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2008年8月

欲望の虜

「六匹と一本の柱」  (@_@。

近頃は子どもたちの世界に眉をひそめたくなるような
事件が続発して悲しく成ります。
余りにも「おぞましい」ので内容はカットします。

ある調査で、ほとんどの子どもたちは、

「将来の幸せの為に必要なもの」のトップを占めているのは
「お金」だそうです。 二番目が「勉強・学業・頭脳」
「心・優しい人気持ち」にいたっては ずっと下位である。
以前、高校生の八割近くが「世の中は、金が第一の競争
社会」との認識をもっているという。

別の調査を目にしたことがあるが、それにしても黄金の魅力
いゃ魔力が、小学校低学年にまで、これほど浸透しているとは
夢にも知らなかった。

近年 堀江某が彗星のように株の取引で日本中を熱狂
させて・・金儲けに励んでいましたが、法を犯して
厳しく断罪されようとしています 反面教師の役割を
果たしました。

しごかれ、尻をたたかれるのは勉強のみで、後は子どもの
欲するままに、親はこれを与える。親はツムジを曲げられる
のが怖く、ねだられれば多少無理をしても買い与える。
子どもたちは、塾通いの合間をぬって、物持ちぶりを競い
会っていくのは当然である。 それが高じると「ナナハン」
まで突っ走る、とある人が言っていた。

けっして、すべてがそうだと言うのではない。
学歴社会を暗く覆う一般の風潮を私は憂慮しているのだ。
いかなる家庭でも、そうした時流の圏外へ逃れることは
できないものだ。

大分の教員不正採用事件も陰で「お金や商品券」などの
やり取りが明らかにされ、筆者も余りにも、汚れた亡者どもに、
あいた口が塞がりません。
江戸時代でしたら・・関わった関係者は勿論、上司も監督
責任怠慢で 罪九族に及び討ち首・獄門・遠島の厳罰を
受けたでしょう。

あぁ 罪人に寛大な、変な法律のお陰で罪人は誰も命を落とす
ことが無いのです。 変な国日本です 人を殺しても
(犯行当時精神的に異常があった時)は
責任能力は問われない 誠に寛大な法事国家です
15年逃げきれば時効という 有りがたい法律があります。
決して犯罪を奨励している積りは ありませんです。

あ・・そうそう 本題に入ります

「お金」が 幸福の第一、と答えてこともなげな子供たちの
無邪気さ、ある種のふてぶてしさは、その社会の病んだ部分を
鋭く、正確に映し出しているように思えてならない。 

すなわち、現実の社会を動かしている、テコは、愛し信じ合う
心よりも、金銭や出世へのむき出しのエゴにすぎなくなって
しまったのであろうか。

仏典に「六匹と一本の柱」の譬えがある。

これは、昔、釈尊が舎衛国の西方で、人々に説法していた時の話である。

ある人が、一軒の家に六匹の動物を飼っていた。六匹とは犬と、鳥と
毒へビと、キッネと、シッユマラ(ワニの一種)とサルとであった。

これらの動物は、みな家の中の一本の柱に堅く繋がれていた。六匹は
家の中にじっとしているのに耐えられず、それぞれ好きな所へ行きたい
と思っていた。 犬は村へ。鳥は空へ。ヘビは穴へ。シッユマラは海へ。
キッネは塚へ。サルは林へ。しかし彼らは、どんなにもがいても、柱に
堅く繋がれているので、どうすることもできなかった。

釈尊は説く

六匹とは、我々の眼耳鼻舌身意の六つの官能、欲望である。
欲望は対象を求めてやまない。目は愛すべき色を、耳は心にかなう声を
鼻は好きな香りを、舌はよき味を、身は快き肌さわりを、そして意は
つねに心にかなうことのみを。それぞれが争って噴出しようとするが
一本の柱に繋がれていれば不可能であり、管能や欲望に翻弄される
こともない。

ところで、一本の柱とは「身念処」(しんねんしょ)である。
「身念処」とは、原始経典に説かれた修行方法で、肉体の不淨を清める
ことと言えますが、釈尊の説いた大乗仏教の真髄は、欲望を絶つこと
ではなく、欲望に支配されぬ境涯の確立を目指している。
したがって、この譬えを敷衍すれば、「一本の柱」とは、欲望や
官能の嵐に揺るがぬ、大樹のごとき心の柱を意味していると言ってよい。

日蓮大聖人も、御遺文集の中で「蔵の(くら)の財(たから)よりも
身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」
と仰せになっている。

池田大作氏(つれずれ随想)より 引用

哲人ベーコンは「金はよい召し使いだが、場合によって悪い主人でもある」
と言っている。
金や栄誉という「悪い主人」にこき使われる日々では、どんな王侯貴族の
ような生活をしていても、心の中には寒風が吹き荒れている。
そうではなく、自分自身が、自らの生活の「主人」でなくてはなるまい。
言葉をかえれば、真の意味で己に勝っということでもある。 それには
どうそればよいのかを、一人ひとりが、社会全体が、真剣に考えなければ
ならない時にきているように痛感されてならない。

ちんねん いっも六匹の欲望に振り回されています 今日も

我が身の不徳に恥じています・・ (^_^;)

いっもいっも 反省 反省の日々を過ごしています

考えれば考えるほど・・うぅう 残り少ない髪の毛が 抜ける・・・

(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

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教育とは{模範を示す}事

ガンジーが人を引きつけた 秘訣 どんな魔法を!

この前二十数年ぶりにある知人宅を訪問しました。

色々お話を伺いましたが、一番心配なのが、子どもが

甘いものばかり食べて太り体力が弱って、運動もしない、と

何度注意しても いっも何か食べて止めない、と どうしたら

良いのか・・? アドバイスを求められ 困りました。

その時 脳裏にある事が浮かびました。それは! ↓ 

数年前、「ガンジーの孫のアルン、ガンジー氏」が、来日された時

 恩師との対談の時のエピソードです。  

 ガンジーの孫のアルン、ガンジー氏の子供の頃 こんな経験をしたそうです。
 とても甘い物が好きな男の子がいた。

 ガンジーのいた研修道場に(アシュラム)に両親と ともに来ていた。
 7歳位の男の子だった。 甘い物を食べ過ぎて、全身に湿疹ができていた。
 親がどんなに言い聞かせてもだめだった。 隠れて甘い物に手を出してしまう。
 悩んだ母親は、男の子を連れて、ガンジーのもとにやって来た。
 母親の話を聞いて、ガンジーはー言った。

「わかった。 私が子供に話してあげよう。 ただし、15日だけ待ってほしい。
15日たったら、また来なさい」

 母親は、わけは わからなかったが、言われたとうり15日後に、やって来た。
すると、ガンジーは、男の子だけを自分のそばに呼んで、何か短い話を

した時間にしてたった30秒ほど、それだけで、ガンジーの話は終わった。
それなのに、どうしたことか、男の子は、それ以来、びたりと甘い物を食べなくなった。

母親は驚いた。   
「まあ、ガンジーさんは、どんな魔法を使ったんだろう?」
後日、母親はガンジーのもとに行って、何を話したのか、聞いてみた。

ガンジーは 答えた・・ さあ・・ 何と 答えたでしょうかぁ・・?

