し合うため

松代の藩庁に集まるよう呼びかけた。士農工商の身分が画然

としていた当時のこと。 藩役人と多数の領民代表が一堂に会

するのは画期的であった。 藩の状況を包み隠さず語る誠実な

対話の姿勢が、信頼関係を構築する。 やがて、領民らも

困難な状況の中で、できうる限りの努力を自発的に申し出る

ようになり、未納が続いていた年貢の完納が実現した。

(川口素生著)「江戸諸藩中興の祖」より

ちんねん 国の財政も個人の家計もですが処方箋は入って

くるお金より 出るお金を少なくすれば、簡単に治りますが・・?

県知事や町村長など・・一期 4年間で高額な退職金を貰って

います・・まず・・櫂より始められた方がよろしいかと思います。

あ・・いけない・・大蔵大臣の妻から、おこずかい へらされる・・ぅ

 (@_@)   (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

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言葉は人格の表れ!

仏典に 「言(ことば)と云うは心の思いを響かして声を顕す

を云うなり」と仰せられている。

言葉は、その人の人格の現れですが!  心の思いが

そのまま言葉に滲んでくる。 福田総理の突然の辞任表明と

太田農水相の仰天発言など物議を醸していますが

呆れ果てて、あいた口が塞がりませんです。

同じ言葉でも、温かさが伝わる場合もあるし、嫌な感じを残す

こともある。言葉は発心のバネにもなるし、人間関係を断絶させる

因ともなる。話す本人に悪意はなくても、聞く側には、嫌な思いが

する言葉もある。

例えば子供に恵まれない夫婦に「子供さんは、何人ですか」と聞いたり

する人がいる。子供が欲しくても、様々な事情でいない夫婦にとっては

その言葉の無神経さに耐えられない思いがすることもある。

反対に、さりげない励ましの一言が、悩みを打開し、再起するきっかけ

となることもある。「この人は自分を理解してくれている」という感謝の

思いをもたらす言葉。常にそうした言葉がかけられる人へ人間性を

磨いていかねばいけないと肝に銘じています。

そうそう ちんねん いっも・・一言。言葉が多いんです !(^^)!

一の矢が・・・ううぅ 的に 当たらないんです

言葉は、両刃の剣のようです 使い方を誤ると人を傷つけたり

勇気を与えたりしますが・・その塩梅が、ちんねん まだコントロール

出来ません。 なんで こうも・・おしゃべり なのかなぁ 

毎日、自己嫌悪に悩んでいます・・あ・・残り少ない髪の毛が

抜ける・・うぅう  (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

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星空ウオッチング 十五夜

中秋の名月を楽しもう !

風も涼しさをはらみ、秋を感じさせる季節です。

こうなると、いよいよお月見ですね。「中秋の名月」というのは、

もともと、旧暦の8月15日で「十五夜」ともいいます。

今年の中秋の名月は明14日です。天文学的な満月は、翌日の

15日になりますが、実際の見た目は、どちらもほとんど欠けた形

が分らないほど丸い月に感じられます。中秋の名月の行事は本来は

丸い月に秋の収穫への感謝の気持ちを表す、収穫祭を兼ねていました。

中国では、里芋をお供えし、月餅を食べます。日本でも里芋をお供えする

事が多く、中秋の名月を「芋名月」と呼びます。 ちなみに日本では

ほぼ1月遅れの旧暦9月13日の月を「十三夜」あるいは「後の月」と呼び

十五夜とならんで、お月見をする風習があります。

こちらは、くりの季節なので「栗名月」とも呼んでいます。 いずれにしろ

東の地平線からぽっかりと昇ってくる、まん丸のお月さまはとても大きく

圧倒的な存在感があるものです。 今年の十五夜の月の出は、東京で

午後5時6分。日の入りが5時23分ですので、まだ青い東の空に

ぽっかりとお盆のような満月が昇ってくるでしょう。

皆さんの家の東や南に縁側などがある場合には、そこに ススキの穂

お団子、芋などをお供えしてみませんか。

ちょうど連休となっていますので、ぜひ一家そろっての風流なお月見

を楽しんでみましょう。

(国立天文台広報室・準教授 渡部潤一氏)より 引用

ちんねん いっも 心に ゆとりがなく おっちょこちょいですので

大人に成ってから「十五夜」を愛でる感性が有りませんでした。

明日はお月さまを 眺め かぐや姫の お話に思いを馳せたい

と思います・・子供のころ夜空の星の輝きに時間の経つのも

忘れて・・お母さんに心配かけました。

もう一度 子どもの 時のような・・清らかな心に成りたいと

思います。

ちんねん 今日も反省しています。 (#^.^#)

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高潔なリーダーが日本を変革

国民の辛苦を分かち合え! 

国土交通省が、ゆわゆる居酒屋タクシー・・問題などを機に

タクシー券の使用を停止した。その結果、月1億円に上っていた

職員のタクシー代が、1割以下の600万円に激減したという。

まだ試行錯誤だが、今後も無駄使いをなくす努力を怠ってはなるまい。

どの企業や団体も節約・節滅は生き残りをかけたテーマ。国や自治体も

血税を大切に! という精神を議員や官僚が肝に銘じなければ、どんな

施策も徒労に帰す。 ”親方日の丸”の尊大な旧思考を捨てて、国民

生活の辛苦を分かち持つ気概に立ってもらいたいものだ。

あのフランス革命はなぜ起きたのか?

