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2007年11月

「内なる無限の資源」 (*^_^*)

世界で最も技術革新に熱心な国は日本である!

この前、英経済誌エコノミストの調査部門が番付を発表した。

☆ 特許件数などから比較した結果、世界82カ国・地域の中で
2位のスイス、3位の米国を抑え日本が1位になったそうです!
ハイブリット車、デジタルカメラ、薄型テレピ、温水洗浄便座
など身の回りを見ても頷ける

「技術革新が生命線」という方針を、資源の乏しい日本が貫いて
いることも、首位の理由だという。

☆ 嬉しいニユースである。日本に限らず、地球の資源には限り
がある。 ところで、汲めども尽きぬ資源はどこにあるだろう?
宇宙に目を向けるか。そこまでいかなくとも、身近にある。
それは、私たちの”頭の中”だ。

☆人類の資源について、地球的問題群に挑むローマクラブの
創立者・故ベッチェイ博士は、もう一歩掘り下げる。

「外の資源は有限ですが、人間の内なる富は無限です。
未開発です。これを引き出していくのが人間革命です」
条件が不利であるほど、”内なる無限の資源” を引き出す
チャンスといえる。

そのためには、どうすればいいだろうか。
知恵を振り絞るしかない。 新たな目標に挑戦し続ける
私たちにとって、毎日が成長の限界を超えるための戦いであり、
それが人間革命である。 (名字の言より)

う・・・ぅう 珍念 頭の中は煩悩に支配され良い知恵も
出ませんです・・出るのは、大粒の汗と、オナラ だけです (^_^.)


いまのままでは、きっと あの世で閻魔さまから
断罪されかねません・・怖いので今宵から精
進します

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「幸福な人はだれか!」 (*^。^*)

「幸福は どこに・・?」 (^。^)

「だれが一番幸福か・・?」 

皆さんは確信をもって答えることができますか?
この前、ある会合で話題になりました 色々喧々諤々意見がでました。 

ちんねんの 愚考を恥を偲んで提起します。

時は、古代アテネの七賢人の一人「ソロン」(約2600年前)の話です。

※ ソロンが、ある王国を訪れた時のことです。

権勢を誇る王の宮殿に招かれた。 王は絢爛たる王宮の
莫大な富をソロンに自慢する。
ありとあらゆる財宝を見せつけた後、王は質問した。

「ソロンょ。あなたは、有名な哲学者であり、世界を旅して見識
も豊かと聞いている。

そこで聞きたい。今までに会ったなかで、一番、幸福な人は
だれか・・?」
王はソロンに、巨大な権力と富を持った自分ほど幸福な人間は
いないと言わせかったのである。

しかし、ソロンの答えは、王の期待を裏切った。 彼は、アテネの
一人の市民の名前をあげた。
その市民は決して特別な人間ではなかった。実直そのものの
人柄。善良な子供に恵まれた。 生きるに困らない程度の
財産、名も無い、地位も無い、だが、この市民には勇気があった。

愛するアテネを守るために敢然と戦い、そして死んでいった。
その生涯には、人々から深い感謝が捧げられていた。

賢人ソロンは、この「勇敢な市民」こそ「第一の幸福者」であると
王に告げたのである。        王は不服であった。

「では第二の幸福者はだれか?」 とさらに尋ねた。

王は、次こそ自分の名があげられると期待した。
しかし、ソロンが名前をあげたのは、仲が良く、親孝行な兄弟
であった。  この兄弟は、母親を優しくいたわり、最高に
喜ばせた。 
そして人々の祝福に包まれ、穏やかに死んでいった市民であった。
ソロンは、この兄弟を「第二の幸福者である」と判定する。

王は怒った。 どうして私ではないのか。 権力者の自分を
さしおいて、ごく平凡な市民が幸福とは、良くないと。

権力者は、自分ほど偉い人間はいない、と思っている。

そうそう・・何処かの国の前首相は、自分に親しい人を重要な
ポストに付けたり(能力のない人)選挙で示された民意を無視して
元、首相が党で決めた郵政改革で選挙を実施して賛同を得た
ことは、皆さまもご存知の事とおもいます。

それに反対して選挙で落選した・・自分の親しい友人だからと
復党や次の参議院の選挙に・・他の造反議員には・・?
与野党や国民の顰蹙を浴びているのが判らない。
先の参議院選挙で大敗北をし世論の声を無視し政権を続投
しましたが、所詮「おぼっちゃま」ですから
僕辞めた・・・と 投げ出しました。

余りにも お粗末で・・あきれました・・(-_-;)