 「私は別に魔法なんか使ってないよ。私は自分が出来ない事を
 人に命じる事はできない。だから、男の子に「甘い物を食べない
 ように」と話す前に、私自身が十五日間、甘い物を断ったのだ。
 その為に、あなた{母親}に「十五日間、待ってほしい」と言ったのだ。
 子どもが来た時、私は「あれから十五日間、自分も甘い物を口に
 しないで、きたんだよ」と教えた。

 そして、「君の病気が治って、君がまた甘い物を食べられるように
 なるまで、私も甘い物は食べない」と
 男の子に話したのだよ} つまり「自分も頑張る。だから君も
 頑張れ!」・・・ここに ガンジーの成功の秘密があった。

 孫のアルン・ガンジー氏は語る。

「指導者、教育者は、自ら模範を示して初めて、人々を
 引っ張ることができます。 これがガンジーの信念であり、
 カリスマ的な「神秘的なまでに人を引きっける」ガンジーの
 指導力の秘密でした。非暴力の真髄は、人を教育する力であり
 教育とは{模範を示す}ことなのです}と。
 そうでなければ官僚主義になる。口先主義になる。

 日本の国も行き詰まり切っている。その処方箋は、さまざまに
 論じられている。 「こうすればいい」「ああすれば良くなる」。
 それはそれで 結構だが、ひとつだけ欠けていることがある。
 それはじつに単純なことである。

「言っている人間が、模範を示せ!」と・・・・!
 素晴らしい話しをしている当人が、その話を、そのまま実戦
 したら、あっというまに 素晴らしい国になるはずである。

 しかし現実は反対である。「自分は利己主義で生きて、人に
 は我慢と忍耐を説く」ような指導者が多すぎる。
 例の男の子の家では、家族みんなが甘い物が大好きで、いっも
 食べていた。 それでいて子どもだけ「甘い物はやめなさい」と
 言っても、聞くわけがなかった。

 池田大作著「今日より明日へ」より 引用

日本の国も、厳しさのない、信念もない、あとさきも考えない、
欲望に流された「甘い物ばかり欲しがる子ども」のような国に
なってしまった。
確固たる理念と哲学が希薄していると 「ちんねん」  おもいます。

そうそう いってる 私も「甘い物ばかり欲しがる子ども」のようです
この所・・世界的に異変が多発していますが! 世紀末のようそう・・?
下手の考え休みににたり・・ですので何も 考えないように
しています。・・もともと知恵が、なかったのです 
(@_@)  §^。^§

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楽しむ算数 !

2の100乗センチはどれくらいの距離 ?  (^_^;) 

読者の皆さま、今日は面白くも何ともない・・哲学?より

居間でゆっくり寛ぐような気持で、拝見して頂ければ幸いです。

昔から広く知られているお話ですが、豊臣秀吉は、側近の「曽呂利

新左衛門」に褒美として、今日は一粒の米、明日は二粒、明後日は

四粒というように、一日ごとに倍にした米粒を渡すことを約束しました。

ところが、それは途方もない数になることを後で知った秀吉は、その

約束を無効にしてもらうために謝ったそうです。

この話の真偽は定かでないようですが!次々と倍にしていくことに関して

私は全国の子どもたちに対する出前授業で次の話をよくします。

「1センチを倍にすると2センチ。2センチを倍にすると4センチ。4センチ

を倍にすると8センチです。このように倍にしていくことを100回繰り返すと

1センチはどのくらいの長さになるでしょうか?

1・・東京から大阪ぐらい。        2・・日本からアメリカぐらい。

3・・地球から月ぐらい。         4・・地球から月よりもっと遠く。

ほとんどの子どもたちは 1・2・3・のいずれかに手を揚げ4・に手を

挙げる者はめったにいません。

ところが実際は、その長さは何と宇宙の大きさをも超えてしまうのです。

以下、その説明をしますが、この話を聞いた子どもたちの目は輝いて

います。 宇宙の大きさはだいたい半径150億光年だそうです。

これは、秒速約30万キロの光の速さで150億年進んだ距離のことです。

この距離は、およそ、(1・4X(10の28乗)センチになります。

ちなみに、10を28個掛け合せた数なので、それは1の後に0が28個

付いたかずになります。一方、2の100乗は2を100個掛け合せた数で

それは10の30乗を少し超えてしまいます。 したがって、1センチを

100回倍にすると、その長さは(1X{10の30乗}センチ)を越えてしまうのです

参考までに、このような非常に大きい数を扱うとき、17世紀に発見された

「対数」を使うと便利です。 対数は高校数学の選択として学ぶ内容

ですが、その発見によって天文学は飛躍的に発展したのです。

(桜美林大学教授・芹沢光男氏)より 引用

宇宙の大きさは 飛躍的に発展していますが この一個の人間の心

は 環境に左右され 欲望の虜になりかねませんですが!

テレビのドラマを見て悲しい場面の時は悲しくなります

楽しいドラマ、ですと 楽しく心が成りますが・・朝起きてから

夜 休む時まで色々の心の変化が起きますが・・ユング。フロイト。

など・・私達の心の深層心理まで踏み込んだ論文を述べていますが

まだ生命の一部分のようです 。

そうそう 「メーテルリンク」は「幸福の青い鳥」」で興味深い考えを述べていました。

チルチル とミチルが「「幸福の青い鳥」を求めて探しにいき 見つからず

あ・・興味があられる方は 読んでください。

誤りなく人格をコントロ-ルする マニアルは 何処に ?

ちんねん 目の前の 小さな小さな煩悩に心が 定まりませんです。

宇宙大の境涯に成れるように・・・さらに精進、したいと 決意しました。 (#^.^#)

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「知識と知恵」 

頭の良くなる薬・・ (@_@)

昨日友人の家に遊びに行ったとき、母親から子供の

成績が芳しくないので何か方法がないでしょうか? と

相談を受けました。

ちんねん・・・次のような 「逸話」 を 語り問題を提起しました!

魯迅先生の語学の学び方

魯迅先生は、ご自身が若き日から、世界に目を向け、学び

続けてこられました。万般にわたる読書はもとより、日本語

ドイツ語にも精通し、さらに英語とロシア語にも挑戦されていました。

いかにして語学を学ぶべきか? 青年から尋ねられて、魯迅先生

は、こうアドバイスされています。 それは・・・

第一に「自信を持つこと」 

第二に「絶え間なく、持続すること」

第三に「がむしゃらに、読み抜くこと」

第四に「良い先生を求めること」

第五に「良い辞書を持つこと」である。

(顧明遠著「魯迅、その教育思想と実銭)より

以前、創価大学でマレーシャの「国立プトラ大学のサイド

・・副総長夫妻」との、懇談で健康な赤ちゃんを育てるには・?

・・等々其の時のエピソードです

 創立者、28年前「1980年」中国の桂林を訪問しました。

 静かな朝でした。   歩いていると薬売りらしい少女がきました。

 「薬はいりませんか? 何でも良くなる薬です」 私は聞きました。

 「それでは、すみませんが、(頭の良なる薬)はありませんか?」

 少女は、にっこりして「あ、その薬なら、たった今,売り切れました」

\( ^∇^)/θ☆ わ~い

「頭の良くなる薬」というのは、ありませんか?