「池田名誉会長は王朝では、累積した赤字、貴族らの悪政、乱費に


よって深刻な財政難が起こっていた。それが国王の統合力の破綻を引き

起こし、王朝の滅亡へとつながっていった」と論じ、{金銭の緩みは滅びの

元凶となる}と

一方、マホトマ・ガンジーの有名なエピソードがある。

ある会議を前に、ガンジーがしきりに周囲を見回したり、机の下をのぞいたり

していた。 「何か、おさがしですか」「鉛筆をさがしているのだ」他の鉛筆では

だめだという。 やっと見つかったのは、3センチほどの、ちぴた 鉛筆だった。

「かつて一人の少年が、この鉛筆を私に寄付してくれた。

子供にとって大事な鉛筆を、独立運動のために差し出してくれたのだ。

そんな一人一人の国民の「思い」を忘れて、私の政治活動はあり得ない」

すべての政治家が範とすべき姿勢ではないか。為政者は民衆に感謝し

民衆に報い、民衆に尽くすためにいるのだ。「国民のため」の掛け声とは

裏腹の党利党略ばかりが目につき、国の内外を見渡しても閉塞感のみ

が充満している昨今。 

求められるのは庶民に同苦する高潔なリーダーであろう。

名誉会長は、「平家物語」に、見られる愚かな指導者の共通点として

1 忘恩  2 背信  3 慢心  4 油断  5 無慈悲、などを挙げ

「指導者の心の狂いが、国や組織を滅ぼすというのである。

まことに重大な、不偏の法則といってよい」と スピーチした。

例えば国民の政治参加の権利を脅かすような一部の政治家など

まさに民主主義破壊の姿と言わざるを得ない。

多くの難題に挑む日本である。「民衆奉仕の哲学」を今こそ各界

のリーダーが真摯に求むべきだと思う。(聖教新聞)の社説より 引用

ちんねん この社説に 感動しました。 当に 座布団10枚、差し上げます

感想は蛇足ですのでありませんです。( ^∇^)/θ☆ わ~い

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良医の反省

諺というものは、まことに要を得て鋭い。

誰かがつくりだしたものか、無数の庶民たちの人生と生活の

中から、一つの心の中の集成的凝結の、真実の言葉となったと

いえるかもしれない。ここに「情けは人のためならず」という諺がある。

ある会社で、新入社員にその意味を尋ねたところ、十人のうち八人まで

から、「人に親切にしてやったところで仕方がない。それより、自分の

ことを一生懸命やったほうがいい」という答えが返ってきたそうだ。

扇谷正造氏が、ある雑誌に寄せていた小文に出てくるエピソードである。

私が「うーん」と考えこんでいると、ある婦人が「それならまだいいほうですよ。

聞くところによると“他人に情けをかけてあげても、甘やかすだけで、その人

のためにならない”と言った若い人がいたそうです」とつけ加えた。

そこで、私はまた「うーん」と腕を組んだ。

前者の気弱で小心なエゴイズム的な解釈と、後者の冷たい誤解と、どちらも

よいとはいえまい。 いうまでもなく、この諺は、人に情けをかけてあげれば、

めぐりめぐって、必ず自分に良い報いがあるという意味である。

「太平記」や「曽我物語」あるいわ世阿弥の「葵上」などにも出てくるというから、

古来、人々に親しまれてきたものであろう。 善意や情けは、ときに報いられ

ないことがあるかもしれない。しかし、決して失望してはならない。

報いられまいと、それを積み重ねていけば、必ず福運となって我が身を飾って

いくものと、私は信じているからだ。

ともかくこれは、素朴な因果応報観に裏打ちされ、人情味豊かな味わい

のある諺である。 ともすれば、利害や打算のみの横行しがちな世の中に

あって、こうした言葉は、ぎすぎすした人間関係をうるおす潤滑油の働き

さえしていると思うからである。 潤滑油を欠いた機械は、たちまち摩擦

を生じて機能を停止してしまう。 同じように、善意や情けの通い合わぬ

社会は、砂漠のように荒れ果てた、無味乾燥な世界にちがいない。

「情けは人のためならず」といった言葉が、そのような事実の中にも、人情

不感症ともいうべき現代社会への警鐘を汲みとることができるかもしれない。

仏典に、ある良医の話がありますが!