だから、威張りたいし、民衆を下に見る。 しかし、そんな
「特別な人間」などいない、いるはずがない。
そんなものは「虚像」である。

※ ソロンは静かに語った。「ギリシャの民衆の知恵は教えて
います。人の幸・不幸は、時と共に変化して行く。ゆえに目先
だけではわからない。  長い目でみなければわからない、と。
ちょうど、スポーツの競技をしている途中では、だれが勝利者か
決められないようなものです」。

王と賢人ソロンとの対話は、それで終わった。

王は納得せず、不機嫌なままであった。 ところが、
それから数年後・・・

王は戦争で敗れる。 捕虜となって処刑される事になった。
火あぶりにされる寸前、王の胸中に蘇ったのは、かっての
ソロンの幸福論であった。

「幸・不幸は、一生の結末まで 見なければわからない」と。
ソロンが植えた「知恵の種」が,死を前にして芽をふいた。

王は自分の驕りを悔いながら、「ソロン!」と大声で三たび
叫んだ。 すると、この叫びを聞いた敵の王が処刑を取りやめ

「ソロンとは、いかなる人物か?」と尋ねた。

そして王からソロンの対話の様子を聞き、感嘆して王の命を
助けた。
こうして賢人ソロンの英知は、一人の王の命を救い、もう一人の
王まで教訓したそうです。 (ブルターク英雄伝)から

「だれが一番幸福か」 この命題に、今、確信をもって

答える事ができるのは、どなたでしょうかぁ・・?

珍念・・・お答え出来ますが それは・・言わぬが花ですぅう (*^。^*)

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読書の進め (^。^)

昨日 久しぶりに世界文学集を読みました。

皆様もご存知の、有名な物語ですが筆者の心を
揺り動かす、人間の見栄が見事に描かれています。
あらすじ・・は 下記に延べます。

虚栄心が強い女性の悲劇

首飾り モーパッサン(1850 ~1893)
「美しく着飾ったマチルドは、あらゆる男たちの賞賛を浴びた。
しかし、見栄をはった代償はあまりに 高くついた。」
美しいマチルドは、贅沢を夢見ながらも平凡な役人と結婚して
質素な生活を送っていました。

ある時、夫妻は大臣主催の舞踏会に招待される。
マチルドは貧乏くさい服装で行きたくないと、夫の貯金でドレスを
買いました。

舞踏会の三日前、マチルドはダイヤの首飾りを友人に借りました。
舞踏会でマチルドは美しさを賞賛されて、幸福の絶頂にいましたが、
帰りに質素な上着を見られたくなくてドレスのまま馬車まで
走って、首飾りを落としました。

夫婦は多額の借金をして同じような首飾りを買って、黙って返しました。
十年間必死に働いてやっと借金を返しおえた後、偶然会った友人に
経緯を話すと、「ダイヤは偽者だったのに」と言われる。

珍念・・偽者に成らないように 精進します  (^^♪

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「あのとき」   (*^。^*)

ある新聞のコラムより

大阪府の四十二歳の女性は、街で「信号の青」を見ると
五年前の「あのとき」を思いだすという。

初めて大病を患った。
タクシーで病院に着いたとき運転手が言った。
「ここに来るまで信号が青ばっかりやった。 大丈夫やで。
絶対元気になれるわ」。
頑張れ!の気持ちが嬉しくて涙がでた。
三ヶ月で退院できたそうです。

全労災が募集した「私を支えてくれたステキな人、出来事」に
全国から6千通余も寄せられた。

八年前に父を病気でなくした宮崎県の三十一歳の女性は。。。
「遺書が私のお守りです」。
こう書いてあった。「あなたが結婚するころには私はもういない。
お前の選んだ人なら大丈夫だ」
「人に優しくしなさい。優しくすることで自分にまた戻ってくるから」。
涙が止まらなかった。 今は看護師をしている。

愛知県の七歳の男の子は「手や足をぴくぴくさせて」ないている
妹に何もしてやれなかったときのことを書いた。

救急隊が病院に運んでくれた。
「今は、妹は、元気になったよ。ぼくは大きくなったら、救急隊員に
なるんだ」。

神奈川県の二十八歳の女性は、ポランティアで訪れた老人ホームで
「素敵なお婆さま」からもらった言葉が忘れられない。嫌なことを
言われたりしたときに「その場で怒っては おしまい。
繋がりが途切れるしまう。 一呼吸おきなさい。
いつでも笑ってるようにしなさい。 私はずっと、そうしてるのよ」と

毎日 悲惨な事件や聖職者の破廉恥な犯罪が起きていますが
まだまだ・・世の中捨てたものでは ないようです!
 (*^。^*)

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ある 女性教師の体験 (^。^)

育は誰のため・・?

