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2007年10月

ん・・「建築家のせいだ」 (-_-)/~~~ピシー!ピシー!

自分の境遇を他人のせいにするな”トルストイの エピソードです。

  「転んだのは「建築家のせいだ!」

 トルストイの息子の一人{イリヤ}が、幼いころの 、お話しですある日、少年は、前からほしかった立派な「コップ」と「皿」をもらった。嬉しさのあまり、人に見せたくてたまらなくなり、夢中で駆け出した。ところが、部屋の間に高い「しきい」があった。少年は、それにつまずいた。転んでコップを落とし、粉々にしてしまった。

 少年は大声で泣いた。母親が「お前が不注意だからだ」と叱ると彼は怒りだして、涙をこぼしながら、こう言ったのだった。「僕のせいじゃないよ。建築家のせいだよ!なんで、こんなところに「しきい」なんか作っておいたんだ!」

 トルストイは、これを聞くと、大声で笑った。そして、いつまでも、この言葉を忘れなかった。この事件依頼、家族の誰かが自分の失敗を「他人のせい」にして弁解しようとすると、トルストイは、にこっと笑って「建築家のせい」かね?」と言うのだった。

 たとえば、別の子どもが成績の悪いのを「先生の教え方が悪かったから」と弁解した時。トルストイは、「なるほど、建築家のせい」なんだね?」と。また森え行って、うっかり馬を沼地へ乗り入れ、「こんな所に沼地があるなんて、だれにも聞かなかったからだ。」と言った時。あるいは馬から落ちて、「馬の係りが鞍をよく締めておかなかったからだ」と文句を言った時。そんな時、トルストイは、いつも、にこっと笑って、こう言った。

「そうだろう。そうだろう。「建築家のせい」なんだね?」そう言われると、皆顔を赤くして、下を向いてしまうのだった。

   釈摩男{しやくまなん}の犠牲のお話しです。

   「私が時をかせぐ。皆安全な所へ!」舞台は古代インドです。釈尊の「九横の大 
   難」{九つの大難}の一つに釈尊の一族が波瑠璃王によって滅ぼされたことがある。 
   仏典に「波瑠璃王という王は、あじゃせ王に、そそのかされて、釈迦仏の御身に親し
   い一族の人々、数百人を切りころした・・と仰せである。

   「王は、成長してから、自分の母が釈迦族の使用人だあったことを知り恥辱を受けた
   と 復習を誓う。そして、父王を追い出し、王となってすぐ兵を出して、釈迦族を襲撃
   し、ほとんど全滅させたといわれる}

   この悲劇の 一つの エピソードが仏典に伝えられています。全員が処刑されようとし
   ている時のことです。一人の老人が王の前に進み出た。王と血縁のある釈摩男であ
   った。釈尊の従姉妹ともいわれる。仏教に深く帰依した在家の信者であった。

   「王よ、たった一つ願いを聞いてほしい。私が水中に入って、それから水面に浮かん
   でくるまでの間、せめてその間だけは、皆がここから逃げるのを許してほしい」”せい
   ぜい数分のことであろう。逃げた連中は、また捕まえればよい”義理のある老人の頼
   みを王はしぶしぶ聞いた。

   老人は池に飛び込んだ。釈迦族は、われ先に門から逃げた。一分また一分。人々
   は、どんどん門から出ていってしまう。王は、じいり・じいりした。「まだ浮かんでこない
   か!」「まだか」「まだか」と繰り返した。しかし、いつまでたっても老人は浮かんでこな
   い。「みてまいれ!」・・・王は、しびれを切らした。部下が池に入って確かめた。見る
   と、老人は自分の髪の毛を水中の木の根っこに結びつけ、浮かばないようにして、す
   でに死んでいた。

   壮烈な死であった。老人は、自分が犠牲になって時をかせぎ、皆を 救ったのである
   このことは経典に記され、今なお伝えられている

   愚考します 真の指導者は、後に続く人々のために忍耐強く、時をかせぐ。自分が犠
   牲になって、人々を守る。しかし、多くの指導者は反対に、皆を犠牲にして、自分を
   守ろうとする。あれれ・・・「珍念」 何だか演壇で講義しているようです おそまつでし
   た。  (@_@)
 

財宝・・・ ? (*^。^*)

憶良は謳う (おくらはうたう)


白金も 黄金も玉も 何せむに勝れる宝 子にしかめやも

 私の宝はなにか! それは日蓮大聖人の(三種財宝御書)に蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり 身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし。 と

 人生において、何が大切かを示されている御文です。「蔵の財」とは財産等であり「身の財」とは健康や身につけた技術等であり「心の財」とは福運や心の温かさ、知恵等と考えて,良いと思います。物質的な豊かさが人生を快適にし、心の安定をもたらすという面も勿論有りますが。

「恒産無きものは恒心なし」

 という言葉は、かなり現実的妥当性をもっています。しかし、逆に、物質的な豊かさが、人間性を損なっているような場合も決して少なくありません。 また財産は、失われたり、価値が変動するということを避けられません。つまり「蔵の財」は、人間の幸福の条件の一つではあるが、十分な条件ではなく、また絶対的幸福の条件とはなり得ないようです。

「身の財」という、自分の身につけた技術や知識等は、他人が容易には奪えるものではなく、社会変動の中でも比較的価値変化しないという意味で「蔵の財」よりも安定性を持っています。しかし、自分の力に溺れて失敗する人もあれば、知識等の豊富さが心を貧しくしている場合もあります。 事故等も起こりえます。

「心の財」は、内面的豊かさであり、福運や知恵の輝きです。心豊かな人は、自己の満足はもとより、人々をも幸せにすることができます。 「心の財」が豊かであれば「蔵の財」「身の財」のてんで、貧しくとも幸せであり、また、これがあってこそ「蔵の財」も「身の財」も生きてくると思います。

そして大事な事は・・「心の財」を積む修行ですが、それは・・・言わない方が花ですぅう 珍念のお粗末な 幼稚な説法で・・・す。

君の笑顔はどんな宝石よりも美しい

一日一回の微笑み (^。^)

実は 筆者は (自分の事を述べるのは、恥ずかしいですが!)妻の笑顔に,ころりと 虜になりました。

 それは,さておき「笑い」の力の「ちんねん」の一考察です「笑一笑十年少」・・・一回笑うごとに10歳若返るという、中国の諺が有りますが!十歳とは白髪三千丈流の誇張ですが、笑いが心と体の健康に有効なのは科学的にも証明されている。

☆ 情報関連の企業で働く管理職に、ストレスの度合いと笑いのセンスについて聞いた調査がある。 それによると、笑いの感性やユーモアを肯定的にとらえる度合いが高い人ほど、心と体が抑うつや不安、疲労感の影響を受けにくい、という。

☆ 笑いは現代人のストレス緩和に益があるだけでなく、人間関係の潤滑油にもなる。人の表情で最も認識されやすい「笑顔」には、周囲から親愛の情を引き出す働きもある。
タイミングのいい笑顔が、こわばった空気を一変させる ことは珍らしくない。

☆ 「笑うことは素晴らしい」を信条にしたチャップリンが「人生における最も厳しい事態をも笑い、死すらも笑うことのなかには、健康なものがある。 笑いは強壮剤であり、気晴らし苦痛の放棄である」と語ったのは有名ですが!「笑い」はこの世で最も健康的といえます。

☆ 笑顔は「幸福の結果」というより「幸福の原因」としての意味が大きい。 笑える状況に笑うのは「幸福の結果」で当然ですが!問題は笑いが消え入るような厳しい中に笑顔でいられるかどうかですが。 作り笑いや ”顔で笑って心で泣く”では生命の地金がすぐ出てくるやも、知れません。

☆ 日蓮大聖人は竜の口の刑場に向かう途中 悲嘆する在家の四条金吾に「これほどの悦びをば、わらへかし」と仰せになった。苦難の極限にあって「わらえかし」といえる大境界。「ちんねん」も また、どんな難局にも心の深層から「笑える」境涯になりたいです・・ちなみに「笑い」は ただです・・う・・ぅ。あ・・また 要らざる・・軽口を・・閻魔さまから 嫌われないように・・口を これにて 閉めます (^_^.)