・・・・昔、釈尊が舎衛国の祇園精舎で説法していたころのこと。

ある国の王が病気にかかり、国中のどの医者も治すことが出来なかった。

そのとき、遠国より一人の良医がきて、国王の病気を治した。 喜んだ

国王は、その恩に報いようと、一人の家臣に莫大な財宝を持たせて医者の

生国へつかわし、彼のために宏壮な邸宅を新築させた。また医療の器械

をはじめ、畑、象、馬、牛、羊、使用人など一切をととのえ、家来が帰って

きたので、王は初めて、医者に帰国を許した。

医者は、王のために良方良薬を用い、苦労して治療せしめたのに対し

なんの謝礼も与えられず帰されるので、心中おだやかならず、悶々とし

て家路についた。 ところが、家の近くまでくると、多くの牛や羊、象や

馬がいる、そこで通りがかりの人に「これらの家畜は、いったいどこの、

誰のものですか」と尋ねる。すると人々は口々に「みな、お医者さまの

ものです」と答えた。

キッネにつままれたような心地で家に帰ると、広大壮麗、じゅうたんを

敷き、金銀の器をそなえ、妻の服装も見違えるばかり。はなはだ不思議

に思い、妻に「いったい、どうしたというのだ」と聞くと「あなたは、なにも

御存じないのですか。あなたが国王の病気を治してさしあげたので、ごほ

うびとして、こんなりっぱな家や財産をくださったのです」とのことであった。

医者は、いまさらながら自分の不明から、有徳の王を恨んだのを悔いた

という。

まことに「情けは人のためならず」である。とともに私は、この逸話から

より深い教訓が学べると思う。

それは、人情や愛情など、人間同士の心のやり取りにおける無報酬と

いうことの大切さである。「自分がこれだけしてあげたのだから、相手も

相応のことを」と報酬を求める人間関係はどうしても脆い。相手が応えて

くれないと、すぐ崩れてしまう。勿論友人や知人の間で、礼儀が必要な

ことは当然だろう。しかし、それとても、古今の美しい友情物語などには、

どこかに無報酬、無償の絆が秘められているものだ。

ましてや、夫婦の間、そして親子の関係ともなれば、計算ずくのやり取りでは

とうてい成り立っはずがない。そこに要請されるのは、絶対の信頼関係で

あり、愛情である。無心に乳を口にふくむ嬰児と母親とのまなざしの交差の

ように・・ひたすらわが子の健全な成長を願うお母さん方の無償の愛情の

ように。

じっさい、「焼野の雉子夜の鶴」とは、よく言ったものだと思う。雉子は巣

を営んでいる野を焼かれると、わが身の危険もかえりみず、雛どりを救おう

とする。また巣籠る鶴は霜の降る夜には、みずからの翼でわが子をおおって

かばう。というのである。

母の愛をたとえるこの諺は、お母さんの方の間では、けっして死語に

なってはいまいと、私は信じているのだが・・・!

つれづれ随想(池田大作著) より 引用

ちんねん 良医のように自分自身を恥じています・・

「情けは人のためならず」う・・ぅう ちんねん 身にしみています

思い当たることばかりです・・

余りにも「おそまつ」ですので言えませんです。

毎日 毎日 反省しています・・もう・・恥しいのでこっそり

寝ます。 (^_^;)

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汝自身を知れ (ソクラテス)

山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。(王陽明)

はかりは、物の重さを量れるが、自分の重さは量れない。

物差しは、物の長さを測れるけれども、自分の長さは測れない・・・。

江戸時代の儒学者、佐藤一斎の言葉である。含蓄があると思う。

他人と比較することで、自分を知ることはできない。当り前の話だが

ともすると忘れがちだ。数値だけで「人間」を推し量る事はできない。

人が秘める可能性の力は多彩だ。

歴史に名を残したチャーチルやガンジー、アインシュタイン、レントゲン

などは、若いころは落第生だったり、劣等生だったりしたという。しかし

彼らには共通することがあった。 それは「自分で自分を諦めなかった」

ということ(青春対話1) 決して自分を小さく量ったりはしなかったのだ。

よく「自分はまだまだ」と言う。私たちは、その言葉を、自分で自分に

見切りをつける時に使いがち。そうではなく、着実に粘り強く前へ進もう

とする「不屈の言葉」にしたい。

ロシアの文豪ショーロホフ氏は。「我々は皆、{自分の幸福の鍛冶屋}です」

と述べている。大切なのは自分を、いかに鍛えるかだ。

何事にもめげず、自分らしく努力を惜しまず、己を過少評価しないこと。

皆、人間革命していく力を持っていることを、忘れまい。

(名字の言)より 引用

うぅう (*_*; ちんねん 何をやっても 諦めてしまう 傾向があります

山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し わーお (#^.^#) 

ちんねん、の 心の中の闇をずばり 指摘された金言です・・

恐れ入りました! 

また 心を入れ替えて精進します。

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「愛」なき国 

NHK スペシャル取材班&佐々木とく子・・著より

「制度を作る人に{}が無い・・・あったとしてもそれを制度に

実現できない日本という国がおかしい」 (あとがき)より」

日本の介護の歪みは2000年施行の介護保険法に始まる

いろいろ問題はあってもまず「走りながら考える」という不十分な

出発だった。だが、後の小泉政権の財政削滅がこの歪みを固定化

した。 介護職の給料は安く動労はきっい。

五年先の安定を見えない。 深夜巡回で疲れ果てて休みたくても

代わりの人は、どこにもいない。

要介護の5段階で区分は実態にあっていない。一番重症で支給額が

多いのは要介護5だ。 実際には3ぐらいが最も人出がかかっているのに。

しかも、どんな良い介護をしても支給額には反映されない。2006年の

「改正」では、ホームヘルプの回数は減らされ、多くの要介護者が支援を

切られた。 その一方、まだ介護の必要のない人への筋トレや口腔ケヤに

介護保険が使われだした。介護職への介護報酬さえ削られ、「やりがいが

ない」と人材が逃げているのに。 もとより、制度を元に戻せばいいという

ものではない。

改良は必要だ。一歩一歩の進歩を目指したい (汲)より引用

ちんねん・・・いったい 政治家は何のために 誰のために・・・

高額の給料を貰い世界でも「トップクラス」の至れり つくせりの環境で

庶民の苦労を忘れているのでは、政治家は民衆の僕(しもべ)ですが・・?