教育の危機が指摘されていますが、「管理教育」の
有り方にも、歪が出てきているようです。

それに 先生の人格や、それを司る「教育委員会」
や、文部科学省の一貫性のないのも大きな要因
ですが、それは それとして !

一人の女子生徒がいました。
いわゆる「問題児」です。
髪は染める。 遅刻。早退はする。
勉強は当然、不振。周囲からは、けむたがられ、
冷たい目で見られていた。

この生徒を何とか立ち直らせたいと担任の女性教師
は祈った。 そして彼女に言った。

「どうして、きちんと学校の勉強もしないといけないか、わかる?」
「わかりません」  「じゃ、あすまでに考えていらっしゃい」。
翌日になって、「考えた・・?」と尋ねると、「先生が困るからでしょ!」
との返事。  「それは違うわ。また、あすきくわよ」。

次の日。「いい学校に行けないから」(生徒) 「違います」(教師)
更に次の日には、「校則を守らないと叱られるし、皆に迷惑を
かけるからでしょう」。   「それも 違うわ」。

そして、その翌日からも「親が喜ぶから」「子供の義務だから」
「社会のためになれって言うんでしょ!」と
生徒は思いつく限りの答えを。 しかし毎日「違います」と
教師の返事は続きました。

とうとう「もう考えられない!」 それでは”正解”をというわけで、
教師は優しく語ってあげた。
「それはね。あなた自身が幸になるためなのよ」と

その生徒には、予想もしなかった答えでした。 私の事を
こんなにも真剣に考えてくれていたのか。涙がわいてきた。
小さい時から、勉強も親のためだと思い込んでいた。

事実、勉強さえしていれば、親は喜んだし単純に安心もしていた。
何でも大目にみてくれた。
自分の「心」の中のことなんか考えてくれなかった。

「全部あなたのためよ」と 言われても、親の見えだと感じていた。
いい学校に行きたくなどなかった。 髪を染めたのも、そんな
不満の表れだったかもしれない。
 
皆が戸惑うのが面白かった。 しかし、少しも「幸せ」ではなかった。
けれども女性教師は、初めて心から自分の幸せ願ってくれた。
鋭敏な少女の感覚は、本物の”真心”をキャッチしたのである。
その日から、彼女は見違えるように変わっていった。

この話は一つの例に過ぎませんが、人の心を動かすものは
命令でも、義務感でもない。「すべて自分のためなのだ」と
納得すれば、大きな力を発揮するものである。

そのために必要なのが、相手の事を本当に思った「指導」
「励まし」であり、 そして何より「真心の祈り」である。
ただただ、相手のために・・・そこに「献身」の魂がある。

自立の日々は 向上の日々
さて・・ゲーテは 次のように述べています。
生活をもてあそぶものは、
決して正しいものになれない

自分を命令しないものは
いっになっても、しもべにとどまる。

高橋健二訳「ゲーテ格言集」より

生活は一切の基本ですが、自らを律することを
知らない生活に、人生の勝利はない。
現代の日本は、眞に自由な世界となっていますが!
ある意味で、法を犯さない限り、自由奔放に何でも
出来ます。

だからこそ、規律正しく、心に哲学(思想)を磨き自分を
律しつつ、立派な人生を築いていく事が、いかに
価値あることか! 

あ・・いけない・・調子にのって減らず口を・・
あまり・・おしゃべり が 過ぎると嫌われかねますので
これにて 終わります 
(*^_^*)

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孫子の兵法に学ぶ (*^。^*)

毎週、日曜日NHKテレビで 風林火山 が放映されて
いますが、 山本勘助が孫子の兵法を巧みに展開する

内容は 面白くて次回作が 楽しみです。

実は・・孫子の兵法で「囲師の計」があります。
色々 示唆に富んでいますが、筆者は 改めまして
先人の知恵に感激しています。

敵軍を包囲するときには、完全に取り囲んではならない。
どこか逃げ口を開けておけというのである。
これは何も、敵に思いやりを、かけてやれなどというのではない。
クールな計算にもとずく、兵法の枠ですが!