そうですね・・・西洋人は、「人間の知性」を「IQ{知能指数}で

 評価しようとします。しかし、人生の問題に直面した時に「IQ」だけでは

 乗り越えることはできません。 科学が「頭の良くなる薬」を開発しても

 それを使った人間が、人生で成功するとは限らないのです。「知性」は

 売り買いできない。それは、人生のなかで、自分で「磨いていくもの」

 なのです。

 創立者・・大賛成です!知能だけでは、幸福を勝ち取ることはできない。

 「知恵」を磨いていかねばならない。「人格」を磨いていかねば成りません。

 と・・私もそう思います。

 学歴・・頭の良い人・・そのとうりですが・・高学歴即人格者・・・?

 かって・・サリンを作ったオ―ムのメンバーに東大、京大の優秀な人が

 いました。 考えさせられますが!

「知恵」はでる「慈悲」の心から

バラモンの学者を論破した「水汲みの女性」

釈尊の時代、ブンニカーという年配の婦人門下がいた。 彼女は

もともと水汲みをする召使いであった。 どんな寒い日でも

水の中に入って、せっせと水を汲まねばならなかった。

少しでも休もうものなら、貴婦人たちから、厳しく罰せられ、罵られ

たのである。そんな彼女が、釈尊という師に巡り合い、仏法という

哲理を抱いて、使命と充実の人生を歩み始める。 その時

それまでの苦労も、すべて、多くの人々を包容し、救っていく慈愛

となって生かされていった。

 ある時、彼女は一人のバラモン

(当時のインドでもっとも高い階層)が冷たい川の水につかって

苦行しているのを、目撃した。彼女は、かって、水汲みをしていた

自分のつらい姿を思い出して、そのバラモンを放っておくことが

できなかった。 彼女は勢いよく声をかける。

「バラモンよ、あなたは、手足を震わせながら、厳しい寒さに耐えて

おられます。いったい、だれを恐れて、水に入っているのですか?」

すると、バラモンは、答えた。

「老いも若きも、こうして水浴することで、悪業を洗い流すことが

できるのだよ!」 と。そんなことも知らないのか、と言った傲慢な

態度だったかもしれない。

だが彼女は、勇敢に切り返していく。

「その教えが本当ならば、いっも水中にいるカエルやカメやワニも、

天に生まれることになるでしよう。 また、川の流れが悪業を流す

というのなら、それでは、あなたは、善にも悪にも関係のない

傍観者になってしまいますよ」と。

その人を、なんとか正しい法に目覚めさせたいという「慈悲」が

あるから、「知恵」は尽きることなく湧いてくる。 そして、彼女は

「そんな愚かなことはやめなさい。寒さのために病気にならない

ようにしなさい」 と 相手の健康を気づかい優しい慈愛の

言葉をかけていったのである。

彼女の言葉に、バラモンは翻然とと目が覚めた。 自分も

また、釈尊に帰依し、和合の集いに身を投じていくことを

誓った。こうして庶民の老夫人が鮮やかに、知識階層の

バラモンを覚醒させたのである。

(池田大作著 輝きの明日へより) 引用

「知識と知恵」 ~うぅ・・う 「ちんねん」 悪知恵は泉のように

こんこんと、湧き出ますが知識も 「下手な考え休みにしかず」 です。

なかなか 言っている事と 行いが アンバランスです。

まだまだ・・精進がたりませんです。

あ・・また幼稚な事を述べました・・嫌われるので是にて失礼します。

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「勇気ある女性」

「人間性」を貫く人が「「現代の英雄」

先日、書棚の隅に積んでいた、表紙がボロボロの読書ノートを

見つけました。その中に、感動のエピソードが有りました。 紹介します。

ヴァイッゼッカー独大統領(1984年~1994年在任)と

ドイツを代表する新聞のインタビュー記事(1984年6月15日)より

男性の性格で最も評価するものは?     「内面の充実」。

女性の性格で最も評価するものは?    「気品と賢明さ」。

好きな徳は?                  「思いやり」。

友人の何を最も評価するか?        「無条件の友情」。

自然の才能でもちたいものは・・?      「常に喜びに満ちた心」。

いかに死にたいか・?             「心の調和を保ったまま」。

今の精神状態は・・?             「常に新たなる好奇心」。

好きな詩人は・・?              「初期のホーフマンスタール」。

(ホーフマンスタール{1874年~1929年}はオーストリァの詩人、作家で

その象徴詩によってドイツ叙情詩の巨匠と仰がれた)

最も嫌いなものは・・?             「無駄話・誹謗」。

歴史上の人物で、最も軽蔑するのは・・?  「狂信的な扇動政治家」

一方、「歴史上の女性の英雄」はだれか。 大統領の答えは、まことに

示唆に富んでいる。 大統領は「ヴァインスペルクの女たち」である、と

ヴァインスペルクとは、ドイツのネッカー川沿いにある町の名である。

大統領が挙げたのは、そこに伝わる中世の話である。

あるとき、ドイツ皇帝は軍隊を率いてヴァインスペルクを征服しようと

するが、町の頑丈な城壁を破ることはできなかった。 そこで皇帝は

女性と子供たちだけは許して、無事に町の外へ出す事を約束する。

実は、残った男たちの戦意を失わせ、一気に攻め落とそうとねらって

の、巧妙な心理作戦であった。

 いったん門から出てきた町の女性は皇帝に質問し、懇願する。

 着のみ着のまま、無一文で町を出てどうやって生きていけばよいのか! と

もっともな言い分に対して皇帝は”では、持てるだけの財産を

背負って出ることを許す” と、言い渡した。

 女性たちは町に引き返す。そして約束の刻限に現れた

彼女たちの背には、なんと、それぞれの「夫」たちが背負われていた。

なんとほほ笑ましい、何と痛快な話であることか。 愛する者を救うため

に、そして愛する町を救うために、知恵を働かせ、勇敢に行動する。

泣き寝入りするどころか、かえって権力者をギャフンといわせてしまう。

庶民の「知恵」と「勇気ある行動」によって、人々が救われた事例は

歴史上、枚挙に暇がない。

ちんねん 感動しました。 女性の方たちの勇気に頭が下がります 一段と

女性の、みな様に尊敬と励ましを差し上げたいと思っています。

ちんねん 驕慢な心がむくむくと時々出てきます。

また・・時々清らかな天使・・? の ような気持にも なります。

まだまだ・・心が揺れています・・今のままでは・・・・ (^_^;)

うぅう 閻魔さまから・・苛められる・・!