ある国では ボランティアの所も有るようですが!

少し(どころか)何かが・・? 可笑しいようです。

そういう議員を選んだ私たちも責任の一端がありますが!

以前 選挙演説の候補者に子供が{おじさんも、お金儲けのために

政治家になるんですかぁ・・?} と  (@_@)

そうそう 元総理の宮沢喜一さんのポリシーはお見事でした。

英語も堪能で 哲学を持ち信念のある立派なかたでした。

最近の政治家は、テレビ受けの人が(人物の中身は別として)人気があり

ますが・・!

袋汚くても 黄金を捨てることなかれ! とは

 袋、入れ物(外観)が汚いからと・・中身の黄金まで捨てる
愚かさを仏典では戒めています。

実は 私たちは服装や学歴、肩書き、財産、などで人物を
判断する傾向がなきしも、あらずですが!

あ・・・きょうも 減らず口を ・・・恥しいので 是にて消えます

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有為(うい)の雲

 有為の雲 ん・・・? (@_@。

読者の皆さま、お早うございます 今回もちょいと長いお話です!

石川啄木の 雲は天才である」 という小説が、私は好きであった。

天才にして孤独の詩人、彼は、自らの自負心が高まって、我すぐ

れたりとして、人を相手にするよりも、むしろ雲と語り会ったに

ちがいない。しかし私は、人と人とのつながりの”友情の華”に

こそ、青春の舞台がある、と申し上げたい。

その友情の真髄の証ともいうべき、太宰治の「走れメロス」は

まことに感銘が深く、これからの人生を歩みゆく少年たちに、読ませて

あげたいものである。 

ところで、「友とするにわろき者、七つあり」・・と

吉田兼好は「徒然草」の中で述べている。

友人として持ちたくない人間のタイプに七つある、というのである。

「一つには、高くゃん事なき人。二つには、若き人。三つには、病なく

身強き人。四つには、酒を飲む人。五つには、たけく勇める兵。

六つには、虚言する人。七つには、よく深き人」ーというわけである。

「高くやん事なき」つまり高貴な身分の人や「若き人」をあげるのは、

二九歳の若さで世を捨て、四十路も半ばを越えた人の、澄んだ

観察眼のなせる業であろうか。

「酒を好む人」・・・もしかすると兼好の周りに大変酒癖の悪い人間

がいたのかも知れない。などと私の想像は駆ける。 しかし

もっとも首肯させられるのは「病なく身強き人」の件である。もとより

兼好は、病を推奨しているのではあるまい。病に限らず人生の登

攀路にあって、多くの苦難というものがもたらす、人間の内面的な

深まりを示唆しているのだと思う。たしかに、一度も病床に臥した

ことのない人は、どうしても弱者への思いやりに欠けがちだし

なによりも「病苦」はいかなる人間にも、人生でもっとも大切なものは

なにか、という点に目を向けさせてゆく、有無をいわせぬ力を持って

いるものだ。 若いころから、決して身体が丈夫でなかった私には

それが痛いほどよくわかる。

「病によりて道心はをこり候なり」

この日蓮大聖人の御遺文の一節を胸に、走りに走った幾星霜が

いまは懐かしい思い出となっている。とともに、それは私の青春譜

に刻みえた、かけがえのない心の財産であるといってよい。

一人の平凡な人間が、病気に襲われたことを契機に、徐々に

人生の真実に目覚めゆくさまを描いた傑作に、トルストイの

「イワン・イリッチの死」という小品がある。

生死の問題を描いて、文豪の筆は類まれな冴えを示しており、長

編にも劣らない、人の心に訴えてるなにかがある。

イワン・イリッチ。月並みな一公務員である。官吏の家に生れ

最終的には中央裁判所の判事まで登りつめるエリートだが、その

半生は「ごく単純で平凡」だった。妻と二人の子どもをかかえ

「勤務上の喜びは自尊心の喜びであり、社交場の喜びは虚栄心

の喜びであった」。またカード遊びをこよなく愛している。

仕事もそつなくこなす、いわば可もなく不可もなし、の典型的な

官吏タイプであった。そんな彼が、あるとき不治の病に取りつかれる。

家の飾り付けをしていた際、台から転落して窓の取っ手に横腹を打ち

つけたのだ。初めはたいしたこともなかったが、そのうち口中に妙な

味を覚えたり、絶えず脇腹に重苦しさが感じられるようになる。

何人もの医者にかかるが、病名はいっこうに要領を得ない。

苦痛はいやますばかりである。 彼は、仕事に没頭することで、それを

忘れようとする。だが横腹の痛みは、裁判の進行などおかまいなしに

襲ってくる「あいつがやって来てまともに彼の前に立ちふさがりながら

ひたと彼をみつめる」彼は茫然として自分自身に問いかけるので

あった。「いったい、ただ”あいつ”ばかりが本当なのかしらん?」と

イワン・イリッチのその後は、”あいつ”との壮絶きわまる格闘である。

「問題は盲腸でもなければ、腎臓でもない、生きるか・・死ぬかという

問題なのだ」。生死という根本事に比べれば、かって彼の人生を彩って

いた仕事、社交、カード遊びなどは、夢幻に化してしまう。

「今の彼イワン・イリッチを造りあげた時代が始まるやいなや、その当

時喜びと思われたものが、今の彼の目から見ると、すべて空しく消えて

しまい、なにかやくざなものと化し終わり、その多くは穢らわしいものに

さえ思われた」 

そして死の二時間前、一つの啓示がおとずれる。

