« 2007年12月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月

教育とは  (*^_^*)

珍念の愚考です

今・・誰でも子供の教育に悩んでいますが・
先日、読みました、本の中に興味深いお話が有りました
 
 今から200年ほど前マレーシアの物語である、ある少年が
 来る日も来る日も、お父さんから語学の勉強を仕込まれていた。
 遊び盛りの年齢である。ある日、少年は、とうとう「もう勉強
 は嫌だ!」と訴えた 私達も、経験があるかもしれない。

 だが、その時、お母さんは、少年を頭ごなしに叱らなかった。
 ここが一つのポイントである。 お母さんは、優しく諭すように
 なぜ学ぶことが大事なのかを語って聞かせたたのである。
 
「もし私たちがあなたにある程度の財産を残したとしても、あなた
 の運が悪ければ、それは一瞬のうちに目の前から消え失せて
しまうでしょう。 しかし立派な知識と学問は、そのような
ものではありません。命があなたの体から離れて行く時に
 始めて、それは離れて行くのですよ」と 

これは

マレー文学の古典と言われる「アブドゥッラー物語」
の一コマである この少年アブドゥッラーは、やがて
母の期待に応えて、言語の教師として歴史に名を残した。

 このお母さんの教訓は、まことに含蓄が深い。

 どんなに、お金があっても、きまぐれな運命の嵐の前では、
 はかないものである

 それに対して、深く身につけた教養や技術は、たしかに、一生
 の財産となる。だからこそ、教育が大事ですが・・・
今の社会は よほどしっかりしていないと「欲しい」と
 いう気持ちの奴隷になってしまう

いつか、人の心まで お金で計ってしまう

いや日本の国も「欲しい」という気持の奴隷になりかねません!

珍念も・・可笑しな気持の奴隷になるやも・・怖いです

きっと あの世で 閻魔さまから 火あぶりにされるやも

今から 恐ろしいので精進します(^_^;)

|

嘘と真実 (*^_^*)

以前 私の知り合いが、架空投資に騙されて嘆いていました。

この世の中に絶体儲かる話など・・無いんですけど!

色々激励しましたが、後の祭りでした。

キルギスの民話の[賢い乙女] の物語を思いだしました

 貧しいけれども聡明な乙女が、その知恵の素晴らしさのゆえに

 {王さま}の妃に選ばれ、ハーンを見事に助けていくという物語です。

 ハーンの花嫁選びの試験として難しい質問が出されていた。

 その一つに「真実とウソの間には、どれほどの距離があるか?」

 金持ちの娘たちはだれも答えられない。しかし、その貧しい乙女

 は いとも簡単に答える。

 「ウソと真実との距離は、たった指4本分の距離に過ぎません

 耳と目の間の距離です。なぜなら、私たちの耳は、たくさんのウソ

 を聞きますが、私たちの目は、常に真実を見るからです」

 無認識な悪口や無責任なうわさ話に惑わされず、どこまでも自分の

 「目」で真実を確かめ、真実を見抜いていく、キルギスの乙女は、その

 自分の確かな「目」を信じていた。

 もちろん現在では「作られた映像」もウソをつく。「見た」ものが「真実」

 とは限らない。ウソも複雑になり、高度になっている。 その分 より

 賢明にならねばならない。現場での「なまの事実」を尊重する揺るぎなき

 良識と、「根拠はなにか」を厳しく問う鋭い知性が求められる」・・

 で・・珍念 愚考します・・友には 心豊かに 心温かく

 ほめたたえあう 人は幸福

 人を誉めたたえることは、温かな人間性の発露である。例えば、夫が妻

 に対して「随分、若々しいね」「きようのヘヤスタイルは素適」と

 お世辞でもよい、褒めてあげれば、どれほどか、ほのぼのした心の豊かな

 触れ合いが生まれることか。これが、実在生活での人間の世界である。

 お世辞も言えない人はわびしい、心の狭い人たちである。 それでは

 人間を包むことができない。大いに褒め称えあったほうが、美しい交流

 ができる。 お世辞は、おべっかとはちがう。へつらいともちがう。

 ウイットやユーモアと同じように、微風みたいなものであり、生きていく

 上での一つの潤滑油でもある。人をほめたたえたり、お世辞も言えない

 ような心の狭さは、まるで刑務所や昔の軍隊の中にいるような

 ものである。  おかしなお世辞や、嫌味のある

 褒め言葉は良くない。しかし、自然に心から出るお世辞は、とても

 さわやかである。それは、凡夫である庶民の人間性の一つの表れで

 あると思う。決して、偉い人や幹部にお世辞を使えと言っているわけでは

 ない。 お互いの励ましあいの中でのお世辞はあってもいいのでは

 ないかと愚考します。

 人間は人間らしく、自分は自分らしく生きていけば良いと思います(*^_^*) 

|

「肩書」と「立場」 (^_^;)

今日は 相変わらず暑い日が続いていますが

皆さま お体を大切にお過ごし下さい。

イソップ物語の示唆に富む寓話の中より

山羊の子が屋根に上っていると、その下を狼が
通りかかる。
子山羊はわが身が安全なので狼をからかう。

すると顔をあげていう。「わしを馬鹿にしているのは
お前ではない。立っているその場所なんだ」
動物を通した人間社会への痛烈な指摘ですが!