もし完全包囲をすれば、敵は必死の力をふりしぽって囲みを
破ろうとし、恐るべきエネルギーを発揮するだろう。

それよりも、どこかに逃げ口を開けておけば、敵は、戦意よりも
逃げるほうに気が動き、逃げ口に殺到する。
そこを待ち構えていて撃つならば、らくらくと勝つ事が
出来るというわけだ。

日本でもこれを実践した武将の逸話がある。

大田道潅の臣下が七人、罪を犯して処刑されることに
なったが、かれらは屋敷に立て籠って抵抗し,追っても
手を出しかねた。

道灌は、かれらに聞こえるような大声で、追ってたちに
触れさせた。

「殿の仰せで、この中に一人だけ助けたい者ががいる。
むやみに切ってはならぬぞ」 七人は、助かるのは自分かも
しれないと思って闘志が鈍くなり、難なく討たれてしまった。

力ずくではなく、相手のエネルギーを制御することにより
無理せずに目的を果たした。
この手法は、人間関係にも活用できる。

叱る時、非難するだけだったら、相手は反省より反発が
先にたつだろう。
自省の余地を開けるべきと愚考します。

議論するとき、追い詰めるだけでは相手は必死の反論をする。
それより、うまく隙を作ってそこへ誘導するのが上策である。

この前、福田総理と小沢代表との驚天動地の連立騒動が
ありましたが、どうして、どうして・・(^^♪
「韓信の股くぐり」の故事のように
福田総理は古今東西、稀に見る宰相だと「珍念」見受けました。

そうそう、今年2月頃に「ソフトバンク」のオーナの孫さんが
子育ての支援で自社の従業員に5人目の出産に500万円を
お祝いに送ると仰天プランを発表しました・・(*^。^*)

不詳「珍念」でしたら 10人ぐらい子供を授かりたいです。
孫さん・・の会社の方は羨ましいです \( ^∇^)/θ☆

ん・・良い会社を選んで就職するのも・・孫子の兵法かなぁ・・?

色々な課題に果敢にチャレンジして居られる
I T 事業 や プロ野球 携帯電話など・・その姿勢たるや
まさに・・孫氏の兵法を・・熟知されて打つ手、打つてが
心地よいほど決まっています。

ちなみに・・珍念・・ソフトバンクの回し者では有りません。
むしろ・・多額の負債を抱えて首も回りませんです。 、
幼稚な悪知恵は有り余るほど出ますが・・孫子の兵法の
三十六計逃げるが勝ち・・・だけです。(*^_^*)

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人質人生からの脱出  (^_^.)

和楽の設計図を何に求めるか・・?

世はまさに クレジット時代、成人のほとんどの方がなんらかの
クレジット利用者だといわれる。

洋服や電化製品、車から海外旅行まで、何でも簡単な手読きを
するだけで手に入る。
だが、これは純然たる「借金」。 その美酒に酔い過ぎると
思わぬ借金地獄へはまり込む。

その最たるものは、マイホームの購入であろう。
ある銀行のこんな統計がある。「マイホーム習得後の暮らしぶり」
に関する調査ですが!

「それによると、90%の人々が家作りに踏み切って良かったと
答えている。 その理由として「心にゆとりが出来た。」
「マイペースの生活ができる」「仕事にハリがある
「仕事への意欲が出てきた」当の点をあげている。が、一方で
ローンの返済で地獄のような苦しみを受け、一家心中などと
いう悲劇的な結末を迎えるケースもあとをたたない。

結局のところ、ローンとは、と ある人はいう。
ローンの返済は多くの場合、20年、25年の長期にわたっており、
いってみれば これは自分の終身労働と引き換えにマイホーム
を手に入れて入るという事である。  途中で死ぬ場合も想定し
て、生命保険にも加入する。 まさに、自らの願望を満たす為に、
人生の大半を質草として預けていることだ_と。

といって、ローンにでも頼らねば、なかなかマイホームも手に
入らない。

問題は、ローンずけの生活の是非に有るのではなく、そのような
生活を余儀なくされざるをえない、現代の中にあっても、なおかつ
いかにして自分らしい人生を作りだしていくかということだろう。

我が家を手に入れることが、人生の最終目的ではない。
ここまで苦労して手に入れたマイホームに、どんな麗しい家族の
人間模様を築いていくかと、いうことこそ、実は、借金の返済以上
に真剣に考えなければいけないと、私は思います。

楽しかるべき家庭が、不幸の舞台となったり、愛し合い
信頼し合うべき家族が、憎しみや葛藤の悲劇を生み出して
いる模様は余りにも多い。 では、いかにして和楽の園を築いて
いくのか。 その設計図はどこに・・・?

それは・・珍念 一考察 を抱いていますが
幼稚な愚考の類ですから・・言わない方が華です・・・ぅ  (#^.^#)

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妻に最敬礼・・(^。^)

妻への奉仕

最近、夫婦別姓を希望するケースが増えている。

結婚によって、女性が夫の姓を名のるデメリットは

少なくない。 仕事を続ける場合など大変に不便である。

男女平等の原則から見ても、当人の意思が尊重される方向へ

社会の意識も変わりつつありますが!