「本当の事」。死の恐怖がさり、死の代わりに光があった。

「いよいよお終いだ」誰かが頭の上で言った。彼はこの言葉を聞いて

それを心の中で繰り返した。「もう死はおしまいだ」と

彼は自分で自分に言い聞かした。 もう死はなくなったのだ」。臨終

誠に迫真の筆致と言ってよい。

日蓮大聖人は御遺文集の中で秋の暮に月を詠めし時 戯れむつ

ぴし人も 月と共に有為の雲に入りて後 面影ばかり身にそいて物いふ

ことなし 月は西山に入るといえども 亦こん秋も詠むべし然れども

かくれし人は 今いずくにか住みぬらんおぼつかなし」と、

人生の無常なる一面を述べられつつ、日々確たる人生を築きゆくことの

大切さを教えられている。

「有為」とは「無為」に対する言葉で、流転し消滅しゆく事物を指す。

たしかにそれも大切であろう。しかし「有為」がすべてと思っていると

それらが厚い雲の陰に隠れてしまったとき、残るのはいいようのない

空しさだけではあるまいか。

ちょうど、イワン・イリッチがそうであつたように・・・。

限られた人生である。なにが「本当の事」であるかを見失うことの

ない求道と前進の日々、そして生涯でありたいものである。

つれずれ随想 (池田大作著)より  引用

ちんねん どう考えても・・百年後にはこの世に居ませんです!

読者のみな様も・・・いかがでしょうか・・?

ちんねん 稀有の師匠のお陰で色々学ばせて頂いています。

イワン・イリッチのように死の恐怖に怯えたりはしていませんです。

自分自身の中に希望の灯を灯しているか・・? 否や 

精神の死が恐ろしいです・・・生きる屍です・・

あ・・・いけない 偉そうな説教じみた事を・・ (^_^;)

あまり幼稚な事を述べると誤解を招く恐れが有りますので

減らず口を閉じます  (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

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希望があるや否か !

「悲惨とは あれやこれやが 欠けていることではない。

それは希望が存在しないことである」 (@_@)

(フランスの作家クロード、モルガン)

先ほど、久しぶりに妻と 「A.I」 と いう映画をみました。

精巧な人工頭脳(AI)を備えたロボットの少年が主人公だ。

巨匠・スピンバーグ監督の作品である。

人間の社会に暮らし、数々の波乱と悲哀を味わうなかで、少年は

願い続ける。「本当の{リアルな}人間になりたい」と。「リアル」・・

それが、この映画のキーワードだ。 考えてみれば「バーチャル

(仮想の)」ばやりの世の中である。コンピューターゲームの世界

のみならず、日々の暮らしにおいても、確かな手ごたえが感じられない

と嘆く人が増えている。本当の「幸せ」とは何なのか。自分は「人間」

としての生を送っているのか・・「人間になりたい」とのロボット少年の

呟きは、そのまま現代人の願いと重なりはしないか!

映画の終幕は、2000年後の世界に飛ぶ。遙かな時空を経ても

少年の夢は消えない。「人間」になりたいとの希望を抱き続ける

ロボット少年の物語から浮かび上がるのは、「希望を抱き続くる

のが実は人間なのである」とのメッセージでした。

映画のラストシーンは、希望のぬくもりを観客の心に灯して終わる。

(名字の言)より 引用

ちんねん、夫婦も ともすると希望の灯が消えかかる時が まま

有ります・・特に未熟者の「ちんねん」ロボット少年に恥じています

「悲惨とは あれやこれやが 欠けていることではない。

それは 希望が存在しないことである」

(フランスの作家クロード、モルガン)

今日より ちんねん また 頑張ります (#^.^#)

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いちばんたいせつなもの!

あなたの 一番大切なものは、何でしょうかぁ?

「今日は、ちょいと 長いお話ですが、きっと読者の皆さまの

心に感動が蘇るでしょう!」

むかしあるところに、粗末な小屋に住んでいる木こりがいました。
きこりは、木を売って、その日をやっと暮らしていました。
夜、暗くなっても、部屋に明かりを灯す油もないほど、貧しい
暮らしでしたが、きこりには、とても賢い娘がいました。

ある日、おなかのすいたきこりは、あちらこちら歩き回って
いるうちに、お城にたどり着きました。

そして、なにか食べものをめぐんでくれるようにたのみました。
王様は、みすぼらしい身なりの男が、立派な話しかたをする
ので、驚いてたずねました。

「おまえは、どうしてそのような話し方をするのだ」

「わたしの娘からならったのです」と、きこりは答えました

「それなら、お前の娘はだれから習ったのだ」と、王様は
不思議そうにたずねました。

「わたしの娘は、神さまから知恵と勇気を授かったのですが
わたしども貧しい暮らしで、その日のバンにも困っております」
きこりはこたえました。

王様はそれを聞くと卵を30個、きこりに渡して言いました。

「この卵から、雛をかえしてみよ。もしも、ひながかえったら
望みのものを褒美にやるが、孵らなかったら、お前にムチを
どっさり与えることにしよう」

きこりは困り果てて家に帰り、娘にお城であった事を話しました。
娘はすぐに、卵がゆでてあることに気ずきましたが、そのことは
なにもいわず、ただ心配しないで休むようにとだけいいました。