こんやも・・深く懺悔してまた頑張ります

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「恩」と感謝」

師はだれよりも弟子を知る

テロの驚異が危惧された、北京五輪が無事に閉幕した。

”鳥の巣”(国家体育館)はじめ各会場で展開された人類最高峰

の熱戦に、世界が湧きました。

その中で、一流選手のさわやかな言動が、心を動かしました。

「今まで支えてくれた人たちに、世界一になって恩返ししたいと

思っていた」 (ソフトボールの佐藤理恵選手)多くの選手が、監督

コーチ・家族・そしてファンへの「感謝」・と「恩返し」を口々に語っていた。

中国勢では、5月の大震災で甚大の被害を受けた「四川省出身の選手

たちが「故郷に希望を」と大奮闘した。 男子体操で二つの金メダルを

獲得した鄒凱選手は「四川の人々の精神を示すことができた」と胸を張った

どのような世界でも、一流の人物は「恩」を忘れない。また、恩に報い

ようと重ねる努力が、その人を一層強くし、一流ならしめるのだろう。

反対に「恩知らず」は、何をやっても、四流、五流だ。

 大石有城氏 「破邪顕正」より ・・引用 

そうそう 8年前のシドニーオリンピックの女子マラソンで優勝した

高橋尚子選手がゴールした直後、直ぐに師匠の小出監督を探して

いた様子に師弟の絆の深さに感動を覚えたのも昨日のようです。

ゲーテ 曰く「忘恩はつねに一種の弱さである。私は有能な人たちが

恩知らずであった例を知らない」 (岩崎英二郎ゲーテ全集13)

そうそう・・どんな一流の選手でも頂点を極めると

後は下り坂に陥り易いですが! 出所。進退は難しい。

「冬季トリノ五輪」でアイススケートで優勝した荒川静香選手は(イナバーウワ)

を取り入れて世界中を驚かせました。そのあと 直ぐに引退しプロのアイス

スケートに華麗に変身しました。

Qちゃん事、高橋尚子選手は、小池監督と離れて独立しましたが、その後

鳴かず飛ばずの状態で期待を裏切りました。

「水泳二冠」の空前絶後の金字塔を打ち立てた北島康介選手は一時期

体の故障で引退の危機に陥った時、コーチを信頼し見事に立ち直り

ました。

女子柔道の某選手は最後の7秒で連続金メダルの栄光を飾る事が

出来ませんでした。 それは・・コーチが、いっも最後の詰めの甘さを

危惧していました。 敗れた本人はその瞬間ぼーっと、してたそうです

私も一瞬・・え・・? 何・ ・ (-_-)/~~~ピシー!ピシー! 

ちんねんの独断と偏見の一考察です

「徒然草」にみる師の眼力

吉田兼好の「徒然草」に「師の眼力」を書いた一文がある。

ある人が弓を習っていた。 二本の矢を手に挟んで的に向かった。

弓の師匠が言った。「初心の人は、二本の矢を持ってはならない。

二本目の矢を頼んで、(まだ一本あると思い)初めの矢をなおざりに

する心が出るからである。

毎回、矢を射るたびに、当たりはずれを気にせず、ただ(この一矢で

終わりにしよう)と思え」と わずかに二本の矢である。師匠の前で

一本をおろそかにしようと思うだろうか。 しかし、怠けの心は、自分

では気づかなくても、師匠は知っているのである。 

この戒めは、万事に通じますが! 更に兼好は述べています。

仏道を学ぶ人も、夕方には明日の朝がある事を思い、朝には

夕方がある事を思って、その時には、再び真剣に修行しょうと

決意する。(それほどであるのだから)いわんや一瞬の間に

怠け心があることを知ることができようか。 「ただ今の一念」

において、ただちに、なすべきことを実行することのなんと難しい

ことか・・・。

師匠は、弟子の心がよくわかるものである。 だからこそ

自分の怠け心にきずかず、真剣に道を求めようとしない

弟子のために、教え、励まして成長させようとする。

師がいてこそ、求める道も正しく進み、究めることができる。

自身の成長も、人生の向上もある。

ともあれ、人生も、青春も長いようで短いですが!

「この一矢」「ただ今の一念」をきちんと定めて、充実した

価値ある一日一日を生きていかねばならない。

そのためには、どうしても師が必要である。 このことを

教えた「徒然草」の文である。

池田大作氏(今日より明日へ)より 一部引用

ちんねん どうしても・・「一の矢」 より 「十の矢」を持っ

傾向性が大いに有ります・・私事で恥ずかしいですが

妻にブロポーズした時は 「一の矢」でした・・ ん・・? (*^_^*)

反対に妻の虜に成っていたかも知れませんです。

\( ^∇^)/θ☆ わ~い

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おっぱいの品格

ナヌ・・おっぱいの品格 ? 

読者のみな様 破廉恥な「タイトル」お気に障ったら、お許し下さい

(特に女性の方)  実は、 昨日あるラジオ番組で

おっぱいの品格について、興味深いお話が有りました。

そのことについて ちんねんの独断と偏見の一考察です

ある 時 姪がテレビで某姉妹の大きな「おっぱい」をみて

何か変・・? ゲストの男性全員も・・おっぱいに見とれていました。

勿論 ちんねんもです (*^_^*)  ありゃ、おじさん、も と 頭を 

コッンと 叩かれ、散々冷やかされました。

私は「おっぱい」の大きさ には ・・何か珍しい物・を見るような

感じでいますが!  そうそう おっぱいの品格ですが、体と

アンバランスな異様な感じがします。

「姪曰く・・知恵が「おっぱい」に いっちゃって頭 悪いようです・・と。

それに 体にメスを入れて人工的に作ったかも・・?

大事なのは「おっぱい」じゃないのでは、品格、心が問題ですね。」

いやぁ 子供の観察は手厳しいです。 確かに巨乳に拘る人

こそ 品格が・・女性のみな様 不肖 珍念のように「おっぱい」に

拘らない 立派な品格の男性が大勢います・・「おっぱい」 は

赤ちゃんのものです・・ (@_@。

そうそう・・肝心な 事を 述べないと単なる「おっぱい教」の

破廉恥なスケベーな 男と思われますので ・・・

人の魅力というものは、一体、何によって決まるのであろうか・・?

これには、人さまざまな意見がありますが! 知性の輝きを魅力

の第一の尺度に考える人もあるだろうし、人間的な親しみの

深さ、思いやり、包容力をあげる人もあるだろう。

あるいは、均斉ののとれた美しい身体、清らかな精神を最も

大切な人間の要件と指摘するかもしれない。 また 一概に

魅力を定義ずけるといっても、男性と女性の場合は、おのずから

判断の基準も異なってこよう。

男性の力強さと逞しさ、それに優しさ・・女性の純粋さと華麗さ

等々・・しかし、人は、日頃のほとんど直観的な感覚で。魅力を

口にし、また魅力を感じているように思います。

人間の奥行と広がり、これを別な観点からいえば、その人の

世界といい得るであろう。 その人の持ち合わせている世界の

境界線が、どれほどの奥行と広がりをもっているか!

ここに人間の魅力の最も根本的な要因があるようです。

袋汚くても 黄金を捨てることなかれ! とは

 袋入れ物(外観)が汚いからと・・中身の黄金まで捨てる
愚かさを仏典では戒めています。

実は 私たちは服装や学歴、肩書き、財産、などで人物を
判断する傾向がなきしも、あらずですが!

あ・・いけない・・難しい屁理屈をこれ以上述べると

嫌われますので 是にて終わります !(^^)!