☆ 釈尊は、夫は五つの仕方で妻に奉仕せよと教えています。

○ 尊敬する事  ○ 軽蔑しないこと 

○ 道を踏み外さない事  ○ 権威を与えること

○ 装飾品を提供すること (中村元編「原始仏典」) と。

さて、我が家は・・・と、反省される向きもあるかも知れない。

装飾品はともかく「尊敬」を贈る心だけは忘れてはなるまい。

☆ 日蓮大聖人は、身延を訪れた富木常忍に婦人への

お手紙を託され、「富木殿がこの地へ見えたのは、尼御前の

お力ですね。私は、煙を見れば火を見ます。

雨をみれば、それを降らせる竜を見ます。 夫を見れば

ご婦人を見るのです」 と

夫を送りだした婦人の(真心)信心を称えられている。

☆ 「天の半分を支える」女性を尊敬できない人が、真に

「人間を」を尊敬できる訳がないと、「ちんねん」 愚考します。

いまだに男尊女卑・のまかり通る日本社会が、それと同根の

官尊民卑・庶民蔑視の体質を、なかなか正せないのも当然

といえる。

人間・生命の尊厳観に立つ哲学を持たなければ、日本は

「封建時代の遺物」として国際社会に取り残される・・・

うぅう 珍念 またまた 髪の毛が・・ (*^。^*)

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民話への誘い (^。^)

「人には、どれだけの土地がいるか」

(レフ・トルストイ(1828年~1910年)ロシアの作家

「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」など)

歩いて歩いて、少しでもたくさんの土地を手に入れようと

した主人公の「パホーム」の姿に読者は強烈なショック

を受けるでしょう!

土地がほしい パホームは村のお百姓でした、いつも

土地の事で村民と揉め事を起こしていました。

そして何度も、少しでも広い土地を求めて家具も家畜も

何もかも売って、一家で新しい土地に引越しました。

土地は良く肥えていて、作物が沢山とれましたが!