きこりが眠ると、娘はなべに豆を入れ、火にかけました。そして
豆が煮えて柔らかくなると寝床につきました。

あくる朝、娘はきこりをおこしていいました。

「さあ、はやくおきて牛に鋤をつけるのよ。そして、王様がお通り
になる道のそばの畑を耕して、この豆をまいてくださいな」
娘は、なおもいいました。
「王さまの姿をみかけたら{おーい、牛よ!煮豆から、どっさり
豆ががなるように、たのむぞ}と大声で言って下さい。
そして、もしも王さまが、煮豆からなぜ芽がでるのかとたずねられたら、
こういうんですよ。{それでは王さま、どうやったら、ゆで卵から雛が
かえせるんでしょうね}と」

きこりは娘にいわれたとうりに、王さまの通る道のそばの畑を耕し、豆
をまいていました。 しばらくすると、王さまが家来をおともに散歩に
やってきたので、大声でさけびました。
「おーい、牛よ!煮豆から、どっさり豆がなるようにたのむぞ」
それを聞いて、王さまはあきれたようにいいました。

「おい、おまえはきのうのきこりだな。どうやったら、煮豆から、芽が
でて、どっさり豆ができるのだ」 きこりはこたえました。

「それでは王さま、どうやったら、ゆで卵から雛がかえせるんでしょうね」

王さまはすぐに、きこりが娘から知恵を授かったのだときずきました。
そこで、王さまはきこりをよんで、麻糸をひと束わたしました。
「さあ、この糸をおまえにやろう。これで船の帆をつくってくるがいい。
もしも、できなかったら、お前の命はないぞ」それを聞いて、きこりは
おどろきました。こんな少しばかりの糸で、大きな船の帆などつくれる
はずもありません。

娘はきこりの話を聞くと、なにも心配しないで休むようにとだけいいました。
あくる朝、娘は、ぼうぎれをきこりにわたしていいました。

「おとうさん、これで「はたおり機」を、王さまにつくってもらって下さい。
船の帆が織れるような大きいものですよ。そうすれば、お望みのものを作り
ましょう」
きこりは王さまの前にいって、娘にいわれたとうりに話しました。王さまは
それを聞いておどろきました。こんな小さなぼうぎれで、そんな大きな
はたおり機などつくれるはずもないのですから。 そこで王さまは、
こんどは娘をどうやってこまらせようか、考えました。 そして、小さな
さかずきをとっていいました。

「これを娘にわたすがいい。このさかずきで海の水を、からっぽにする
ようにつたえるのだ」
きこりはそれを聞いて、泣きながらさかずきを持って家に帰りました。
娘はだまって聞いていましたが、きこりになにも心配しないで休むように
といいました。 あくる朝、娘はきこりに麻糸をどっさり渡して言いました。

「これを王さまのところへ持っていってください。そして、海に水が流れ
こんでいかないように、この麻糸で国中の川と湖にしっかり栓をしてもらう
のです。そうしたら、わたしが海の水をのこらずくみだしますから」
きこりはお城にでかけていき、娘のことばをそのままに王さまに伝えました。

王さまは娘の賢さに感心し、きこりに娘をつれてくるようにと命じました。
お城によばれた、きこりと娘は、王さまの前に進みました。
王さまは娘にたずねました。 「さて、離れた遠い所からでも、すぐに耳
に届くものは、なにか」? 娘は、にっこり、ほほえんで言いました。

「王さま、それは雷と嘘でございます」 そこで王さまは、自分のあご鬚を
なでていいました。 「わしのあごひげの数をあててみよ」

娘はきっぱりとこたえました。「ひげの数は、三日分の夏の雨と同じです」
王さまは、それを聞いてうれしくなりました。
「なるほど、この娘のいうとうりだ。髭の数も雨の雫も数えられるもの
ではないな」 王さまは、この賢い娘がすっかり気に入り、自分の妻に
なってほしいといいました。 すると娘はいいました。

「王さまのお望みのとうりにいたしますが、一つだけお願いがございます。
もし、いっか、王さまが私にお城から出て行くように命じられることが
ありましたら、一番大切なものを、お城から持ち出すことをお許し
ください」    王さまはいいました。

「たやしいことだ、望むものはなんでももっていくがいい。だが、わしは
おまえを追い出すはずがない」
こうして二人は結婚し、仲良く暮らしていましたが、ある日、王さまは
娘にひどく腹を立てていいました。「もう出て行くがいい!」

「王さまがお望みなら、そういたしましょう。でも、今夜一晩だけ、
どうぞお城にとめてください、明日の朝でていきますから」
「すきにするがいいだろう」王さまは娘がとまるのをゆるし、お別れの
夕食をともにしました。 そのとき、娘は葡萄酒に強いラキア酒をまぜ
王さまにすすめました。

「王さまのご健康を!」王さまはお酒を飲むと、その晩、ぐっすり
眠ってしまいました。 すると、娘は馬車を用意し、王さまを自分が
生まれそだった家に運びました。 あくる朝、王さまは目をさまし
自分がそまつな小屋にいるので、おどろいて叫びました。

「ぶれいもの!だれが、わしをこんなところにつれてきたのだ」
「わたしが王さまをおつれしたのです」
「どうして、こんなことをするのだ。おまえはもう、わしの妻ではない。
ゆうべ、でていけといったはずではないか」 それを聞くと娘はいいました。

「王さまは、あのときの約束を覚えていますか。王さまは、わたしがお城
を出るときには、一番大切なものを持ち出していいと、許して下さいましたね」
娘は頬を赤くそめながら、小さな声でいいました。

「わたしは、いちばんたいせつなものを、お城から持ち出しただけです」
それを聞くと、王さまはだまって娘にキスをしました。
そして、娘の手をとって、お城につれてかえりました。

バルカンの昔話 {八百板洋子氏 編・訳}より 引用

ちんねん 一番大切なもの・・う・・ん 皆さまは如何でしょうかぁ・・?