初心を貫く人は偉大な人

(三日坊主) 惰性に流されがちな人間の本性を実に言いえて妙な言葉ですが! (*^。^*)

 何かを決意、意欲満々にスタートしても「三日」を過ぎると実践はおろか、決意の内容すら忘れてしまうことがまま見受けられます。

☆ 一日 坊主でなく{三日}となっているところに、ある種の人間味を感じられますが! どんな決意も、最低三日間は続けられる、との激励の意味が感じられますが!そこで、実践の持続の為には、四日目ごとに決意し直すこと。と奥ゆかしい提言を述べられる人もいます。

☆ 三日はおろか、初日の「発車」も出来ないでいるケースが意外と多い。「明朝こそ三十分早起きして自宅付近の道路清掃を・・・」「あすから新入社員時代に帰って職場へ三十分早く・・・」と思いながら、五年、十年と過ぎている例は なきしもあらずですが!

☆ 決意、発心を実践し抜く困難さ、大切さを、時に、人生の辛酸をなめ尽くした達人が、鋭く、含蓄深く述べられている。故 松下幸之助氏は晩年、人生で多くの人を見てきた実感として、成功者といわれる人はみな、途中で迷わず道を変えず、初心を貫いている点が共通していると明言された。

☆ 歴史的人物を描き続けている著名作家は指摘する。何事かを成し遂げるのは「その人の才能ではなく性格である」と。魅力ある人格の力を強調したものですが、目的に向かってたゆまず努力し挑戦し抜く・・努力が才能輝く”三日”坊主をしのぐ例は珍しいことではない。

 「ちんねん」も・・毎日毎日・・悔いの無い日々をと、いつ お迎えがきても 大満足の人生だったと言える 精進を心がけています・・まだまだ今のままだと閻魔さま から・・苛められそうです

あれれ・・・今日も・・べらべらと 愚考を・「ちんねん」の戯言です・・!

対話の進め (*^。^*)


筆者の身近に「声かけ名人」と言われる 友人がいる。

初対面の人にも、上手に声をかける。電話の会話を聞いていても、話の弾ませ方が実にうまい。

☆「秘訣は何・・?」と 尋ねると ★ キッカケを逃さない★ いつも好奇心をもって周囲を観察する。★ 相手が話したいと思っている話題に水を向ける、の三点をあげてくれた。 中でも、相手が話したい核心をいかに素早くキャツチするかがポイントだという。

☆ 悩み事の相談を受けるときは「相談者の悩みを的確につかめ」と言われる。 それが出来れば、半分は解決したも同じだとも。なぜなら、悩みを抱えた人は堂々巡りに陥り、自分一人では悩みの本質をつかめずに苦しんでいることが多いようです。それほど自己の内面に目を向けることは至難のようです。

☆ 日本人は相手を傷つけることを恐れるあまり、当たり障りのない対話に終始する傾向がありますが!だが、その気遣いは自分が傷つきたくないという利己的な生命の”隠れ蓑”の面も。  自分に向ける眼に厳しさがない!

☆ 法華経では相手の「自己へ執着する心」に疑いを起こさせ真実の自己を発見する方向に導いていく「動執生疑」という化導法が説かれている。 簡単に言えば、何かに執着する余り、見えなくなっている課題や欠点を教えてあげること

☆ それには 勇気がいる。 しかし、本当の友情を育む道はここしかない、 真実の自己に目覚める対話 !勇気ある 一歩を踏みだそう、 と 

☆ ちんねん・・まだ、まだ、件の「声かけ」名人」の足元にも及びません・・周囲に毒舌を撒き散らして自己満足しています。恥ずかしいです・・また・・また あの世で 閻魔さま から 
厳しく断罪され二枚舌 いや・・三枚舌を抜かれて牛タンのように・・焼かれて食べられるやも・・ 怖いです。 今日も 頭を垂れて深く懺悔します。 「珍念」の幼稚な説法でした。 

師をもつ人生は幸福

大誠実で勝ち取れ 人の心を

「理論」や「力」より「人格」の魅力で

 ある時、とある セミナーに招待をうけました。突然・・・スピーチを乞われ弱りましたが
るる 恥を省みず 述べさせて頂きました。今から10年前、私の恩師はインド訪問で
当時のナラヤナン大統領ご夫妻、またグジュラール首相ご夫妻と親しく語りあいました。

 大統領も首相も、大変な激務の中での会見でした。大統領とご夫妻とお会いしたのは、ある州の政治紛争にさいして、大統領が公正な名裁定をし、打開した日の晩であった。翌日の朝刊は、みな「大統領は歴史をつくった」「大統領が、インドの民主主義を救った」等と喝采を送っていた。また、首相ご夫妻と会見したのは、英連邦の首脳会議に出席のため、イギリスに出発される予定の日の、前夜であった。

 九億五千万人(1997年当時)の国民のためにお二人とも、マハトマ・ガンジーの精神を根本として厳然と指揮をとっておられる。 師匠をもっている人は幸福である。師匠がいない人間は指針がなくなり、自分中心となる。傲慢になり、人々を不幸にしてしまう。

 首相は、私の訪印について、「ガンジーの行動を世界に広げていく責務を、改めてインドの私どもに思い起こさせてくれます」と語っておられた、恐縮するほど謙虚なお姿でした。

 その時の エピソードです  新米記者として

 ☆ ナラヤナン大統領は、若き日のガンジーとの出会いを「人生の宝」とし、「誇り」としておられる。私も(恩師)戸田先生との出会いの一場面、一場面を映画のように覚えている。先生の言葉は一言一句、忘れていない。大統領は、新聞記者として、ガンジーに直接、インタビューする機会があった。 

  当時、ナラヤナン青年は、二十四歳一方、ガンジーは七十六歳。新米の記者として、
  緊張して国父ガンジーのもとを訪ねるとタイミングが悪く、ガンジーは昼食中であった。
  しかもそこには、インドのほとんどの首脳が集まって、ガンジーを囲むように座ってい
  た。しかし、その中にあってガンジーは、「(沈黙)を決めた日であったにもかかわらず」
  一介の無名の記者の質問に、快くしかも誠実に(書面で)答えてくれたのである。

  若い人を大事にすることである。若い人を大事に出来ない大人は、知性と人格のない
  動物性の人間である。私は、周恩来総理とお会いした折、総理が、三十歳も若い私に
  「閣下」と呼びかけてくださったことを、忘れることができない。

  筆者も二十一歳の時、恩師に奇跡的にお会いし、大激励を受けてお土産まで・・頂い
  た時の感激を忘れたことは有りません。学生や青年を見下して、「○○君!」と呼びつ
  けにしたりする指導者は傲慢である。人を尊敬できないのは、近年の日本人の欠点で
  ある。

   「なんと美しい思いやりか!」

   さてナラヤナン青年が、インタビューを終え、部屋を退出して帰ろうとすると、ある人
   から引き止められた。ガンジーから「ナラヤナン青年に、昼食を食べさせてあげる
   ように」との話があったというのである。 この「気配り」ここに人間性の真髄がある。
   名もない一青年にも、こまやかな気をつかってくれる国父ガンジーの慈愛にナラヤナ
   ン青年は胸を熱くした。一生忘れない・・・と

   大統領は、その時の思いを回想して、こう つずつている。「なんと美しい、親切と思
   いやりなのだろう!ガンジーは痩せて空腹そうな青年が質問している間、自分(ガン
   ジー)が昼食を食べていたことを、申しわけなく思ったにちがいない。事実、私の心を
   とらえたのは、私の質問に対するガンジーの答えよりも、その人間としての魅力と寛
   容さであった。確かに、ガンジーの心は、私の胸に響いた。

   おそらく、インドの民衆の心を勝ち取るのは、論理や力ではなく、その心に訴えること
   によってであろう」と[心をつかむ]・・・古今東西、指導者の要件だと思います。

   周総理も、人民の「心」をつかんだ。表面的な人気とりではなく、大誠実で国民の「心」
   を またそばにいる人の「心」をつかむのが指導者の根本要因だと「珍念」思います。

   ちゃらんぽらん の 珍念 自分の心もまだ掴んでいません・・・掴んでいるのは 財
   布の中の僅かな小銭です・・深く深く反省しています。
だらだらと・・取り留めのないお
   話に最後までお付き合いさせてすみません わが身の不徳を恥じています。
 (^_^;)

くもの糸

「石山の石より 白し 秋の風」 (松尾芭蕉)

 暑さに気を取られているうちに、あたりは、すっかり初秋の風景に・・そよ風にゆらぐ芒に金木犀の仄かな香りに哀愁を感じますが!