人は、とかく 立場を自分の力と錯覚するようです。
自らの力量はさておき肩書きを存在感とする。

そこからは何の共感、敬意も湧きませんが!

先日、ある 青年教師の体験を聞きました。

初の学級担任となり中三を受け持つ、だが、一人の
ワルの影響でクラスは受験指導どころではない。

あらゆる対策を試みるが通じない。 必死に祈る。
そして気ずく。担任という立場から迫っていた一方的な心だ。
彼を知ろうと家庭を訪問、母は後妻だった。
母親の立場を果たそうとノイローゼぎみ。気持ちは離れる
ばかりだった。

そんなある日、彼から相談が、なんと三十分も悩みを語る。
ワルのひけない立場、だが自分の理解者は一人もいない
寂しさだ。 担任、親、ワル、それぞれの立場を力としていた。
心が通うとかれは大きく変わる。

やがて卒業式、校門で彼は礼を述べ、涙を流し、何回も頭を
下げ去っていく。 高校生となったある日、旧友を集め
先生を招待、成長ぶりを見てもらいたかったのだ。
立場ではない、人としての力量をどう作るか。

その挑戦が人の共感を・・・

珍念・・永遠の・・課題です・・ (-_-;)

|

武士道精神に思いを馳せる!

いのち 何のために !(^^)!

皆さん 毎日のように「為政者」の呆れた犯罪や「通り魔殺人」事件や
子供が親を殺したり、親が家族を殺したり ここに述べるのも
おぞましいですが、何かが可笑しいようです 

マスコミは相変わらず 報道しますが、ではどうすれば良いのか
明確な指針は示されていません。

私たちは 生活が豊かになれば幸福になると思っていましたが
どうも・・ちょいと 違うような感じがします!

大事な心の羅針盤を疎かにしているやに 思われてなりません!
色々な考えがありますが、それは それとして
大事なものが見落とされています。

それは、宝暦治水をテーマにした雄々しくも涙で綴る、勇者の物語です。

今朝 書棚の隅のほうにひっそりと一冊の「少年本」が有りました。

本の題名は「千本松原」です

第一ベージには、”木曽、長良、伊尾の三つの川が、
一つになって伊勢湾に注ぐところに、千本松原という美しい松原があります。 

これは、その松原に纏わる
いまから二百余年前の、勇ましく、また悲しいお話です”

当時、幕府は外様大名の疲弊策として、さまざまな
土木工事を請負わせたりして財力削滅を画策していた。
九州の雄藩・薩摩もまた、その政策の被害者であった。

宝暦四年(1754年)同藩は、木曽川地帯の河川工事
を幕府より命じられた、その工事は、四十万両という
自藩の禄高(七七万石)の二年分にあたる、大金を
投入し、1千人からの藩士を派遣し、一年半の歳月を
必要とした、難儀な作業であったと云われる。

専制幕府の意図するところは、あらゆる 雄藩の窮乏化による
自らの体制の強化保守を目指した事は論をまたない。

それに対し薩摩藩の治水思想は、幕府の支配体制を超克する
ものとは言えませんが・・少なくとも、人間主義に立脚しようと
していた様に思えますが!

[美濃の国の百姓は、われわれ薩摩の国にとっては、えんもゆかりも
ないように見えるが、考えてみれば同じ日本の国の人間、ゆわば
兄弟のようなもの。その兄弟が長い間苦しんでいると聞くからには、
命をかけて助けるのが薩摩武士の本分ではござらぬか」

工事責任者のこの思想には、悔しさの中にも、人間という友に
たいする連帯感が、強く響いてくるのは筆者だけでしょうかぁ・・?

現実に、彼らは命を賭して働いた。53人にも及ぶ武士が、工事途中の
責任を感じながら切腹していったのである。現代人からすれば、
そこまで思いつめなくともと、単純な批判は、いくらでもできる。

だが、生きるべきか、死すべきかという、徹底した選択の道を歩ま
なければならない歴史のもつ現実の冷酷さが、わが身に痛く感じられて
ならなかった。
私は、死を美化する意思は毛頭ない。 ただ、治山治水を含めて
すべての政治に、これほど真剣に徹底して取り組んでくれる政治家が
はたして幾人いるかと慨嘆するのだ。

例年台風が日本列島を暴れまわり、薩摩(鹿児島県)をはじめ、水害
の悲劇が繰り返されています。
封建時代のこの土木事業によって、堤をその根で厳として守る
「千本松原」が美しく繁茂している。

自由主義の政治家は、まず真摯な気持ちで この「少年本」
を学んで頂きたいと思います。

|

« 2007年12月 | トップページ | 2008年8月 »