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民話に込められた偉大な遺言

トルストイ 生誕180周年に寄せて 

安達紀子さん (ロシア演劇研究家)のお話です。

今年はトルストイ生誕180周年だ。 

この春モスクワから200キロ離れたトゥーラ地方にある

ヤースナヤ・ポリャーナ(森の中の明るい草地という意味)を訪れ、

トルストイの墓を見て驚いた。

裸の木々が林立する傍らに広がる雪の残る大地に、その墓は

独りぽっちで横たわっていた。

墓標も墓石も十字架もなくただ盛り上がった

土が藁と樅の小枝でおおわれているだけだ。

この4月と7月、東大、早稲田、上智大学、昭和女子大などで

講演を行ったトルストイの玄孫ウラジーミル・トルストィ氏が、あの墓は

トルストイの遺志によるものだと話してくれた。

「あれは、質素に、簡素に、という晩年のトルストイの考え方

そのものです。彼はあのお墓が土と同じ高さになることさえ望んで

いました」 ヤースナヤ・ポリャーナのトルストイ博物館の館長も

務めるウラジーミル・トルストイ氏は講演の中で、晩年のトルストイ

が当時のロシアの人々の精神的な支えであった事を話した。

トルストイは暴力と流血を憎み、世界が愛と平和で包まれることを

願っていた。 

トルストイの玄孫は、トルストイの民話についても話した。

ある皇帝が三つの質問を出した。 「一番大事な時間はいっか・・?」

「この世で一番大事な人はだれか?」

「今何をなすべきか?」・・・に対する答えを探していた。

世界中の賢人たちに尋ねても答えが得られない。 がっかりして

散歩に出た皇帝は井戸の水を汲んでいる娘に出会い、この三つの

質問をする。 娘は答える。 一番大事な時間は今この時。

一番大事な人は今自分の横にいる人に善行を行うことだ、と

皇帝は喜び娘の重い井戸水を代わりに運んでやった。

自分の横にいる娘に善いことをしてやるために。

もうひとつ、トルストイの民話は「人はなんで生きるか」という

作品がある。 

貧しい靴屋が助けた裸の若者は、じつは地に堕ちた天使だった。

神に赦されて天に戻る前、天使は靴屋に告げる。

「すべての人が生きているのは我が身のことに心を砕くからではない。

人は他の人々の愛によって生かされているのだ。人々は共に生きる

ことによって初めて自分に必要なものを知り、またそれを知ることに

よって他の人々をも満たすことになる」と

トルストイの晩年の思想はこれらの民話の中に凝縮されている。

トルストイの民話は、大文豪の大きな愛のメッセージ、良心の祈り

であり、世界を救うための偉大な遺言なのだ。

世界ではロシアとグルジアの軍事衝突など紛争が絶えず、日本でも

残忍な犯罪が繰り返されている。愛という言葉が虚しく響く今の

時代だからこそ、トルストイの民話に出てくる天使の声に耳を

傾けたいものだ。 今月28日はトルストイの180回目の誕生日だ。

世界の闇に愛の光が差し込めるよう、ロシアの文豪は今も

祈っているだろう。

ちんねん 安達さまの寄稿文を読ませて頂きました。

心温まる・・トルストイの民話の世界に心をときめかして

います。 ちんねん トルストイの本を読破して 悠久のロマン

溢れる民話の世界に・・思いを馳せたいと思います (●^o^●)

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「嚢中の錐」とは ?

袋の中に錐(きり)を入れると、先端がすぐに突き出る。

「嚢中の錐」とは転じて「才能ある人は隠れていても頭角を

表す」という意の成語。 だが、この語を引用した歴史書「史記」

を見ると、才能ある人を”見抜く側の眼力”も問われている。

趙の国の王子である平原君は、祖国が秦に攻められたとき

楚に援軍を求める使者に立った。同業の士20人を選ぼうと

するが、最後の一人が決まらない。門下の毛遂が自ら名乗り出た。

平原君は「嚢中の錐」の譬えを引き「拙者は先生のことを聞いた

ことがない。それは先生に良いところがないからだ」と言下に

退けようとした。

問答の末、平原君は、しぶしぶ毛遂を一員に加えたが期待は

していなかった。 だが、あに図らんや毛遂の英智は鋭く巧みな

交渉により楚の援軍派遣に成功。 平原君は、毛遂の才能を

見抜けなかった自らの不明を恥じ入ったという(中公クラシックス

史記列伝より)

ちんねんの 愚考です

最近、団塊の世代の大量の退職者が出て各業界も人材不足に

見舞われていますが、!

人材育成の第一歩は「見出す」こと。可能性を秘めた逸材が

目の前にいても、それを抜てきする度量がなければ、宝の

持ち腐れですが。 人材がいない、と嘆くなかれ。人材の

資質を見抜ける眼力を待て・・・

紀元前の古典がそう呼びかけているように 思います (@_@。

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「話のホシ」

「心のパン屋さん」筑摩書房・・より

ある時、教師の集いで俳優の森繁久弥さんが講演した。

急いで会場に入った森繁さんは「遅くなりました。いま

旅から帰ってきたものですから・・何も考えないままに

お話するなんて、おこがましいのですが・・」と切り出した。

しかし、講演は実に面白く、時間のたつのも忘れさせる

ような内容だった。 講演後、参加者から質問が!

「準備なしで、どうしてそのように素晴らしい話ができるの

ですか?」と

森繁さんは話した。「本当は、うーんと準備をしてきたんです。

練りに練って。 皆さんに気楽に聞いて頂けるようにと思って

そう言ったのです」。

「参加された方々が本当に「来てよかった」と喜んで帰れる

ように(会合革命)をお願いしたい」と恩師は語っている。

そのためにリーダは知恵を絞り、配慮を尽くしていくことだ。

一つ一つの会合が充実した集いになるかどうかは、話の

内容や順番、時間など、事前の準備で決まるといっても

よいだろう。

とりわけ「話のホシ」を明快にして臨むことが肝要と思います。

会合を短くすることによって、人と会い、人と語る時間を増やして

いく。 「会合革命」の意義はここにあるやに思います。

ちんねん・・何もかも分かったように、偉そうに能書きを

述べていますが・・そう ありたいと願望しています。

今朝も・・わが身の不徳を恥じています (#^.^#)

読者の皆さま 残暑厳しい日々が続いていますので

お体に、気をつけてお過ごし下さい。

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人生の黄昏を考える!

高齢化時代と生の充実 (*^_^*)

ある家を、宝石で身を飾った美しい女性が訪れて語る。

「私は、行く所どこでも、金銀などの財宝を与える」と。

主人は喜び迎え入れようとする。 ところが、門外には

もう一人の女性が立っていた。 先の女性とは反対に

醜い容貌で、衣服もほころび垢に染まっている。

青白い顔で「私は、行く所どこでも、その家の財宝を

衰えうしなわせる」と。主人は刀を抜いて追い払おうとした。

しかし美しい女性は姉で、醜い女性は妹だという。

ともに行動し常に離れることがないという二人を、主人は

ついに去らせた。「釈尊の涅槃経に出てくる逸話です」

ここに登場する姉は「生」妹は「死(老・病)」を例えたものです。

生あるかぎり、老・病・死から免れることは出来ません。

凡夫は生(姉)のみを愛して執着し、老・病・死(妹)を厭い

嫌う。その結果、かえって死の不安・恐怖にとらわれ生を

充実させることができないと、釈尊は教える。

苦悩に出会ったとき、それを自らの人格を深め飛躍する

バネとしていく前向きな姿勢で臨むか、それとも単に苦悩に

打ちひしがえるだけか。 その生き方の”差”は、老苦・病苦

そして死苦という現実に直面した時、より明確になってくる。

超高齢化社会が進む中で延長した生をどう充実するかが

今 問われています。

「半身不随などの重い障害を背負った時、何不自由なく

過ごしてきた人、また社会的な地位・名誉を至上として

生きてきた人ほど厳しい現実に弱い」

老人医療に経験の豊富なある医師の言葉です。

この前 久しぶりに黒澤明監督の映画「生きる」(1952年制作)を

見ました・・↑に 述べました 生をどう充実させるか・・?