街路樹も色つきはじめて来ましたその美しいさが、木々によって微妙に違うのが
何故か心をときめかす・・・

 今朝、近くの公園を散歩した時・・松尾芭蕉の 俳句が浮かびました。公園の中ほどの「野鳥の観察小屋」に立ち寄った時突然、蜘蛛が天上からツーッと糸を引きながら降りてきたと思うと、また上がっていく、それも出した糸を巻きながら。 今度はそこから最大降りてた位置までストーンと凄いスピードで落とす。巻いてた分を解放するかのように、でも、糸は切れませんでした。蜘蛛はこの後、天井まで登り、姿を消しました。

 ん・・何かが頭の中に・・なんだろう・・?あ・・そうそう、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出しました。

だけどカンダタが好き(神奈川県双葉小学校四年 佐藤隆恒さん)

 「蜘蛛の糸」私は、このお話を小さい時から今までに何度も繰り返しよんできました。
五、六分で読めるぐらいの、本当に短いお話だけど読み終わる度にいつも、暫く心の中が「しいん」としています。このお話の最初と最後は、平和な極楽の蓮の池の風景です。お釈迦さまの穏やかな散歩で始まり、全く同じ状況で終わっています。

 あんなに、カンダタが死に物ぐるいで脱出をはかったことなど、まるで、うそのよう。 ゆったりと時間が過ぎただけで何一つ変わっていないのです。それで、かえってとてもやりきれないような、悲しい気持ちにさせられるのです。

 ばくは、カンダタが、なぜか好きです。 家に火をつけ人殺しをした大泥棒ですが、とても人間らしく、優しい気の弱い一面もあるからです。 一しゅんの気まぐれかもしれないけど、くも一匹の命を、可愛そうだと感じるそういうことって、僕達にもよくあることです。

 自分のことが他人より大事。これも普通の人の感情です。だからぼくは、カンダタに、何か憎めない物を感じます。お釈迦さま も たぶん、そういう所が気になったのかもしれません。 なぜ、カンダタは、「このクモの糸はおれのだ。おりろ、おりろ。」などと叫んでしまったのでしょうか。

 ぼくは、どうしても残念でたまりません。カンダタに、極楽まで行きつかせてあげたかったです。そしたら、もっと、カンダタの良い面が現われて来たと思います。 カンダタの思いやりのない冷たい所ばかりがこの瞬間出てしまい、その一言ですべてが決まってしまい
ました。

   「しかたないよ、自業自得だよ。」という虚しい答えしかかえって来ません。それがとて
   も悲しいです。ぼくは、最初にこの話を読んだ時から「へんだなぁ」と思ったことがあり
   ました。それは、もし血の池地獄から、カンダタに続いて、罪人達が,次から次へわ
   んさか、ゾロゾロ極楽へ脱出してきたら、お釈迦さま、は、いったい、どうするつもりだ
   ったのかということです。

   ちょっと意地の悪い見方だけど、もしかしてお釈迦さま、は、くもの糸がブッンと切れ
   てしまうことなど、とっくにお見通しだったのではないでしょうか。 

   わかっていて、それでも、「もしかしたら予感が間違っているかも・・そうだったら、他
   の同じような罪人にもチャンスを与えてみよう」そう考えていたんじゃないかなぁ。カン
   ダタが、血の池に石のようにしずんでいって極楽はもうお昼ちかく。お釈迦さまは、ど
   んな気持ちで、昼ごはんを食べるのかな。 やっぱり あじけないんだろうなと思いま
   した。  芥川龍之介「くもの糸」 より

   筆者も「カンダタ」かも 知れませんです 日ごろの行いが悪いので・・血の池地獄 
   わ~を 怖いです今から、心を入れ替えて精進します

   ん・・誰でちゅかぁ・・?」 うどん屋の釜とおっしやる人は(湯だけです)・ ・・・うぅう い
   い得て妙です (*^_^*)

いろは島にて (*^。^*)

「いろは島 金波 銀波 で 夢誘う」

 ある時 パソコン塾のメンバーの方と、訪れた時 ふと
拙い俳句が浮かびました。

この日は、真夏並みの暑さでしたが、島の渚できらきらと輝く波に無数の島々が光輝いていました。珍念 遥か彼方の鷹島の方を、見つめて何か思いを馳せていました。

今から七百年前、元の江南軍十万が五月 壱岐、対馬、を侵し六月大宰府も侵し 伊万里湾に終結し鷹島に上陸、此処でも阿鼻叫喚のこの世の地獄が、余りにも おぞましいので書きません。ちょうど・・台風が来て船が沈み、元軍はたった三人の生存者だけで全滅したそうです。近年この海域で当時の蒙古の船が発見され話題になりました。

ただ・・フビライの命令で異国の地で亡くなられた兵士も恋人や両親、愛しい妻や子供・・・等に! どれほど生きて帰り 再会を望んでいたか!望郷の念に駆られたと思います。

この 美しい 伊万里湾で、両軍が命を掛けて戦った歴史に思いを馳せた時・・平和な国 美しい国 日本自由と民主主義の国 日本  何時までも 平和が続くように・・願っています。先の大戦でも・・筆舌に表すことが出来ないほど内外に犠牲を出しています。

愚かな指導者に騙されては、行けないと思いました。「珍念 さ~ん 食事の時間ですよ・・」ん・・・僅か数分・・悠久の歴史に浸っていました。

珍念襟を正して、懇ろに題目を唱えさせて頂きました。なを・・激戦の受難の島 鷹島にモンゴル村が出来ています。
 
読者の皆さま・・一度 風光明媚な ロマン溢れる・・いろは島に遊びに来てください。潮騒に耳を傾けると、人馬の嘶き、火薬の炸裂する音や・・元軍の火矢に苦戦する松浦党 数多の勇者の雄叫びが心に・・残るやも知れません。

古の古戦場 鷹島に思いを馳せてください。あれれ・・珍念 唐津観光協会のの「回し者」と誤解されるやも・・今日も・・減らず口は絶好調です。 \( ^∇^)/θ☆ わ~い!