また欲が出てまた 自分の土地を買いたいと思いました。

パホームは新しい村の組合に入って十ヘクタールの土地を

貰い前よりも倍の広さで、そのうえ、土地は良く肥えていて

作物が沢山取れました。

「こんな土地なら、もっとほしい、そしたら、麦だろうと豆

だろうと、もっととれる。財産がふえる。」

しかし十ヘクタールのきまりでそれ以上は、売り地はなく

借りるのならあるという事でした。

土地を借りるなら、毎年面倒な手続が入りました。 それが

めんどうで、自分の土地を買いたいと思いました。

そんなとき、パホームは耳よりな話を聞きました。

遠くからやってきた旅の商人でした。 「パシキールという

所をご存知ですか?」 「さあ」 「あ、ご存じない、ここから

だいたい五百キロメートルくらい離れた土地です。私も

そこから来たんです。そこで私は、広いところを、とても

安い値段で買いました。小川にそった、平らな土地です。」

パホームは「パシキールって、どう行くんですか。」

商人から教えて貰った通り、パシキールの地主に贈る

お酒やお茶などを用意して、馬車で出かけました。

パシキールは広い草原で、人々は馬を飼って、馬の乳を

しぼったり、それでチーズを作ったりして長閑暮らしていました。

パシキールの人たちはパホームをテントに迎え入れて、馬の

乳とか羊の肉のご馳走をして歓迎しました。

パホームも、持っていった、お土産をわたしました。

「じつは、私は土地がほしいのです。狭い土地しか持って

いないので」」

パシキールの人たちは、こそこそなにやら相談していました。

そこへ,村長が「土地が欲しいそうですね、いいですよ。

どうか好きなだけ、いくらでもおとり下さい」

「あのぅ、それで土地の値段はどのくらいですか?」

「一日千ルーブリです」 「ん 一日って・・?」

「だから、一日歩き回った分を、千ルーブリでお分けします。」

パホームは驚きました 奇妙な取り決めでした。

「一日歩き回ったら、ずいぶん沢山の土地になりますね。」

村長は笑いながら「そうです、ただひとつ、決まりがあって

その日のうちに元の出発点に戻ってこれない時は、土地は

お渡しできません。」

「しかし、どんなふうにやるんですか? 私が歩き回った所に

何かしるしをつけておくんですか。」

「まず、貴方の決めた出発点、そこに村の誰かを立たせて

おきます。そこから歩き始めて、円をかくようにでも四角

でもいいですから、一回りしなさい。スコップを持っていって

適当に穴を掘って、目印をさしておきなさい、ただ、日が沈むまで

に帰ってこないと、土地は取り上げる事に成っています。」

その晩、パホームは中々眠ることが出来ませんでした。

「明日早起きして、出来るだけ沢山の土地を手に入れよう

一日で五十キロは回れるだろうな、そこに家を建てて、牛は

二頭飼って、手伝う人も雇とおう、手に入れた土地の半分は

畑にして、あとは牧場だ。」

夜明け前、パホームは、ちょっと、とろとろっと夢を見ました。

パホームは朝が来ると、馬車で出かけました、パシキール

の人たちも、馬や馬車で付いてきました。

シハンといわれる丘で、村長がパホームにむかって言いました。

「見わたすかぎり、私たちの土地です、どこでも、お好きな所を

お取りください。」 村長はキツネの帽子を脱いで地面に

おいて「さ、是をしるしにしましょう。ここを出発して、ここへ戻って

きて下さい。回られた土地はみんなあなたのものです。」

パホームはパンと水とスコップ持っていよいよ出発です。

どっちを向いても黒々した良い土地でした。

「よし、日の出の方に向かって歩こう、さあ、一分だって無駄

に出来ないいぞ、涼しいうちに、歩けるだけ歩くんだ。」

パホームはどんどん歩きました。 少しいくと穴を掘って

目じるしを立てました。

振り返ると、シハンの丘が見え,人々が立っていました。

もう五キロは来たかなと思いました。 だいたい一キロごとと

いう見当で目じるしを置いたのが,点々と五つに成りましたから

あと五キロ歩いたら、左へ曲がろうと思いました。

「行けば行くほど、いい土になるぞ。」 暑くなってきたので

パホームはチョッキを脱ぎ、長靴を脱いで腰のベルトに挟み

裸足で歩きました。 

振り返ると、丘は遠くなり、その上の人々も、蟻ぐらいに

見えました。「さあ、ここで曲がるとしょう。」 パホームは

今までの穴よりちょっと大きくほり、大きな目じるしを差込

ました。 もう正午です、本当なら、一休みする所ですが

水を飲み、パンを少し食べただけで、歩き続けました。

ちょっと体がくたくたでしたが、ここでひと休みしたら、きっと

寝込んで立てなくなると思いました。

五キロほど行って、二番目の角を曲がろうとしましたが、

目の前に広がる土は黒々としたいい土で、作物がよく育ち

そうなので、そこも自分の土地にしようと欲張り、曲がるのを

もうすこし先に延ばしました。 それから二キロくらい行った所で

方向が分からなくなりました。

朝、出発した所、村長のキッネの帽子を置いた所は、もし今

帰ったらとしても、十五キロはありそうでした。ここを曲がったら

パホームの土地は歪に成ります、残念だけれども、丘を目指して

急がなければ、まにあわない!

シャツは汗で背中にぴたっと張り付いて、気持ちが悪いし、裸足

の足は草や石ころで、傷だらけでした、歩く早さも落ちているのが

自分でもわかりました。 太陽は斜めになり、もうすぐ地平線に

届きそうでした。

「ああ、ちょっと欲張り過ぎたかな、日が落ちるまでに 間に合わ

なかったら、この苦労も無駄になる。」 苦しくて苦しくて、息が切れ

そうでした。 それでも、パホームは足を引きずりひきずり、歩き

続けました。シャツもかなぐりすて、水筒も帽子も、腰のベルトに

挟んだ長靴も、放り投げましたが、ちっとも軽くなった気がしません。

心臓は、ドックドック、大きな音を立てて鳴り、足はふらふらででした。

足を前に出すのも辛くなりましたが、それでも、止まるわけには

出来ません。太陽が地平線に触りそうになって、真っ赤です

皆が立っている丘が、少しは近づいたのでしょうか、村長も見え

ます。 笑っているようです。みんなも何か口々に叫んでいます。

応援しているのか、あざ笑っているのかまでは分かりません。

パホームは、突然朝方見た夢を思い出しました。 あれは

なんだったのだろう。 パシキールの村長、ボルガ川の向こう

からの旅人、パシキールの話をしてくれた商人、見んな悪魔

だったのだろうか。

丘の下まで来ると、急に暗くなりました。 太陽が丘の向こうに

しずんだのでしょう。 パホームはがっかりして、思わずふらっと

倒れそうになりました。 けれども見上げると、丘の上はまだ

ちょっと明るくみえました。

「ああ、丘の上はまだ日が沈んでいない。」 パホームは

最後の力を振り絞って、丘を這い上りました。

村長の帽子がみえました。 パホームは思いっきり手を伸ばし

帽子にさわりました。

「えらい。よくやった。あんたは、しっかり土地を自分のものにした。」

村長が大きな声で言いました。 パシキールの人たちがパホームを

だき起こそうとしましたが、パホームの息は絶えていました。

みんなは、スコップでパホームの墓を掘りました。

たくさんの土地を欲しかったパホームに必要だったのは、頭から

足の先までの、ただそれだけの土地でした。

珍念の愚考です  どれだけ土地やお金や肩書き等を

持っていても・・人間だれでも・・・必ず 死が訪れますが

あの世には 持って行けません

何をもっていくんでしょうか・・?