読者の皆さま の ヒントになれば 幸いです。

数ある黒澤明監督作品の中でも、そのヒューマニズムが頂点に

達した作品と評価される名作です。

その題名通り「生きる」という普遍的なテーマに真っ向から切り込んだ

作品であると同時に、官僚・役人への痛烈な皮肉を含むという

二面性を持つ作品でもある。

志村喬がブランコをこぐシーンは日本映画史上に残る名シーンとして

よく知られている。

市役所に勤める渡辺勘治は日々無気力に過ごしていたが、

ある日自分が胃ガンで余命が少ないことを知る。

絶望の果てに自分の無意味な人生に愕然としていた時、

奔放に生きる部下の小田切とよと出会い、力強く生きる姿に心を動かされる。

そして無意味に感じていた自分の職場で意味を見つけ、

「生きる」ことの意味を取り戻す。

あ・・ちんねん またまた 演壇で講演しているような・・おそまつな

愚考を述べました。

なんでこう 減らず口をたたくのかなぁ !(^^)! 

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「淨玻璃の鏡」 (*^_^*)

生命の奥底を映し出す鏡

今朝 妻が鏡を見ながら笑顔で私は奇麗になる

きっと 美しくなると・・呟きながら化粧をしていました。

自分自身に暗示をかけて・・? 変身していました。

ちんねん・・ひょいとしたら・・その笑顔に磁石が砂鉄を

吸うように 引き込まれたのかもしれませんです。

\( ^∇^)/θ☆ わ~い

そうそう・・「淨玻璃の鏡」の譬えを思い出しました。

閻魔丁の光明王院の中央にかかっており、業鏡とも呼ばれて

いる。 亡者が閻魔のそばへ行って「お前は、生きてる間に

こんな悪いことをしただろう」と いわれると

「なにもそんな悪いことをしておりません」 と答える。

すると、閻魔は「そこにある「淨玻璃の鏡」を見よ」という。

するとその鏡に、生前の悪事の数々が、あますところなく

映し出されるというのが有ります。

単なる勧善徴悪ではなく、生命には、ごまかしのきかぬ

因果応報があるということを、譬をかりて示されています。

恩師は「この娑婆世界においては、我々のこの身、この

境涯が、淨玻璃の鏡なのである。

過去世に我々のなした業が、この現世に我々の心身に

業報として感ずるのである」と述べています。

これが、だれびとも逃れることの出来ない生命という

ものの真実の相なのであります。 これを避けて通ろう

としても、絶体に避けることも遁れることもできません。

その衆罪衆過を滅尽させんがために、釈尊は、歴劫修行

の重要性を説いたのです。

あ・・いけない これ以上減らず口を叩くと閻魔様から

二枚舌を切り取られかねません 深く深く 懺悔して

こっそり 寝ます。 !(^^)!

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不老不死を求めた 始皇帝

生への執着

紀元前221年中国で初めて天下を統一した

秦の始皇帝が、異常な執念を持って「不老不死」の

仙薬を求めた、有名な話がありますが!

”死にとうない”せっかく天下を併合したのだ。

その天下の基盤も、すっかり固まったわけではない・・

秦の世が確固となるのを見届けるまでは死ねない・・否

いつまでも生き続けたい。 と不老不死を願い神仙術に

精通しているといわれる方術の士を集めた。 始皇帝は

彼らを全土に遣わし、莫大な費用をかけて不老不死の薬を

探させた。

斉の除福は、東海上に仙人の住む仙山があり、そこに

ある仙薬を手に入れるため、童男・童女数千人と船出した。

こうした試みは、いつも失敗に終わったが、方術の士たちの

さほど巧みとも思われない言い逃れにもかかわらず、始皇帝は

更に繰り返し出費を惜しまなかった。

権謀術数うずまく権力闘争を勝ち抜いてきた始皇帝も、死という

何人も免れる事の出来ない現実を前に、思わぬ弱点を露呈した

ともいえますが!

「死」を恐れるのは、人間の本性ともいえよう。 しかし、始皇帝

は、特に「死」を恐れ、「生」に執着した。 それは、せつかく築き

上げたものが、自分の「死」によって、すべて

崩れ去ってしまうことを恐れたのかもしれない。

しかし、むしろ財産が多ければ多いほど、名声が高ければ

高いほど、それらを失うことの恐怖は大きいものだ。

いかに権勢を振るった始皇帝といえども「死」を解決する

ことはできなかった。 始皇帝は最高の権力を持ち、この世の

満足をことごとく得ていた。 しかし、その延長としての彼の

「死」は最大の「不満足」であり不幸であったと思います。

哲学者の 三木清は 「人生論ノート」に次のように述べている。

「執着する何ものもないといった虚無の心では人間は

なかなか死ねないのではないか。 執着するものがあるから

死ねるということである。深く執着するものがある者は、死後

自分の帰ってゆくべきところをもっている。

それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着する

ものを作るということである。 私に真に愛するものが

あるなら、そのことが私の永生を約束する」

この逆説には、人間の生死というものを鋭く凝視した哲人の

発する知恵の光が感じられる。 生死を越えて、有限の生を

永遠に連続させゆくものを持つかどうか!

日常を虚心に見れば瞬間瞬間さまざまな欲望や執着に

人の心は揺れ動いている、

仏典には「蚕(かいこ)と蜘蛛(くも)」の譬えがある。

蚕は自分が口から吐き出した糸によって自らを縛り

上げ、最後に繭におおわれて動きがとれなくなるが、

蜘蛛は糸を吐いてその上を自在に動き回る。

人間のもつ執着や欲望が、ある時は自身を縛る軛となり

ある時は向上や成長へと向う生のエネルギーともなる

ことを示した譬である

感覚的な楽しみといった身近なものから、自己実現への

あらゆる欲求にいたるまで、人間の行動を駆り立て

突き動かす多層にわたる欲望や執着・・を真の生への

エネルギーへと昇華し、深き生へのダイナミズムへと

転換することこそ、移ろいゆく人生に確かな充実を

もたらす道であることを仏法は示している。

生命の年輪は、ただ年齢によって刻まれるものではない。

そこにどれだけの生に歓喜と躍動深き充実感が刻まれて

いるか。いわゆる欲望や執着に追い回されるようにして

生きた人生か、それとも死をも超えて真に執着すべき目的

へ向かって完全燃焼した一生であったか、それこそが

永遠なる生命の輝きを決定づけるのではないだろうか!

どれだけ長生きしたかより どれだけ世の中の役に

たつたか・・厳しく問われかねませんです。

ちんねん まだまだ 欲望や執着に心が揺れています

蚕の生きかたは・・ちょいと 蜘蛛の生き方のほうが (*^_^*)

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「文殊の知恵」 ?