自然を 慈しむ心 (*^。^*)

「川は生きている」 を読んで 落合育美さん

(これは川ではない、滝だ)と、ある外国人が、日本の川を見て驚いたそうです。私は、日本の国土が細長くて山地が多いために、川は短くて流れが急だから、きっと、この外国人の目には滝に見えたのだろうと思います。

 私たちの祖先は、この「あばれ川」を上手に治めてそこに文化を築いてきました。 水田を開き、降った雨を蓄えるということが、結果的には、遊水地を作るのと同じことになり、水を治めることになり、つながってきました。

 私は、今の大都会のように、人間が、ただ水を取り上げて降った雨も使った水も、下水のパイプで海へ捨ててしまう「使い捨て」とは随分違うなと思いました。

 資料張で調べると、日本の国土の三分の二は、森林だそうです。 「国土の殆どが森林だなぁ。」と思いました。私の住んでいる善城も、山に挟まれた所です。日本人がこの国土に、二千年もの間文化を育て続けてこられたのは、森林のおかげだったんだという事が
分かりました。

 森は、「自然のダム」だからです。 森林を失うということは土を失うことであり、水を失う事だったのです。昔、ある外国で、大変栄えた文明が、次々に滅びていった
原因も、森林を失ったことにありました。 今、日本では川に堤防を築いたり、ダムを作ったりしています。ところが、川は年と共に危険になるばかりだそうです。私は、森林や水田を潰してきたことと、水を大地へ返さなくなったことが、いけない事だと知りました。

 良く考えて見れば、日本人は、今まで水につかっていた土地を埋め立て、堤防を築き、そこに建物を建てて暮らしています。その結果、草や木などの植物が減り、コンクリートで固められる一方です。 その分だけ水は一度にどっと川へ押し寄せてくることになり、洪水の心配が増えているのです。

 さらに、水不足いう問題が起こってきました。 都市では工業用水、生活用水に使う水が必要になつてきたからです。それでは、水は足りなくなるばかりです。それに、今では、川がとても汚れているので、私は住んでいる人たち皆が、もっともっと、川を美しくしていこうという気持ちにならなくては、いけないと思います。

   この本を読んで、堤防で守られた川は、本当は何を訴えているのか。  汚れた水は
   何を語りかけているのか。 もう一度、川と私たちの生活の結びつきを、考えていか
   なければならないと思いました。「川は生きている」(富山和子著)より

   珍念 落合育美さんの感想文に心が洗われました。人体の70%以上は・・水分で覆
   われているそうですが!それ以上に 私の 心が瑞々しさを失っています深く反省し
   ました この時期 「温故知新」を糧に彼方此方の友人と楽しい対話をしています。
   その度に新たな希望と勇気を頂いています (#^.^#)

私の宝 「ガンジー」

 先ほど本棚の奥から ある新聞の切り抜きが見つかりました
その中にガンジーのエピソードが紹介されていました。

ガンジー「ちびた鉛筆も宝・少年の(思い)が宿っているから」

それは、ある重要な会議を前にガンジーは着席していた。しかし、何かそわそわした様子で、あたりを見回したり、机の下を覗いたりしていた。

「何か、おさがしですか」。ある人が聞くと、ガンジーは「鉛筆をさがしているのだ」。とそれではと、その人はガンジーに自分の鉛筆を渡した。すると、「その鉛筆は、私のさがしている鉛筆ではない」。これから大事な会合が始まろうというときに、どうしてこんな小さなことに、こだわるのかと不思議だった。

 「どうして、この鉛筆ではいけないのですか」「その鉛筆はではだめだ」。ガンジーは強く言った。しかたがないので一緒に机の下をさがした。 やっと見つかったのは、三センチほどの、ちぴた鉛筆だった。

 ガンジーは説明した。私が以前、独立運動を呼びかけ、援助を求めて各地を演説して回っていた時、ある会場で一人の少年が、この鉛筆を私に寄付してくれた。子供にとって大事な鉛筆を、独立運動のために差し出してくれたのだ。そんな一人の国民の「思い」を忘れて、私の政治活動はあり得ない。こうした一人の少年の「心」を忘れて、いくら政治を論じたところで、それは空論にすぎないだろう。この気持ちを私は捨てることはできないのだ」

 たった三センチの鉛筆。しかしガンジーにとって、それは「少年の真心」そのものであり、かけがえのない「宝」であった「真心」に「真心」で応える。これがガンジーの「宗教」の実践であり、同時にガンジーの「政治」の魂でした。どちらも徹底した人間主義に貫かれていた。

珍念・・・この少年とガンジーさんの真心に涙が溢れてきました・・私も・・万分の一でも・・真心には真心で・・応えて行けるように 成りたいと思いました。

メタポリック症候群・・(^_^.)

 昨日25年ぶりに同窓の集いに参加しましたその中で・・太りすぎが話題になりました
その事で 筆者の愚考を恥を忍んで、るる 次のように懇談的にお話しました。  

「死の四重奏」 (-_-;)

(血圧 肥満 血糖 血中脂質)の四項目が基準値を超える人は確実に・・寿命が・・短くなるそうです。飽食の時代に生きる、私たちは・・生活習慣病に脅かされています。実は3千年前の「古代インド」にも、この事が仏典に、ありました。釈尊は、いつも「健康」について考えていました。出家した出発点が「生」「老」「病」「死」の解決にあったと言われていました「健康」が仏法の中心的テーマと成っていました。

食べすぎを指摘 (*^_^*)

 こんな、エピソードがあります。釈尊の信者には、大小の国の王さまもいました。有名な大国・コーサラ国のハシノク(波斯匿)王も、何かにつけて公私ともに釈尊に教えを請うていました。ある時、ハシノク王が釈尊のもとに、ふうふうと息を切らしてやってきました。大王は、大食家であり、この日も、お腹いっぱい食べた後ですぐにやってきたのでした。

 大王が太った体を、ふうふう、いわせている姿を、釈尊はしばらく優しい目で見ていましたが、やがて、こう、教えました。

「常に自ら気をつけて、量を知って食をとらなければいけません。そうすれば、苦しみは少なく、老いることも遅く、寿命を保てるでしょう」食べ過ぎに気をつけて、若さをたもち長生きしなさいと教えたのです。釈尊の教えは、いつも具体的でした。

 その時、大王の後ろに、おつきの少年が立っていました。名前をゼンケン(善見摩納)といいました。「ゼンケンよ、お前は、今の釈尊の教えを暗唱しておいてくれ。そして、私の食事のたびに、いっも唱えてくれ、そうしたら、毎日お小遣いをあげよう。」「大王よ、かしこまりました」

 少年は、釈尊の教えを、そらんじました。 毎日、食事のたびに大王の傍で繰り返しました。大王は、食べるたびに耳元で「量を知って食を採らなければいけません。」と 師匠の教えを聞かされるのですから、次第に食べすぎが、なくなっていきました。

 そして、肥満した体も、次第にスマートになり、健康になっていきました。大王は歓喜して釈尊を称えたと言います。(相応部経典より)このように、釈尊の教えは、人間を「老」と「病」の苦しみから救い、「生」を充実させ、「死」に準備させるものでした。

   老いと死の山がのしかかる

   今度は、別の時の話ですハシノク王が、長いこと姿をみせませんでした。久しぶりに
   釈尊のもとにやってきました。「大王よ、一体、どこへ行っておられたのですか」
   「釈尊よ、王というものは、権力をもち、国家を保全し、広い領土を維持するために、
   いろいろと用事が多いのです。私は、それらの仕事に、とても多忙だったのです」

   すると、釈尊は、こう問いました。
   「大王よ、それでは、こんな報告が入ったら、あなたはどう考えますか。(今、東の方
   から、大空のような大きな山が、すべての生き物を押しつぶしながら近ずいてきす。
   大王よ、急いで何とかして下さい) またその時、同じように「西からも大きな山が近
   ずいています と 知らせがあったとします。また、北からも、南からも同じ報告が入
   ってきたとします。まさに、このような大恐慌は、恐るべき人類滅亡の事態です。
   そういう時、大王よ、あなたはどうしますか」

   「釈尊よ、そんな大恐慌の事態になっては、何ができましょう。ただ、もう生のある限
   り、正しく法を行じ、善業を積み、功徳を積むはか、何ができましょう」

   釈尊は、うなずいて、こう言いました。「大王よ、それでは私は、あなたに告げましよ
   う。「老い」が大王の上にのしかかりつつあります。「死」が大王の上に、巨大な岩の
   ように、のしかかりつつ あります。こういう事態を前に、大王よ、あなたは何をなすと
   言うのでしょうか」

   大王は、わかりが早かった。「まことに釈尊よ、仰せの通りです。老いと死とは、私の
   上にのしかかってきております。 この事態におよんで、私がなすべき事は、ただ、正
   しく法を行じ善業を積み、功徳を積むことだけです。 どんな軍隊もどんな黄金も、老
   死がのしかかってくる事に対しては、防ぐことはできません」王は、こう言って、多忙を
   口実に仏道修行をしなかった自分を反省したそうです。

   王であろうと、だれであらうと、「老い」「死」という巨大な山を避けられる人はいませ
   ん。どんなに自分だけは別だと驕り高ぶっても、「無常迅速」をまぬかれる人はいま
   せん。

    そう自覚すれば、だれしも、死をも超える「永遠の幸福」を求め、仏道修行への心を
    起こすのでは無いかと 珍念 愚考します (^。^)

    いまの世界の行き詰まりは、社会の指導者が、「死」をみつめることを避けているこ
    とに、大きな要因があるやに愚考します。自分を見つめる事をさけ、目先の利益に
    目がくらんでいます。

    「近ずく大いなる山」とは 個人の老死だけでは有りません。核の脅威とも 環境破
    壊ともいえます。こうした根本の大事を放っておいて経済などの為にはすぐ集まる。
    それも指導者が「死」を見つめることから逃げている」姿と思います。ハシノク王の
    物語は、現代にも少しも色あせず 生きています

    「珍念」の迷説法です  !(^^)!