また 自分が死ねばどうなるんだろう・・?

珍念 の 永遠の課題です  (#^.^#)

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病気は誰が治すのかなぁ・・ ?(*^_^*)

今朝 子供会の廃品回収に出す本を選別していましたら
懐かしいものを見つけました。

私の読書ノートです 「死の恐怖を超える生命力」!
と題して下記のように概略、書いていました。

医師が少年に一枚の標本をみせる、未成熟な白血球
が見える血液像である。
少年が顕微鏡を覗き込む、「これが君の血液だ、白血球
が病気でね、正常な細胞が少ないんだよ」と

急性骨髄性白血病の少年と医師との対話が、ある新聞の
「アメリカからのレポート」に載っていました。

四歳以下の幼い子を除いて、ほとんどの少年が自らの
癌を知っているそうです。

日本では、大人でも、癌の宣告にはずいぶん気を使う。
原則的には、本人に知らせない方針をとる医師も少なくない。
その場合も、家族にだけは話すようですが・・!

本人に知らせる場合でも、その人が成熟した人格で、生死観
が確立していることが条件の一つに数え上げられています。
それでも、精神的ショックは大きい。

大多数の人は、E・キューブラー・ロスが報告したように、まず
癌を知った時のショックにつずいて否認が起きる。
次に怒り、抑うつ、取引のプロセツを得て、要約死を受容
できるようになるという。

子供達も、十歳ごろになると、すでに死の意味を理解し、限りない
生への執着心がつきあげてくるという。
大人と同じように、否認、怒り等の衝動の嵐に巻き込まれる
そうです。

その時、子供たちに、死の恐怖を乗り越えさせ、病と闘う勇気と
生命力を沸き立たせる役割を担うのは、医師、看護士、教師
両親等の大人たちである。

顕微鏡の血液像を見せて、癌の正体を知らせるだけでは、幼い
生命への自愛の援助とはならないと 筆者は愚考します。

「子供の癌」(成人の癌)も増えている現在、生死観の確立は
もはや大人だけの問題ではない。
宗教を(生命哲学)源泉にした”生と死の深義”の体得しか
すべての少年におくるべき大人の慈愛の証ではなかろうか。

珍念・・読者の皆さまへ・・問題を提起します

病気を治すのに大事な、ポイントは次のどれでしょうかぁ・・?
1・・薬  2名医、看護士  3 両親 友達の激励
4手術  5 本人の生命力

さぁ、どれが 一番 大切でしょうか・・?

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後悔先にたたず  (-_-;)

人は何について後悔するのか!

「珍念」の独断と偏見の愚考です
それは、自分がやった事についてでなく、やらなかった
事についてである。

ある作家が、年をとって気が付く、一つとして、述べていました。
確かにそうかも知れない、後悔とは、あの時やっておけば
良かった、という気持ちと一緒に訪れることがしばしばだ。
(もちろん犯罪行為は論外ですが)
我が身を振り返れば、良くわかりますが!

ダンテは「神曲」の中で語っている。 ためらって行動しなかった
人間は、恥とも誉れとも無縁ではあるが、しかし彼らは天国は
おろか地獄にも入れず、城門の前で虫に刺されながら永遠の
ため息と、嘆きの歳月を送らねばならない と

観念は残らないが、徒労であっても行動は、動き励んだという
五体の感触とともに現実に何らかの刻印をのこす。
また、動いてこそ、たとえ失敗を味わおうとも、それが新しい
経験となって自分を大きくしていくに 違いない。

動くことの中には、常に凡人の予想を超えた未知なる
黄金の果実が隠れている。
あせらず、たゆまず 動き語って、日々挑戦の時間を刻ん
でいきたい、 悔いない大満足の人生を築くために!

珍念 毎日、毎日、反省の日々を過ごしています。 !(^^)!

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表面的な姿で評価するなかれ(*^_^*)

袋汚くても 黄金を捨てることなかれ! とは

 袋入れ物(外観)が汚いからと・・中身の黄金まで捨てる
愚かさを仏典では戒めています。

実は 私たちは服装や学歴、肩書き、財産、などで人物を
判断する傾向がなきしも、あらずですが!