「文殊の知恵」とは境涯の広さ  (*^_^*)

仏典に釈尊の弟子にまつわる、こんなエピソードがある。

目連と舎利弗、摩訶迦葉が、性行悪く凶暴で度し難い

人々ばかり住むという国の教化に順次おもむく。

この三人はいずれも失敗するが、最後につかわされた

文殊菩薩だけ、なぜか人々の心を開き、済度に成功する。

文殊と三者との違いは、ともかく人々への偏見を捨て、長所を

見つけては、賛嘆した事です。 彼は勇健、この人は仁考、

また胆力も知恵もあり。包んでくれる相手には心を開くという。

人情の機微を”文殊の知恵”は十分わきまえていた。

仏典に「されば余りに人の我をほむる時は如何様にも

なりたき意(こころ)出来し候なり」と仰せである。

人は心からの賛嘆を受けると”どんなことでも”という

思いにかられますが!

人を褒める、というのは簡単そうで難しい。 たんなる

お世辞では失礼になるし、褒めすぎても、場違いに褒めても

皮肉ととられる。 ごく自然な、それでいて人柄が滲み出る

ような賛辞、これは「境涯」というしかない。

人を褒めれれない理由はいろいろ有りますが! 大抵は

称賛に値するものを持っていながら、それに気ずかない

感性の「鈍さ」言い換えれば人間的な(狭さ)に起因する。

こちらの境涯が大きくなれば、その分、人の良さを見つけ

褒めたたえていける。

褒めるの「褒」という字は、もともと、「すその大きく広がった衣服」

転じて「大きい」「広い」の意味を持つ。

人を褒めるにはそれだけの度量、人間的なスケールがなければならない

い 謂いだろう

ちんねん 人の欠点ばかり見えています 人の良い所を見つけられる

ように、今日も反省しています・・なんで こうも 心が狭いんだろうか・・?

幼稚な考えに、自己嫌悪に悩んでいます 恥じています。

あ・・少ない髪の毛が・・・ぬける・・・ぅ  (#^.^#)

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議員に物申す

なんか変・・? (~_~メ) (朋守田鶴哉氏の囁きより)

若者の仕事場をたくさん作るから、議員ですけど。
こんなにもガソリン、小麦粉、オレンジなどが上がって、地方は疲弊しています。
議員はボーナスもあります。

アメリカは議員はボランティアでなる人が多いみたいです。
若者は犯罪にはしり、年寄りは自殺です。
何故こんな国になりました?

地方の若い者の仕事がありません。
市会議員の報酬は一人米子市、松江市で700万円以上あります。
日給制にしたら200万円ぐらいになります。
定数32として毎月一億6000万円の財源が削減です。

市役所に若い者の仕事場を作ることもできます
一人若い者に毎月10万円を支払いしたら60人の雇用ができます。
一億は余ります。特に米子市は市役所庁舎はリースです。

毎月二億七千万円ぐらいが必要です。
こんな市は全国にありますか? 累積負債は300億円以上あります。
こんな市にしたのは米子商工会議所です。

会頭の世襲制度をどこか宗教団体に似ています。
松江市、米子市は早く議員の日給制を議論しましょう。
有権者の五十分の1の署名者で審議会が開かれます。
米子市の市役所は年間
約二億七千万円のリース。

米子商工会議所は世襲制まったく時代錯誤の商工会議所です。
大型店の出店に反対しました。
どこに雇用が産まれますか?

自己利益誘導の議員と商工会議所は国民に必要はありますか?
日本のなれあいです。

有能な人材を活用法を学習してください。
国会議員も衆議院の定数三百の大選挙区に参議院は不要です。
デンマークは一院ですけど、うまく機能しています。

珍念も↑の意見に同感です 余りにも・・呆れ果てて

論評出来かねます・・う・・さぶ・・ (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

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思いやりの心

親切心や思いやりの心こそ、人間性の発露

込んだ電車での小さな出来事。 

座っている女子高校生の前に、老紳士が立った。

彼女は「どうぞ」と声をかけ、立ち上がった。 男性は

快く席に着き、目の前の重そうな荷物をみて、「持って

あげようか」と。少女は「ありがとうございます」と、これまた

素直に鞄を預けた。 お互いが気持よく親切を交わし合う

ほほ笑ましい光景。そばで見ていた婦人が、「こちらまで

心が温かくなった」と語っていた。

文豪のロマン・ロランは、楽聖ベートベンのこんな言葉を

残している。

[親切であるということ以外に、立派な人間であることの

証拠はありません」(新庄嘉章訳)

「名字の言」より

関西創価学園に向かう「一本の道」30年前の4月,
創立者はこの通学路を学園生と散策した。

その帰り道、校庭の前を通ると三人の学園生が立っていた。
帰宅のため、車の迎えを待っているという。
「じゃあ、一緒に待ってあげよう!」と創立者。
「家には何時に電話したの?」と語り、生徒のバックを手にして
「重たいけど大丈夫かな」と心配を。

どこから通っているかなど一人一人の状況を尋ねて温かく励ました。
やがて車が到着した生徒の父親にも、丁重な感謝と激励の言葉を贈った。
その間,じつに一時間。

激務を縫っての真心の語らいは、生徒の生涯を貫く原点となった
人を励ますのは大変な労作業だ。
多忙の中で時間をつくるのも容易ではない 。
こうした真摯な語らいの積み重ねがあってこそ人材は育っていく。

おっちょこ ちょいの ちんねん 激励はするんですが 大事な

真心が籠っていないんです・・何か足りないんです (^_^;)

件の女子高生や師匠の人を思いやる心が、かけています。

ちんねん おでこ と頭は光輝いていますが 心が真っ黒

です・・今宵も深く反省しています。 (#^.^#)

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「人は 城」

人それぞれ天分あり

先ほど本棚の隅に古ぼけた読書ノートがありました。

その中のお話から要点を抜粋しました。

ある清涼飲料。

これを薬剤師が強壮の薬用として販売したが

さっばり。これを別の人が嗜好飲料として出すと大好評。

薬店から酒店へ。置場を変えたことから、世界的な商品となる。

また、ある調味料。

昆布からとったグルタミン酸ソーダの妙味を

薬びんに詰め薬問屋で扱ったが、全然売れなかった。

これを二代目が乾物屋に並べたことから一挙に世に広がる。

薬問屋から食料品店へ。 販売ルートを変えたことから

国外まで広がった。

さらにオートバイの例。

新製品を自転車店に並べても目立たない。 そこで

釣具店や運動具店の店先に置いた。 走る道具から

趣味、スポーツの利器へ。自転車店から運動具店などに

広げたので一躍発展。海外にも販路を広げた。

あまりにも世に知られた商品ですが、その発端が面白い。

同じ品物でも置き場所、つまり起用の仕方で価値も違う。

いかに特性をみつけるか!生かす光を当てるか起用

の場を作るか、これは 人間の場合でも通じますが。

「人は城」と言った人材起用の名将・武田信玄。

人の見方の極意は古の孫子のようです。

軽率→すばしこい。 油断→冷静さ。 ぐず→慎重。

そこつ→打てば響く。不安内→慎み深い よく喋る→気さく

短所でもそこに貴重な特性を見抜く。この発見と登用が

無敵の「城」づくりだった。 

人みな天分があります。欠点も裏返せばかけがえない

得分に。 その視点と起用で如何なる困難も打開

できる。

珍念 まず・・妻子との対応も、ままなりませんです。

深く恥じています・・お詫びに丸坊主になりたいです!