古典は誘う (^。^)

「伊勢物語」を読んで  小学6年生 中村淑子さん

 「友人のような存在だった伊勢物語が、今では恋人のようです。」という言葉が一番目についた。「たかいなぁ。」 とため息まじりで値段を見た。けれども見たいという思う気持ちは人一倍強い。私は、根っから古典が好きで特に見ていない本があると、手に入れたくなる。だから、市立図書館でこの本を見っけた時はとても嬉しくて、天にも登るような気持ちだった。

 「伊勢物語」は、かの有名な、俵万智さんが現代語に直したもので、百二十五の短い物語である。 でだしは「昔、男。」で始まる、ほとんどが男女の恋物語で、恨んでいる気持ちや恋しい気持ちが書かれている。「伊勢物語」の面白い所は、皮肉たっぶりに送った短歌のはずなのに、相手が取り違えてしまう話しや、反対に愛情をこめて送ったはずが、「これ、皮肉かしら。」 と思われるなどの取り違いの所が面白かった。

 「伊勢物語」は数がとばしとばしに書いてあり、本当は百二十五ではなく、五十四の話だったので可笑しいなぁと思った。片思いの人が、思っている人にひそかに短歌を送り女の人の気持ちを引いて会う機会を作ったり、花と一緒にロマンチックな短歌を送ったりする所なんて昔と今と似ているなぁと思った。

 「伊勢物語」の中でも、私が一番気に入っているのは年老いた母がロマンチックな夢を見たと言い、三人の息子にその夢の話をしたところだ。上の息子二人はあきれはて、帰ってしまうが、下の息子はそんな母を哀れに思い優しい言葉を返してあげる。私はここまで読んだ時、何で同じ兄弟でこうも違うのかなぁと思った。

でも私も夢の内容にによって、態度が変わると思う。夢の内容は、「近々素晴らしい男性が現われる。」という感じの内容である。

   私はどんな男性が現われるのだろうと思いながら、読んでいった。相手はちょつとい
   いかげんな所がある「在原業平」であった。 読んでいくと、「ふざけているのかなぁ」と
   最初は思ったけれども、よく読んで見るとの一途な気持ちが現われていて、母私は凄
   いなぁと思った。この本を読んで見て、私が強く思った事が一つある。

   それでは難しい昔の言葉を現代語に直すことでとても関心したし興味を益々もった。
   できれば「伊勢物語」のように、昔の話を現代語に直した本をもっと読んで見たいと思
   う。そして、出来れば将来こういう仕事について昔の話を現代語に直して沢山のに、
   昔の話を紹介したいと思う。

   「珍念」 古典は余り読んでいませんでした!頭だけ古いんです・・反省しています。
  
 毎日 反省 反省の日々を過ごして はや  人生の三分の二は過ぎました閻魔さま
   から・・苛められないように精進します。

回忌法要

 釈尊は否定” 「僧侶の祈りで成仏」は 外道の考え

 先日友人のBさんから、母親の七回忌法要の導師を頼まれました、無下に断れず、喜んでお手伝いをさせて頂きました。30名ぐらいお見え頂きました。 法要が終わり・懇談の時、僧侶が祈らないと成仏は出来ないと言う意見がでました。尤もだと 思いました。 珍念(我が意を得たりと)質問された方に笑顔で語りました。

 「心こそ大切」ということを「葬儀」との関係で語った仏典があります。ある時、一人の村長が、釈尊に、たずねた。「偉大なる人よ。西の地方出身のバラモンは、死した人の魂を高め和らげ、鎮め、天上界に登らせる儀式を行う。偉大なる人よ。あなたは(バラモンのように)、すべての人が死んだ後、 天上界に登らせることができますか」

 つまり、この村長は、当時の常識どうり、バラモン僧侶の祈祷によって死後の幸せがあると信じ込んでいたわけです。

 釈尊は、どう答えたか。「譬えば、ここに人がいて、巨大な石を深い湖水の中に投げいれたとしょう。大勢の人が群れ集い、次のように祈祷したとする。「巨大な石よ、浮かび上がれ、浮かび上がれ」 さて、大勢が「石よ浮かべ」と祈祷し、合掌して湖の周囲を祈り回った。 その功徳により、石は浮かび上がるでしょうか・・?」村長は答えた。「そんなことは、あるはずがありません」 釈尊は言った。

 「村長よ。同じように、ある人が、人の命をむしばむ、たちの悪い輩で、盗みを行い、邪淫を行い、うそをつき、(正しい人の)悪口を言い、粗暴な言葉を語り、巧みにごまかし、貪り、正しい心を失い、誤った考えを抱いているならば、いくら大勢の人々が群れ集い祈祷し、合掌し、(天上に生まれますように、天上に生まれますように)と祈っても、この人は死んだ後、悪しき所に生まれるでしょう。

 反対に、一人の人が貴重な油の壺を深い湖水に沈めて割ったとしよう。 この時、油は自然に浮かぶ。いくら大勢の人が「油よ沈め、油よ沈め」と祈っても、油が沈むでしょうか?」「そんなことは決して、ありません」 「村長よ。同じように、 生命を貴び、人に惜しみなく物を与え、邪淫を行わず、正しいことを言い、二枚舌を使わず、ごまかさず、貪らず、正しい心をもち、正しい考えを抱いているならば、いくら大勢の人が群れ集い「地獄に落ちよ、地獄におちよ」と祈ってもこの人は死後、善き所に生まれるでしょう」 葬儀に僧侶がきて、祈らないと成仏しない・・・こんな日顕宗の邪議は、釈尊によって明確に否定されています。それは、釈尊が打ち破った外道のバラモンの考え方なのです。

 ”死後の運命を決める根本は、その人の生前の行いである” というのが仏教本来の教えでした。 もちろん、追善供養という法理はありますが、それも、正しい信仰者の正しい祈りが、死者の生命に感応し、功徳を及ぼすということです。儀式が大事なのではない。

 妙法を信ずる「心」が「心」に善の波動を送るのです。 日蓮大聖人は、女性の弟子である日眼女(にちげんによ)「四条金吾の婦人」に仰せになられた。「宝石を石だといっても、宝石が石になることはない」 「法華経をいくら謗ろうとも、宝石が石にならないように、法華経の偉大さは少しも損ずることはない」と誰がなんと言おうと、真実は真実です、正義は正義です。恐れなく、声も高らかに言い切っていけばよいのだ。

  「悪い噂のある人々に悪い噂をたてられることを恐れるなど、何と馬鹿げたことか」と古
  代ローマの哲学者セネカも喝破している。ともあれ・・私たちの友人葬は内外に波紋を
  起こしています。近隣の方たちに葬儀のあり方で注目を集めています。 あ・・そうそう
  導師を頼まれたから、お布施 ?(お金)など頂いていませんです。反対に故人を偲ん
  で志を差し上げています・・誤解をされないように (*^_^*)