ひょいとしたら、金銀財宝をお城から持ち出したかもしれません!

来世は 賢い娘さんのような人に巡り合いたいです。

でも 今の日々の行いでは叶わないようです・・ (*^_^*)

深く反省しています・・何で、 いっも 決意はするんですけど

続かないんです・・きっと閻魔さまから二枚舌いや 四枚舌を

抜かれて 塩焼きにされて食べられる・・やも 

怖いので・・こそっと 頑張ります !

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平成 鳥獣戯画 

たぬき と キッネのだまし合い ?

相変わらず振り込め詐欺がまだ横行していますが

演出が凝って、ある意味では悪事にかけては、敵も

よほど 頭を使いゲーム感覚で事に臨んでいるのかなぁ?

それにしても・・なんで振り込め詐欺の被害者は 大金を

持っているのだろうかぁ? ちんねん お金持ってませんので

払えませんから、その心配はないですが!

悪知恵は 一杯もっていますが、使えないです お縄になりますから (@_@) 

 あ・・そうそう 今日はバルカンの昔話を紹介します

きつねとおんどり

ある日、おんどりが、垣根の上にとまって、声を張り上げて
クックック、クケッコッコーと鳴きました。そこに、そばの茂みから
きつねがひよこっと顔を出しました。

「いやあ、おまえさんの{クケッコッコー}は、なかなか素敵だ。
たいしたものだよ。だけど、おまえさんの父親は、昔、もっと
素晴らしい歌い方をしたものだ。あのまねは、出来ないだろうな」

「えっ、とうさんは、どんなふうに歌ったの」

「それは、見事だったよ。垣根の上にとまって、片目を閉じ、片足で
立って「クックック、クケッコッコー」と歌ったものだ。まるで舞台に
立った歌手のようないい声で、みんな、うっとりと、聞きほれたものだ」

「それくらい、俺にだってできるさ」雄鶏は、片目を閉じ、片足で立って
クックック、クケッコッコーと、鳴きました。

「うーん、ちょっと、ちがうな。その鳴き方では、おまえさんの父親には
とてもかなわないよ。そうだ、両目を閉じて歌ってみたらどうだろう」

「いいとも、やってみるよ」 雄鶏が気どって目を閉じると、きつねが
いきなり垣根に飛び上り、おんどりの体を抑え込みました。 きつねは
雄鶏をひっつかんで、森に引いて行きました。そして、雄鶏を引き裂い
て食べようとしたときです。雄鶏が、大きなため息をついて、言いました。

「あーあ、なさけないと思わないのか。 おまえの母親は、昔、こんな
ガツガツした食べ方はしなかったものだ。」

「えっ、母さんはどんなふうにして食べたの」

「それは、素晴らしかったよ。雄鶏を捕まえても、すぐに食べるなんて
そんな品のないまねはしなかったよ、まず、神さまに、お祈りをしたものだ。
あんな信心深い、りっぱなきつねは、めったにいなかった」

「それぐらい、おれにだってできるさ」
きつねは、恭しく、前足を屈め、目を閉じてお祈りを始めました。
そのすきに、おんどりは、ぱっと逃げて、そばの木に飛び上がって
しまいました。

「えい! おんどりのやつ、よくも、このおれをだましたな」
きつねは、悔しがってなんべんも後ろを振り向きながら、森の奥に
かえっていきました。

バルカンの昔話 {八百板洋子 編・訳 }より 引用

ちんねん 悪しき心が、ときどき ん・・? いっもかなぁ  (^_^;)

でます・・「きつねとおんどり」のように 成らないように

「六匹の動物」をコントロールしたいと日々精進します (#^.^#)

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政治家の品格

政治は一寸先は闇・・・ナヌ  (-_-メ)

昨夜の、福田総理の辞任表明は まさに「青天の霹靂」でした。

呆れ果てて論評も・・・・・ (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

仏典に「仏の顔も三度」いう故事がありますが! 