え・・ナヌ・・そうそう・・頭は・・毛がないんです (@_@。

ちんねんのお粗末な説法でした。

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スピーチと私

雄弁術とは・・?

筆者は日々色々な人たちと対話を交わしていますが

後で、あの時はよけいな事を また、大事なポイントを

言い忘れていたり毎回反省しています。

スピーチの時、聞き手は話す人のどこに好感をもっのか・・?

話の内容より、その人の「態度」というから面白いです。

人間の五感のうち、視覚の占める割合は80%を超すという。

つまり、初対面の第一印象は視覚で決まるといってよい。

専門家の分析によると、印象に残るのは「表情、声、言葉、」の順。 

スピーチには、明るい表情と元気な声が不可欠である。

古代ギリシャの雄弁家デモステネスは「雄弁術とは?」と問われ

「一にも態度、二にも態度、三にも態度」と答えている。

演壇まで歩く姿、お辞儀の仕方、話す態度なども含め、スピーチ

は全人格の表現といえる。

話術より、まずは人格を磨くことが大切だ。 そのうえで、

話はムダを省き、短くまとめたい。長い退屈な話は”口害”とも

いわれる。 ゲーテも 「美しき虹も、15分も 消えずにいれば

もうだれも見向きもしない」と手厳しい。

スピーチに備え、せっせと”話の小銭”を蓄える人がいる。

日頃感銘を受けたことを一、二、三、分の話にまとめておき、

持ち時間にあわせ、組み合わせを考えるという。 これで

時間オーバの心配もない。 日々の努力が、その道の

{達人」を生むものである。

「真の雄弁術は、口先ではなく、知性のみでもない。胸と腹と頭と

全身全霊をかけた正義への戦いである」との指導もある。

こちらに真剣な思いありてこそ、話は相手の胸をうつ。

凍てついた心も溶かしてゆく、温かい励ましの対話を

不肖珍念も今から心を入れ替えて精進します・・ん (^_^;)

いっも いっも・・反省 反省で・・きっと あの世で

閻魔さま より・・二枚舌 いや三枚舌を抜かれるやも

地獄の責め 怖いので頑張ります・・!(^^)!

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「発想の転換」(想像力)!

リーダーの一番大事な資質とは何か! (*^_^*)

珍念の独断と偏見の愚考です

決断力、包容力、誠実さ、いろんな言葉が浮かびますが!
作家の塩野七生氏は それは”想像力ではないか”と

たとへば危難を乗り越える時。多くの人々の運命を担って
目の前の峰を登らなければならない。
人の心は微妙である。 全員が自分と同じ信念、志とは限らない。 

その千差万別の人の心を、どう一つに纏めて前に進むか。
熱弁か報酬か。 あるいは脅しか刑罰か!

実は、そのいずれでもない。 もっとも肝心要の一点は
「想像力」があるかないかだというのである。
つまり険しい断崖に突き当たれば、その彼方に広がる青空
を指さす。
厚い雨雲の下にあれば、その上に輝く太陽を思い起こさせる。
いわば、「人々の胸に希望の空を広げる力」とでも言えようか。

確かに英雄と呼ばれる人物には、そうしたエピソードに事
かかない。 「三国志」の曹操。炎天下の行事で皆、喉が
渇き切ってしまった。 もう一歩も歩けない。
そこに彼の声が響いた。
「あの山を越せば梅の林があるぞ」。すっぱい梅の実を
想像した途端、兵士の喉の渇きは止まり元気に前進を始めた。

何もリーダーの要件ばかりに限るまい。
希望ある所に行き詰まりはない。
知恵あるところ。乗り越えられぬ壁はない。ゆえに苦難あれば
こそ明るく。 道が遠ければこそ朗らかに。
いかなる時も柔軟で逞しい「想像力」の翼を広げつつ、
悠然と人生の峰を越えゆく人間学の達人を目指して

幼稚な 珍念 日々精進いたします!

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覗き見 雑誌の害毒を切る

悪を切る (-_-;)

凶悪な犯罪が後を絶たない。6月には、東京。秋葉原で17人が殺傷される
痛ましい事件が起きた。 残忍な犯罪の連鎖を、いかに断ち切るか!

心ある人々は真剣に考えている。

一方で、深刻な事件を猟奇的・扇情的に嗅ぎまわり、その関係者を
下劣な買文業の餌食に仕立てる連中がいる。
一部の俗悪週刊誌だ。

事件の容疑者のみならず、あろうことか被害者の素性、過去、交友関係
まで興味本位で暴き立てる。 要するに、「覗き趣味」だ。
こうした悪質報道の氾濫が、ますます世の中を腐敗させる。
秋葉原の事件現場では、苦しむ被害者を助けるどころか、その痛ましい
姿をカメラや携帯電話で撮影する異常な若者が目立ったという。

危険を顧みず、負傷者の応急処置に当たった医師は「殴ろうかと
思った。 最悪です」と憤った。  「毎日新聞6月11日付」

まさに「覗き見主義」の弊害極まれり、だ。 時代を担う青年に
「正しい生き方」を教えてこなかった。 そのツケが回っているのでは

ないか。 (コラム 破邪顕正より 鈴木貴博氏) 引用

では、どうすれば良いのか!  珍念の一考察です 

人間には師匠は不可欠

なぜ渋柿は甘くなるのか・・? アメリカの著名な仏教学者の
ハリシー博士は、干し柿の原理を通して、「人間革命」と
「師匠の大切さ」について語る。

そのままでは食べられない、一見、無価値に見える渋柿。
しかし、太陽に当てることで ”甘味”がでてくる。
自らの内にあるものが熟した結果、「渋柿」は「干し柿」となり、
他人に利益を与える価値あるものに変わる。

人間もまた「太陽」すなわち御本尊の光に照らされて、平凡な
自身が、人のために貢献できる価値ある自身に変わると博士は
結論する。

しかし、それには、渋柿を木から採って太陽に干す作業をする
人が必要である。
その存在こそ「師匠」だというのである。

逆に、師匠のような「理想の存在」がいないと、どうなるか・・?
東筑紫短期大学の中島俊介準教授は、現代の若者の心理の傾向を
通して、次のように指摘する。「極端に肥大した理想を掲げるに
しても、自分が成長するために必要な、眼前の課題に挑戦する
ことができない。

安易に(自分の力であれば、その程度のことはできる)と考え
現実の自己すら正確に把握できていない場合も少なくない」

「師匠」(理想)の不在」・・現代の若者が陥りがちな安易な
“自分教”や、無気力。無関心の闇の根源が、そこにある。
動物は、師匠をもつことができない。
人間だけの特権であり、人生における最重要事である。

ダイヤモンド」(人間)はダイヤモンド(偉大な師匠)に
よってのみ磨かれる」
のだ。

不肖「珍念には、世界一の師匠がいます」
自らの無限の可能性を引き出してくれる師匠がいます。
師弟に生き抜く喜びと誇りを拡げることが、社会を照らす希望の
光と成るように精進する覚悟です。

ん・・(@_@。 読者の みな様 良い師匠をお持ちでしょうかぁ?

私の師匠とは・? それは 敢えて言えませんです
云わぬが花です・・ぅ (*^_^*)

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