  筆者は、腐敗・堕落した宗門と決別した時から葬儀の手伝いをさせて頂いています。
  お経を唱えるのも苦になりませんです・・朝夕勤行をしていますから・・ ともあれ・・人間
  はだれでも「いつかは」自分は死ぬと知っています。

  しかし「いつか」であってまだまだ先のことだと思っています。しかし地震・事故・急病・そ
  の他死はいつでもあるのです。三日後に「あなたは死ぬ」と宣言されたら、のんびりテ
  レビなんか見ていられませんしかし、良く考えてみれば三日後が三年後、三十年後で
  あっても本質は同じなのです。

  ゆえに・・ ☆ いつ死んでもいいように「今」を生きるのです。 ☆ 死を意識することが
  人生を高めることになります。 ☆ 死を自覚することによって「永遠なるもの」を求め始
  めるのです。そして、一瞬一瞬を大切に使おうとするのです。

  ○ 現代文明は「死を忘れた文明」とも「欲望を野放しにした文明」ともいわれますが!
  ○ 死があるから、今を大切に生きようとする事ができるんです。○ 死は生と共に大
  切であるが故に生死不二と仏法は説いているのです。

  本日は故人の法要ではありますが、この故人を通して、生きている私たちが「今を生き
  る大切さ」を感じ、立派に生きゆく志を示しゆくことが最高の故人への法要になるもの
  であると思うものであります。

  「 珍念」のお粗末な説法でした (^。^)

ごめんなさい  (*^_^*)

過ちを悔いるのに 憚ることなかれ  

 昨日の午前中、ある会合が終わり、帰り際の出来事でした。顔見知りの女性が、ロビーのイスに険悪な表情でいられました。

「何処か、お体の調子が優れないようですが・・?」(実は、今日の会合の連絡が今朝、他の方からききました。「行事の連絡を・・尋ねない方も、良くないですが、してない方も良くないですね!」 "連絡は、グループの責任者がするように成っていましたが件の女性は、連絡する方よりも更に責任のある地位の方なので・・それとなく自覚を促しました。

 ちょうど その時 連絡責任の女性の方が見えられて深々と頭を下げられて「済みませんでした、私の連絡ミスでご迷惑をお掛けしました、お許し下さい。」と(はい・・分かりました) と きょとんと していました。謝られましたが 一言も言い訳をされないので!

 ちんねん・・原因は・・? 何だったのですか・・・?「はい・・2、3日 前から風邪を引かれて体調が思わしくないので、私の愚かな判断で連絡をしませんでした。」珍念・心の底からその女性の健気な真心と過ちを認められ弁解もされない崇高な命に感動しました。

 そうそう・・ずいぶん前に 吉川英二の「新水滸伝」の中に「宋江」率いる梁山泊の勇士が悪代官の「祝家荘」を攻めていた時。「祝家荘」の周りは八幡の藪知らず・・の竹林でした。行けども、行けども 敵の本陣に辿り着かず・・迷路にさ迷い、敵の待ち伏せや奇襲攻撃で全滅の危機に陥った時。 しまつた・・我過てリ・・過ちを悔いるのに憚る事なかれ の 通り全軍総退却したそうです。

 幼稚な〝珍念〟・・まだまだ・・精神年齢 6歳ぐらいです。昨日の女性の方の勇気には足元も及びません「日光の猿軍団」のように 何度も頭を下げています。 

ある男の約束

 この前 午前中 セミナーで急遽代役を頼まれました。一時間お話しました その中の一つを紹介します。

日常の振る舞いに 付いて

 日常のひとつの振るまいが、万言の重みをもって人の心を打つ事がある。ある男が旅行中、田舎道で母に連れられた七才の少女と出会う。そしてユリの花を刺しゅうした彼の鞄をせがまれる。

 そこで男は事情を語り約束する。明日まで待ってもらいたい。明日には必ず持っていくか  ら、と 翌日、約束通り女の子の家を訪れる。 だがなんと少女は急病で亡くなっていた。

残念さから男は墓前に鞄を捧げ祈る。

 母はその鞄を持ち帰ってくださいという。 だが男は語  る。お子さんは亡くなったが私の約束した心は死んでいない。  私は自分の心に背きたくない、と男は ロシアの文豪!トルストイ。

 彼の振るまいそのものが、心に残る<名作>であったそう です!

 「珍念」ちゃらんぽらん、ですから 約束は破っています・・閻魔さまから必ず二枚舌を
抜かれそうです・・反省しています (^_^;)
 

「いつかは」

 ちんねんこの前 53年振りに中学の時の担任の先生宅を訪問しました。
何と10年前「癌」を患い亡くなって居られました。そのうち 何時かは 訪問 する予定でした。遺影の前で泣き崩れました 痛恨の極みでした。

 人間はだれしも「いつかは」自分は死ぬと知っている。しかしあくまで「いつかは」であって、まだまだ先の事だと思っている。青年はもちろん、年をとっても、否、年をとればとるほど、「死」から目をそらす場合もありますが!

 しかし、人生の実相はどうか。じつは人間、次の瞬間には死んでいるかもしれない。地震、事故、急病、その他、死の可能性は「いっでも」あるんです。それを忘れているようです。
しかし、よく考えてみれば、三日後が、三年後であっても、三十年後であっても、本質は同じなのです。ゆえに、いつ死んでもいいように、「今」を生きるしかない。

 何が確実といって「死」ほど確実なものはない。珍念・・「いっかは」ではなく「今」しかないとの思いで 頑張るように遺影に誓いました。

 愚か者の「珍念」です。お笑い下され~ぃ !(^^)!

こんにちは・・ちんねんの一考察です

 
 命・・・何の為・・誰に・・?

真の戦士描く 「カレーの市民」 捕らわれの身に関連しますが! 真実の勇者、真の戦士とはだれか、いかなる人物か彫刻家ロダンの傑作の一つに「カレーの市民」がある。 これは14世紀の史実に題材をとった作品である。 カレーとは、フランス北端の港町。ドーバー海峡を はさんで イギリスと 向かい合っている。 物語は、イギリスとフランスとの「百年戦争」{1337-1453年}の中の出来事ですが!

 1347年。カレー市は、イギリス軍に包囲されていた。もう、一年間も、こ んな 状態が続いている。市に助けを出すべきフランス王フイリップ6世にも、見捨てられてしまった。その時、市民はどう生きたか・。この極限の状況のなか、いまなお 全ヨーロッパの人々に語り継がれる人間のドラマが、生まれたのです。

その魂の劇を描いたのはドイツの作家ゲオルクカイザー{1878-1945年}反ナチスの作家としても有名な彼の戯曲「カレーの市民」は全世界の人々に感銘を与えた。

その日の朝、カレーの市民たちのもとに、イギリス王エドワード3世からの使者が届いた。「町を破壊されたくなかったら、一つの条件をのめ」というのである。負け戦のカレー市としては黙って耳を傾ける以外にない。負けることはみじめである悲惨である。人生も断じて勝たねばならない。

その条件とは・・・使者は言う「明日の朝までに、6人の代表の市民を英国王のもとに差し出すのだその6人は、帽子をつけてはならぬ。靴もはいてはならぬ。裸足で、哀れな 罪人の衣を着、首に縄をかけて来いそして国王の前に命を差し出すのだ。そうすれば、町は破壊から救われよう」屈辱的な要求であった。人間を愚弄する傲慢の言であった。市民たちは怒った。とうてい、こんな申し出を聞くことはできない「武器を取ろう!」。声があがった
しかし、玉砕は100%確実である。

女性も、子供も老人も全員が、犠牲になるであろう。町も破壊されよう。それでも、「皆、ともに死のうではないか!」という声が優勢であった。フランス軍の隊長デュゲスクランが、そうした人々を煽った。「戦おう!」隊長の声は勇ましかった。人々は興奮状態にあった。
「華々しく突進して死ねばよいのだ」そのほうが、潔いし、この長い長い苦しみからも逃れられる・・・隊長の剣の上に、一人また一人、と誓いのため手を置いていった。この若者も、あの老人も・・・。