余りにも お粗末な対応に、口あんぐりです。

毎年3万人の自殺者が出ています。色んな所で行き詰まっている。

内政も、外交も、混迷している 巷間、待望されるリーダ像

が改めて問われている。

そこで思い出すのは、19世紀イタリアの政治家、カヴールです。

彼はオーストリアの支配からの解放とイタリア統一のために戦った。

中・南部イタリアの併合によるイタリア王国の初代首相になり、近代

国家への基礎作りに貢献した。 一生独身であった カヴール

ある時、あなたはなぜ独身かと聞かれて「私はイタリアという国を

妻にしている。 これ以外に妻はいらない」と答えた。 どこまでも

{国民のために}の信念で生涯を人々に捧げた。

国民のために といえば世界的に有名なチェロ奏者・スペインの

バブロ・カザルスの生涯もそうだった。「私は第一に一個の人間

であり、第二に芸術家であります。人間としての私の責任はわが

同胞の幸福のために尽くすことです」

{バブロ・カザルス・喜びと悲しみ}吉田秀和・郡司啓吾・訳 

 この信念で彼は96歳で亡くなるまで、

悩み苦しむ人々のために独裁者・フランコと戦い抜いた。

政治家であれ、芸術家であれ、また学者・教育者であれ、何のため

に生きたかで、その人の真価は問われる。

「民主主義は熱情を持って”献身する者”の純粋かつ高貴な思想

なしには生き永らえない」とは、「世界人権宣言」の起草に貢献し

たエレノア・ルーズベルト女史の至言!

保身ではなく献身のリーダーをこそ待ち望んでいる。

名字の言 より 引用

ちんねん 知り合いの女子高校生から おじさん 18番の永田町劇場

が始まりますね・・政治家つて面白い役者がいますね

党首やめると言った人がころつと・・またやる と 悪役に最適ですよ・と

ん・・政治家つて下手な大根役者より面白いと!

ああ・・そういう 人を選んだ人もですが・・・

ちんねん・・政治家に成らなくてよかった。 そうそう なろうと

思っても・・・・なれないです・・おしやべり ですから・・

あ・・・あまり 屁理屈をいったら 閻魔さんから 苛められますので

もう・・寝ます (^^)/~~~

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 童話は誘う 

大自然の厳しい生活の中で人間愛を問う  (*^_^*)

トルストイ 「大熊星」{七つのほしのものがたり}より

昔、ロシアの村で何ヶ月も干ばつが続きました。畑の作物

も枯れ、人や家畜までも次々と死んでいきます。

そんなある晩、一人の女の子が病気のお母さんに水を

飲ませるため、{ひしゃく} をもって出かけました。 しかし、川の

水も干し上がり、いくら探しあるいても水はどこにもありません。

女の子は疲れきって枯草の上に倒れ、朝まで眠りこんでしまいます。

ところが、女の子が目を覚ますと{ひしゃく}の中に水が入っています。

女の子は思わず{ひしゃく}の水を飲もうとしますが、我慢して家に

戻ります。 暫く行くと骨と皮だけになった犬が苦しそうに喘いで

いました。女の子はお母さんに飲ませる貴重な水を少しだけ手の

ひらにたらして、舐めさせてあげた。犬は嬉しそうにしっぽを振り

ました。そのとたん、木の{ひしゃく}が銀の{ひしゃく}に変わっていました。

お母さんは水をみて喜びます。でも。たった二口飲んだだけで、

「あとは全部おまえがお飲み」と言います。すると{ひしゃく}が金の

ひしゃくに変わりました。それでも女の子は水を飲もうとせずお母さん

に進めます。二人でゆずりあっているところへ、やせ細ったおじいさん

が現れ、「もう死にそうだ、私にその水を飲ませてくれ」といいます。

心優しいお母さんと女の子は気持ちよく、おじいさんに{ひしゃく}を

渡します。おじいさんはよろこんでひしゃくを受け取りますが、{ひしゃく}

の中をじっと見つめたまま、水を飲もうとしません。不思議に思った

女の子が{ひしゃく}の中を覗いて見たら、なんと水の中で七つの

ダイヤモンドがきらきらと輝いていました。

やがておじいさんは、ごくりごくりと喉を鳴らして水を飲みました。

それでも{ひしゃく}の水は少しも減っていきません。「ありがとう」

いったかと思うとおじいさんの姿が消えます。

同時に水の中から七つのダイヤモンドが飛び出して行きました。

女の子が窓を開けて空を見るとどうでしょう。 北の空に{ひしゃく}

の形をした七つの星が光っていました。

女の子はいくら飲んでも無くならない{ひしゃく}の水を、村の人

たちに飲ませてあげました。 だれもがこの水を飲んで元気に

なります。それからしばらくして待ちにまった雨が降り出します。

人はどこまで優しくなれるか、トルストイならではの人間愛の

テーマが民話を通して鋭く問いかけています。

いうまでもなく女の子に水を与えたのは神であり、神がおじいさん

に姿を変えて、女の子やお母さんの人間性を試していたのです

トルストイの「神とは」特定の宗派や特定の「神」ではないようです。

トルストイの名作「戦争と平和」には全宇宙を司る森羅万象で

根本とし崇拝している自然の摂理を「神」と述べています。

もし、二人ともおじいさんの申し出を断ったらとしたら当然、その

報いとして死が与えられ、やがて村も滅んだに違いない。

しかし、女の子もお母さんも神の試練に見事合格したのです。

当り前の人間には決して真似のできない行為ゆえに、神は二人

のことを永遠に伝えるべく北斗七星までも作りました。

読者のみな様、暇なとき北方の夜空に、煌びやかに輝く北斗七星を

ご覧になられましたら・・トルストイの童話に思いを馳せて下さい

ちんねん 日頃の行いが ちゃらん ぽらん ですので 襟を正して

反省しています・・顔は・・いつも・・笑顔を絶やしていませんが 心が

汚いです いっも いっも 反省と決意をしています。

あ・・また 減らず口を・・・ !(^^)!

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