Oさん が バスに乗っていた時、女の子が二人乗ってきた。
ところが、ほどなく、”彼女”たちが、実は男であることに気ずいた。
長い髪にリポンをつけ、服装も女の子に間違えられて当然の二人
を氏は軽蔑の目で眺めていた。

下車する人がいて席が空いた。二人は、他にだれも立っている
人がいないのを見て席に座り、話に夢中になっていた。
高齢の女性客が二人乗ってきた。

元気そうな学生や、若い紳士もいたが、だれも席を譲る素振りも
みせなかった。 すると奥の方の席に座っていた例の二人が
いかにも自然な感じで立ちあがり、老婦人は席に座った。

紳士淑女と思われる人々が老婦人が乗ってきても知らん顔を
していて、軽蔑していた若者がいかにも自然に席を譲ったことに
氏は表面的な姿で人を評価する事がいかに危険かを
つくずく思ったそうです。

珍念・・愚か者ですから・・深く反省しています。(*^_^*)

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艱難汝を玉にす  (^。^)

つらく、悲しい思いをしても、後では感謝できるような

ことが人生にはあります!

松下幸之助氏が九十二歳のころ、自身の最大の

転機について語っていられた。

二十二歳の時、会社を辞め独立した。 その契機に

なったことについてである。

氏は小学四年の秋に学校をやめ自転車店に奉公に出た。

その後、事務員の仕事をしていた時、会社の上司から

「君、学校に行っていないのか。もっと、字を稽古せんと

いかんよ」といわれた。

氏は顔から火のでるような恥ずかしい思いをした。

体も弱く、そのころよく病気をした。

自分が改良したソケットが上司に「こんなものは仕えない」

と一蹴された。 こうしたことが重なって氏は独立を決意し

松下電器産業建設の第一歩を踏みだした。

字が下手だったこと。 体が丈夫でなかったこと。

上司が氏の改良したソケットを認めなかったこと。

それらは当時はマイナス要因だったにしても長い人生を

振り返ってみると、氏を成長させ、よりスケールの大きな

人生の道を開く要因になった。

今、自分の不幸の要因となっていることでも、人生の

最終章では、自分を磨き成長させてくれた因と感謝

できる。

仏典には、そうした一切を幸福の因としていける生き方

を説いています。

恵まれていないことを嘆き卑下したり、希望を簡単に

捨ててしまう。 そうした生き方を排して、感謝と希望の

日々を貫いていきたい。

「詩人の手がすくえば水も水晶の玉となる」 

ゲーテの言葉である。

同じ水でも境涯の違いで、火にも、甘露にも映る。

平凡な水をも水晶の玉とする心の人は人生を深く美しく

生きられよう。

境涯の広い人間性の輝きのある人に日々精進

したいと 。

珍念 おでこと 頭は(髪の毛がないんです)

光輝いていますが・・(*^。^*)

心は・・真っ黒に・・汚れています・・深く反省しています。

ん・・いっも いっも・・オウムのように 反省 、反省の

日々を 過ごしています・・・あ・・また要らざる減らず口を

閻魔様から・・二枚舌を抜かれないように 今宵は

口を チャックします。

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子どもを不幸にする方法・・(-_-;)

子どもに苦労させたくない

最近 そう 考えている親が多いですが、だが、それで

子どもは 本当に幸せになるのでしょうかぁ?

☆ ルソーは叫んだ! 

子どもを不幸にする確実な方法は、「いつでもなんでも

手に入れられるようにしてやることだ」と(今野一雄訳)

常に欲望をみたし、苦労をしらずに育った子どもたちの

行く末が心配です・・ あ・・また 髪の毛が抜ける・・(*^_^*)

☆ 最近「苦労は買ってでもしろ」と言う人がいないようです。

それは、耳に痛い忠言を正面から言えるだけの「深い人間関係」

を築けなくなつた証でもありますが!

「世間の情が薄くなった」

「懐の深い人がいない」と嘆くのは筆者だけではないと思う。

だが、効率を求め、苦労を避けたがる社会の風潮にあって

それも当然の成り行きといえる。

☆デンマークの桂冠詩人、故エスター・グレース博士は

「人生とは、光と闇、善と、悪との戦いです 

私は 世界桂冠詩人の池田博士と

「詩心」をもって、平和のために戦います」と語った。

闇や悪との闘争の中で人格が磨かれ、心は鍛えられる。

その中でこそ、真実の「善の連帯」を広げることができる。

☆ 遠回りに見えても、信頼の絆で結ばれた人間関係を

回復していく以外、閉塞した社会の苦悩を救う道はない。

親子の絆も、葛藤や闘争を乗り越えて結ばれるていく

ことを!

 ん・・珍念の幼稚な愚考です (*^。^*)

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