    しかし、一人だけ、手を置くことを拒んだ者があった。それまで静かに議論を聞いて
    いたサンピエールだった。彼は言った。「私は反対だ。我々は、何よりも大切な、こ
    の港を守らねばならない。後から続く人々のためにも・・・」
    「この港は、我々市民が営々たる労働でつくったものである。市民が自分の腕で重
    い石を運び、背を曲げ、ぜいぜい息を切らして、働いた結晶である。こうして、湾は
    深く堀下げられた。立派な、防波堤が築かれた。あらゆる国の船が、安心して停泊
    し、航海できる港ができたのだ」

    [6人の市民を犠牲にすることは、もとより断腸の思いでる。しかしカレーの港は、我
    が命よりも尊いと思わねばならない。なぜなら、この港は、世界の万民に幸福をも
    たらすからである。」・・・無謀な戦闘をいさめるサンピエールの言に人々は「何とい
    う臆病者だ!」「卑怯ではないか!」と口々にののしった。しかし、じゅんじゅんと説く
    サンピエールの冷静な声に、次第に賛同の意見が増えていった。

    「それでは・・」。一人の市民が発言した。「だれがイギリス国王の前にいくのか!」
    自ら死ぬものは誰なのか。この問いかけに場内は一瞬にして、水をうったように静
    かになった。だれもが顔をこわばらせた。そして「では、私が行こう!」立ちあがった
    のは、サンピエールだった。人々の間に異様な感動が走った。もう彼のことを、臆
    病者などという人間はいない。いるはずがなかった。

    珍念 思います、人々をけしかけて無謀な玉砕へと、赴かせるような人間が「勇者」
    なのか。自らの生命を捨てて、人々を守り,祖国を守る者が勇者なのか。

    一人立ったサンピエールのもとにもう一人の市民が、静かに寄りそった。「二人目」
    であった魂は魂を揺さぶる「よし、おれも」!3人目も立った。4人目、5人目と続い
    た。あと一人である。人々をけしかけた、あの隊長は名乗り出ない。・「よし、が!」2
    人の兄弟ジャックとピエールが同時に声をあげた。6人でよいところが、7人んびなっ
    てしまったのである。

    予想外の出来事であった。どうするか。「くじ引きで一人を除こう!」。場所を変て、
    抽選することになった。それは恐ろしい光景であった。はじめ7人は、命を捨てる覚
    悟だった。ところが、ここで生命が助かる新しいチヤンンスが出てきたのである。
    妻の顔、子供の顔が浮かんでくる。母が,恋人が。「どうか、あの人が籤に当たりま
    すように!」と泣きくずれる。

    勇者の心の宇宙にも,暴風雨が吹き荒れた。自分の「勇気」はもう申しでることで立
    派に証明した。助かっていいのではないか?人間の心理は微妙である。次々と不
    安安と苦悩の黒雲が湧き起こった。布をかけた皿に7人が一人ずつ手を入れる。青
    い玉なら死。命を賭けたくじである。一人目。青い玉だった。二人目青い玉だった。
    3人目4人目、5人目、皆青い玉だった。「どうなっているんだ!」耐え切れず一人が
    布をあけた。何と7つとも全部青い玉だった。

    驚く人々にサンピエールは言った。「私がそうしたのだ!なぜか?はじめ我々は命
    を捨てる覚悟だった。しかし、皆に迷いが起こってしまった。決心がゆるんだ。これ
    では命を捨てての大業をなしとげることは出来ない!」だれが選ばれても、選ばれ
    なくとも、皆の心に恨みと悔いのシミをを残してしまう、と考えたのである。皆の目に
    見えない「一念のゆるみ」を、彼は見逃さなかった。彼一人はいささかも心が揺れて 
    いなかった。結局、彼の提案で、明朝、市場に、最も遅れて着いた者が、犠牲を逃
    れることになった。

    翌朝・・大勢の市民が市場に集まっていた。だれが最初にくるか?皆、サンピエー
    ルが一番と疑わなかった。ところが・・・3人の勇士が相前後して着いた。人々は彼
    らに罪人の衣を着せ裸足にし、首に縄をつけた。「サンピエールは、一体どうしたの
    か?」「次ぎにきっと来るよ」。しかし、4番目も、別の人であった。皆の瞳に動揺の
    色が濃くなった。5番目、そしてついに6番目!それでもサンピエールは来ない。これ
    では、この6人が犠牲になるのか!

    「我々はだまされた!彼は初めから来ないつもりだったのだ。今ごろ、我々のバカ
    正直を笑っているだろう!」6人のうちの一人が叫んだ。市民のすべてが怒った「彼
    は我々皆を裏切った!」殺気だった人々が彼の家に押しかけいこうと走った。その
    時・・黒い布をかけた一つの棺が、静々と運ばれてきた。そばにはサンピエールの
    老父が立っていた。

    老父は言った。「これはサンピエールです。息子はこう言いました。
    私は先に行くから、6人の人よ、後に続いてくれ。そう言い残して死にました。」サン
    ピエールは、ひとたび立った勇士たちを、誰一人迷わししてはならないと思ったので
    あろう。だれが最初とか、だれが最後とかでなく、自ら立った選ばれた勇士の誇りを
    皆にまっとうさせたかった。そのためには、自分が、真っ先に、手本を示す以外にな
    かったのである。ここに真正の「勇者」がいた。・・6人の魂は奥底から震えた。

    そして大磐石の決意で、皆が見守るなか、町の外へと、歩み始めた。もう何の迷い
    もなかった。晴れ晴れとした。姿は罪人でも、心は皇帝であった。王者であった。た
    とえ世の非難を一身にうけ、牢に繋がれる身となろうとも、心は永遠の王者である。

    この出来事は、いち早く、イギリス王のもとにも伝わっていた。
    6人の前に、王の使者が走ってきた。「まだ遅れてはおりません」。6人は使者にそう
    言った。責められるかと思ったのである。ところが使者は 「国王の特別のはからい
    で{だれの命も断ってはならない}との命令である!カレーの町は救われた!」と告
    げた。

    やがて王が町に入ってきた。そしてサンピエールの棺の前に、王自ら膝を折り。そ
    の前にぬかずいたのである。敵味方を超えて、人間としての本物の戦士に敬意を
    表するために。こうして、一個の美しい高貴なる魂によってカレーの町も、港も市民
    も救われたのである。

    人生は戦いである。人は皆、戦士である。戦人として生きねば ならない。それが生
    命の掟である。戦いを避けることは、それ自体 敗北である。しかし、戦いが常に、
    華々しいものとは限らない。むしろ地味な、孤独な「自分との戦い」が、その99%を
    しめる。それが現実である。

    ある場合は、人前で格好よく旗を振ることも大事であろう。 しかし、それ以上に、た
    の人を守るために、あらゆる犠牲を「忍耐」して、一人、前へ進む人のほうが偉大で
    ある。真の勇者は、時に、格好わるく、地味そのものなどである。

    また大勢仲間がいる時は、だれれも勇気が出てくる。「戦い」を口にすることも容易
    である。しかし、真の「責任」をもった人間かどうかは、一人になった時の行動で決
    まる・・と それは それとしてこの「カレーの市民」は、フランス人の勇者が、イギリ
    ス王の心を も動かした歴史がありました。

    珍念の・・の おそまつな説法でした。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

尊敬される人とは・・(*^。^*)

真実の偉い人とは誰か・・!

ちんねん の 独断と偏見の愚考です。

ある人が言っていました「フランス人は大臣よりも、コックさん

(シェフ)を大事にする」と述べていました。

端的な表現ですが、そこには、外見に惑わされない、成熟

した人間観がこめられていると思います。

優れた「文化」を何よりも尊敬する精神土壌は、世界の模範

とも成っています。

こうしたフランス社会の気風を表す、次のようなエピソード

があります。

19世紀の第3共和制時代、カルノー大統領(1837~94年)

は、ある時、パリの大富豪の晩餐会に招待された。

ところが行ってみると、大統領にもかかわらず、席順は

16番目であった。

一番の席には、ある鉄道技師が、二番目は、ある文学者

三番目は科学の教授となっていた。

もしも、日本であったら、大変な騒ぎになっていたに違いない。

いったい、どういう順番なのか・・? 不思議に思った来賓の

一人が、主人に理由をたずねると、こう答えた。

「この席順は、実質的に偉い人の順番です。 本当に

偉い人とは、その人でなくてはならない、代理の出来ない

人のことです。

大統領の前で、聞くほうも聞くほうなら、答えるほうも

勇気がある。

「第一番の技師は、フランスのみならず、世界でただ一人

の鉄道技術の専門家です。あとの方も、その道で同様の

方です。こうして決めていくと、失礼ながら、大統領は代理

でもつとまります。 そこでカルノー大統領は十六番目に

なってしまいました。 つまり、かけがえのない人の順番

なのです。」

現実には、いつも、この主人の言葉通りにするわけには

いかないかもしれませんが! しかし、こうした意見が

卒直に語られ、しかも一つの見識として、だれもが

冷静に受け止める社会は、いわば”大人の社会”と

いえます。

かって、マッカーサー将軍が、ある意味から、日本人の

精神年齢を十二歳と言ったことは有名である。

(かくいう 筆者の 精神年齢は 6歳ぐらいです。) (^。^)

その是非はともかく、精神の深さと強さ、自立性、成熟度

といった面を、私たち日本人はもっと 考えなければ

ならないと、愚考します。

「かけがえのない人」はだれか。 「実質的に偉い人」

はだれか。   それを鋭く見抜き、権威の人よりも

虚名の人よりも大切にしていく。

そこにこそ真実の人間性の世界が広がっていく。

精神性の文化が培われていく。

反対に「代理が出来る人」のほうが、立場をかさに

そうした人を見下す、威張っている社会は、虚構の

世界です。

その本質は政治的であり、要領や策、虚栄に

よって動かされていく。 それでは人間性も文化も

滅びていかざるをえない。

ともあれ・・恩師は「諸君は、どこであれ、自分の

いる場所、自分の部署で「かけがえのない人」に

なって頂きたい。

我が道に徹し、なくてはならない人物へと自己を

練り上げていった人は、やはり人格の上でも

社会人としての力量の上でも、使命の人生の

完成の上でも、一つの達成をみている。 そういう

”実質的に偉い人””真実に強い人”になってほしい

というのが、私の諸君へのお願いである。

ちんねん・・師匠の言々が心に残っています・・

毎日毎日・・弱い自分と、強い「ちんねん」が綱引き

しています・・善心と悪心が瞬間、瞬間 湧き出て

悩ませています・・・まだまだ・・お迎えが来る日まで

頑張ります (^_^.) (*^。^*)

狂った巨象・・? (-_-;)

「転倒の愚かさ」を仏典が描く

「焼き物職人とロバ」のお話です。

さて、世の中には、まさかと思うような、常識では考えられない

話がありますが!

皆さん・・毎日のように凄惨な事件や事故 政治家の

モラルの低さや・・有りとあらゆる物が 何でもありで

余りにの おぞましさ に 筆者も 心を痛めています

冷静に「事実」を見つめれば、余りにも理不尽で道理

に外れているのは、明らかなのに、いったん、狂った渦

に巻き込まれてしまうと、何も見えなくなってしまう。

仏典には、そうした人間の愚かさを、わかりやすく教えた

物語が無尽蔵にあります。

その中の一つに「職人とロバ」の話があります。

一見、笑い話のようですが、深い意味が込められています。

昔、ある人が「大宴会」を計画した、 ところが

必要な食器がない、そこで、たくさんの良い器を作れる腕のいい

職人を見つけてこいと、弟子に命じた。

さて、命じられて、弟子が町に出かけると、途中で、ロバを引いて

くる焼き物職人にであった。

ロバの背中には、美しい食器が鈴なりに積まれている。

声をかけようとした時、ロバは急に暴れ出して、器を背中から

落とし、アッというまに、全部割ってしまった。

突然おかしくなって、「破壊」を始める、そうした悪人の姿が

思い起こされますが!

職人は嘆いた「ああ、長い間、苦労に苦労を重ねて骨を

折って作った焼き物を、このロバは全部、壊してしまった」。

自ら土を運び、土を掘り、運ぶところから始めた労苦の結晶

である。    嘆くのは当然でした。

焼き物職人は、ロバの愚かさを、心の底から悲しんだ。

ところが、何を思ったか、この光景を見ていた弟子は

「このロバを売ってください」と言って、連れて帰った。

職人が来るとばかり思っていたのに、ロバ(破壊者)が

やってきたので、主人は驚いた。

弟子は言った。

「聴いてください。 このロバは大したやつですよ。

職人なんかより、ずっと偉いのです。」

なぜかと、いうと「職人は、器を作るのに、ずいぶん、

苦労し、時間がかかりました。ところが、このロバと

きたら、それらの焼き物を、いとも簡単に壊せるのです」。

だから職人より力があるし、素晴らしい・・・と。

あまりにも、ばかげた話に、主人は怒った。

「お前ほど、愚かな者はない。このロバ器を壊すことは

できるだろう。信用して、背中に乗せたのに、信頼を裏切っ

て、振り落とせばいいだけなのだから」

信頼して、預けたのに、その信頼をよいことに、その立場を

利用して裏切り、「破壊者」に変わってしまう。

こうした事例は 人間の社会にも・・仏法の世界にも多いですが!

主人は続けた。

「しかし、よく聞け、百年かかっても、ロバには、たった一つの

焼き物さえ、作ることはできないのだぞ”}

その通りです。 たった一人でも・・職場であれ・・家庭であれ

現実に立派な後継者を育成する人が偉いと愚考します。

立場ではない。形ではない。権威ではない。過去の功績

でもない。

焼き物職人が、焼き物を作らなかったら、もはや職人ではない。

「ロバには、百年かけても、たった一つの焼き物さえできない」

いわんや、「大宴会」などできるはずがない、と主人の言葉である。

職人「建設者」よりも、ロバ(破壊者)を尊敬する・・・そんな馬鹿な

人間がいるはずがないと思われるかもしれない。

これは「百喩経」という経典が伝える物語です

ちんねん ・・ ちょいと 思い当たる事がありました。

ロバと弟子にならないように・・精進します (^_^.)

「油断大敵」 (^_^.)

「油断は怪我のもと」 とよく言われるが、「油断」の

語源は仏典に見られる。

涅槃経によれば、王が臣下に油を入れた鉢を持たせ、

人の多い通りを歩かせた。

もし油を一滴でも、こぼせば、命を断ずると命令した。

臣下は周囲に目もくれず、王の命令を全うした。

ここから、「一瞬の心の緩みを”油断”と呼ぶようになった。

一刀流の開祖、伊藤一刀斎と、弟子、小野二郎右衛門が

全国を武者修行していた時のこと。 弟子が

「剣道の極意」を尋ねると、師匠は「べつに極意という

ほどのものはない。ただ油断をしないのが第一だ」と。

弟子に少しの油断があると、師匠は容赦なく「ぽかり

ぽかり」と殴りつけたという。

実践で油断への戒めを体に刻みつけさした。

事故や災害の原因の大半が人災と。 その根源には、

心の緩みや甘え、慣れからくる油断、慢心などがあります。

勝負の世界でも、勝た時に敗北の因を作り、負けた時に

勝利の因を作ると言われています。

これは人生にも当てはまりますが!

人間の心は微妙ですので、常に日ごろからの鍛錬が

不可欠だと愚考しています。

「前前の用心」(さきざきの ようじん)と云われる

所以ですが!

普段からの油断のない備えと生活姿勢が大事

だと思います・・「一部分 名字の言」より  引用しています

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